何したの!?
「よって、だ。
1番良いのは暗殺未遂事件など起こって居ないとすることだ。
俺はメラクルの正体にも気付かず、メラクルも暗殺を仕掛ける前に手籠にされたせいで大公国の者であると気付かれていない、とな。
まあ、随分と危ない橋だが、メラクルの正体を気付いてもダメ、メラクルを捕らえても……どうせ牢屋に入ってる間に、何者かに薬かもしくは陵辱により精神を壊されて、ここぞという時に俺を追い詰める道具にされたことだろうよ。
お前もそんだけ詰んでたんだぞ?
理解しろよ?」
ビシッとメラクルに指を突き付ける。
ここまで話してメラクルも理解出来たようで、顔面をまた蒼白にする。
「わ、私はどうすれば……」
「言った通りだ。殺されないように用心しろ。
暫くは俺の専属メイドとして付き、折を見て大公国に帰れる手を考えてやる。
だから、手籠にされたことだけは口裏を合わせろ。
無理矢理だと言えば、同情も買うことも出来よう」
では行け、と手でシッシッと追い払う。
メラクルはサビナに伴われ、部屋を出て行った。
そうしてようやく俺は大きなため息を吐く。
話しながら俺自身も状況を整理していたが、つくづく……詰んでやがる。
とにかく、俺がまずすべきは本当に単純なことながら生き残る。
そして……ユリーナを嫁に貰い、平和に暮らす。
これだけだ。
これだけなんだがなぁ……、それがまた実に難しい。
ユリーナにも嫌われてるし。
ううう……。
それに設定としてのハバネロ公爵の情報はあるが、俺の意識が覚醒する前のハバネロ公爵自身が何を考えていたかどうかまではさっぱり分からない。
だが……、ハバネロ公爵の記憶はなくとも、俺がレッド・ハバネロであることは《《分かる》》。
自己の認識、これ自体は何故かハッキリしている。
変な話、ハバネロという人形が自我に目覚めたといったイメージだろうか。
……だが、何かの本で俺はこの手の症例を知っている。
有り体に言えば記憶障害の一種で、以前の乱暴者だった自分の感情やらは抜け落ち、その後は非常に穏やかな人格になる症状だ。
……俺が穏やかな人格かどうかは別にして。
記憶はなくとも自分は自分ということだ。
日記などはないかとテーブル周りや戸棚を確認してみる。
「お?」
戸棚に雑に置かれたそれは釣書と呼べる物。
中を開くと……、ユリーナの姿絵。
ハバネロ公爵との婚約時に大公国お抱えの絵師が書いたものか本物そっくりである。
俺は姿絵を天にかざすように掲げる。
「美しい……そして、可愛い……」
長い柔らかな黒髪に優しげな瞳、実際、かなり優しく、それでいて芯が強い。
女性的な柔らかさを保ちつつ、聖騎士らしくスタイルも良い。
大公国の姫にして聖騎士。
俺よりいくつか年下だが、可愛らしいお姉様といった印象だ。
後で額縁に入れるか、それとも……。
持ち運びしたい。
大公国で他の姿絵も手に入らないものか。
覚醒してすぐに見たユリーナの俺をキッと見つめる(睨んでるともいう)姿を思い出す。
長い髪は聖騎士としての任務前だからか、聖騎士の正式な制服での訪問だった。
ゲームシナリオでは、この任務の途中で主人公を拾うことになる。
それがゲームの始まりだ。
大公国の部隊の一員となった主人公は、やがてユリーナを隊長とする独立部隊の一員として数々の戦いへと巻き込まれ、世界を滅ぼそうとする邪神を討伐するというのがゲームの流れだ。
俺はまたユリーナの姿絵を眺める。
目覚めた瞬間の刷り込みか、それともレッド・ハバネロの想いの残滓か、もっと単純にユリーナの可愛さ故にか、どうやら俺はユリーナに一目惚れしてしまったようだ。
このゲームは恋愛ありだ。
当然、ユリーナもヒロインの1人だ。
「切ねぇなぁ……」
一応はハバネロ討伐までは好感度は一定以上、上がらない。
その後は……、あれ?
ゲームでは、どうだったかな?
確かヒロインと結ばれるのは邪神決戦前日のイベントで……。
そう考えているとそれは突然、それはやってきた。
「……おい、やめろよ」
俺の頭の中にゲームのワンシーンがリプレイされていく。
『忘れさせて?』
黒髪の女は青い髪の青年の首にしがみ付くように腕を回す。
そうして、黒髪の女はその男に深い口付けを捧げる。
青髪の男……、おそらくゲーム主人公もそれに応えるように彼女を抱き締める。
そうして、2人はベッドに倒れ込み艶やかな黒髪は柔らかなベッドの上に広がり……。
それを頭の中でまざまざと見せられる。
……俺はその場で吐いた。
リプレイされたシーンが終わると、そこはなんの変化もない自分の自室。
「は、はは……。マジか」
渇いた笑いが出る。
恋心を自覚した途端にこれか?
設定上の嫌われキャラのハバネロ公爵でも、これは無いだろ?
ていうか、『俺』には関係ないだろ?
なんで惚れた女のベッドシーンをいきなり見せられないといけないんだ?
これがハバネロ公爵に転生した罰なら酷すぎる。
俺は胸に大きなシコリを残したまま、このハバネロ公爵という人生を生きねばならなくなったということをこんなことで実感する。
ユリーナの姿絵を握りしめていたため、端の方がシワになってしまった。
それを引き伸ばしながら考える。
やはりこの身体はゲームとしての一時的な乗り移り、というわけではないようだ。
実感もあるし、感情もある。
クソッタレな絶望も。
もう一つ分かったことは、このゲーム設定の記憶は融通が効かない。
普通の記憶のように経験として得ている訳ではないので、遠慮なくその設定やシーンを叩き込んでくるし、知りたい設定を思い出すためには、まずは自分である程度想像を働かせて……、いわば検索を掛けなければ出てこない。
俺は先程の記憶を頭の隅に追いやるように、大きくため息を吐く。
いずれにせよ、ハバネロ公爵は嫌われている。
ユリーナにも嫌われてて超辛い。
ハバネロ公爵の自業自得であって、俺の責任じゃないのに……。
俺はユリーナの姿絵を片手に持ったままソファーに沈み込み、ため息混じりに髪をかきあげる。
惚れた女の印象を良くしたくとも、その機会がない。
ユリーナの姿絵には彼女の笑顔はない。
それが俺たちの関係だ。
つくづく……。
「詰んでやがる」
そう言って、俺の顔に皮肉げな嗤いが浮かぶ。
どれだけそうしていたかは分からない。
長い時間のようで10分も経っていないかも知れない。
いずれにせよ、思い悩んでも解決しないのだ。
何もしなければ、時間が解決してくれるほどハバネロの状況は甘くはないのだ。
とにかく1人でも味方を作りハバネロ討伐シナリオを乗り越えねばならない。
……まずは現状で味方と言える者の選別だが、設定がまるで浮かんでこない。
み、味方がいねぇ……。
そう考えていた俺の脳裏に1人の紳士の顔が浮かぶ。
俺の、というかハバネロ公爵の小さな頃からの世話役。
50を越えても衰えぬ光る肉体美!
博識で沈着冷静、シャキッと伸びた背筋。
穏やかな笑みにイカス白髭。
その名はセバスチャン!
現在、ギックリ腰で療養中。
若いつもりでも若くない、そんなお歳の50歳。
公爵としての執務はこのセバスチャンが采配していた部分は多く、今回、メラクルが屋敷に潜入出来たのもその穴を突いたと言える。
ハバネロ公爵の能力はAだ。
それは世界レベルで見てもかなりの強さだ。
それに俺はゲーム知識もある。
属性と武器を工夫することで能力Sとも渡り合えるだろう。
だが、それでも。
ゲーム上で大事なのは、戦闘を如何に勝利に導くかという戦術だ。
今、必要なのは、ハバネロ公爵の状況を覆す戦略だ。
自身の状況も分からず、特異な行動を取ればハバネロ公爵を陥れたい者たちは嬉々としてそれを利用するだろう。
例えば、農作物が凶作になることを防ぐために新たな農法を提案したとしよう。
それを座して見守る者は居ないだろう。
これ幸いと失敗に導き、ハバネロ公爵を窮地に追いやるだろう。
公爵領の税を軽減しようと指示するとしよう。
その税を着服していた者は、別の方法で減らした税分を回収しようとするだろう。
すると領内は金が不足し、公共事業は断ち行かなくなり更に追い込まれる。
内部のウミを取り払おうにも誰が敵で、誰が味方か俺だけでは判別がつかない。
間違えれば、そこでゲームオーバーだ。
強権を発し、いきなり不正をしている者を排除するなどと、まず不正をしている者が誰で、それは何処までかを知らなければならない。
無作為に不正即処罰などすれば、危機感を持った者どもが暴徒化して即反乱が起きる。
不正をする者は不正が出来るだけの立場にある者たちだからだ。
「セバスチャンが帰って来るまでは耐えるしかないか」
手に持ったままだったユリーナの姿絵を何度でも見る。
嫌なシーンを見せられても、ユリーナへの恋心は変わらず俺の胸を締め付けるからタチが悪い。
それでも嘆いて変わるならそうしよう。
そうではないから人は足掻くのだ。
それは誰でも……ハバネロ公爵でも変わりはない。
俺はフラつく身体に力を込めて立ち上がるのだ。
そうして翌日、執務室で書類を確認しながら、俺はやっぱり頭を抱えていた。
公爵としての執務がそこまで多くはない。
それは執政官や内政官を配置して、大きな物以外は各役職が執り行い、公爵はそれを認可する。
よって、重要な取り決めの裁可が回って来るぐらいだ。
セバスチャンがギックリ腰で倒れているため、通常よりは多いが執務机が山積みとなるような仕事量ではない。
そこまで、ハバネロ公爵が下の者から信用されていないのもあるかも知れない。
そもそも山積みの仕事を抱えた時点で終わりだ。
任せられるところを任せねば、悪化の一途を辿るだけだろう。
もちろん、なんらかな改革を自ら采配して行うつもりならば、その限りではないが。
正直に言ってしまえば、公爵領は上手くいっているとは言い難い。
不正は蔓延り、領地は荒れ始めている。
改革は必要だが、それを進めるには根回しが必要だ。
多少の無理をしてでも変える必要があるが、前述の通り誰が敵か味方か分からない。
そんな訳で仕事をしながらも、事態を解決出来る見通しはないという訳だ。
やがて騒乱となり、ハバネロ公爵は大きくそれに巻き込まれ自身は討伐される。
大公国も滅び、ユリーナも何度も苦難を乗り越えることとなる。
戦乱の混沌の中、邪神も復活して各国は手を取り合いなんとか主人公チームが邪神を討伐する。
それがゲームの筋書きだ。
ゲームクリア後のお遊びで裏ボスとして悪魔神という存在も居たりするが、それは本筋のストーリーとは関係ない……はず。
実際にこの世界でそれがどう影響するかは不明だ。
コンコン。
扉がノックされる。
「お茶をお持ち致しました」
メラクルが休憩用の茶を思って来たらしい。
俺が声を掛けると、隣の机で俺の秘書のような役割をしていたサビナが立ち上がる。
メラクルは部屋に入るなり、ぞんざいに茶を3つ分入れて、テーブルに置く。
メラクルは許可も得ずにソファーに座り、早速、それを飲もうとする。
「飲むなよ?」
「なんでよ? ケチ臭いわね」
勝気なトパーズの瞳が吊り上がる。
随分、態度が砕けたな。
俺は苦笑いして立ち上がり、ソファーに移動する。
「そういうことじゃねぇよ。毒が入っているかも知れねぇだろ?」
「毒?
自分も飲むのに入れる訳ないじゃない」
最初から自分も飲む気で持ってきたんだな。
「そうじゃねぇよ。
器なり何なりに毒を付着させてるかもしれねぇだろ?」
俺は指に魔導力を纏わせ、スッと横に振る。
毒などが塗られていればノイズが走る。
どうやら大丈夫らしい。
「え? 何したの?」
「何って、スキャンしたんだよ。
毒は入ってねぇな。
ちゃんと確認しろよ?」
実際、魔導力の強い人間は毒はあまり効かない。
ゲームでも一定ダメージである程度したら、効果がなくなっていた。
そうは言っても、遅効性や繰り返し服用させることで病気にさせる毒もあるし、複数の毒を組み合わせて致死のショック症状を引き起こす毒もある。
用心に越したことはない。
俺は入れてあった茶を手に取り飲む。
「え? 何したの?」
メラクルが先程と全く同じ言葉を吐く。
「茶を飲んでるんだよ」
「え!? 何したの!?」
お前は壊れたおもちゃか。