第三章 休息
「帰還する、ベール要塞に進路合わせ。」
ゆっくりとだが、確実に黒煙を吐きながら艦隊が大きく時計周りに回った。
「ここまでやったからあとは貴官らがやってくれ。」
「はっ!」
彼女は参謀たちに報告書の作成をまかせそのまま自室に戻った。
淡々と廊下を歩き、自分の部屋に入る。ベッド、机、椅子、軍服用の小さなクローゼット──一個艦隊を預かる将官の部屋としては、あまりに質素だった。
「ただいまー。」
何かのリミッターが解除された。
「つ~かれ~た~~」
軍服の上着をそこらへんに投げ捨てて、そのままベッドにダイブ。毛布を顔までかぶって、もぞもぞと愚痴る。
「ああ、しんど、朝っぱらから戦争させられるし、山のような書類仕事、そのうえあの男くさい異質な狭い空間に十時間以上の監禁、も~いやだ。このまま寝てやる。」
そのまま目をつむって寝ようとしたが、何かを突然思い出したように起きた。
「ワイン飲みたい。」
「くー……沁みる……」
赤ワインのボトルを机に置いて、ひとりでちびちび飲む。その横にはベールで買った安物のチーズの盛り合わせ。おつまみも万全を期しているぞ。
「これで……明日も生きていける……」
あることにきづいて頭を抱える。過去の“あの事件”が頭からわく。
「……でも飲みすぎるとまたやらかすんだよな……」」
昔、ルーフの艦長してたときの話。任務明けに酒を飲みまくって、酔っぱらって大暴言大会。上官にチクられて地獄を見た。あれは確か白ワインだった。しかも二本いった。
グラスを置いて、頭を抱えると、
「……一本まではセーフ。いや、紅白両方で中和すれば……ゼロ。ゼロじゃないか。私天才だな。」
そのまま紅白両方飲み干した。
「ふふふ、中和したぞ。」
次の瞬間、即撃沈。
次の日、
「うぅ……なんでこんなに頭痛いの……」
中和なんて、なかった。
***
「閣下、ベール要塞の入港準備整いました。」
「入港」
各地で空兵の休養を喜ぶ声が聞こえる。
「よっしゃあ。」
「ほう、」
ベール要塞――それは空中暦二百八十二年、バール島に築かれた鋼鉄の都市である。
約三個艦隊を収容可能な巨大構造体は、遠目には蜂の巣のように見え、艦船が次々と吸い込まれていく。
外壁は鈍い銀色に輝き、ところどころに戦闘の痕跡が黒く焼き付いていた。
内部には艦船整備ドッグ、娯楽施設、補給倉庫がある。
補給さえあれば、一個の都市として機能するこの空間は、彼女にとって唯一の「帰る場所」だった。
彼女乗艦の戦艦ブランデルブルクは、ゆっくりとドッグに着地した。
彼女が船を降りてまっさきに向かったのはベール方面補給部本部だった。
「閣下、なぜこちらに?」
補給部部長の副官がややとまどっている。
「部長に会いたい。ご在室か?」
困ったような顔をしながら、
「部長は今、昼寝中です。兵站線が分断された時か、本国からの昇進命令以外では起こすなと……」
彼女はあきれた顔をしながら肩をすくめ
「貴官も苦労が多いだろう。」
やや考えてから
「ええ、まあ。でも、部長の処理能力は桁違いです。私どもはそのサポートをしているだけで、よくて給料泥棒みたいなもんですな。」
「貴官のうわさはかねがね聞いている。そう謙遜なさるな。私もさっさと寝たいし部屋に入ってもいいかね。」
「ですが」
やれやれといった顔で
「私とあいつはベルシュタイン軍大学の同期だ。しかも、今からやることで怒るような奴じゃないのはよく知ってるだろ。」
はぁ、といった感じで、
「……どうぞ」
「すまないな。」
彼女は部屋に入った。
広々としたデスクには書類が山をなしており、先ほどまで仕事をしていたであろう万年筆が転がっている。
床には白い子猫が容器に入っている水を飲んでいる。
そして横に寝る前提でおかれたベッドがあって、そこで一人の小柄な男が眠っている。
ややあきれているため、真っ先に起こす気にもならず猫をあやしにいく。
「ほらほら、おいで」
子猫は彼女の手に近づいてきて、愛嬌ある行動をした。
「お前はかわいいなあ。主人と大違いだ。」
あかんあかん、猫をあやしにきたんじゃなかった。
ベッドのよこに立ち男の肩を揺らした。
「おい、起きろ、起きろ、いつまで寝とるか!」
男は目を眠そうに上げて彼女をみた。
「ん……仏頂面が、なんか用か……?」
「うるさいだまれ。文句を言いに来た。」
おっくうそうに、
「わかった、わかった、わかった、わかっひゃった。あと五分……。」
「一体、何様だ。起きろ。補給についての文句だ。」
「うっさいなあ……地獄からの死者みたいな女だな。」
文句を言いつつもデスクに座った。
「クレルモン作戦で空中雷の不発率が三割だった。あと食料も足りん。士気に関わる。」
葉巻に火をつけて、煙を吐くと、
「ん~。そういうのは技術部の仕事だがまあ最近生産地によって性能に差がある。どうにかしよう。だが、食い物は無理だ。夢を見たけりゃ料理人にでも言え。ものはもうこれが限界だ。」
「なぜだ?」
「なぜか?思い当たりが多すぎてどうにもならん。」
皮肉めいた笑いを見せ、指で数え始める
「そもそもこんな狭い回廊に要塞を築いた挙句に三個艦隊まで常駐させてるというのが根本的原因だ。」
「……」
「おまけにミグレイ社のエンジンに問題ありとなったおかげで、ただでさえ少なかった輸送船団の稼働率が急激に低下している。四割ほどは修理作業だ。」
「対策はしたのか?」
「それが仕事だ。軍令部の連中にも報告書を上げた、三つもな。全部名前が違う『急ぎ』『最重要』『至急対応願う』てな。」
「で?」
「……四週間ほどたって帰ってきたのは『検討中』のハンコだ。どうやらあの人らの世界では人間は空気を食べて生活しているようだ。」
目を細めて
「いやがらせか?」
と聞いたが、あきれたように
「いや、派閥争いもどきで事務レベルに支障をきたしているんだよ。」
葉巻を吸い、吐くと。
「最もいやがらせな方が状況はいいわけだ。」
「わかった。あと今日は来てもいいぞ。」
「あいよ。」
扉から出ていくと、彼が副官を呼びつけた。どうやら昼寝を終えて仕事をするようだ。
彼女が要塞の自室に帰ってきた。
寝室にキッチンリビングまでありかなり広々とした空間だ。
「やっと帰ってきた。」
***
午後七時、ベール要塞の娯楽街。
第三艦隊の空兵たちが酔いにまかせて騒ぎ立てていた。
十日間の航海、そして一個艦隊との戦闘。神経の一本や二本、壊れて当然だった。
酒場では泥酔して倒れる者、キャバ嬢に囲まれてはしゃぐ者、ナンパを仕掛ける者──カオスと化していた。
そんな中、一人の男がフラーゼの部屋を訪ねてきた。
コンコン
「誰だ?」
「補給部部長のエルンスト・フォーゲル中佐であります。」
彼女は鍵を開けて自室に入れた。
彼はいつもどおりといった感じで部屋にずかずか入り、あきれた様子で
「…お前、飲みすぎてないか?」
顔をやや赤くして
「べ、別に増えてないってば!」
ワインボトルがゴミ箱で山をなしている。
「まあいい、さて今日は何を作ってほしい?」
やや考慮した。
最近、めずらしいビールを買った、ベール地ビールらしい。まあ要塞に地ビールもくそもあるのかとは思ったが、これを加味して考えると、
「エルンスト、お好み焼きで」
「おお、また変なものを、まあうまいからな。ではつくるか。」
完全に餌付けされているな、あいつがいなくなったら餓死してしまうな、と思いつつリビングのテーブルをかたづけた。
十年前は手伝おうとか言っていたが今やそれすらも言わなくなってしまった。
もはやあの頃とは違うんだな。
昔みたいにバカ騒ぎしてたけど、もう今はあいつがいないと私じゃなくなってしまうんだろうな。
そう思った。
お好み焼きができた。本人の話によると山芋を使ってるからうまいんだそうだがそんなのどうでもいい。うまけりゃ正義。
「いただきまー」
「待たんか。大将閣下」
え、なんで、うまそうじゃん
「ちょっとここでソースの焦げ目がつくのがうまいんじゃないか。待て待て、小手をおさめろ。」
三十秒待って、小手で切り
はしを使ってお好み焼きを頬張る。
ハフハフ
「う、ま…」
「食ってからいわんか。」
彼女はお好みを食べてビールを一気に流し込む。
「くー、うまい。中佐殿ほめて遣わす。」
「あいよ。もう一枚焼く?」
「うん、我食わんと欲す、ぞ」
第三艦隊司令の私部屋ではいたって普通な時間が流れていた。