SS: 魔性の暖房具(カエデ視点)
「……出られぬ。これは、強力な結界か何かなのか……?」
東の国、和の国出身の女侍カエデは、深刻な表情で呟いた。
額には脂汗が滲み、呼吸は浅い。
しかし、その状況は緊迫感とは程遠い。
彼女は、キャンピングカーのリビングに新しく設置された『コタツ』という暖房器具に、肩までどっぷりと浸かっていたのだ。
数時間前、ユウ殿に勧められるまま足を踏み入れたのが運の尽きだった。
一度この四角い結界(布団)の中に身を沈めると、恐ろしいことが起こる。
鍛え上げた足腰の筋肉が弛緩し、鋭敏な思考速度が極限まで低下し、ただひたすらに「ぬくぬくしていたい」という怠惰な欲求が全身を支配するのだ。
遠赤外線ヒーターによる心地よい温もりが、足先から腰、そして背骨を通って脳髄まで蕩けさせていく。
どんな厳しい修行にも耐えてきた拙者が、まさかこんな布切れ一枚と熱源に屈するとは。
敵の忍術や幻術の類ではないか疑ったが、ナビ殿の解説によれば、これは『日本の冬の風物詩』であり、『人間をダメにする魔道具』なのだという。
「これは……人を堕落させる魔性の道具だ。恐ろしい……底が見えぬ」
カエデは自分を叱責し、立ち上がろうと意志力を振り絞る。
だが、体はピクリとも動かない。まるで根が生えたようだ。
そこへ、和の国の冬の風物詩である『みかん』をカゴいっぱいに持ったユウ殿がやってくる。
「あれ、カエデさんまだ入ってたの? みかん食べる?」
「……かたじけない」
条件反射で受け取ってしまう自分が恨めしい。
ユウ殿が器用に皮を剥いて差し出してくれた房を口に含むと、甘酸っぱい果汁がじゅわりと広がる。
暖かいコタツ、冷たくて甘いみかん、そして湯気を立てる熱い緑茶。
この『三種の神器』が揃った時、侍の精神は崩壊した。
「極楽……でござるなぁ」
カエデは幸せそうに目を細め、そのまま机に突っ伏した。
女侍カエデ、完全敗北の瞬間であった。
もはや刀を握る気力など微塵もない。今の彼女にあるのは、みかんの皮をいかに美しく剥くかという、どうでもいい指先の技術だけである。
明日こそは脱出してみせる……そう心に誓いながら、彼女は再び夢の世界へと落ちていった。




