死闘
雨竜家と伊賀の忍びは、縁がないと言えば嘘になる。
まあ因縁と言ったほうが正しい。
ねじれた縄でぎちぎちに結ばれたようなものだ。
俺の祖父――そう言うのも憚れる――は伊賀の忍びだった。
父さまは伊賀の里を焼き払うように進言した。
そして今、俺は伊賀の忍びと戦おうとしている。
合縁奇縁と言うべき、絡まった縄。
それを断ち切るには、一刀両断するしかないのだろうか?
告白しよう。俺は――恐れている。
伊賀の忍びとの因縁に決着をつけることを。
できることなら関わりたくはない。
先祖からの因縁を引き受けるなんて、したくはない。
でも、心のどこかでは、やらねばならないと思っていた。
できるできないの話ではない。
俺に覚悟があるかどうかの話だ。
決着をつける覚悟があるかどうかだ。
もちろん、これで終わりだとは思わない。
決着までの道筋なのだ。
今更になって、父さまが居てくれたらと思う。
超えようとする自分が、どの口で言えるのかとも考えるけど。
何か助言をくれたらいいのにと思わなくも無い。
如水は俺を『受け継いだだけの二代目』と評した。
それはとても正しいことだ。
俺は父さまのような優しい人間でもなければ。
母さまのように自分の命を投げ打つ人でもない。
甘ったれの男だ。
それでも、俺は秀勝さまの元へ向かう。
我が主君を助けるために。
父さまが遺したものを守るために――
俺は急ぎ、小田原城を包囲している本陣へと引き返すことにした。
しかし全軍で引き返すことはしない。
理由はこちらの動きを悟られないためであり、江戸城からの追撃を阻止するためでもある。
そこで、一万の兵を島と忠勝に任せて包囲を続行することにした。
俺と雪隆、弥助、忍び衆、そして三千の兵は本陣に向かう。
「頼んだぞ、二人とも」
「ええ。しかし殿も本軍へ行かれるんですか?」
島の問いに俺は頷いた。
「ああ。俺が居たほうが秀勝さまに信じてもらえるしな。それに過剰な考えだと諸将に言われても、俺の立場で言えば納得してくれる」
伝令や書状では伝わらない部分もある。
だから直接赴くのが良い。
「まあ根拠はあっても証拠はありませんからな」
島の言うとおり。確たる証拠もない状況では誇大妄想と捉われても仕方がない。
俺は島に指示を出した後、雪隆と忠勝に会いに行く。
二人は陣の外で会話していた。
「死ぬなよ。婿殿」
「ええ。義父上も無理をなさらず」
俺は会話が終わったのを見計らって「そろそろ行くぞ」と言う。
「急いで行くわけではないが、早いに越したことはない」
「かしこまりました。それでは、義父上失礼します」
俺と雪隆が行こうとすると「――婿殿」と忠勝が呼び止めた。
「なんでしょうか?」
「……無理をするなよ」
忠勝の言葉に、雪隆は口の端を歪めた。
「ええ。無理などしませんよ」
本陣に戻る途中で、援軍の加藤清正殿の軍と遭遇した。
加藤殿は驚いて「どうした? 何かあったのか?」と訊ねる。
事情を説明すると加藤殿は酷く驚いた。
「まさか……いや、しかし、ありえなくもない……」
「ええ。ですから本陣に戻ろうと思いまして」
「俺も戻ったほうがいいな」
俺は加藤殿に「いえ、江戸城に向かってください」と頼んだ。
加藤殿は穴が開くほど俺を見つめた。
「どういうことだ?」
「江戸城の包囲も大事です。それにまだ確定したわけでもない。俺が勝手に秀勝さまに忠告しようとするだけですから」
「そうだな。筋は通っている。分かった、江戸城へ向かおう」
これから江戸城の包囲が破られる心配は無い。
安心していると加藤殿が俺に言った。
「お前、秀勝さまと親しかったな」
「ええまあ。親しくさせてもらっています」
「俺は秀勝さまを大器だと思っているが、どこか危うい気がする」
そういえば、秀勝さまの評価を他人から聞いたことは無かった。
どうして加藤殿は今になってそんなことを言うのだろうか。
「秀勝さまは天下を引き継ぐのに相応しいお方だ。だが何分、人を信じてしまうところがある」
「……それは奸臣や佞臣ができてしまうと言いたいのですか?」
「ああそうだ。俺やお前、三成たちが生きているうちは、そんなことはないがな」
加藤殿は居ずまいを正して、俺に言う。
「秀勝さまを頼む。お前は世代が近いから、あの人のことを理解できるだろう」
「…………」
「重ねて言う。頼んだぞ」
それは両肩にずっしりとした重荷を背負わすような言葉だった。
しかしその覚悟はとうの昔にできていた。
俺は迷わず「任せてください」と言えた。
本陣に戻った俺は雪隆と弥助を伴って、秀勝さまがいらっしゃる本陣に向かった。
忍び衆は陣の外で待機させておく。
俺が本陣に入ると「どうした秀晴?」と不思議そうな顔で秀勝さまが言う。
「何か問題でもあったのか? お前が離れなければならない理由でもあったのか?」
「はい。実は――」
俺が皆で考えた家康と如水の狙いを話した。
話を聞くうちに、秀勝さまの顔が少しずつ真剣なものになっていく。
「ありえなくはないが……考えすぎではないか?」
「ええ。しかし警戒は必要です。護衛の者を多くして――」
そのとき、陣の外から「申し上げます」と兵の声がした。
秀勝さまが「何事か」と訊ねると北軍からの伝令だと言う。
「分かった。通せ」
陣の中に伝令が入ってきた。その伝令は懐の書状を出そうとしながら、秀勝さまに近づこうして――
「――この痴れ者が!」
雪隆の突然の抜刀!
かつて父さまから賜ったとされる大きな野太刀を抜きながら、伝令に斬りかかる!
伝令はまるで訓練された忍びのように横っ飛びしながら雪隆の野太刀を避けようとして――右腕に大きな切り傷を負った。
「な、なんだ!?」
「――弥助!」
驚く秀勝さまと伝令との間に俺と弥助は立つ。
その伝令はにやりと笑いながら「なかなかやるな」と犬歯をむき出しにして笑った。
「貴様――伊賀者だな」
雪隆が静かに問うと「ご明察」と伝令、いや忍びは呟いた。
「さてと。合図を出すか」
忍びは無感情にそう言うと、腰につけていた袋から出ている紐に、火打ち石で火を点けた。
雪隆が「下がれ!」と言うか言わないかのうちに、取り押さえようとした兵の数人を巻き込んで、忍びは爆発した。
「くっ――弥助、秀勝さまを守れ!」
「わかった!」
弥助は腰を抜かしている秀勝さまを担ぐ。
「どうする!? どうすればいい!?」
「忍び衆が周りを――」
守っていると言いかけて、本陣に侵入してくる兵の姿をした忍びたち。
およそ五人。その中央に中年の男が居た。
「お前は、服部半蔵か……?」
雪隆の問いに服部と呼ばれた男は「いかにも」と応じた。
俺は秀勝さまの近くに寄った。
「悪いが、死んでもらう」
「はっ。ありふれた言葉だな。三文役者でも、もっとましなこと言えるぜ」
「芝居ではなく――死闘が始まるからな」
忍び四人が一斉に雪隆に襲いかかろうとする。
雪隆は水平に野太刀を構える。
「うぐ!?」
忍びの一人が、うつ伏せに倒れる。
思わずそちらに目を向いてしまった三人の忍び。
雪隆はその隙に、横薙ぎで忍び一人の首を刎ねる。
残された二人は雪隆から距離を取った。
服部が「良い忍びを雇っているな」と言う。
なつめと丈吉が、傷を負いながら本陣に入ってきた。
「加勢するわ、雪隆」
「ありがたい。俺は服部を倒す。忍びは任せた」
なつめと丈吉が忍びに襲い掛かる。
睨みあう雪隆と服部。
「弥助。もし雪隆が危ないと思ったら、加勢しろ」
指示を出すと弥助は秀勝さまを丁寧に下ろした。
俺は秀勝さまの前に立つ。
先に動いたのは服部だった。
棒手裏剣――なつめがよく用いていた――を二本投げつける。
しかしそれは雪隆の間を通った――雪隆が反射的に刀を前に構える。
鉄が切れる音――おそらく、棒手裏剣の間に鉄線があったのだろう。
もしも見破らなければ、首が刎ね飛ばされていた。
その隙に忍び刀を抜いて服部が迫る。
雪隆は野太刀を八双に構えて大きく振った――しかし、斬れない。
服部は野太刀の間合いが分かっていた。迫ったと思ったら、素早く後ろに戻る。
結果、大振りになってしまった雪隆。
野太刀が地面に刺さる。
服部がその間に迫る。
雪隆が振り上げるより服部のほうが早い!
絶体絶命の窮地!
「うおおおおお!」
そのとき、弥助が刀を抜いて、それを服部目がけて投げつけた。
くるくると回転する刀。
しかし服部はしゃがんで避けた――雪隆に余裕ができた。
「よくやったぞ、弥助!」
雪隆が服部に刀を振り下ろす!
百戦錬磨の服部、これを避けることはできず、反射的に左腕で庇った。
肉が断ち切れる音。
空中に服部の左腕が飛んだ。
「ここまでだ。お前の負けだな」
雪隆が刀を向ける。
弥助が縄を持って、服部を縛り上げる。
痛みに呻く服部。
「秀勝さまを殺させない」
「…………」
「もうお前の主もおしまいだ」
服部は下を向いていたが、何かに気づいたようだった。
「悪いが、お前の負けだよ。真柄」
「なんだと?」
そのとき、最初に雪隆を襲って、なつめに倒された忍びが、むくりと起き上がった。
おそらく最期の力を振り絞ったのだろう。
手には苦無が握られていた。
俺は秀勝さまを庇った。
放たれる苦無。
真っ直ぐ俺を狙っている。
このとき、俺の脳裏に浮かんだのは。
父さまと母さまではなく。
なつと雷次郎の笑顔だった。
目を瞑らなかったので、一部始終見えていた。
苦無と俺の間に、割り込んだ雪隆の姿。
苦無が雪隆の身体に突き刺さった――
「雪隆ぁああああ!」
自分の口から漏れた絶叫。
力尽きた忍び。
ゆっくりと光景が動く。
「しっかりしろ、雪隆!」
気がつけば、雪隆の身体を抱き起こしていた。
秀勝さまは俺の隣に居る。
弥助もなつめも丈吉も傍に居る。
「殿……」
「なつめ、早く治療を!」
俺の言葉に、なつめは悲しげに首を横に振った。
「もう駄目よ。苦無に毒が塗られているわ」
「ふざけるなよ! なんとか助けろ!」
雪隆が俺の手を握る。
弱々しかった。
「雪隆――雪之丞!」
「懐かしい、ですね……」
「なあ、しっかりしろよ!」
「子供の頃から、面倒を見ていましたから」
「ああ、分かっているさ!」
俺にとって、兄に等しい男だった。
ここで失いたくない!
「殿に、謝らなければ……」
「やめろ! 何を謝るというのだ!」
「先に逝く、ことです」
「だから、やめろって!」
そのとき、雪隆の手の力が強くなった。
「一つだけ、教えなければ……」
「何を、だ?」
「雲之介さんの、こと、です」
雪隆の命が消えようとする――
「雲之介、さんを、認めて、尊敬することは……大事です……」
「ああ、そうだな……」
「でも、固執して囚われることは、なりません」
雪隆はにっこりと微笑んだ。
「あなたは、自分で思っているより、凄い人ですよ……」
「分かったから! だから死ぬな、雪之丞!」
雪隆は空を見上げた。
つられて空を見る。
雲がぽつんとあった。
「ああ、なんだ……」
雪隆は最期に笑顔で言った。
「迎えに来てくれたんですか、雲之介さん――」