第071話: 嵐を越えて
東の海は、その美しさで知られている。
陽光を反射して輝くエメラルドグリーンの水面、穏やかな波音、そして時折跳ねる魚たちの姿。
僕たちはそんな平和な海を、スーパー・キャンピングカー・マリンで快適にクルージングしていた――はずだった。
「警告。警告。急激な気圧低下、および魔力濃度の異常上昇を探知。これまでにない規模の『嵐』が接近しています」
ナビの無機質な音声が響いた直後、世界が一変した。
空が瞬く間にどす黒い雲――いや、渦巻くような魔力の濁流に覆われ、真昼だというのに夜のような闇が訪れる。
叩きつけるような豪雨と共に、紫色の稲光が海面を切り裂いた。
「な、なになに!? いきなりどうしたのさ! さっきまで晴れてたじゃないか!」
「ユウ様! 前が見えません! それに、海が……沸騰しているようです!」
ルナとセリスが悲鳴を上げる。
窓の外では、高波が山のように隆起し、キャンピングカーを飲み込まんばかりに襲い掛かっていた。
車体は激しく揺さぶられ、強化ガラスには雨粒ではなく、まるで石礫のような重い飛沫が叩きつけられている。
「うわあああん! 目が回るのだー! おやつが転がっていったのだー!」
ララが床を転がるポテトチップスの袋を追いかけて、自分も転がっていく。
僕は操縦席でハンドルを強く握りしめた。
キャンピングカーは『水陸両用モード』から『高機動水上航行モード』へと移行しているが、それでもこの波の力は異常だ。通常の物理的な波に加えて、魔力による衝撃が車体を軋ませている。
「ナビ、状況を詳しく! ただの嵐じゃないな?」
『肯定。原因不明ですが、局地的な『超魔力嵐』の中心に突入した模様。自然発生したものとは考えにくい、異常なエネルギー密度です。……警告。このままでは車体防御シールド(魔力フィールド)の飽和許容量を超えます。維持困難』
ナビの赤い警告灯が明滅する。
防御シールドが破れれば、生身のキャンピングカーがこの嵐に晒されることになる。いくらオリハルコン合金製とはいえ、無傷では済まないだろう。
「くそっ、どこかに逃げ場は……!」
『ソナー解析中……。マスター、左舷30キロ地点に、陸地反応を確認。磁気異常のため詳細は不明ですが、この海域で唯一の『嵐の目』に近いポイントです。緊急避難を推奨』
「分かった! そこへ向かおう!」
僕はアクセル(魔力スロットル)を全開に踏み込んだ。
エンジンが咆哮を上げ、スクリューが水を噛む。
「みんな、何かに掴まっててくれ! 少し揺れるぞ!」
「少しどころじゃないだろー!?」
ルナの叫び声をBGMに、僕は荒れ狂う波の壁へと突っ込んだ。
右へ左へとハンドルを切り、崩れ落ちる波のトンネルを潜り抜ける。船酔い耐性がなければ即死していただろう。
数時間にも及ぶ死闘の末。
黒い雨と霧の壁を突き抜けた先に、突如として巨大な島影が姿を現した。
深い霧に包まれ、切り立った断崖絶壁に囲まれたその島は、まるで海に浮かぶ要塞のようだ。
「あそこなら波も穏やかそうだ! 入り江がある、突っ込むぞ!」
僕は最後の力を振り絞り、岩礁地帯を縫うように進んで、砂浜のような入り江へとキャンピングカーを乗り上げさせた。
ズザザザザッーーー!!
盛大な砂煙と水飛沫を上げて、ようやく車体が停止する。
エンジンの駆動音が止まり、静寂が訪れた。
先ほどまでの嵐の轟音が嘘のように遠ざかり、周囲は不気味なほどの静けさに包まれている。
「……た、助かったのかい?」
ルナがふらふらしながらソファから顔を出した。
「はい。なんとか無事です。ユウ様、皆様、お怪我はありませんか?」
セリスが気丈にも全員の様子を確認して回る。
「ら、ララは……目が回って……お星さまが見えるのだ……」
ララは目を回してダウンしているが、大きな怪我はないようだ。僕は大きく息を吐き、背もたれに体を預けた。
「ナビ、現在位置は?」
『……測定不能。コンパス、およびGPS(魔力座標特定システム)が機能していません。強力な磁場が島全体を覆っています。外部との通信も遮断されています』
「遭難、ってことか」
どうやら、とんでもない場所に迷い込んでしまったらしい。
僕は運転席の窓を開け、外の空気を吸った。
潮の香りに混じって、濃厚な緑の匂いと、どこか鉄錆のような匂いがする。
霧の向こうには、見たこともないような巨大なシダ植物が生い茂るジャングルが広がっていた。木々の高さは通常の倍以上ありそうだ。
その時。
森の奥深くから、空気を震わせるような、野太い咆哮が響いてきた。
――グォォォォォォォォォッ!!
鳥たちが一斉に飛び立ち、なにか巨大なものが木々をなぎ倒して移動する音が聞こえる。
僕たちは顔を見合わせた。
「……とりあえず、ここは安全とは言えないな。でも、嵐が去るまでは動けない」
「今の声……魔物でしょうか?」
「さあね。でも、ただの熊や狼じゃなさそうだよ」
僕たちは謎の島への上陸を果たしたが、ここが楽園なのか地獄なのか、まだ知る由もなかった。




