第四章 急転
―――正統政府 首都ベルン。
正統王国は帝国の宗教迫害から逃れた人々によって設立された王国である。
元はラーグ教の改革派と保守派の争いだったが、それが民間レベルに達し、帝国が保守派を擁護し、改革派が弾圧を恐れ逃亡、その流れの中ヨーク皇太子が正統王国を建国した。
帝国は正統王国を反徒と認定、ベルンに対し討伐軍を組織したが、フィンホルト空域にて正統艦隊によって殲滅された。
これにより現在の正統王国の基礎がきずかれた
結果として、現在の繁栄があり、ここは世界でもっとも発展している都市とされていた。
地下に鉄道を通し、電気が張り巡らされ、郵便制度も機能している。
王宮を頂点に円環状の都市構造が広がっている。
一番外縁部には飛空港と軍事施設、内側には民間居住区、そのさらに内側には商業区域と官庁街が整然と区画されていた。
最近では、内燃機関を利用した乗り物、俗に言う自動車というのも広まりつつあった。
最近では、鉄道の運転席に座るのが若い女性であることも珍しくなくなった。
民間の工事現場では、かつて主役だった四十代、五十代の男たちの姿が消え、代わりに細身の若者と簡素な自動機械が黙々と作業をこなしていた。
誰もそれを奇妙だとは言わなかった。言えば、「時代の変化」だと笑われるからだ。
だが、その変化が、何を犠牲にした末のものなのかを考える者は、もはやいなかった。
***
空中暦四百二十八年、正統王国において緊急の閣僚会議が招集された。
改革によって民衆の政治参加が一定認められるようになったとはいえ、国家の命運を左右する最終決定はいまだに密室でなされる。半分は国会出身で半分は官僚出身であった。
結局のところ、少数による多数の支配——その本質は、どのような政体でも変わらぬという現実を示していた。
議場に重々しい沈黙が流れるなか、宰相アルジャーノン・フェアファクスが席からゆっくりと立ち上がった。
覇気に欠けるその声は、老練な政治家としての重みを帯びていた。
「これより、正統閣僚会議を開催いたします。議題は――クレルモン諸島防衛作戦の失敗に伴う諸問題、ならびに北西同盟の帝国侵攻計画への参加の可否です」
一瞬、場に静寂が走る。やがて、席の一角から怒気を帯びた声が上がった。
「宰相閣下!」
宰相は発言者の名前を呼んだ。
「エメリッヒ君」
声の主は財務大臣エメリッヒ・フォン・ヴァルデンローエだった。書類の束を机に叩きつけるように広げながら、怒りを隠そうともせず言葉を続けた。
「我が国の財政状況は、今や最悪と言わねばなりません。軍事費だけで国内総生産の一割近くを食い、クレルモン防衛戦の戦死者への遺族年金、負傷兵の医療費、損傷艦艇の修理費……いったい、これをどう賄えというのですか?」
議場にはざわめきが広がった。
「率直に申し上げて、そんな余裕はどこにもありません。また遠征自体、帝国と同盟の領土紛争を機とした扇動政治家が囃し立てただけのものです。それを考慮外にしても遠征すれば、国家財政は――間違いなく崩壊します!」
これに応じるように、戦時国防大臣が静かに発言した。
「紙幣の発行高を増やし、フェンメルからの追加借款で――」
「無謀です!」
財務大臣が声を遮った。眼鏡の奥の目が鋭く光る。
「裏付けのない貨幣発行は、ただでさえ進行中のインフレをさらに悪化させます。三年後には貨幣経済そのものが崩れ、物々交換に逆戻りするでしょうな」
手元の書類を突きつけながら、なおも畳みかける。
「しかも、我が国はすでにフェンメルからの借款を抱えており、その利子返済だけで国家予算の一割が消えています。これ以上の借款は、自殺行為です」
そのとき、内務大臣が静かに口を開いた。声は穏やかだったが、明確に財務大臣の論調に異を唱えていた。
「……しかし、国民世論も無視できません。クレルモンの敗北は、あまりにも衝撃が大きかった。このまま何の反撃もせずにいれば、王朝への信頼は根底から揺らぎます。ガス抜きの意味も込めて、ある程度の軍事行動は必要では?」
それに続くように、外務大臣も頷く。
「外交の観点から申し上げれば、北西同盟との共同作戦は我が国の国際的地位を高める絶好の機会です。ここで参画を拒めば、今後の外交交渉で不利を被る恐れもあります」
意見が分かれ、議場の空気が次第にざわついていく。
やがて、経済産業大臣が重い口を開いた。
「……経済の視点から申し上げます。我が国は、国力に不釣り合いな軍事力を今まで維持してきました。ここは北西同盟に帝国の注意をそらす間に民間経済の立て直しが急務と考えます。軍需偏重の経済構造は、民間の活力を著しく損なっている。人材も資本も軍に吸い上げられ、経済産業の骨組みはがたがたです。」
息を吸いなおして経産大臣は唱えた。
「今、戦争などやっている場合ではありません」
国防大臣は、食い気味に
「だが、最新の経済報告では、成長率は年率でプラス二パーセントを維持し、失業率も統計上は歴史的低水準にあると記録されている。状況はむしろ安定しているのではないか?」
経済産業大臣は落ち着いた口調で反論した。
「数字の錯覚にすぎません。それは軍需部門への集中的な財政支出によって一時的に創出された有効需要に過ぎません。軍需産業は付加価値連鎖を持たず、民間消費や生産性向上に資する投資とは本質的に異なります。民間セクターの資本装備率は低下を続けております。また、民間経済から軍需経済にゆく中堅技術者が多すぎます。これらを加味すると控えめに言って危機的です。」
その言葉が落ちた瞬間、場に張り詰めた沈黙が戻る。
一触即発の空気を感じ取ったのか、宰相フェアファクスがゆっくりと手を挙げた。
「……ええ、一時休憩を挟もうと思います。議論は休会とします」
彼の声が静かに、だが確かにその場を収めた。
場内には安堵とも緊張ともつかぬ空気が満ちた。
決断の時は、まだ先にある――。
***
─――王宮
宰相は王宮に向かい、陛下に謁見した。
廊下を歩いた。
合図をすると、重めの木目調の扉が近衛兵二名によってあけられた。
赤い特別な軍服を着用し、背筋を伸ばしている。
国王ハルロド七世陛下は、玉座に座っていた
若い。だがその佇まいには、驚くほどの風格があった。
背筋を伸ばし、青の王衣を纏い、鋭い双眸は宰相をじっと見据えていた。後ろには、空の紋章旗がたなびいている。まるで蒼天そのものが、王に宿っているかのようだった。
宰相は、直立し、頭を下げた。
そのまま、奏上した。
「陛下、閣僚会議では結論が出ず、おそらくこのまま続けても議論は平行線をたどるでしょう。」
改めて息継ぎをした。
「陛下にはこのまま首相官邸に移動していただき、なにとぞ陛下のお力添えをいただきたく存じます。」
陛下は宰相に歩いて近づき、風格をもった声で答えた。
「わたくしの意志を表明する場が与えられるのなら、ありがたく思う。」
***
──三時時間後、再び議論が重ねられた。
経済産業大臣、財務大臣は遠征に反対、内務大臣、外務大臣、戦時国防大臣が賛成という立場で、宰相、国土交通大臣は沈黙を守っていた。
国土交通省としてはどちらに転んでも準備ができる、ならどちらでも良いと、のちに国交大臣は語った。そしてそれを極めて後悔したとも語った。
宰相はやや疲労気味で、威厳ある声で、
「議論が平行線をたどっており、十分な議論が行われました。これよりまことに異例ながら陛下の御製にて御意を示していただきます。」
国王陛下は、奥の扉が近衛兵二人によって開かれた。
全員、一斉に起立し国王陛下に対し頭を下げた。
国王陛下は、軍服を召されていた。
片手にはサーベルを持っていた。この国の伝統である。
全軍を指揮する身としての意志を明確にするためだ。
そして、奥にある玉座に座られた。
宰相は、立ったまま、玉座まで歩き、頭を下げた。
「席に服すように」
黙ったまま、席に服した。
そして、白い紙を取り出し、和歌を詠まれた。
よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
これは、陛下は戦争に反対していることを暗に示していた。
国王陛下は政治的発言を禁止されている。
宰相は国王の威光をもって、一気に遠征を中止を決定させようとした。
そののち、三時間以上の熟議が重ねられた。
外務大臣は国王の意志に背くのがあまりにも恐れ多く、棄権する方針になった。
そして、宰相は威厳を持った声で、
「これより議決に入りたいと思います。」
「遠征に反対のものは挙手を」
財務大臣、経済産業大臣の二名がしっかりと手を上げた。
揺るがぬ信念で反対票を投じた。どちらも、現状の国家構造がこれ以上の戦争に耐えられないと確信していた。
「遠征に賛成のもの」
三名の手が上がった。
戦時国防大臣は、これを機に一気に王国宰相に上り詰めようとした。
内務大臣は、民意と治安を秤にかけた末、「行動なき政権」が王朝の屋台骨を崩しかねないと判断していた。
以外であったのは国土交通大臣である。彼は表情ひとつ変えずに挙手した。
実際、彼の中ではすでに結論は出ていた。――どちらに転んでも、自分の組織は動く準備ができている。だからこそ、国王陛下といえど、その意志で国家の方針を曲げるわけにはいかない。
だから賛成した。
のちにおおいに後悔することになる。
宰相は、やや驚いたがその様子を微塵も感じさせず、
「これにより正統政府は帝国遠征を決定しました。」
パチパチパチパチ
空虚な音だった。
「……これより国王陛下に対し遠征の御認可をいただきます。」
そこに、ハロルド七世は静かに座していた。
宰相は恭しく頭を垂れる。
「陛下。閣僚会議の議決に基づき、帝国への遠征計画への参加を、ここに奏上いたします。御裁可を賜りたく思います」
「わかった。」
若さに見合わぬ威厳が、その所作のすべてに宿っていた。
傍らに控えた侍従が、王笏と署名文書を捧げ持つ。
王はそれを受け取り、筆をとった。
筆が動く。
ハロルド七世――若き王の名が、文書に記された。
「……余は、これをもって帝国遠征を認可する」
厳粛な声が響いた瞬間、謁見の間の空気がわずかに変わった。
王は署名を終える。
宰相は深く一礼した。
王は再びイスに身を沈めた。
威厳と沈黙。
若き王の瞳は、誰よりも遠い未来を見据えていた。
***
―――国防省にて
「国防大臣閣下、本当にやるのでしょうか?無理を承知でお願いしますが、再び閣僚会議を開催し、熟考を重ねていただけませんか?」
そう言うのは、ジャマール・カーター幕僚長、制服組のトップである。
彼は奴隷の一族だったがオスワルト二世の時代に解放された系譜をもち、重厚感ある人物だ。
国防大臣はあきれ気味に
「君は閣僚会議をどう心得ているのかね?料理を作り直すのと訳が違うんだよ。」
幕僚長は語気を強める
「ですが、我々は今までベール回廊から敵を出したことはありませんが、我々が通りぬけたこともありません。しかも北西同盟も、いくつかの回廊でしか侵入できず、回廊出口にて半包囲体制で待ち構えられるでしょう。一体どこに勝機があるのですか?」
「それがあるんだよ、カーター君」
デスクにあるボタンを押して秘書を呼び出した。
すぐに秘書官が出てきた。
「『夜明け』を持ってきてくれ。」
「はい。」
三分後、秘書官が大きい茶封筒をもってきて、国防大臣に手渡した。
国防大臣が中身をあけ、幕僚長に見せた。
幕僚長は驚きを隠せなかった。
「フェンメルから帝国領への唯一の回廊を制圧し、補給線を構築した上で、帝国中枢を電撃的に突く。名目上は“防衛のための先制的行動”と定義」
あまりの呆気にとられすぎ絶句しそうになってしまった。
三段階作戦……しかも補給なしで帝都に突入?こんなものばかげている……。
「どうだね。北西同盟の提案は極めて独層的で優れた提案だ。よくよく考えればフェンメルなんて商人連中の寄り合い所帯、彼らは内通していたに違いない。なんでこんなことも気づかなかったんだろうね。」
幕僚長は、落ち着きを取り戻し改めて反論した。
「閣下、仮にフェンメル侵攻がうまく言った場合でも、帝国領は広大です。直線距離で首都を直撃しようとしても現在の航行レベルでは約四個の燃料補給所が必要です。しかも北西同盟軍との合同演習も行ったこともございません。」
「君の役割は私から命令されたことを実行するのが仕事だろう、文民統制を破る気かね?」
「……微力を尽くします。」
幕僚長は、統合司令本部に帰る際に同盟で発行されている新聞を読んだ。
「政権 国境紛争に何の対策もなし」――旭日同盟新聞。
彼は苦笑した。あれが国民の声だというなら、もはや中立とは何なのか。
かつて中立とは、戦争を避けることだった。今では、戦争を始めないことが弱さとされる。
彼は知っていた。この同盟は、議論の自由を誇っていた。だが今、その自由が、歯車を狂わせている。
ベルンにそびえたつヨーク大王の銅像を見た。
赤い日の入りに照らされていた。
ちなみに銅像にはある文言が記されている。
汝、争いをできる限りさけるべし。
今、その文言を覚えているものはどれくらい、いるのだろうか?
もう誰も足を止めなくなっている。
***
――北西同盟本部 ナンケイ
北西同盟とは八つの国民共和国の集まりである。
帝国内での自由主義者が帝国の討伐軍壊滅による混乱を利用して、独立を宣言した。
この同盟の統治は、同盟最高評議会によってとり行われており、各国の首相のみが出席を許可されている。
だが時代を経るごとに、という二大大国の決定をほとんど追認する機関とかしていた。
だが、両国はそこまで無茶な決定をすることは少なかった。
また、北西同盟は国民レベルで政治議論が最も活発に交わされており、ジャーナリズムが最も発達している。
同盟レベルに広がっている新聞だけでも六あり、国ごとならさらに数が増える。
不統一な街並みがある意味、自由を象徴している。
同盟と帝国における国境での小競り合いが数年前に起きた。
新聞各社はネタがなかったため、これを異常な熱心さで報道した。
どうやらここのジャーナリズムは、政権を批判するために存在するとしている。
この小競り合いに対する同盟の処置は適切な訳であったが、これに対し新聞社は弱腰外交として叩きまくった。
経済成長が止まっており鬱憤もたまっていたため、これが思ったより国民に受け、国民の議論は次第により過激な方向になった。
共和自由党は長年各地で政党基盤を確保し、帝国との融和を求めて政権を握り続けてきた。だが組織票の高齢化による減少に悩まされていた。
そこにポピュリズム政党が誕生。
各国のポピュリズム政党は選挙で台頭したが、政権を握ったのは三つだけであり、同盟最高評議会が正常な機能を有していれば何も起きなかっただろう。
だが、アストリア共和国とノーザン・コンコード共和国の首脳は両方ともポピュリズム政党であった。
***
同盟最高評議会のビルからデモ隊が見える。プラカードにはいろいろ書いてある。
帝国に死を
同盟万歳
「また連中が騒いでいるのか」
そうぼやくのは北西同盟外交委員長 帝国から最も近いノルトヘルム共和国首相、チェン・リュウだ。
「そのようですな。」
答えたのは北西同盟国防委員長 帝国と隣接し、技術力で定評があるエリュシオン共和国首相マンスール・シャリーフ
「国民社会主義党の党首様が前で演説するようだぞ。」
―――国民社会主義党党首兼アストリア共和国大統領 ジェットソン・グラッジ
諸君!
同盟の民よ!
長らく我々は、冷静であった。節度を守り、対話を信じ、正義を信じてきた。だが!
我々の誠意は、蹂躙された!
我らが聖なる北方空域に、帝国の艦隊が侵犯し、同胞ノルトヘルムの補給船を拿捕したこと、諸君は知っている!これは単なる偶発ではない。計画された侵略である!
かの偽善者どもは、我らの空域を「解放すべき」と叫ぶ。
ならば聞こう。誰が彼らに、その「解放」を託したのか?空神か?歴史か?民衆か?否!
これは略奪であり、挑発であり、宣戦である!
我々は、再び問うことはしない。
再び下を向き、空の主権を譲ることはしない!
同盟の民よ!
今こそ、剣を取り、翼を広げよ!
この争いは単なる国境紛争ではない。
これは文明の戦いである。
野蛮な専制国家に対し、民主主義が屈してはならない。
これは、二百七十五年連邦会議以来の崇高なる我々の使命なのだ。
この崇高な使命を神が見捨てるわけがない。
我らは恐れない。
我々は、ただちに出撃する。
旗を掲げよ!プロペラを回せ!浮遊石に炎を入れよ!
国民よ立て!
悲しみを怒りに変えて立てよ国民!
同盟は諸君らの力を欲しているのだ!
一つのたみ、一つの同盟、一つのそら。
わーーー
異常な熱気に包まれた。
「名演説ですな。いやほんと感心感心。」
あきれた皮肉口調で言うリュウに呼応してシャリーフは同じように
「国防委員長としてあれを賞賛すべきなのかな?」
「彼らによると涙を流さなきゃならんようだな。」
シャリーフは
「何が不満なんでしょうね?」
リュウはやや妙な落ち着きをもって答えた。
「みんなエネルギーを持て余しとるんだよ。年がら年中、同じ毎日の繰り返し給料は上がってもあんまり実感がない。そこに国境紛争ならみんな、そのエネルギーをそこに費やしたがるんだろう。そこに目をつけたジャーナリズムが煽って、数年前では考えられないようなことになっている。」
「ジャーナリズムの進化があれだとはな。連邦会議を主催したワシントンはどう思うでしょうな。」
「泣いているよ。墓の下でね。」
彼らにはもはやどうしようもなかった。
ただ事実を受け止める以外方法がないのだ。
今まさに歴史の歯車が狂いだのだ。