後編
パンチ一発でKOされて、俺はしばらくその場でノビていたらしい。
意識を取り戻すと、もう雨は止んでいた。空は半分以上が青く、雲間から明るい日の光が差し込んでくるくらいだ。
通行人は誰も「大丈夫ですか?」みたいに手を差し伸べてくれないから、自分一人で起き上がる。ちらりとケーキ屋の中を覗き込めば、俺と目を合わせないよう、店員はそっぽを向いていた。
「ああ、そうか……」
殴られたショックではないだろうが、一つ思い出したことがあった。
先ほどの不思議な声だ。「遠い昔に聞き覚えがあるような」と思ったものだが、あれは子供の頃に遊んでくれた妖精だ。それと全く同じ声だったのだ。
純粋無垢な子供には妖精が見えるけれど、大人には見えない……みたいな現象だろうか。あるいは、単なるイマジナリーフレンドに過ぎなかったのか。
いずれにせよ、俺には「子供の頃に何度も妖精と遊んだ」という記憶があるのだ。
俺が夜一人で部屋にいる時、窓をトントンと叩いて、遊びに来てくれた妖精。背中に四枚の羽を生やし、身長は大人の手のひらほど、金髪で緑色の服を着た女の子だった。
「そういえば、ちょうど妖精が見えていた頃だったな。探偵譚を読んでワクワクして、探偵になりたいと思い始めたのも……」
大人だからもう妖精は見えないにしても、それでも俺の中には、少しは子供の純真さが残っていたのかもしれない。その純真さがたまたま一時的に強くなって、久しぶりに声くらいは聞くことが出来たのかもしれない。
あるいは、単なる幻聴だったのか。幻聴が聞こえるほど、今の仕事に疲れていたのか。
いずれにせよ……。
「妖精の声が聞こえたのは、いいきっかけかもしれん。純粋だった子供心に戻って……は完全には無理だとしても、少しはそれに近いことやってみるか」
半ば自分に言い聞かせるように呟きながら、立ち上がった俺は歩き出す。
探偵事務所は辞めて、もっと昔の憧れに合った仕事を探そう、と思いながら。
(「妖精の声を聞いたので」完)