寝る前の時間なのに
テツヤに会えたけど、あんなのは会えたとは言えない。画面越しに肌を見せ合った時の方がよっぽど会えた気がした。また画面越しでもいいから会いたい。だが、テツヤは今、毎日公演があるから忙しいだろう。そう思って、ビデオ通話も遠慮していた。
それでも、夜寝る前の電話は時々していた。寝る前だから、部屋にいるはずだ。同じ部屋のタケル兄さんの声が聞こえる事はたまにある。だが……。
「それじゃ、お休み、レイジ。」
「うん、お休み、テツヤ。」
そう言って電話を切ろうとした時、電話の向こうで聞こえたのだ。「テツヤ」と呼ぶ声が。その声はタケル兄さんの声ではない。タケル兄さんはラッパーで、渋い良い声をしているが、もう少し高めでちょっとハスキーな良い声が聞こえた。そう、ヤナセだ。俺にとってはアニメの主人公、ザトーの声。ザトーがテツヤに声を掛けている。そのまま電話は切れた。ちょっと待て。もう寝る時間のはずではないか。それなのに、部屋にヤナセが入って来たのか?何故に?
しばし呆然としていた。そこへカズキ兄さんが部屋に帰って来た。
「どうした、レイジ。ボーっとして。」
カズキ兄さんが言った。
「う……ん。電話が切れる時に、タケル兄さんではない人の声が聞こえたんだ。こんな時間に部屋に人が来たのかな。」
「テツヤが部屋の外にいたんじゃないのか?タケル兄さんのいる部屋で電話を掛けるのが嫌で、廊下に出ていたとか。」
カズキ兄さんにそう言われて、想像してみた。そうだろうか。部屋にはいなかったのだろうか。そうかもしれないし、やっぱり部屋にヤナセが訪ねてきたのかもしれない。
「気になるなら、もう一度掛けてみれば?」
カズキ兄さんが言った。もう一度、掛ける?お休みって言ったのに?でもまあ、寝てしまったとは考えにくい。ヤナセに呼ばれていたのだから。どうしよう。でも、ヤナセと何か話しているなら、電話で邪魔をしてしまう事になる。
「何迷ってるんだ?お前は恋人だろ?誰かがこんな夜更けにテツヤに話しかけたのなら、それを阻止するのは当然の権利じゃないのか?」
「えっ、そ、そう?……カズキ兄さん、いい事言うね。」
「ははは。そうだろう?でも、俺がまた外に出るのは嫌なんだけど。お前が外に出て掛けろよ。」
「うん。」
俺は部屋を出て、廊下を歩きながらもう一度テツヤに電話を掛けた。
呼び出し音が続いているのに、テツヤは出ない。寝てしまったのだろうか。電話を切ろうか迷っていると、やっとテツヤが電話に出た。
「もしもし?」
「あ、テツヤ?」
「そうだよ。何、誰かと間違えて掛けた?」
「そんなわけないじゃん。」
「じゃ、どうした?何か言い忘れたとか?」
テツヤの機嫌は悪くない。ちょっと嬉しそうな声にも聞こえる。
「あの、今部屋にいる?」
俺がそう尋ねると、テツヤは一瞬黙った。何か都合が悪いのかと思ってドキッとすると、
「部屋にいるけど、今からはしないよ?時間遅いし。タケル兄さんももう寝ると思うし。」
勘違いされた。エッチな事をさせられると思ったようだ。でも、そうじゃないと言うと角が立つような気がするのは気のせいか。
「あ、うん。そうだよね。部屋にいるんだね?それならいいんだけど。いや、その、さっき電話を切る時にさ、タケル兄さんではない人の声が聞こえたような気がしたから。」
俺がそう言うと、テツヤはまた一瞬黙った。何故?
「お前、やっぱり耳がいいな。」
褒められても嬉しくない。つまり、誰かいたんだな?
「ヤナセ……さん、だよね?部屋に来たの?」
地獄耳ついでに、もう何でも聞いてしまえ。
「なんで分かったの?」
驚いている。
「だって、ザトーの声だったから。」
「ああ、なるほど。」
俺の方が聞いてるんだけどな。
「それで、部屋に来たの?」
そう聞くと、またテツヤが黙ったので、しつこかったかな、と急に焦り始めた俺。しつこくしたら嫌われる。まずい。でも、知りたい。カズキ兄さんが言っていた事を思い出す。俺には恋人としての権利がある。
「言いたくないの?」
俺がそう言うと、
「うっ。」
と、テツヤが言った。なんだ?
「今の声、いい。」
「は?」
「もう一回言って。」
「何だっけ?」
俺、何て言ったっけ?どれがいい声だ?
「言いたくないの、って。」
テツヤが静かな感じで言う。これは照れてる時の声だ。
「あー、なんだかなぁ。……言いたくないの?」
「さっきとちょっと違―う。」
ふざけた声で言うテツヤ。
「そんな事はどうでもいいでしょ。俺は聞いてはいけないの?」
「何を?」
「だから、ヤナセさんが部屋に来たのかって事。」
ちょっとイライラする俺。だって、いい声だとか言ってはぐらかされそうだから。
「あー、ごめん。うん、ヤナセがさっき部屋に来た。顔を出してたんだけど、俺が電話中だから黙ってたみたい。電話を切ろうとした時に、俺に声を掛けたんだな。それが聞こえたんだろ。」
「それで、なんの用だったの?こんな時間に訪ねてくるなんて。」
「ん?ああ、明日の公演の合間にご飯食べに行こうって。」
はあ?何だそりゃ。こんな夜更けに言いに来る事か?メッセージを送れば済むだろうに。つまり、会いたかっただけだろうが。夜、パジャマ姿のテツヤを見に来ただけだろうが。
「えーと、なんで黙ってるの?」
テツヤがおずおずとそう言った。
「いや、別に。」
「怒ってるの?」
「いや、テツヤには怒ってないよ。」
俺がそう言うと、テツヤはクスクスっと笑った。
「つまり、ヤナセには怒ってるんだ?あはは。そうだよな。こんな時間に言いに来る事かって思うよな。言っとくよ。」
「え?なんて言うの?」
「レイジが怒ってたって。」
そう言って、テツヤはまたクスクスと笑った。
「そんな事言ったら、バレバレじゃない?俺との事が。」
「そうかな?多少勘繰られても、いいじゃん。」
テツヤが言った。そうかもしれない。テツヤは俺のモノだって、ちょっとは分かっておいてもらいたいものだ。
「じゃあ、言っておいて。」
「うん。じゃ、今度こそお休み。」
「お休み。」
ヤナセか。あいつの顔を未だに知らない。調べても、写真は出て来なかった。非公表のようだ。演劇訓練所にいるという事は、この先舞台やドラマに出るという事なのだろう。そうしたら顔を晒すことになるのに。