第001話: 快適な一人旅
ふわり、と鼻をくすぐるコーヒーの香りで目が覚めた。
目を開けると、そこはいつもの白い天井。羽毛布団の温もりが心地よくて、二度寝の誘惑に負けそうになる。
「……朝か」
ベッドから体を起こし、サイドテーブルのリモコンを手に取る。ボタン一つで窓の遮光カーテンが開くと、そこには絶望的な光景が広がっていた。
視界を埋め尽くす猛吹雪。風速三十メートルは下らないだろう。普通の人間なら数分で凍死する地獄のような世界だ。
「おはようございます、マスター。現在の外気温はマイナス二十五度。絶好の引きこもり日和ですね」
天井のスピーカーから、ナビの澄んだ声が響く。
「おはよう、ナビ。相変わらず外は地獄だね」
僕はあくびを噛み殺しながら、リビングへと向かう。床暖房の効いたフローリングは素足でも暖かい。
システムキッチンに立ち、冷蔵庫から卵とベーコンを取り出す。IHコンロでそれらを焼きながら、全自動コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
ジュウジュウという食欲をそそる音と、外の轟音。
この壁一枚を隔てたギャップこそが、僕の旅の醍醐味だ。
朝食を終え、食器を食洗機(もちろん魔力駆動だ)に放り込むと、僕は運転席へと移動した。
革張りのシートは体に吸い付くようにフィットする。
「さて、出発しようか。ナビ、ルート表示」
「承知しました。最短ルートは魔物の巣窟を突っ切る形になりますが?」
「構わないよ。遠回りしてガソリン……じゃなくて魔力を浪費するよりマシだね」
エンジンキーを回す。
キュルル、ズドン!
腹の底に響く重低音とともに、魔導エンジンが覚醒する。
アクセルを踏み込むと、巨大な車体は驚くほど軽やかに動き出した。
外の吹雪などものともせず、キャンピングカーは荒野を爆走する。
「前方、フロスト・ベアの群れです」
ナビの警告と同時に、白い巨体がいくつも視界に現れた。
普通の冒険者なら絶望して逃げ出す光景だ。でも。
「邪魔だね」
僕はハンドルを握ったまま呟く。
ブレーキなんて踏まない。そのまま突っ込む。
ドンッ、ガガンッ!
鈍い衝撃音と共に、熊たちが宙を舞った。
「……相変わらず、酷い光景だね」
「マスターの運転が荒いだけです。結界強度は低下なし。車体の汚れも自動洗浄でクリア」
「それはよかった。この【マイホーム】に傷がついたら泣くに泣けないからね」
そう、この車は僕のユニークスキル【マイホーム】で作った、世界に一つだけの城なのだ。
本来は家を建てるだけの地味なスキルだと思われていたが、現代日本の知識を持つ僕にかかれば、こうして「走る要塞」だって作れてしまう。
数時間ほど走っただろうか。
吹雪が少し弱まり、視界が開けてきた頃だった。
「マスター、右前方三十度。生体反応を感知」
「ん? また魔物?」
「いえ……パターン照合。人間です」
「人間?」
僕は思わずブレーキを踏んだ。
タイヤが雪を噛み、巨体がスムーズに停止する。
こんな魔境に人間がいるはずがない。遭難者か? それとも死体か?
モニターを拡大すると、雪の中に何かが倒れているのが見えた。
ボロボロの布切れを纏った、華奢な人影。
「……嘘だろ。こんな場所で」
「生命反応、微弱。このまま放置すれば、あと十分で凍死します」
ナビの淡々とした報告に、僕は舌打ちをする。
「十分か。……面倒ごとは御免だけど、見捨てるほど落ちぶれてないつもりだよ」
僕はサイドブレーキを引き、防寒コートを羽織る。
「ナビ、ハッチ開けて。回収してくる」
「承知しました。お気をつけて。マスターも凍らないように」
「はいはい」
吹き荒れる寒風の中、僕は車を飛び降りた。




