王都
「凄い! デルフォイ様、人がいっぱいいる! これがバーゲンセールというものですか」
「また今度バーゲンセールに連れてってやるから、とりあえず今はその言葉、封印な」
いつも通りの大人しめなトーンで、都会の賑やかさに感激しているノルは、俺の予想以上に喜びをあらわにしていた。年相応の反応であり、目をキラキラと輝かせては、様々なものやことに視線を向けていた。
「はぐれないように、しっかり手を握っておくんだぞ」
「デルフォイ様、ノルは人ごみだと迷子になる自信がある」
「できればその自信だけは、あってほしくなかったな」
「デルフォイ様、抱っこ」
「またか。まあ今回はやむを得ないか」
諦めるようにしてノルを抱き上げる俺は、ギルドへと向かう予定だ。
予定通りそこでクエストを確認し、今日中に何かしらのクエストをこなしておきたい。
だがギルドへ行くためには、俺は遠回りをする必要がある。この王都の現状を、今のノルには知ってほしくなかったからだ。
いざ王都に入ってみると、街の景色は俺の想像よりも綺麗な状態を保っており、外見だけでは貧困の酷さなど伺えなかった。それでも地面に落ちている数枚の新聞を拾えば、この街の現状はおおよそ把握できる。
東門から中央付近にあるギルドへ向かうさいに、俺は南方面の複雑に伸びた街路を進み、少し回り道をしてギルドへと向かった。
貧困街を避けて、裕福な建物をくぐると、ほどなくしてギルドに到着した。
円形の広場に面する、角ばったギルドの建物は、周囲の建物とは違った色を放っていた。
ギルドの建物だけが、常に手入れを施されているようだ。周囲の建物と比べなくとも、その差は歴然としていた。
ギルドの建物は、違う世界から来たのではないかと、錯覚してしまうほど綺麗な外見をしている。
そして王城の近くということもあり、街の喧騒は殺気立っており、耳を澄ませば金属が擦れる音がどこからともなく聞こえてきた。
これだけでも、俺がノルに見せたくなかった景色は、成立していた。
「デルフォイ様……ノルは怖い」
「大丈夫だ。すぐにクエストを受けて、さっさと平原に出るぞ」
「うん……」
さっきまでは目を輝かせていたノルだが、今となってはその光をどこかへ失って来てしまったようだ。どうやら革命の血生臭い匂いに、ノルも気がついてしまったようだ。
一刻も早くクエストを受注しなければならない。さもないとノルが、悲惨な現実を知るはめになってしまう。
若干、気持ちが焦り始めた俺は、すぐにギルド内部へと入った。
そこにはギルド特有の、酒とインクの匂いが混じった、独特な空間が存在していた。
粗野な冒険者が日中から酒を飲んでいたり、若い冒険者が安っぽい装備を何度も点検している様子が見られる。
「デルフォイ様、帰ろう」
「大丈夫だ。ノルは寝ているフリをするんだ。ほら、目を閉じて力を抜け。あとは俺に任せろ」
「……ごめんなさい」
「謝るようなことじゃない。それにこの景色は、ノルにはまだ早すぎる。目を閉じておけ」
「クラテス様……愛してます。ノルの主様が、クラテス様で良かった」
「……クラテスはもう死んだ。俺の名前はデルフォイだ」
「ごめんなさい」
怯え続けているノルを、俺は背中へと回しておんぶの体勢になった。
背中に回ったノルは、俺の身体にぴったりと身体をくっつけて、寝たフリをした。
その身体は一定間隔で震えており、口元からは微かなうめき声が聞こえていた。
やはりノルには早すぎたのだ。現実の社会というものは。
「よし。今日はひとまずユニークモンスターからだ。手始めに簡単なものからやってみたいが……三人用しかないな」
「ユニークモンスターって、強いの?」
「いや。今日は俺とノルなら、簡単に勝てるような敵を選ぶ。経験則でそれくらいは見分けられる」
「さすがデルフォイ様。でもメンバーの三人目はどうするの?」
「適当にごまかす」
小声でのやり取りを、二人の間だけで交わす。
場合によっては、三人用のクエストも二人で受けられる。以前までの俺は、何度もパーティーを組んで、魔物を狩りに行っていたこともあり、ギルドのたいていの事情は把握していた。
ひとまず適当なクエストの紙を引きはがし、その紙をギルドの受付カウンターへと持って行く。
するとギルド係員が、特におとがめも無く、クエスト用紙にハンコを押してくれたので、俺は早速平原へと向かうことにした。
「クエストを受注したぞ。安心しろ。いますぐ平原まで行くから、それまでは絶対に目を開けるなよ」
「うん」
普段は掴みどころのないノルも、怯えている今は、普通の子供と何ら変わらない反応を見せていた。
だがそんな純粋さが、俺にはかえって心配に感じられた。
もとのノルには決して戻らないのだろうか。そんな不安さが、俺を襲ったのだ。
だから俺は全速力で東門まで走り、目的の平原を目指した。
まるで不安から逃げるように。
「着いたぞ。降りられるか、ノル」
「大丈夫。もうノルは平気。街は暗かったからダメ」
「そうだな。今度からは俺一人で行くようにする」
「ノルもついて行く。一人にはさせない」
「無茶するな。怪我とかしたらどうする」
「でも都会には慣れないといけない。いつまでも殻の中に、閉じこもっておくわけにはいかない」
変な奴だと思っていたが、こうして面と向かって話をしてみると、ノルの意外な一面に気がつく。
普段の立ち振る舞いから、何も考えてないように見えるノルは、本当は筋の通った生き方をしている。
自分の信じるものは、銀色に光る矢尻のように、どこまでも貫き続けている。
それでいてノルの中には、将来の自分像というものが、すでに存在しているようにも感じられる。
そんなノルの生き方には、俺も少しだけ興味を抱いた。そんな生き方が、もし自分にもできていたのなら、途方に暮れた現状も少しはマシなものになっていたのだろうか。
いや、これはノルだからこその生き方だ。
それを他人である俺が、何一つ間違わずになぞったところで、ああはなれないであろう。
だからこそ俺は、早く自分なりの生き方を見つけなければならない。そんなことは、ひと昔前から感じていたのだが。
「……デルフォイ様! デルフォイ様! 危ない!!」
「なに……? ぐっ!」
俺が一人立ち止まって考え事をしていると、突然ノルが体当たりをしてきた。
何事かと刹那の内に考えはしたが、その回答は思考を巡らす必要もなく与えられた。
俺の目の前には、巨大なユニークモンスターがいたのだ。