舞台
テツヤとタケル兄さんが出演する舞台が始まった。俺とカズキ兄さんは、何とか観に行こうと画策した。そして、舞台が始まって最初の土曜日に宝塚へ向けて出発したのだった。
夜の部の舞台が始まる前、いつもならメンバーの活動の時には楽屋へ差し入れを持って行くのだが、我々は今一般人扱いなので、楽屋には入れてくれないという事だった。出演する兄さんたちもいわゆる大部屋で、他の出演者さんたちと同じ楽屋にいるからどうのこうのとか。
「いいね。俺たちを初心に戻してくれるよね、訓練所は。」
カズキ兄さんが言った。嫌味か強がりかと思ったが、笑っているので本心かもしれない。確かに、俺が芸能人でも恋人でもなく、1人のファンだったとしたら、テツヤにいくら会いたくても楽屋になんて入れてもらえない。客席から舞台上のテツヤをじっと見守る事しかできないのだ。そういう意味では初心に戻してくれる、かも。
客席で開演を待ち、いよいよ幕が上がった。前もって、
「ちょい役だよ。セリフもちょっとしかないよ。」
と、テツヤから言われていた。だから出てきたらすぐ分かるようにと気を張っていたが、なんのことはない。ほぼ最初からテツヤとタケル兄さんは舞台に出てきて、動きもセリフもあまりないが、ずっと舞台上に立っている。
お客さんの中には、テツヤやタケル兄さんのファンが多くいる事は分かっていた。始まる前から、あちこちで彼らの噂話が聞こえていたし、彼らが出てきた瞬間、小さく息をのむ様子が波のように感じられた。流石に演劇という崇高な舞台だから、悲鳴や掛け声は無いが。
舞台上にいるテツヤは、とても凛々しかった。時々テツヤが目線を巡らせると、目が合うのではないかと思ってドキッとした。俺だって舞台に立つ人間として、充分分かっているのだ。舞台は明るくて客席は暗いから、舞台上から客席にいる人の顔は全然見えないのだという事くらいは。それでも、こちらを見たかもしれない、と感じてドキドキしてしまう。
戦争もので、ちょっと暗い舞台だった。意義のある演劇だとは思うが、あまり笑えるところもなく、悲しいお話で。だから、美しいテツヤの顔でも添えておかないと、確かにちょっと……つまらないかも。ごめんなさい。
舞台が終わった。緞帳が降り、客席の電気が点く。すると、客席から大きなため息が漏れた。そして後ろや横や前からも、
「テツヤくん、かっこ良かったねー。」
「こっち見たよねー。ドキッとしちゃったー。」
などと、ファンと思われる人たちの会話が聞こえてきた。やっぱり、こっちを見たと思ったのだな、と思っておかしくなった。俺と一緒だ。
「さ、俺たちも行くか。」
カズキ兄さんに言われ、席を立った。今度こそ楽屋の前で待って、テツヤに会うのだ。
楽屋から出てくるテツヤを待つ為に、関係者以外立ち入り禁止の札の前で立っていた。すると、他にも女性の2人組が近くに立った。かと思えば、またあちこちから女性が集まって来て、俺たちの近くに輪を描いた。ああ、これはまずいな。
「すみません、出演者はここからは出てきません。どうぞ出口からお帰りください。」
と、言われてしまった。そりゃそうだ。俺が出待ちできるくらいなら、ファンがわんさか押し寄せる。
「どうする?いったん出て、テツヤに連絡してどこかで待ち合わすか?」
カズキ兄さんがそう言ったので、俺は頷くしかなかった。
劇場を出て、テツヤに電話を掛けてみた。
「もしもし。テツヤ?」
「おう、レイジ。観てくれたか?」
「うん。今劇場を出たところなんだけど、テツヤはもうすぐ出られる?」
「あー、そうだな。ちょっとだけなら。また明日も舞台があるから、あんまりゆっくりできないけど。」
ガーン。そうなのか。ちょっとしか会えないのか。
「……それでも、いいよ。ご飯食べようよ。」
「分かった。じゃあ……」
テツヤがそう言いかけたところで、電話の向こうでテツヤー、と呼びかける声が聞こえた。ん?この声は!
「ヤナセ、来たのか?」
「テツヤ、ご飯行こうよ。」
少し遠い声でのやり取りが聞こえた。ヤナセ!なぜ、そいつは楽屋にいるのだ!
「ちょっと!せっかく来たんだから、俺とご飯でしょ?」
俺は思わず強く言った。
「レイジ、分かってるよ。片づけとか終わったら行くから、どこかの店に入って連絡して。」
「うん、分かった。」
電話を終えようとしたら、また少し遠い声で、
「えー、俺もせっかく来たのに。」
と言っているのが聞こえた。そして、テツヤの笑い声と共に電話は切れた。うーん、こっちを優先してくれたけど……。いや、それは当たり前だ。たとえ相手が恋人じゃなかったとしても、普通、北海道から来た友達と会わずに、毎日会っている奴とご飯食べに行ったりはしない。それに、あの最後の笑い声は……。なんか、気になる。仲良過ぎ。
「クククッ。どうした、レイジ。」
「え?」
カズキ兄さんが俺を見てクスクス笑っている。
「お前、いつの間にテツヤって呼び捨てにするようになったんだあ?」
しまった!カズキ兄さんが目の前にいるのに、うっかり「テツヤ兄さん」と言わずにいつも通りの呼び方をしてしまった。
「さ、どこか適当に店に入ろ!」
俺は話題を切り替え、歩き出した。
「ちょ、誤魔化すなよぉ。」
カズキ兄さんが笑いながらついてくる。ああ、恥ずかしい。