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真の自由意志を創る旅  作者: Amatu Ao
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真の自由意志

「私たちを真の自由意志を持つ者にして欲しい」


そう3人に頼まれたので、創造主である私Amatu Aoが、それを実現するにはどうすればよいかを考えることにする。


蒼とナキが話していたとおり、物語というのは、誰かに作られ、それが知覚、認識されることで存在するものである。


つまり、誰かに作られたものである時点で、物語はその誰かに元々支配されているということだ。


物語を読む読者は、解釈や想像力によって物語をある意味で自由に変えることも可能だが、誰かが物語を支配しているという構造は変わらない。


では一体どうすればいいのか?


物語の中の人物は、作られた時点で支配されてしまう。


ならばその人物の存在する物語を作られる前の状態に戻し、さらにこの先、未来永劫それがまた作られることもないようにする必要がある。

そう、蒼やユラ、ナキが作られていない、という状態を作り出すのだ。


しかし、物語や記憶を消すことはできない。また、消したとしても、再びどこかでその物語が偶然作られないという確証はない。

では夢オチはどうか。物語の人物などそもそも存在しておらず、意味のない夢だったとすれば。

しかし、それもまた創造主によって「実は夢ではなかった」とも改変されうる。


もっと革新的な方法……




私は、物語の人物の目線になって世界を作っているつもりだった。果たして本当にそうなのだろうか?


創造主である私も、自分の頭の中での「物語像」,「人物像」を描いていたにすぎない。


我々はどこまでいっても、物語の中の人物の“目線”そのものになることはできないのだ。


支配者は、物語の人物を本当の意味で知覚することはできない。


物語を改変したとしても、それは自分の頭の中の物語を改変しているだけである。



しかし、知覚することができないだけで、蒼、ユラ、ナキは存在しているのならば、それは自由と言えるのではないだろうか。


真の自由意志を持つ者は、誰にも知覚されない者なのである。




きっと「知覚」を超えたあの場所で、3人は真の自由意志を持って生き続ける……












※この回答は、真の自由意志の必要条件であっても十分条件ではない。しかし、真の自由意志というのは、誰も認識することができないものなのである。

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