【三人称バージョン】
ワシ、悲しいんじゃ……
夢の中、誰かがなげいている声が少女の耳に聞こえてきた。
(誰?)
「ワシワシ、ワシじゃ」
ど定番のオレオレ詐欺芸と共にあらわれたのは、ハゲてあごの白い髭がながーく、鼻下の髭は左右にくるるんピンと伸びた、いかにも、な姿形のおじいさんだ。
「突然じゃけどお前さんには異世界へ行ってもらいたくてな、ええかのぅ?」
その人物は、突然初対面の少女に頼み事をしてきた。
「は?」
「うんうん、はい、って言いたいんじゃのー、わかるわかる」
ちょーわかる、とか言いながらもそのおじいさんは上も下もない真っ白な夢の世界の中で、地面方向の白い面に手にしたステッキのようなものを使い、スラスラスラーっと、何事か記号や文字のような物をびっしりと描いている。
少女には読めない。漫画とかファンタジーでいうところの魔法陣というやつのようだ。
「何してるの」
「ん? いやこういうのって雰囲気大事じゃろ、下準備じゃよ、必要ないけど」
言い終わりと同時に描き終わったらしく、外側の円の線は綺麗に閉じられた。と、同時に少女の体は宙を浮いた。
「ちょ、やっ、おろして!!」
白い世界なので浮いたというのも絵面ではわからないだろうが、少女は今目を白黒させつつも怒り心頭で、両手両足バタバタしながらその空間に浮いている。
そうしてあっという間に魔法陣の中央に移動し下ろされ、おじいさんが手持ちの棒で陣をついた。
光る魔法陣。飲み込まれる少女。
かくして彼女は、強制的に送り込まれてしまったのだった。
異世界、というものに。
※
異なる世界。
そこは単純に、少女がいたところでは無いところ、である。
彼女、こと池田万里は中学一年生。中学デビューとは思っていないがお姉さんらしく髪をロングにして入学式を楽しんだのは、ほんの三日前のこと。
学校のオリエンテーリングが昨日で終わり、勉強ついていけるかなとか、友達できるかなーとか、もしかしたら初めての恋しちゃうかも?! など、中学生活にとても期待をしていて。けれど。急転直下、彼女は今薄暗く木の生い茂り少しじめっとした場所に、うずくまっている。
『ほんと、すまん。けどワシ、どうしても異世界に魔法少女を広めたくてのぅ』
「そんなことより家に帰してっ! 明日はめく学の発売日だったのに!!」
そう、しかも明日は彼女がとても楽しみにしていた漫画家行川先生の三年ぶりの最新刊が出るのを買うはずだった。あんまりである。
(そもそもあんた誰)
万里はこの状況を飲み込めないでいた。
頭には謎の言葉が響きけれどその姿は見えず、寝ていたはずの体はひんやりとした外気をまとっている。
『ワシ? ワシ、神様。創造神ってやつかのぅ。よろ!』
「かるっ」
『突然じゃけど、ワシが気になっとる異世界が一つあってのぅ。改革するのに魔法少女の力を普及したかったんじゃが、こっちの女子に、理解してもらえんかってな。だからこう、ちょちょっと、お前さん、よろ』
「『よろ』って気に入ってるでしょ……。気安く言えばホイホイ引き受けてもらえると思わないでよね! てかなんで私の頭の中に話しかけられるわけ? キモい」
『ひどい……ワシ、繊細なのに』
「繊細な人は、自分で繊細って言わないのよクソジジイ」
「誰か、いるのか!」
ぎゃひっ! という色気も何もない悲鳴は口の中に飲み込まれた。頭の中で応答していたはずだが、どうやら万里は自分の口にも出していたようだ。
声のした方をこっそり覗くと、彼女がよく公園で見かける東屋に似ている場所や、噴水、快晴の空のような水色の薔薇の植えられた花壇がある。その中に、見回りをしていたのか、まるで昔のお話に出てくるような腰に剣を携えた騎士がいるのが見えた。彼は不審者を見つけようと、辺りをくまなく探し回っている。その眼光は鋭い。
(どうしよう。どうするのが正解?)
すると、後からトン、と人の手のようなものが万里の背中を押した。よろけた彼女は物の見事に茂みに突っ込み飛びころげ出てしまう。
『応援ぢゃ!』
(そんなのいらない!)
心の叫びもむなしく、彼女は騎士のような人の目の前だ。
(どうしよう?!)
「いたな不届き者! ここを王城と知っての狼藉か!!」
騎士は剣を腰の鞘から抜くと構えながら、正面にいる万里の方へと近づいてくる。
(切られて死んでしまう!!)
地面に這いつくばった形の彼女が、なんともしようがないと思って目をつぶった瞬間、別の声が響いた。
「待ちなさい!」
その声にうっすらと目を開けると、万里の右斜め前に、いわゆる王子様のような格好をした男子がいた。左腕を、剣の前に出している。どうやら騎士の動きを止めてくれたようだ。
「あ……」
「やっぱりいましたね。間に合ってよかった」
「マルク殿下! 危のうございます!!」
「いい。どうやら迷い込んだようだ、私が引き取る。ご苦労だった、かわらず見回りをしてくれ」
「はっ!」
指示を出され、騎士は目上の命令だったからか素直に一礼するとその場を去っていく。万里がホッとしていると、マルク殿下とやらに声をかけられた。
「……君、変わった服を着ているね。それに泥だらけだ。こっちにおいで」
万里に声をかけた彼――マルクは、糸かという位細いが綺麗な紫色の瞳で彼女を見た後、手をとって歩き始めた。自然、引きずられないように彼女も立ち上がって歩く。どうやらあちらに見えるヨーロッパ風のお城へと向かうらしい。
二人は庭園を進んでいく。そこはテレビで見たことのあるヨーロッパのようでもあるが、それにしては薔薇は水色であるし、彼女の目の前にある背中には一つにまとめられた髪がひとふさ流れ揺れている。
万里はそのような髪型の男子を他に見た事がない。服も洋服ではなく本当に有名な映画や絵本に出てくる王子様のそれである。
さらに、お城のような建物は、屋根は円錐型で深い赤、城壁は白く輝く石でできている上そこかしこに銀の装飾が施されている。日本の常識が通らなさそうな雰囲気を感じて、彼女は心細い気持ちになった。
彼は確かな足取りで眼前まで迫ったお城に入っていく。どうやらこの城の人間らしい。赤い絨毯の敷かれた城内を勝手知ったるふうに歩き、ある地点まで行くとドアの前で足を止め、その扉を開けた。目的地に着いたようだ。
「カレン、いるかカレン」
「はいマルク様」
「この者を綺麗にしてくれないか、ついでに適当な服を見繕ってやってくれ」
「はい、わかりました」
万里は手を離されて軽く前に背中を押され、「カレン」と呼ばれた女の人の方へとやられる。そして良いともやめてとも言えないまま、頭から足の爪の先までぴかぴかにされ、服までも貸してもらったのだった。
「……あり、がとう、ございました。あの、服」
「ああ、服は新品だろうから気にせずもらっておいてください」
「ありがとう、こざいます」
「いえ。それで、あなたは何故我が城の庭に?」
当然のことをきかれ、彼女はなんと言うべきかわからなくて、結局正直に起こったことを話した。
「ふむ……それではその神のような老人に無理矢理ここに連れてこられてしまったのですね。魔法少女……知らない言葉です。どのような人なんでしょう?」
『よくぞきいてくれたあああ! 百聞は一見にしかずぅ! とくと見よ!!』
ボムっという音とともに虹色の煙幕が万里を包んだ。視界が奪われる。服もまぶしく光り輝き……まるで剥ぎ取られたような気持ちである。
その後、霧が晴れるように煙幕がひくと彼女の着ていたこちらの服は、ミニスカの露出が多く白とピンクと濃い紫で、レースにリボンと魔法陣モチーフのこてこて魔法少女服になっていた。
「なっ……! 人権侵害!!」
『神は人ではないので適用外ぢゃ』
「いきなり、服が変わった……」
マルク様とやらの言葉で彼女はハッとする。
(ここには彼もいたんだった!)
万里は慌ててしゃがんだ。自分が目こそぱっちりだけど鼻もちょっと大きめなくせに唇は薄く、お世辞でも可愛い部類でないのは知っているのだ。
けれど気にしたのは彼女だけだったようで、彼らは気にもせず。特にマルク様は服が変わったというその事実の方が気になるらしい。彼女のことをしげしげと眺めながら口を開いた。
「これはどういう仕組みなんだい?」
「……さぁ、私にもよくわかりません」
「そうですか。けれどこれで、君がこの世界の人間ではないことは理解できました。結婚してくれないかい?」
「はい?!」
※
彼――この国の王太子、すなわち第一王子にして国の後継者――であるマルク=アンデル、十四歳、が言うことには。
この国、アンデル王国では今政治を国王と共に行なっている偉い人(身分を貴族という)の一部が、力を持ち出していて国王に成り代わろうと、王太子の奥さんの座をかけての争いを密かに行っているという。
なぜ直接国王を排してしまわないか。
それは、国王の奥さんの父、として政治へ口を出した方が王を殺して成り代わるより周囲の反感を買いにくいからだ。
そのような訳で、命こそ取られはしないが力関係がとても難しくなっているらしく。長引けば、国が傾きかねないとずっと困っていたそうだ。現に貴族の女の子の中には、精神を病んでしまって家から出て来れなくなった子などが、出てしまっているらしい。
幼馴染の女の子の家も、身分が低いせいで狙われて大変なのだ、とマルク王子は万里へと説明をした。
こんな状態で、貴族の中からお嫁さん候補を出しても、例えば平民(貴族以外の国民の人)の中から選んだとしても、成り代わろうとする勢力に食い物にされてしまう。そんなところに、ちょうど現れたのがこの世界となんの関わりもない彼女で。しかも嘘か実か神様を味方にしている。
ちょうど良かったらしい。
(わかってますよ! 一目惚れされちゃった?! とか、ぬか喜びなんてしてないんだから! 絶対……)
結果的に、神様と、マルク王子と、万里の利害は一致した。
神様は異世界の危機を魔法少女でもって救いたい。
マルク王子は自分の国を守りたい。
万里はとっとと帰りたいなら、国を守って異世界を救って帰してもらわないといけない。
(家で弟が待ってる。いつも辛くあたられるあの子は、私が守らなくちゃいけないんだから。絶対、帰る)
万里はそう、決意した。
結論からいうと、王子の手助けは彼女にとってとても助かるものだった。住むところも身分も王子が用意をしてくれ、困ることがない。住まわせてくれた貴族の大人達はとても親身になってくれるし、その子供である王子の幼馴染という娘も、いきなりやってきた素性の知れぬ万里に、とてもよくしてくれている。
「マリー、このドレスなんてどうかしら?」
この国に「マリ」という二文字の名前はないそうで、彼女の名前はマリーとなった。苗字はクッケルンに変わっている。王子の婚約者になるため、ある程度の身分が必要になり、養子になったのだ。
彼女に話しかけてきたのは、王子の幼馴染であるアンナ=クッケルン、くるんとした茶色い髪が腰まである、おっとりした雰囲気の女の子である。同い年だが預けられた当初から、なぜか万里を妹のように甲斐甲斐しくあれこれと気にかけていて。
今日は足りないドレスを、着なくなったものから選んでくれるらしい。アンナはうきうきと、これでもないあれがいいかもとやっている。
今二人がいるのはアンナの家、その衣装部屋だ。貴族とはいえ、身分としてはそう高くないため、慎ましい王都のお屋敷と都隣の少々の領地がクッケルン家の所有物である。
『んー、ワシとしてはさっきのドレスの方が好みじゃな』
食事も美味しく、ひと月も経つと彼女はこの生活に慣れ始めていた。
『ちょ、ワシのこと無視するのやめてくれんかのぅ』
(王子の敵を早いところ改心させて、早く元の世界に戻りたい。弟が心配だし、例えもう無理でも特典付き新刊ゲットの努力はしたい)
『まじ無視?!』
(うるさいなぁ、なんの用事?)
万里は、アンナの好意でドレスをあててもらいながら、神様への腹いせに無視を決め込んでいた。けれど流石に泣きそうな雰囲気の声に、渋々相手をすることにする。
『塩対応! まぁよい、ワシ人格者じゃからの。さて、敵を改心と思うておるようじゃが、難しいぞぃ』
(じゃあぶっ倒していいわけ?)
『物騒ぢゃのぅ。殲滅もやむなしの場合もあるが、基本は話し合いと萌えと魅了の魔法と、萌えかのぅ』
(魔法でそんなことできるんだ)
『ちょっと好意を持たせる、くらいならできるぞ。下僕は無理じゃが……お主のスペックならニッチな需要に供給過多くらいにはなるじゃろて』
(不穏?! ちょっと発言が怪しいんですけど)
「……マリー? どうかして」
「いえ、なんでも。このドレスとか、布で作ったお花がついていて素敵です!」
(アンナ様との交流に邪魔だからすっこんでて欲しかったけど、これも介護ね)
『ひどっ!』
(冗談よ。思ってないからね、介護なんて)
軽口を叩きながら、彼女は神様に話しかける。出来事を受け入れるには、それに関わっている人物を理解するのは大切だ。
「なら、これを少し手直ししてもらいましょう」
「何から何まで、ありがとうございます」
「マルク様のお願いですもの、幼馴染の頼み事は断らないことにしているのよ」
言うのと同時に花がほころぶ様に微笑む。
彼女の王子への信頼が、万里には見えた気がした。
「……彼は、アンナ様にとって素敵な人ですか?」
「あら、それは婚約者であるマリーの方が、よく知っているのではなくって? まぁ、幼馴染としてからなら、そうね。とても聡明で、楽しくて、優しい人よ」
「そうですか、答えてくださってありがとうございます」
「どういたしまして? じゃ、これとこれを、直しに出してくるわね」
言うと、アンナは部屋を出て行く。残ったのは二人だけだ。
万里はアンナとのやり取りに気を取られて尋ねられなかったことを、今度は口にして神様に尋ねた。
「で。具体的に何をどうすれば良いわけ? 魔法少女って」
『単刀直入じゃのぅ。そうじゃな、お前さんがドボンと言いながら目を見た相手の魅了、眠れと言って見た範囲の人間の気絶。殲滅せよって言いながら名前を思い浮かべたやつの死、くらいが授けられる力かの』
「充分過ぎるし」
『ワシとしてはファンミするくらいの勢力にしたいのぅ』
「ファンミーティングはアイドルの仕事でしょジジイ」
『外交も内政も、敵にせず味方や仲間と思わせたが勝ちぢゃよ。要はふぁんにすればよい。その点アイドルといえなくもないじゃろ?』
「なんか違う気がする」
『まぁ何はともあれ、行動あるのみじゃて』
婚約者という立場、存分に使うと良いぞい。そう言った後、神様は沈黙した。アンナの足音を聞きつけたらしい。
(行動って言ったって、さぁ……)
万里はちょっと困ってしまった。なんと言ってもこの間まで小学生で、お姉さんのなりたてだ。何をすればいいのか方法の想像すらつかなかった。
※
戸惑ったまま、貴族のお屋敷の中で婚約者としての教育が始まった。この国の歴史、他国の歴史、近年の外交事情、貴族女子の振る舞いエトセトラエトセトラ。
「マリー、そこ間違っているよ。正しくは、」
「え、どこ。あ! わかるわかる、デムトラード皇国だよね。うっかりしてた」
「ふふ。うっかりに気付けたんだから、マリーはすごいよ」
万里はマルクに褒められた。
ちょっと得意げにすると、しょうがないなぁと彼が笑う。
今彼女たちは王城で後継者としての勉強中だ。
万里は日本でとった杵柄とばかりに猛勉強し、王子の学習している範囲に追いついたので、たまに一緒に机を並べさせてもらっている。
この半年、何くれと情報をもらったり、こうして一緒の時間を過ごしていく中で、万里とマルクはちょっと仲良くなった。何よりも仮の婚約者であったし、そうみせる必要もあったので、彼女がそれはもう積極的に仲良くなりにいったのも、ある。
ただそれ以上に、万里が勉強を一緒にする様になってから観察していると、本当に国のことを思っていて熱心な様子が見てとれた。周りに仕える人にも優しく、不調なんて本人より早く気づいて休みをあげていたりする。けれど甘やかし過ぎない感じで、万里はアンナがベタ褒めするのも理解できるような気がしていた。
「あれ、マリー。ちょっとじっとしていて」
「え」
そんな、遠くない日々のことを振り返っていると。
ふいに手が伸びてきて彼女の頬を擦った。
「とれた」
微笑まれて見せられた彼の親指には、いつの間についていたのか、ペンのインクが掠れてついていて。
「……あり、がとう」
「どういたしまして」
声がインクのように掠れていませんように。万里はそう願いながら声を振り絞った。
そう、彼女はこっちの世界でうっかりと――初めての恋を、していた。
『ぼでーたっちとは、青春じゃのぅ』
王城での勉強が終わりお屋敷へと馬車で帰る途中、神様からのちゃちゃが入る。
(黙っててくれない?! 不毛だから)
『うぐ』
――以前一度、勉強にどん詰まりしたことがあった。
万里は誰にも言えなかった。弱音をはいたら立っていられなくなりそうで。
気づいたのはマルクだった。
それは、ちょうど彼女がマルクの勉強範囲に追いついた後、一緒に勉強するようになって少し経ってからのこと。
「マリー、どうかした?」
その日は王城での勉強会の日。来賓室に勉強の間だけ搬入される机を並べ、二人仲良く、家庭教師であるニケから政治について教えてもらっていた。
「ううん、なんでもないよ」
万里は答えたが、それは嘘だった。目の前の問題や資料を見ると目眩を覚えるようになっていた。
(内容が、頭に入っていかない)
そんなこと、これまでの人生で一度もなかった。教育に熱心な母親のもと、良い成績が取れるように、それも短時間でと縛りがあったためその辺の方法論だけはしっかり確立している。
なのに。
今万里には、文字の羅列がまるで怪物のように感じられていた。それでも目の前の問題に取り組み、教師の話に耳を傾ける。
これは約束だから、と、彼女は守るためにただ必死になっていた。
「マリー、今度町に出てみませんか?」
「町に?」
「ええ。そういえば、まだ万里にこの国を紹介していなかったなと思いまして。ダメでしょうか?」
勉強終わりに突然、マルクが万里を城下町に誘った。少し億劫にも感じたけれど、たまには良いかと了承した。
後日、二人は城下を訪れていた。ちょうどその日はちょっとした市場のお祭りだったらしい。一緒に屋台をひやかしながら、日本でいうところのかき氷のような氷に蜜と果物がのったおやつを食べる。それと同時にきちんとこの町の風習や文化を、わかりやすく説明してくれた。
そうして、万里を気遣う風でもなく。
(王子様なのに気さくなんだな)
なのに、なんだかあったかく感じた。
ただそばにいて、町を散策しながら自身のことを彼女に話してくれる。
「私は小さい時、とてもダメな王太子だったんです。兄妹の中で一番お兄ちゃんなのに、いつか全てを背負うのだと聞かされてから、怖くて怖くて」
「今は立派な王子様に見えるよ?」
「気づいたんですよ。私には弟も妹もいて、教えを乞えば丁寧に説明してくれる父がいる。慌てず、見守ってくれる人の大切さ。その相手が大事と思い、私も知ったこの国を、今は本当に大事にしたいと思っているんです」
「大事にしたい……」
「はい。マリーにもきっと、大事があるんだろうなと、見てると思います。大丈夫ですよ」
(なんか、男の子っていうより男の人みたいだ)
そう言って微笑むマルクを、万里はとても綺麗だと思った。
帰りたい、そばに居たい。
この二つは、どうしたって叶わないのは幼稚園児にだってわかる。
けど今は。
頼まれごとを消化するまで考えたくないと万里は思った。
※
魔法少女としては、神様が魔法の使い方を教えてくれたので、実践へと移っていった。
歌って踊れる魔法少女になる為の練習(これが一番意味わかんない)は大変だった。万里があるといえば盆踊りくらいだ。こればかりは、通して踊りきった時には自身を褒めたくなった。
王子様と勉強する度、神様にレクチャーを受ける度、段々とイレギュラーが日常に溶け込んで、紅茶がミルクティーになるみたいに、混ざって当たり前になっていく。
そうして下準備の半年があっという間に過ぎ、万里は十三歳になっていた。
『そろそろ一仕事してもらうかのぅ』
「ちょ?! 人の入浴中に突然話しかけてこないでよ、えっち!!」
『あっ、すまん!』
今は夜、もう寝支度をする時間のこと。万里は神様に突然声をかけられた。彼女が手を交差し前を隠しながら抗議すると、神様は慌てて謝った後沈黙する。後は湯船から出るのみだったため、もう少しつかっていたかった気持ちを我慢し、彼女は湯から上がった。
ちゃぷんという水音がしたお風呂場は、どこかヒリヒリとした空気をまとっていた。
そうして寝巻を着て、あてがわれた部屋へと出るとベッドに腰掛け神様を呼んだ。
「もういいわよ。ひと仕事って、何?」
『いや、すまんかった。ごほん……王子の協力もいるんじゃが、小手調べで城下町のリーダーを一人改心させてみてもらおうと思っての』
「町のリーダー? 何か悪いことしたの?」
『人身売買で裏金を貯め込んでおる。売られていくのは子供達ぢゃ』
「なっ?!」
万里はびっくりした。日本にも攫われる人はいるが、大抵は個人の欲望だ。改めて大変な世界に来たのだ、と実感する。背筋にひやりとしたものがつたって、彼女は思わず自分の二の腕をさすった。
余計な考えを吐き出すように二、三息を吸って吐いた後、神様に尋ねる。
「マルクには、なにを協力して貰えばいいの。てかさ、神様が直接マルクに話せば良いんじゃない?」
『ほ! そうじゃった。話すくらいは問題ないの忘れとった』
「はぁ。忘れないでよね、そういう大事なこと」
『めんごめんご』
神様はそう言うと話しに行ったのか沈黙した。
翌日。
お世話になっているお屋敷に使いの者が来た。情報を集めたのでお城の方で話がしたいとのことだった。万里はさっそく、用意された馬車に乗り、マルクの待つ王城へと向かうことにした。
「朝からすまないね」
「いえ、必要なことなので屁でもないです」
「へ?」
「あ、いえ。えっとそれで、私は何をどうすればいいですか?」
彼女が尋ねるとマルクは紙の束を出してくる。
「ざっと調べたところ、神とやらの言う通り、ある商店を束ねる店のオーナーが浮浪孤児をさらって売買しているようです」
「ひどい……」
『じゃろじゃろ? 人類皆ワシの子なんに、ひどいんじゃよ』
神様が二人に語りかけた。
「町の自警団(警察)に突き出したいところですが、現場を押さえることができていないのと、何分孤児のことなので腰が重たいようです。そこでマリーには店のオーナーに魔法を使っていただいて、自首させられたら、と思うのですが……どうでしょうか」
万里は聞かれて少したじろいだ。まだ誰にも魔法をかけたことがなかったからだ。
けれど、見ればマルクの瞳は真剣だ。
「わかった、やってみる」
彼女はゴクリと生唾を飲み込むと、返事をしたのだった。
※
決行は割と早くやってきた。居場所がわかっているのとこれまでの犠牲者が多すぎたためだ。
なので今万里は、その事件の首謀者とみられる男の家の前に来ている。
「ね、ほんとにこれって安全なのよね?」
『もちのろんじゃて。王子が護衛騎士と近くに潜んでおくと言っとったぢゃろ?』
今日は神様がついて来ているらしく、心配げな声にちょっとおちゃらけて答えている。彼女は神様の声に少しホッとしながらも、緊張したままの面持ちで物陰から出ることにした。
「確認するけど、今この家の中には奥さんと娘さんは出払っていてそのリーダーだけ、なのね?」
『そのはずぢゃ』
「じゃあ、いくわ!!」
家の路地裏側に回って、大きめの窓の、鍵に近いところのガラスを割る。
(何が悲しくて、こんな泥棒みたいな真似……)
彼女は思うがしょうがない。何せ、鍵を開ける魔法だの瞬間移動だのの魔法はないのだ、物理で対応しなくてはいけないことを、万里は悔しく思った。
窓ガラスの割れる音で気づいたらしく、「誰だっ!」という声と共にバタバタとした足音がだんだんこちらに近づいてくる。
万里はガラスの破片で少し傷つきながらも急いで鍵を開け、中へと侵入した。そして部屋へ入ったと同時に、部屋のドアが開き住人が入ってくる。
(この男で間違いないの?!)
『うむ、あっておるぞ』
神様の返事を聞いて、万里は覚悟を決めた。
私の、歌を聞けぇぇぃぃぃい!!
♪〜
あなたに出会うため 私は生まれた
そう ディステニーなの ドボン
あなた 首ったけ
私に フォーリンラブ
〜♪
ドボン、の歌詞の部分でありったけの熱を込めて対象を見つめる。入って来たリーダーの男は、それを聞いた瞬間に目をこれでもかと開き、やがて瞼が半分降りてとろりとした表情になった。
どうやら、魔法が効いたらしい。万里は相手に近寄り、そして尋ねる。
「さらった子供たちはどこ?」
「ヒャイ! 主様、子供たちはお店にある地下におりましゅ」
「そう。神様、聞いたとおりよ。王子に合流して助けに行こ」
「誰だぁ〜!!?」
ドアに背を向けて侵入した窓の方へと向かっていた万里に、もう一人男が手に剣を持ち襲いかかってきた。仲間がまだ一人いたらしい。
(もう一人いたの?!)
万里はびっくりするのと諸刃の剣で斬りかかられているという現実に、腰を抜かしてへたり込んだ。
『万里!』
「マリー!!」
その目の前に相手と同じく剣を手に携えた王子が躍り出る。王子の動きが、まるでスローモーションのようだ。甲高い金属音が響いたその後に、剣が弾け飛んで床に落ちるのが万里の目の端に映った。
「大丈夫ですかっ?! 皆の者、この男たちを引っ捕らえろ!!」
マルクの掛け声と共に一斉に護衛騎士達が雪崩れ込んでくる。リーダーも、万里に襲いかかってきた男も、あれよあれよと手首を後ろにぐるぐる巻きにされ、連行されていった。
万里は、まだ呆然としている。無理もない。この間までただの平和な日本の中学生だったのだ。刃物を持って襲い掛かられるのは、衝撃すぎた。
見れば、彼女の体はカタカタと小刻みに震えている。その様子を見てとり、マルクが刺激しないよう、ゆっくりと万里のそばへと近づいていく。
マルクは彼女の傍らに片膝をつくと、頬にそっと手をやった。万里の全身へ確認のため視線をやると、あちこちに切り傷ができている。けれど大きな傷はないようだ。彼は詰めていた息をはいた。
「無事で、よかった……!!」
マルクは思わず、といった風に彼女の肩に腕を回し抱き締める。
ぎゅっとされたことで彼の肩に乗った万里の瞳には、みるみるうちに水分が浮かび上がり、そして一粒、二粒と、流れ出ていく。
「こ、怖かった」
「すみません」
「謝ら、ないでっ。私が、決めたのっ」
「はい、そうですね」
「けど……っ」
「うん」
「怖かったよぉぉぉぉぉぉ!」
怖い気持ちが指先へと宿ったかのように万里の手がマルクの背中にいき、ぎゅっと衣服をつかむ。
マルクが万里をかき抱いた。
まだ、十三歳。
人を殴ったりの荒事や刃物をちらつかされた事など、もちろんない。
切られるかもしれない。
神の力があるといってもそれはとても限定的な力。
人は、暴力で死ぬかもしれないのだ。
自分の未来に、死ぬかもしれない、という可能性が追加され万里は混乱していた。そして助かったことに、肩の力が抜け、それと同時に気を失ってしまった。
「マリー? マリー!」
『大丈夫じゃ、気を失っておるだけだからの』
「……神よ、あなたが何者なのかは知らない。けれど。マリーを巻き込まぬわけにはいかないのですか」
『優しい子よの。すまぬ。運命の歯車はもう回り始めた、ワシにももう止めることはできんのじゃ』
「そうですか……」
マルクは今一度、手の中にある命を抱き締める。
暖かく、鼓動とその呼気だけが、万里が今ここにいるということを示していた。
リーダーの店の地下にいた子供達は皆救出され、それぞれどうにか空きのあった孤児院へと引き取られた。それでもまだ、町には親を失い頼る親戚もなく彷徨う子供達がいる。
マルクは王子であるという立場を使って、孤児院を増設できるよう、これから父王に掛け合うことにしたようだ。
万里がそう聞かされたのは、気絶したらしい日から数えて二日目のこと。
眠り続けたことでだいぶ心配させたらしく、アンナは目覚めた時には号泣し始めてしまったし、家の人から手紙がいったらしく、早馬でマルクが訪ねて来たりした。
その訪問で、万里に安心してもらいたかったのかマルクがことの終わりを話してくれたのだ。
男達の方は後ろに黒幕などがいたわけではなく、私利私欲のために他国の商人に言われるがまま、取引をしていたよう。彼らはしっかり取り調べを受け、今は裁判を待つ身だ。
「人身売買の件は終わりましたから、しっかり休んでください」
マルクはそう言うと、花束と、何かの小包を万里に渡した後お城へと帰っていった。
こうして、ひとまずの事件解決が終わり。また万里にはマルクの婚約者としての日常が戻ってきた。
「あっ、ここマルク違ってるんじゃない?」
「……ほんとですね。ありがとうマリー」
今日も今日とて、マルクと国についての勉強の日々。
なぜ自分だったのか、いつ終わるのか、わからないこの冒険みたいな日常だけど。
終わるまでの少しだけ、この少しを大事にしたい。
首にかけている、小包の中に入っていたペンダントにそっと手をやり。
万里は今、心からそう思うのだった。




