第二章 クレルモン空域会戦
ーーー戦闘前夜 午前三時四十二分 第三艦隊旗艦 ブランデルブルク
コツ、コツ、コツ
ある人の足音が、警戒灯の赤に染まる艦内の廊下に響いた。
フラーゼフォンクロイツェル司令は、航空艦独特の油と金属の匂いが混ざる黒い廊下を淡々と進んだ。
彼女は起きてはいるもののどうもまだ眠たいといったところだが、今から一時的に睡眠よりも大事なことがおこるのだから仕方ない。
艦橋に入ると六人ほどの男たちが一斉に起立し、敬礼した。
「状況は?」
艦隊参謀長、クラウス・ハルトヴィヒは報告した。
「は、さきほど偵察艦より、敵艦見ユ、数不明、の報告が届いております。」
「全艦、第一級警戒態勢、航行隊形より、戦闘隊形に、情報部からは?」
「情報部の報告によりますと、反乱軍の数は百十隻程度、偵察艦の報告によるベクトル計算の結果、会敵は二時間三十二分後と推測、十二時から一時の方向、俯角十一度で会敵予定です。」
うなずいたあと命令を下した。
「わかった。我が艦隊の戦力は百二十五隻ほぼ互角だな、作戦は予定通りだ。各分艦隊司令に通達せよ。」
「はい」
艦橋が騒がしくなった。
「おもーかーじいっぱい」
「第一巡洋艦戦隊ポイントR2に移動、続いて第三駆逐戦隊E3へ」
各地で命令が飛び交い、空に浮かぶ鋼鉄のかたまりがゆっくりと陣形を整えつつあった。静かに、まるで儀式のように。
だが、火蓋が切られれば、それは冷酷な砲声とともに、無慈悲な鷹となる。
ーーー午前六時十七分
第一種警戒態勢に入ってから三十五分後、ハルトヴィヒは、いつもどうりの単調な口調で。
「司令、初期配置完了しました。」
「わかった、では参謀長、本作戦の目的は何か?」
「反乱軍の殲滅であります。」
「違う、わが艦隊はクレルモン諸島の奪還、および支配権の確立が目的だ、戦術上の目標と戦略上の目標を混同するな。」
冷たい情の通わない声でいい、周りの高級士官たちがうなずいた。
彼女は言ってみたはいいもののあまりこの作戦に意義を見出せなかった。
クレルモン諸島――それは、ベール回廊の一諸島に過ぎない。ここを占領してもあまり意味がない。ベールは、反乱軍と帝国を結ぶ唯一の回廊だ。
だがここを通った反乱軍の移住者は尊敬に値する。
そう思いながら彼女は、艦列を確認していた。
ーーー午前八時四十九分
第一種警戒態勢から二時間後、
「先行艦ユキカゼより敵艦ミユ距離二十、方角は十二時二十分、俯角八度、接近速度十五ノット」
静かに号令した。
「全艦、第一種戦闘態勢、砲雷撃戦用意、砲門開け」
前方から敵の砲弾が降ってきた。
距離が遠いためいわば開幕セレモニーみたいなものだ。
しいていうなら開幕セレモニーは高揚感を高めるために行われるが、これは恐怖をまき散らすためのもので極めて非生産的なものだ。
一部の高級士官たちが砲撃許可を求めてきたがこれを聞いた彼女は思った。
帝国軍といえども所詮は肥大した官僚組織でしかないということを改めて認識した。
しかし、そんなことを口に出さずただ、静かに首を横に振った。
ーーー午前九時三分
「距離、十二を切りました。」
「下部二番砲塔照準よし、全砲門いつでも撃てます。」
「全艦、砲撃開始」
「うちーかたはじめ」
司令の号令とともに各艦長が待ってましたといわんばかりにありったけの火力をたたきつけた。
黒い鋼鉄のクジラたちが一斉に火を噴いた。轟音とともに砲門から火柱が噴き、甲板がまるで大地震のように 断続的に揺れた。
燃焼音を撒き散らしながら放たれた砲弾は、尾を引く光跡を描きつつ、死の雨として敵艦隊に降り注いだ。
「よーし、全艦、敵との相対速度を零に保ちつつ陣形を維持せよ、“例”の時間まであとどれくらいか参謀長」
「はい、今日は天気が良いので二時間ほどです。」
「うむ。」
ーーー同時刻 戦艦アレキサンドリア砲塔内
正統軍ハンス・シュミット軍曹はクレルモン諸島防衛作戦に参加し、戦艦アレキサンドリア上部一番砲塔砲手を担当していた。
「よーし、敵さんきはったぞ。」
照準を彼は合わせた、目標は前方にいる巡洋艦だ。
あとは、発射開始の命令を待つばかりだった。
金属管を伝って、艦長の威勢のいい声が聞こえた。
「うちーかたはじめー」
バーン
彼は瞬時にぶっ放した。
一瞬、轟音で耳が聞こえなくなった。
砲が火を噴いた。
目の前がピッカっと光り、目を一瞬失った。
そして、初弾は外した。
「くっそー、左に二度だ。弾を入れろ。」
再装填をする時間は約二十秒だが、彼には無限の長い時間のように感じられた。
怖いのだ、死ぬのが、だから何かしないと気がおかしくなるのだ。
彼の場合その感情を砲撃につぎ込んだのだ。
「くたばりやがれ」
バーン
スコープを覗くと巡洋艦の一部が炎上していた。
命中したのだ。
「よっしゃ、さすが三二ミリだ。」
ーーー午前九時四十三分
正統航空第二艦隊司令、グエンはここぞとばかりに活気ある声で号令した。
「敵はわが軍の砲火にひるんでいるぞ、砲撃の手を緩めるな、うってうってうちまくれ。」
反乱軍の攻勢は恐るべき火力の集中投入によって行われた。
戦闘はやや反乱軍の優位のまま戦況は推移した。
帝国軍は秩序をもったまま後退し、浮遊岩石群にとどまり、アンカーを放ちそれらに固定した。
ーーー午前十時二十三分
そして反乱軍の司令部に予想外の出来事が伝えられた。
「閣下、三時方向から突風です、風速約三十二メートル」
夜明けと同時に徐々にあたためられた空気が突然に風となったのだ。
風にあおられた反乱軍の艦艇はまるで木の葉のようにゆれた。
駆逐艦などは制御を失い強風に流された。
反乱軍はすでに攻勢限界点が来ていたため、事態に拍車をかけた。
艦隊は秩序を失いつつあったが、司令は、やや焦り気味に
「落ち着け、陣形を整えろ、」
帝国軍はアンカーで自艦を固定していたため、混乱をうけなかった。
ーーー午前十時二十五分
フラーゼは内心、勝ったなと思いつつ、意気揚々と攻撃命令をだした。
「艦列を広げろ、砲火を集中して敵を叩き潰せ。」
アンカーを切り、猛全とその巨大な艦艇を前進させた。
艦列を整えられていない艦隊と、艦列を整えた艦隊がぶつかった場合、どちらが勝つか疑問の余地もないだろう。
結果として反乱軍の攻勢は、勇気と人命の無駄遣いという悲劇的結果に終わった。
第二分艦隊司令、ハインリヒは老練な指揮官らしい落ち着いた指揮を行った。
「接近戦闘に移行する、雷撃艇、発進せよ」
彼の放った雷撃艇は、無慈悲に反乱軍の艦艇に対し空中雷を発射し、きれいな赤い花束をプレゼントした、血で飾って。
その様子は羊の集団が狼の群れにずたずたにされてるようだった。
ーーー同時刻 戦艦アレキサンドリア内
ハンス軍曹が砲手として働いていると、
ドカーン。
「被弾したのか?」
隣にいるやつに聞くと、落ち着いて答える。
「知るか、無駄な弾撃つなよ。」
だが一つ言えることはだんだん高度が下がっているということだ。
金属管を伝って声が届いた。
「戦闘を継続せよ!」
「よっしゃそう来なくっちゃ!」
彼は引き続き砲撃を行ったが砲の角度はどんどん上がっていった。
彼は口では陽気なことを言っていたがどんどんある不安がよぎってきた。
『まさか……この艦、沈んでるんじゃないか?』
まさか、それならとっくに退艦命令がおりてるはずだ。
だが、心の奥底で恐怖という木が根を張りつつあった。
ガ、ガ、ガ――!
艦が大きな振動とともに徐々に右に傾き始めた。
近くにある砲弾が次々転がり始めた。
周りを見渡すと明らかに傾いていた。
「どういうことだ!? なんだよこれは!」
彼は急いで部屋から出た、となりにいる砲手の静止を振り切って。
するともうすぐそこに雲があった。雲の下は有害な毒ガスが含まれている。
一度吸ったらそのまま死ぬ。
「ぎゃああああああっ!! まだ死にたくない!」
彼は急いで脱出用の小舟のあるエリアに走り出した。
誰も走っていなかった、全員、脱出しおわったあとだったのだ。
彼は騙されたわけだが何も思わなかった、なぜならもう生きるか死ぬかの瀬戸際がそのような感情を吹き飛ばしたのだ。
黒い甲板にはいくつかの死体が転がっていた。
頭がないもの、体が腹部で別れているもの、焼死体になり原型を留めていないもの、さまざまだ。
その甲板をひたすらネズミのように必死に這えずりまわった。
そして、彼は絶望した。
もう脱出用の小舟はなかったのだ。
だが彼はまだあきらめていなかった。
最後まであきらめなかった。
艦が雲に埋まるまでひたすら這えずりまわった。
艦橋の階段あたり吸った。
苦しみ悶えた、そして錯乱状態になりつつ、
「帝国も……正統も……みんな死ねぇぇぇぇぇ!!」
息が途絶えた。
ーーー午前十一時五分
反乱軍司令は絶望的な声で、
「反撃しろ、何とせんか!」
次の瞬間、旗艦に雷撃艇が接近した。
「雷撃艇接近!」
オペレーターの叫んだ。
艦橋の窓から見ると、点が徐々に面になっていくのがはっきりわかった。
次の瞬間、雷撃艇が静かに何かを発射した。
空中雷だ。
「回避せよ!」
号令むなしく、艦橋に空中雷が命中した。
反乱軍の頭が失われ、艦隊の秩序が死んだ。
戦闘らしきものは、二時間で終わった。
それ以降はただの作業だ。よく言ってネズミ狩りといったところだろう。
当然のように、帝国軍は勝利した。クレルモン諸島を奪還した。
そして、恒例の儀式がやってくる。
フラーゼ・フォン・クロイツェルは、心のどこかでため息をつき、訓練された偽の威厳で唱える。
言わねば、大逆罪といったところか。
第三艦隊の空兵たち全員が空気に食べられた。
「ジークハイル。ジーク・マイン・カイザー。」
その声は、勝利の雄叫びというよりも、意味のない作業だった。
***
―――フェンメル自治連合
フェンメル自治連合は、帝国、正統、同盟の三か国の丁度、結節点に位置している。
始めは商人たちが中継港としての性格が強かったが、大商人たちがフェンメル国家運動を促進した。
この運動は三か国の高級官僚を多額のわいろで買収するななどして実現させた。
フェンメルの都市構造は中央に首相官邸と、各種政府機能、北には輸出を主力とした、セルコン工業地帯、すぐ横には中央空中港、並びに発電所が群れを成している。そのほかは住宅街、オフィス街が広がっており、世界でもっとも公共交通機関が発展している場所でもある。
―――首相官邸、南翼の応接室。
窓の外には、貿易船の群れが、白い煙をたなびかせながら列を成してゆっくりと航行している。
部屋には石炭暖炉の熱がまだ残っており、壁にかかった懐中時計が静かに時を刻んでいた。
黒の洋装に身を包んだ一人の男が、分厚い書類の束を卓上に広げていた。
銀縁の眼鏡の奥に光る眼差しは、商人というより政商に近かった。
彼が首相カスパー・ファン・ヴィーリンヘンである。
「―――結果はどうだったのか、」
「はい、帝国軍の勝利です。正統軍はクレルモン空域からの支配権を喪失しました。」
彼は、万年筆を止めて、
「正統軍は撤退したか?」
「はい、艦隊の約七十パーセントを喪失して本国に撤退しました。」
「ふむ……指揮は、たしか女だったか。」
「フラーゼ・フォン・クロイツェル。帝国軍初の女性提督にございます。」
「なかなか帝国も洒落た人事をする。……勝因は何だ?」
「天候の急変です。雷雨によって正統軍の陣形が崩れたとのこと。戦術面での優位というより、運が味方したようでございます。」
男は煙草を取り出し、葉巻に火を点けた。吸い込んだ煙を静かに吐きながら言う。
「……戦において、天候を考慮するのも才覚のうちだ。さて、我らの手は?」
万年筆のキャップを閉じ、イスにもたれかかった。
「すでに正統側に対して、第三次融資の案を提示済みです。軍費がかさみ、国庫は逼迫。利率は前回より二分上げましたが、断られる様子はございません。」
「当然だな。奴らに選り好みする余裕はないだろうからな。鉱山の件と北西同盟はどうなっているか。」
「はい。同盟鉄道の資本参加率が上昇中です。ダミー会社を五つに分けておりますので、まだ発覚しておりません。近々、五十パーセントを超える見込みです。また北西同盟についてはほぼ開戦が既定路線になりつつあります。」
「うむ。ことが起こったらプラン2501を実行しろ――準備は怠るな。」
落ち着いた様子で、彼はラジオのダイヤルを回し正統のラジオ電波にあわすと、勇ましい声で、
「――正統艦隊、叛徒を空域より一掃!正義の旗はなおも前進中であります――!」
やや、男は眉をひそめて、静かに
「これではだめだな。もう正統の命運は尽きるのかもしれんな。」
「どうしてです?」
「このようなことばかりしていると国民はほんとに勝っていると錯覚する。何より保守派の台頭とやらで軍事費が増大し、裏付けのない紙幣発行をやってる。何が保守なんだか。単なるポピュリズムと言わざるを得んな。まあ北西の方がひどいがな。」
「だれが勝とうと、傷つきあえば我々の利益なのですから、よいのではないでしょうか・」
「我が国は、帝国の属領だ、度が過ぎると経済的利益よりも政治的混乱による被害の方が大きい。」
すると、秘書官はやや冷笑気味に
「所詮、民主主義とは非合理性の塊といったところですか?」
「いや、民主主義とは一見非効率的に見えるが自浄作用がある。他の政体の自浄作用はクーデターとかしかないが、民主主義は選挙ですぐにやれるからな。」
書類に目を落として、つぶやいた。
「まあ、その自浄作用を失ったらその国は瀕死の病人といったところだな。」
***
正統軍戦死者一万五千六百二十三名
帝国軍死者三千百十八名