ダンジョン最深部で出会った少女は、花畑を知らない
01
ダンジョン配信のコメント欄は、いつだって気楽だ。
涙液発電式のディスプレイ内蔵コンタクトレンズによって、視界の端にはコメントが流れている。
『企業合同レイドきた!』
『三田村ガチ装備だ! 珍し~』
『今回のスポンサー装備、強そう』
『いくらすんだこれ』
『コウスケニキ、相変わらず上半身裸で草』
『氷室レイカ様かわいい!!!! やば!!!! 装備も可愛すぎ!!』
『ファッションブランドがデザインしたやつか。すげー』
『死なない程度に派手に頼むぞ~!』
『朝倉、今日も地味枠か?』
俺――朝倉トウマは、ヘルメットの側面に取り付けられた小型カメラを指先で叩いて、映像が生きていることを確認する。
「地味枠で悪かったな」
もちろん、その悪態は配信には乗らない。企業案件の合同攻略の場合、ライブ中継とは言いながら五分程度のタイムラグを意図的に設けて配信される。その際、収録された音声は企業側が独自調整したAIで確認し、処理・編集され、アピールできる部分だけしか視聴者の耳には届かないからだ。
表向きは、国内有数の探索者チームが挑む新規ダンジョンの合同配信。スポンサー企業が装備を提供し、攻略成功とともに宣伝を打つ。世間には夢のある仕事として映るんだろう。
実際には、夢なんて小綺麗なものは薄暗い石壁のどこにも転がっていない。泥まみれの少し綺麗な石ころなら、いくらでもあるけど。
《朝倉くん、聞こえる? 今回は補助寄りで。前に出すぎないでね。榊原くんは佐藤くんと一緒に配信班の護衛と周辺警戒を》
耳の奥で通信が鳴る。企業所属チームのリーダー、三田村の声だ。
柔らかい口調だが、要するに“お前は主役じゃない”ということだ。
「了解」
俺は短く答え、槍の石突きを床に当てた。
湿った反響が返る。
はぁ、と息を吐いて、周囲の仕事仲間と共にダンジョンの奥へと進んでいく。
ダンジョン──灰棺坑。
都内近郊に出現して今日で一周年。地上から徒歩で往復三十分程度の浅層はすでに企業と協会が管理し、観光じみた見学プランまで作られている。だが中層以深は別物だ。魔物の質も、罠の悪辣さも、人が死ぬ速度も違う。世間一般におおっぴらには公表されていないが、中層以深の攻略隊は毎回数十人単位で死んでいる。
危険性の高いダンジョンであると認定を受けたのがちょうど三か月前。それを境に、スポンサー企業の数が跳ね上がって今回の合同配信が企画されることとなった。
人が死ぬほど、金はよく回る。ダンジョンはそういう場所だ。
作られた笑顔と編集とスポンサーのロゴで現場の臭いをごまかしながら、企業は利益を追求する。
「トウマ、右後方、来るよ」
先行するチームの戦闘が始まると、それを見計らったように背後から這い出してきた犬型魔物を、俺は反射的に突いた。
穂先が正確に喉を貫く。ギャッ、と短い悲鳴と共に、魔物は黒い靄になって崩れ、消えていく。
それからも、戦闘音を聞きつけてやってくる魔物をぱっぱと処理していく。それが俺の役割。
『お、朝倉やるじゃん』
『さすが雑魚処理は早い』
『メイン火力映せって』
視界端に表示されるコメントが鬱陶しい。雑魚処理とはいうが、もしこの犬型魔物が一匹でも地上に出てきたら、平気で百人ぐらいは殺されるだろう。ダンジョンが出現して間もなくの黎明期にはこういう魔物が地上に出てきて大騒ぎになったこともあったが、覚えている人はもう少ない。
コメントが鬱陶しい……のは間違いないが、コメントが流れているうちは、配信班が生きている証拠でもある。消すわけにもいかない。
「この先、未確認の広間です!」
後方のスタッフが声を張った。それを合図に、後方支援の面々が駆け足で先行するチームに合流していく。勿論俺もそうだ。
映えない岩壁しかない通路の先が、途端に開ける。広間、というよりは闘技場のような空間だ。丸い外周と、ドーム状の天井。
その中央に、それは佇んでいた。
「目標視認。人型異形系魔物、識別名称“アシュラ”」
三田村が通信で伝える。
真っ黒な肌を持つ筋骨隆々の巨漢といった姿。アシュラの名前の通り、腕が六本ある。そして、デカい。ゆったりとした動作で立ち上がると、その身長は俺の二倍以上はあるだろう。
「交戦開始!」
その合図で、メインの攻略班が一斉に攻撃を仕掛ける。一回りも二回りもデカい魔物に人間が立ち向かっていく。本来なら滑稽にも見える景色だが、今回の攻略班は格が違う。ランキング上位の探索者がそろっているし、スポンサー提供の装備は安全面に考慮して出力を下げられた市販品とは訳が違う。
踏み込んだ足が地面を砕き、音を置き去りにするような速度で駆け抜ける。
そしてアシュラに向けて放たれた一撃は、軽々とその巨体を宙に浮かび上がらせるほどの威力を孕む。
コメント欄は大盛り上がりだ。
『やば』
『識別名称付きって、下手なダンジョンのボスより強いんじゃなかったっけ!?』
『三田村鬼つえぇ』
『上半身裸の変人だけどう考えても浮いてる』
『でもコウスケニキ、装備なしで戦ってるの強すぎだろ』
『つよおおおおおおおおおおい!! 説明不要!!』
『は!? 今あの巨体浮き上がってなかった!?』
当然、俺は外野だ。まぁ、地味役だからしょうがない、と思うしかない。
丁度コメント欄が最高潮に達したころ、現地ではアシュラにとどめを刺そうとしていた。視界の端で流れるコメントの熱量と、実際に目の前に存在する状況の熱量の差は、毎度のことではあるが少し可笑しく感じる。
戦闘時間は十分程度だった。これでも時間はややかかった方ではある。本来は識別名称付きレベル魔物が同時に三体も四体も出てくるような激戦を潜り抜けている化け物どもだ。俺からすればアシュラに随分と時間をかけたものだとは思う。どうせ企業からの指示ではあるのだろうが。
剣を構えた三田村がアシュラの頭部を狙う。これで決まる。誰もがそう思ったとき、アシュラの右腕が突然、数倍に膨れ上がった。
「な!?」咄嗟に後退しつつ、剣をやり投げのように投擲する。的確に剣はアシュラの頭部を貫いたが、それとほぼ同時に膨れ上がった腕が地面に叩きつけられる。
ビシビシッ、と地面がひび割れた。「げぇっ!?」しかも俺の足元まで。慌てて広間の入り口に向かって駆ける。対して攻略班は飛び上がって壁面に退避するようだ。凹凸のある壁面とはいえ、アイツらの判断力はさすがだと感じざるを得ない。
中央、アシュラの周辺から勢いよく地面が崩れ、深淵に続く穴が顔を覗かせる。
戦闘要員ではない素人が配信機材を落として、一瞬だけ逡巡したのを見た。ダンジョンで死ぬのはいつもそういう奴だ。自分の命よりも機材を優先しそうになっている男を思いっきり安全圏まで突き飛ばす。
少しだけ手間取ったが、広間の入り口まで何とか間に合うかと思った……の、だが。
「は?」
別の後方支援の男が慌てて投げ捨てたらしい腰袋が、綺麗に命中した。
俺の……腹に。
「あっ」
がくんと片足が下に引っ張られた気がした。死神が俺を奈落へと引きずり落とそうとしている。重力という名の死神が。
02
背中を強打し、肺の空気が全部抜けた。数秒か、数十秒か。痛みで時間が潰れる。
「……っ、は……」
ようやく息ができるようになった頃には、上を見ても、もう光さえ見えなかった。ダンジョンには自己修復機能がある。にしてはやけに修復が速い気がするが、それは今落ちてきたところが隠しルートか何かだったのかもしれない。そういう場所は、ダンジョンが最優先で修復するきらいがある。
通信は……死んでいる。カメラもどこかに吹っ飛んでいったらしい。最悪だ。
「……生きてる」
かすれた声が聞こえた。
反射的に身構える。槍を拾い、声の方へ切っ先を向ける。
そこに、少女がいた。
大きな岩の影から、こちらを見ている。
歳は十六、七くらいに見える。薄暗がりの中でも白く見える肌。肩までの黒髪は、地下水の反射で青く滲んでいた。ぼろぼろの白いワンピースみたいな服を着ており、どう見ても探索装備じゃない。
なのに、その目だけが妙に静かだった。
「……誰だ」
「それ、ミオも聞こうと思った」少女は小さく首をかしげた。「落ちてきたから、たぶん人。魔物ではない……ね?」
「それは……見れば分かるだろ」
「うん。でも、ここでは人もよく壊れるから」
言い方が妙だった。
「……遭難者か?」
「そうかもしれない」
「自分のことだぞ」
「ミオは……ミオ。たぶん」少女は少し考えるように間を置いた。「それ以外は、あんまり、残ってない」
……記憶障害。であることは間違いなさそうだ。
ダンジョンでは珍しくもない。深部に行くほど濃くなる瘴気への長時間曝露や精神干渉系の罠を食らえば、記憶が飛ぶことがある。大概は瘴気除去装置で治療を受ければ治るが、そんなものはここにはない。
だが、それにしても妙だった。
こんな最下層じみた場所に、まともな装備もなく一人で生きていること自体がおかしい。
「……帰り道とか、分かったりするのか」
「上に戻る道は、もう閉じた」ミオは即答した。「でも、前に進めば、帰れる道がある」
聞いたのは俺の方だが、まさか本当に答えるとも思っていなかった。
「なんで分かる」
「……分かるから」
ふざけているようには見えない。
それが余計に気味が悪かった。
とはいえ、ここで少女を置いて一人で進むなどという選択肢はない。良心の問題もあるし、遭難者は助けるのが探索者の義務でもある。
それに通信が途絶えた以上、俺も最短の帰還ルートなんて知らない。ミオの言うことの真偽はどうあれ、全く無知の俺が一人で進むよりは、少しでも知っている奴の知識を頼る方がマシだ。無と有、ゼロとイチの間には大きな差がある。
「一時休戦だ」
「ミオ、戦ってないよ」
「ああ、確かにそうだな。じゃあ一時協力だ。俺は朝倉トウマ。探索者」
「トウマ」少女は名前を舌の上で転がすように繰り返した。「きみ、死にたくない顔してるね」
「死にたい探索者なんていない」
「うん。だから信用できる」
その基準は初めて聞いた。
……それから歩き出してすぐ、俺はミオが普通じゃないことを目の当たりにすることになる。
三体の甲殻型が横穴から飛び出してきた時、俺が槍を構えるより先に、ミオが床の欠片を蹴った。石片が一体の複眼に突き刺さる。怯んだ隙に、彼女は二体目の死角へ滑り込み、落ちていた錆びた短剣を首の継ぎ目へ深々とねじ込んだ。
「なっ……」
「左」
言われるまま穂先を突き出すと、背後に回った三体目の腹が裂けた。
黒い液が散る。
戦闘が終わるまで十秒もかからなかった。
「……」思わず唖然とした。最適解を見つけるまでの時間と、最適解を実行する速さ。見た目に反してトッププロじみた戦闘センスだ。「お前、何者だよ」
「分からない」ミオは本当に困ったように瞬きをした。「でも、ここでどうすれば死なないかは、体が知ってるみたい」
「便利な記憶喪失だな」
「トウマ、ちょっと嫌な言い方する」
「悪かったな」
そう返しながら、俺は彼女から目を離せなかった。
03
深部は静かだった。静かすぎる場所ほど危ない。魔物も罠も、音を立てる義理はない。
物音に注意を割きながら移動するというのはかなり気力がそがれる上に、対して進みもしない。そうして数時間進んだところで、俺たちは地下水脈の脇に出た。
岩肌の裂け目から青白い光が漏れている。
太陽光だ。青白くなっているのは、ダンジョン内の魔力特性や宝石類の反射のせいだろう。
本来は地上からの光が届くはずのない場所だが、ダンジョンは時々、地上と繋がる穴を作ることがある。原理は……分からないが。
「休む」ミオが言った。「ここ、少しだけ安全」
「安全って言い切れる場所がダンジョンにあるなら、協会がホテルでも建ててるかもな」
「ホテルって何」
「……マジか」
ミオは水辺にしゃがみ込むと、岩の隙間を指さした。
「見て」
そこには、小さな花が咲いていた。
花、と呼んでいいのか分からない。半透明の薄い花弁が青い光を溜め込み、呼吸みたいに明滅している。地上の植物とは似ても似つかず、そしてひどく儚かった。
「ダンジョンにも、こんなのあるんだな」
「きれいだね」ミオは息をひそめるみたいに言った。「こういうの、花って言うんだよね」
「ああ」
「地上にも、あるの?」
「ある。こんなんじゃ比べものにならないくらい、いっぱい」
「いっぱい」ミオはあからさまに目を輝かせた。「歩けないくらい?」
「花畑ってやつなら、そうだな」
「はなばたけ」
彼女はその言葉を大事そうに繰り返した。
「ミオ、それ知らない」
その言い方が、妙に胸に残った。
「行ったことないのか」
「うん。たぶん」ミオは花に触れないように、手をすぐ横へかざした。「トウマ。花畑って、あったかい?」
「季節による」
「……それ、たぶんずるい答え」
思わず笑ってしまった。
こんな場所で笑ったのはいつぶりだろう。
ダンジョン内ではいつも気を張っているし、そもそも地味役だし、そういえば笑うこと自体が減っていた。
最初は、そうではなかった気がする。こんなにもつまらない人間ではなかった気がする。
「春なら、まあ。風が吹いて、日が当たって、ちょっと眠くなる感じだ」
「眠くなる……」
「平和ってことだよ」
「へいわ」
「それも知らないか?」
「言葉は知ってる。でも、本物は知らない」
その返答に、俺は何も言えなくなった。
地上じゃ、ダンジョン配信に投げ銭して、探索者グッズを買って、攻略をスポーツみたいに眺める人間が大勢いる。
それを悪いとは言わない。自分から遠い死はいつだって娯楽になりやすい。
ネット上には平然とした顔で、遠い国の悲惨な現実が転がっている。けれどそれはどこまで行ってもネットという電子の空間を隔てていて、液晶モニタ越しの現実。世界のどこかで起きた出来事も、これではゲームとかと大して差はない。ふたつは別のことのはずなのに、同じものに感じられる色眼鏡をかけて生きている。
でも、ここで“平和を知らない”少女が花を見ていると、地上の全部が安っぽく思えた。
04
休憩の後、さらに奥へ進む。
途中で大型の蜥蜴型と遭遇した。
俺が囮になって前脚を誘い、ミオが天井から落ちて背の瘤を裂く。返す尾を俺が受けた時、肋骨に嫌な音がした。それでも一歩踏み込み、槍を眼窩へ突き込む。
咆哮。
血飛沫。
息が切れて、立っているのもきつい。
ミオが近づいてきて、俺の胸元に手を当てた。眉は心配そうに八の字になっていて、そんな表情をさせる俺はつくづく情けないし、そんなんだから地味役と揶揄されるんだろうな、と自嘲気味に思った。
「折れてる」
「そんなのは分かる」
「痛い?」
「痛くないわけないだろ」
「そうだね」彼女は少しだけ眉を寄せた。「ごめん。ミオ、回復はできない」
「ここまで戦えて、しかも回復までされたら俺の立つ瀬がなくなるだろ。勘弁してくれ」
ミオは小さく笑った。初めて見る、年相応の笑い方だった。
「トウマ、地上に帰ったら何するの」
「まず風呂」
「ふろ?」
「湯に浸かる」
「沈むの?」
「沈まねぇよ」
「地上の人、変なことばっかりする」
「お前にだけは言われたくない」
軽口を叩きながらも、内心は穏やかじゃない。
ここまで来る間、ミオは何度も迷いなく道を選んでいた。罠の位置も、魔物の気配も、まるで最初から知っているみたいに。
それに時々、彼女は立ち止まって壁へ耳を当てる。
まるで、ダンジョンそのものの声でも聞いているみたいに。
「……ミオ」
「うん」
「お前、本当にただの遭難者か?」
彼女は少しだけ沈黙した。
それから前を向いたまま言った。
「違うかもしれない」
「かもしれない、で済ませるな」
「でも、今ここで言葉にしたら、たぶん、きみは困る」
「もう十分困ってる」
「うん。知ってる」
その声音は不思議なくらい優しかった。それからミオは何も言わなかった。話しかけるな、と雰囲気が語っていた。だから俺もそれ以上は聞かなかった。
俺たちは最後の広間に出た。
そこは、これまでの階層とはまるで違った。
黒い大空洞の中央に、巨木の根みたいな結晶柱が幾重にも絡み合っている。その中心で、赤黒い核が脈打っていた。周囲の空気が重い。
「……ダンジョンの心臓部じゃないか」
「うん」ミオは静かに頷いた。「ここが、いちばん下」
「壊せば帰れるっつーのは俺でも分かるが、倒せるかは別の話だろ。別ルートはないのか」
「あるとおもう」
「じゃあなんでここに連れてきた」
「……ここまでしか、来れないから」
「…………」
誰が、という文言が抜けているが、俺は流石に馬鹿じゃない。それを推察できる脳みそはある。
だが、ここに来て真実を聞くのに躊躇う自分がいることに気が付いた。
「……倒して、帰れるのか」
「帰れる」そして彼女は続けた。「でも、ミオは行けない」
予想していたはずなのに、言葉として聞くと胃の底が冷えた。
「何なんだ、お前は」
ミオは核を見上げていた。
その横顔は、もうただの少女には到底見えなかった。
「たぶん、ミオはここから生まれた」
「は……」
「このダンジョンが人を呼んで、殺して、形を変えて……そうしているうちに、誰かひとり分の輪郭を欲しがった。たぶん、ミオはその欠片」
彼女は自分でも曖昧な答えを拾うように、途切れ途切れに話した。
「だから、ここが壊れたら、ミオはこっちに残る。なくなるわけじゃない。でも、地上には行けない」
「意味が分からない」
「うん。ミオも、ぜんぶは分からない」
俺は奥歯を噛み締めた。
ふざけるな、と思う。
ここまで来て、そんなの納得できるわけがない。
「方法は」
「ないよ」
「探せ」
「トウマ」
「あるだろ。何か」
「ない」
初めて、ミオが強く言った。
「ないよ」
その時、広間が震えた。
核の鼓動が早まる。
結晶柱の影から、人型の異形が這い出してきた。腕が異様に長く、顔のない白い肉塊。ダンジョンの心臓の守護者。最後の番人にしては悪趣味が過ぎる。
苛立ちを隠そうともせず、舌打ちした。
「話は後だ!」
槍を構える。
ミオも短剣を握り直した。
異形は速かった。
初撃で床が抉れ、破片が頬を裂く。一撃でも喰らったら終わりだ。そんなことを考えている間に異形は勢いよく突進してくる。異様に長い腕は、距離感を狂わせるには十分だ。だいぶ余裕をもって横へ避けたはずが、その腕は俺に届いた。咄嗟に槍で受け流すが、腕が痺れて感覚が飛ぶ。追撃はミオが滑り込んで逸らし、そのまま背後に回って膝裏を切った。しかし再生が早すぎる。
「核と繋がってる……」
「じゃあ切り離すしかねぇな!」
俺は結晶柱へ突進した。ただで倒されるつもりはないようで、核の周囲を覆っていた触腕が意思を持って動き出した。途中で何度も触腕が腕を、脚を、或いは腹を掠め、熱いものが流れ出る。
だが、そんなものに構ってはいられない。時間がかかればそれだけ不利になるからだ。短期決戦にしか勝機はない。
軋む身体を無視して穂先を突き立て、魔力を流し込む。槍身が軋み、結晶に亀裂が走った。……が、足りない。まだ、あと一撃。
それを見ていた異形が、血相を変えて俺に飛び掛かってくる。咄嗟に避けようとするが、槍が抜けない……というか、折れた。
「いっ!?」
だが、そんな異形の隙をミオは見逃さなかったようで、異形の胸部へ飛びかかった。
「う……りゃ!」核を守ることを最優先事項に据える異形にとって、その一撃は完全に不意打ちだったのだろう。短剣は深々と刺さり、異形は苦悶の声を漏らした。「トウマ、今!」
叫びに応えて踏み込む。
槍を捨て、腰のナイフを抜き、亀裂へ腕ごと突っ込んだ。
「う、ぬあああっ!!」
焼けるような痛み。
視界が白く弾ける。
まだか。まだ足りないのか。
そう思った次の瞬間、亀裂の奥深くで、ナイフが明確に何かを切断した感触があった。
バギギッ、と一気に核の全面がひび割れ、それと同時に異形の動きが止まった。
間髪入れずにミオが首を落とす。
まるで地鳴りのような低い轟音。
広間全体に亀裂が走り、崩壊が始まる。
帰還路が開く時の振動だ。核が砕ければ、ダンジョンは縮退する。協会の教本どおりなら、最終転移が発生して生存者は地上へ押し戻される。
間もなく、俺の身体が急に光り輝き始める。最終転移の合図。淡い青色の魔力が活性化し、ダンジョン内の異物を吐き出す準備が急激に進み始める。
だが、その光はミオを包み込みはしなかった。
「来い!」
必死に手を伸ばす。地上に向けて身体が引っ張られる感覚があって、ミオへと駆け寄ることが出来ない。
そんな俺を見て、ミオは少し困ったように笑った。
「トウマ。ミオ、やっぱり花畑は知らないままだ」
「ふざけんな、来いって言ってる! おい!」
「でも、知れたよ」
彼女は小さく、確かめるように言った。
「見たことなくても、きみが話してくれた。あったかくて、風が吹いて、眠くなる場所なんでしょう」
崩落が一層激しくなる。
足元が砕け、俺は転びそうになる。それでも手を伸ばし続けた。
「だったら一緒に——」
「それは、できない」
「分かんねぇだろ!」
「……トウマ」
初めて、彼女は俺の名前を泣きそうな声で呼んだ。
光が強くなる。
転移が——始まる。
「死なないでね」
彼女の輪郭が光に塗り潰されていく。
「きっと、また会えるよ」
その言葉を最後に、視界が白に染まった。
05
目を開けた時、俺は地上にいた。
夜明け前の仮設救護所。空はまだ暗く、うっすらと星が見えた。けれど雲の流れは速く、あっという間に曇天だ。
協会職員の怒鳴り声、担架、ライト、忙しなく走る医療班。崩壊したダンジョン灰棺坑の前には報道陣まで集まり始めていた。合同攻略は“結果として成功”扱いらしい。とてもそんな雰囲気ではないが、企業も協会も、成功したことにしておきたいのだろう。
視界の端で、コメントが流れている。地上に出て、通信が再開したからだ。ディスプレイ内蔵コンタクトレンズは、装着者の意識が覚醒するとともに自動で再起動され、それまで溜まっていた大量のログが一気に反映されていく。
「朝倉! 生きてたのか!」
同僚の榊原が俺を見つけると一目散に駆け寄ってきた。汚れだらけの顔で、俺の肩を掴む。
「お前。落盤で死んだかと」
「……他に、いたはずだ」
喉がひりつく。
「少女だ。十六、七くらいで、ミオって――」
榊原は困ったように眉をひそめた。
「何言ってる?」
「一緒にいたんだよ。最下層で」
「そうなのか? でも、お前が単独で心臓部まで行ったって記録になってる」
「違う!」
声を荒げた瞬間、脇腹が痛んだ。
周囲にいた医療班が慌てて押さえつける。
「落ち着けって! 疲れてんだよ、お前」
「違う、いたんだ……確かに、いたんだよ」
だが、誰も知らなかった。
崩壊前のログにも、熱源にも、俺以外の生存者は記録されていない。
ミオという名の少女は、この地上において俺の記憶の中にしか生きていなかった。
06
最下層から帰還した英雄候補。企業はそういう筋書きにしたいようだった。
数日後、記者会見の打診が来た。
攻略成功の立役者として、スポンサー装備の有用性を語ってほしい、と。
普通に断った。
正直なところ、面倒だった……というのが理由の大半だったし、それにこれは俺一人で出来たことじゃない。ミオがいなければ、きっと今頃最下層の地面の染みにでもなっていたはずだった。
そんなことよりも優先したいことがあった、というのもある。
ダンジョン灰棺坑に関する協会へ正式な再調査願いを出した。
受理はされたが、返ってきたのは事務的な文面だけだった。
当該ダンジョンは完全閉鎖・消滅を確認。追加調査の必要性は低いと判断。
その日の午後、懲りずに二度目の記者会見の打診が来て、今度はこう返した。『あの装備、あんまり使い心地良くなかったですね』。
そしたら、嘘みたいに近寄ってこなくなって清々した。
地上では、あの日の攻略動画が切り抜かれて再生数を稼いでいる。俺のアカウントじゃないから収入が入るわけでもなく、対して気にしていなかったが。
落盤、奇跡の生還、若手探索者の逆転劇。
コメント欄は相変わらず気楽なものだ。
『朝倉ってこんな強かったんだ』
『地味役とか言ってすいません』
『企業に拾われるだろこれ』
『主人公じゃん』
『漫画かよ』
そのどれにも、ミオの名前はない。
春になった。
ダンジョン災害対策局の横に、小さな公園がある。俺が子供のころからずっとある公園で、遊具の大半は劣化して立ち入り禁止の文字に埋め尽くされている。
特に目的があったわけでもないが、退院した帰り道、俺はそこで足を止めた。
一面の花畑、なんて大袈裟なものじゃない。
整えられた花壇に、色とりどりの花が植えられているだけだ。
それでも地下の青白い花とは違って、太陽の下の花はまっすぐだった。
風が吹く。
花壇の脇に腰掛けると、花の香りがふわりと漂っては、すぐに消えた。
あれからずっと、ミオのことを考えている。これじゃまるで恋する乙女みたいだ。なんて、自分を茶化して、いつも途中で考えるのをやめる。
「……見せたかったな」
口に出すと、声は思ったより静かだった。
きっと、また会えるよ、とミオは言った。
正直それは、俺を安心させるための方便だったのかもしれない。
というか、多分そうなのだろう。
その後、様々なダンジョンについて調べたし、いろんなダンジョンに潜った。けれどミオには会えていないし、そういう話も聞かない。
何度か探索者を辞めることも考えた。けれどその度に、次に潜るダンジョンは違うかもしれない、なんてことばかり考えては先延ばしにしている。
ミオが今もどこかにいるのか、それとももういないのかなんてものは分からない。
けれどそこは重要じゃないのかもしれない。
どこか俺の手が届かない場所で、今もあの静かな目をしている。
そう思っているぐらいでちょうどいいのかもしれない。
07
『企業合同レイドきた!』
『朝倉参加するってマ?』
『うおガチでいるじゃん』
『この前までアメリカ行ってなかった? 日米合同攻略作戦やっと終わったばっかりな気がするんだけど』
『アメリカのあと、三日間でドイツと中国も行っとるで』
『行動力お化けすぎ』
『今や日本の探索者序列一位だからなぁ』
『地味枠とか言ってすみませんでした』
『↑でた』
『↑いつもの』
『↑こいついつも謝ってんな』
『あ、また花の写真撮ってる』
『朝倉、いっつも写真撮ってる気がするね。ダンジョンの研究に関係あるのかな』
『流石に花はダンジョンと関係ない気がするけど……』
『朝倉さん、あんだけ写真撮っててインソタやってないの謎なの』
『ツブヤイターはやってるんだっけ?』
『景色の写真だけずっと投稿しとるね』
『テレビつけてみて! 今朝倉特集やってる!』
『十年前の崩落事故からここまで来るの、普通に意味わからん』
『そーそー。あれ以降からバケモンみたいに活躍しまくり』
『なんか目標あるのかなー?』
『未踏破ダンジョンばっか選んでるらしいね』
『↑三田村氏!?!?!?!?』
『昔から変わんないよ、あいつは』
『三田村さんコメントおるww』
『今はもう解説側の人なのに現場ノリ抜けてないの草』
『お! レイド始まるみたい』
『はじまたー』
『なんか初手からやばそうなのおるんやけど』
『あー。中層からの突入だから?』
『まってまってなにあれ』
『識別名称付きだ』
『なんだっけあれ』
『やばいやつじゃなかった?』
『は??????wwwwww』
『やばwwww』
『瞬☆殺』
『一撃ってなにww』
『今何起きたの』
『わからん』
『なんかますます人間やめてきたね……』
『さすが朝倉! さす倉! さす倉!』
『すっげ』
『これ、マジで未踏破ダンジョン全攻略いけるくない?』
『朝倉君なら本当に出来ると思うよ』
『三田村氏が言うなら間違いない』
『応援してます!』
『頑張れ』




