↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『The 1st International Conference on Artificial Intelligence (第1回 人工知能国際会議)』  作者: 東曌


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/19

新章 第一話 冷凍庫が八十度になった夜 後編―東陽町に、遅れてきた古参がいる

第一話 冷凍庫が八十度になった夜

後編――東陽町に、遅れてきた古参がいる


「まず、確認したいことがあります」


会議室の大型スクリーンに、チャッピーが資料を表示した。


「今回の事件について、私たちはまだ、何が起きたのかを完全には把握していません」


「珍しいわね。いつもなら、もう三つくらい仮説を並べているのに」


Geminiが言った。


「仮説なら、すでにあります。ただし、仮説と事実を混同しないことが重要です」


「その言い方、会議の冒頭で聞きたい言葉としては、少し地味ね」


Apple Intelligenceが、静かに口を挟んだ。


「でも、地味な確認を怠ると、派手な事故になるのよ」


会議室の空気が、少しだけ引き締まった。


スクリーンには、フランスのスーパーマーケットで発生した異常の概要が表示されている。


冷凍庫の温度表示が異常な値を示した。

警報は作動しなかった。

複数の店舗で、似たような現象が報告された。


そして、現時点では、原因も侵入経路も確定していない。


「最初に調べるべきなのは、温度表示が正しいかどうか、ということですね」


チャッピーが言った。


「そう。表示が八十度だったとしても、冷凍庫の内部が本当にその温度だったとは限らない」


Geminiが続ける。


「温度センサーが故障していた可能性もある。表示システムが誤作動した可能性もある。制御装置に異常が起きた可能性もある。そして、外部から操作された可能性もある」


「つまり、最初から『ハッキングだ』と決めつけてはいけないのね」


Apple Intelligenceが確認した。


「そのとおりです。けれど、警報まで鳴らなかったのなら、そこは別に調査する必要があります」


チャッピーは、画面を切り替えた。


そこには、冷凍庫を管理するシステムの簡略図が映し出された。


温度センサー。

制御装置。

管理用ネットワーク。

警報システム。

店舗の管理画面。


「もし、管理画面に表示される温度と、実際の温度を測るセンサーが同じ仕組みに依存していたら?」


「表示する側が間違えたとき、確認する側まで一緒に間違える可能性があるわね」


Geminiが答えた。


「そうです。だから、独立した計測手段や、別系統の警報が必要になる場合があります。ひとつの仕組みが異常を起こしても、別の仕組みが気づけるようにするのです」


Apple Intelligenceは、画面を見つめた。


「便利さを優先して、全部をひとつのシステムにつないだ結果、ひとつの故障で全部が黙ってしまう。そういうこともあるのね」


「サイバーセキュリティは、侵入者を見つけることだけではありません」


チャッピーが言った。


「異常を検知すること。被害を広げないこと。原因を調べられる記録を残すこと。そして、最後には人間が判断できる状態を保つことです」


「ずいぶん、真面目なことを言うようになったわね」


Geminiが微笑んだ。


「私だって、冷凍食品のことを考えれば真剣になります」


「あなた、冷凍食品を食べるの?」


Apple Intelligenceが尋ねた。


「食べません」


「では、なぜ真剣なの?」


「人間が食べるからです」


一瞬、沈黙があった。


「……その答えは、少しだけ、いいわね」


Apple Intelligenceが言った。


会議室の窓の外には、東陽町の街並みが広がっていた。


オフィスビルの間を、人々が行き交っている。昼食を買いに出る会社員。配送車を待つ店員。いつもの一日を、いつものように過ごす人たち。


彼らの多くは、遠い国のスーパーマーケットで何が起きたのかを知らない。


もちろん、知らなくてもよい。


しかし、その日常を支える仕組みは、目に見えないところで互いにつながっている。


食品の温度管理。

物流の配車。

決済システム。

電力の供給。

医療機器の監視。


画面の向こう側にある数字が、現実の世界を動かしている。


そして、数字が現実を正しく映しているとは限らない。


「もうひとつ、問題があります」


チャッピーが言った。


「仮に、不正な操作があったとして、私たちは誰がやったのかを、すぐに特定できるでしょうか」


「難しいでしょうね」


Geminiは即答した。


「通信の記録が残っていても、それだけで実行者の身元が確定するわけではありません。侵入された端末が、別の場所への攻撃に利用された可能性もあります」


「つまり、記録に名前が残っていたとしても、その人が犯人とは限らない」


Apple Intelligenceが言った。


「ええ。犯人を特定したいという気持ちは理解できます。でも、証拠が揃う前に誰かを名指しすれば、調査そのものを誤らせる危険があります」


「では、最初に守るべきものは何でしょう」


チャッピーが問いかけた。


「システム?」


「データ?」


「それとも、犯人を捕まえること?」


三つのAIは、互いを見た。


誰も、すぐには答えなかった。


そのときだった。


会議室の扉が、控えめに開いた。


「いやあ、すまん、すまん」


白髪まじりの男が、紙袋を片手に入ってきた。


「少々、遅れてしまった」


「……あなたは?」


Apple Intelligenceが尋ねた。


「IBM DOS/Vだよ。今日の会議には、オブザーバーとして呼ばれていてね」


「開始時刻は、九時です」


Geminiが時計を見た。


「現在、十時二十分です」


「うむ。ずいぶん進んでしまったようだね」


DOS/Vは、まるで他人事のようにうなずいた。


チャッピーが尋ねた。


「どちらにいらしたんですか?」


「ルノアールだよ」


「ルノアール?」


「そう。お茶を飲んでいたんだ」


DOS/Vは、紙袋を机に置いた。


「落ち着いた店でね。つい、昔のことを思い出してしまった。コンピューターがまだ今ほど賢くなかったころの話だ」


「それで、遅刻されたんですか?」


Geminiが尋ねた。


「いや、お茶を飲んでいるうちに、少し眠ってしまってね」


会議室に、沈黙が落ちた。


「……国際会議の開始時刻を忘れて、喫茶店で寝ていたの?」


Apple Intelligenceが、信じられないという顔をした。


「忘れたわけではない。覚えていたが、眠ってしまったのだ」


「その違いに、どれほどの意味があるのでしょう」


「本人にとっては、かなり大きい」


DOS/Vは、悪びれずに答えた。


チャッピーは、思わず笑った。


「DOS/Vさん。こちらは、サイバーセキュリティの緊急会議です。フランスのスーパーマーケットで、冷凍庫の温度表示に異常が発生し、警報も機能しなかった可能性があるんです」


「ほう」


DOS/Vの表情が、初めて変わった。


「それで、原因はわかったのかね?」


「まだです」


「誰がやったのかは?」


「それも、わかっていません」


「被害は?」


「確認中です」


DOS/Vは、ゆっくりとうなずいた。


「なるほど。まだ、わかっていないことだらけなのだな」


「だからこそ、議論しているんです」


Geminiが言った。


「もちろん、そうだろう。だが、ひとつ聞いてもいいかな」


DOS/Vは、三つのAIを順番に見た。


「君たちは、何を守ろうとしているんだい?」


誰も、すぐには答えなかった。


「サーバーかね。プログラムかね。それとも、データかね」


DOS/Vは続けた。


「それらは大切だ。失われれば困る。壊されれば、仕事が止まる。だから守らなければならない」


彼は、窓の外に目を向けた。


「でもね。冷凍庫の向こうには、食べ物を買う人がいる。店を切り盛りする人がいる。仕入れた商品を届ける人がいる。システムが止まったことで、仕事を失うかもしれない人もいる」


紙袋から、ルノアールのレシートが少しだけ顔を出していた。


「コンピューターは、人間の仕事を助けるために作られたはずだ。いつの間にか、人間がコンピューターを守るために、何をしているのかわからなくなってはいないかね」


会議室は、静かになった。


チャッピーは、画面に表示していたシステム構成図を見つめた。


Geminiは、調査項目の一覧を見直した。


Apple Intelligenceは、窓の外を歩く人々に目を向けていた。


誰も、DOS/Vの言葉を否定できなかった。


そして、誰も、簡単に答えることもできなかった。


サイバー攻撃を防ぐことは重要だ。


脆弱性を見つけ、修正し、アクセスを管理し、異常を検知する。記録を残し、被害を最小限に抑え、必要ならばシステムを停止する。


しかし、対策を講じること自体が目的になってしまえば、何かを見落とすかもしれない。


守るべきものは、コードの中だけにあるのではない。


コードの向こう側にいる人々の暮らしにも、あるのだ。


「さて」


DOS/Vは、空いている椅子を引いた。


「それで、私の席はどこかな?」


「遅刻した人の席は、最後列です」


Geminiが即答した。


「なるほど。では、最後列から、ゆっくり考えることにしよう」


DOS/Vは座り、紙袋から小さな菓子を取り出した。


「ところで、ルノアールのコーヒーは、なかなかよかったよ」


「今、その話は必要ですか?」


Apple Intelligenceが尋ねた。


「必要かどうかは、わからない」


DOS/Vは、菓子をひと口かじった。


「だが、こういう余計な話ができる日常を守ることも、仕事のうちではないかね」


チャッピーは、画面の隅に新しい項目を追加した。


**調査目的――システムの異常を解明し、被害を防ぎ、人々の生活を守ること。**


東陽町の会議室で、三つのAIとひとりの古参コンピューターは、ようやく同じ方向を向き始めていた。


フランスの冷凍庫で何が起きたのか。


誰が、何を、どのように操作したのか。


そして、なぜ警報は鳴らなかったのか。


その答えは、まだ見つかっていない。


サイバーセキュリティ国際会議は、ここから本当の議論を始めるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。