SS: 赤い薔薇の憂鬱(ロゼ視点)
「はぁ……行っちまったね」
白波が打ち寄せる切り立った岩場。
海賊都市バルバロスを見下ろす特等席で、ロゼは遠ざかっていく鉄の船――キャンピングカー・マリンの白い航跡を見つめていた。
普段なら、獲物を見つけた猛禽類のように部下に号令をかけているところだが、今日の彼女はしおらしかった。
「おい、見ろよ。姐御が溜息ついてるぜ」
「まさかあの朴念仁に惚れたのか?」
「嘘だろ……あの顔、ガチで恋する乙女だぞ」
部下たちのヒソヒソ話が聞こえるが、今のロゼには怒鳴りつける気力さえ湧かなかった。
それほどまでに、あの不思議な青年――ユウとの出会いは、彼女の中に大きな爪痕を残していったのだ。
「不思議な男だったね。腕は立つし、魔法も凄いし……」
ロゼは昨夜の宴を思い出す。
バルコニーで彼と二人きりになった時、月明かりに照らされた彼の横顔はどこか儚げで、そして少年のような純粋さを秘めていた。
『ウチの船員にならないかい?』という誘いを『帰る場所があるから』と断られた時、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じた。
ロゼは無意識に唇に触れる。別れ際に不意打ちで交わしたキスの感触が、まだ微かに残っている気がした。酒の勢いもあったが、あんなにも胸が高鳴ったのは初めて剣を握った時以来だ。
「……何より、あいつが作った料理が美味すぎた」
ロゼは苦笑する。
カリッと焼かれた肉料理、新鮮なスープ、フワフワのパン。あんなものを毎日食べさせられたら、海賊稼業なんて馬鹿らしくなってしまう。胃袋を掴まれるとはこのことか。
「……また会えるかねぇ。広い海だ、そう簡単じゃあないだろうけど」
水平線の彼方に、キャンピングカーの姿はもう見えない。
普通の恋なら、ここで諦めて終わりだろう。涙を拭いて、いい思い出にするのが「いい女」の引き際だ。
だが。
ロゼは立ち上がり、潮風に赤い髪をなびかせた。
彼女の瞳から感傷は消え、代わりに宿ったのは獲物を狙う狩人の光だ。
「……諦める? バカ言いな。私は海賊『紅の薔薇』のロゼだぞ?」
彼女はニヤリと笑い、愛剣の柄を叩いた。
「欲しいものは奪う。宝石も、秘宝も、いい男も……力ずくで手に入れるのが私の流儀さ!」
ロゼは海に向かって叫んだ。
「野郎ども! 出航だ! 錨を上げろォォ!!」
部下たちが驚く。
「えっ、姐御!? まだ宴の片付けも終わってないですぜ!?」
「うるさい! ぐずぐずしてると獲物が逃げちまうんだよ! 世界の果てまで追いかけて、とっ捕まえて、私の船に乗せてやるんだ!」
「うわぁ……姐御、本気だ……」
「ストーカーじゃねえか……」
部下たちの呆れた声も、今のロゼには心地よいBGMだ。
彼女はマストに駆け上がり、仁王立ちで水平線を指差した。
「待ってな、ユウ! 次に会う時は、首輪をつけてでも連れ帰ってやるから覚悟しな!」
やっぱり彼女は海賊だった。
獲物を狙う肉食獣のような瞳で水平線を睨むと、ロゼは高らかに笑い声を上げた。




