再発
修行が始まってから、三年の歳月が流れた。
あれからノルと俺は、土地を転々としながら修行を続けた。指名手配者として、局所にとどまるわけにはいかないのだ。
この三年間、俺とノルはグルグルと田舎を旅して回った。発見の多い、良い旅であった。
そして田舎で二人暮らしを続けているうちに、俺はノルミートという長い名前を呼ぶのが、次第に面倒に感じられるようになったので、彼女自身の一人称であるノルと呼ぶことにした。
ノルもそのことに大喜びしており、まるで特別なプレゼントでも貰ったかのような、オーバーな反応をしていた。
修行内容に関しては、やはり実戦形式が最も効率良く、模擬戦を重ねるにつれて、ノルとの戦闘はより刺激的で緊張感を含んだものとなった。
「いい動きじゃないか。だが……!」
「遅い。戦闘は能力だけの戦いじゃない。大切なのは立ち回り、でしょ」
「そうだったな!」
ノルが片手に持つ短刀が、俺の頬をかすめようとしたが、間一髪のところで避ける。
剣を勢いよく突き出した事によって、身体が宙に投げ出されているノルに、今度は反撃として拳をノルに向けて放つ。
だがノルは素早く俺の迎撃を避け、すぐさま裏に回って魔力の充填をする。
「立ち回りってのは、後ろを取るだけのことではないんだ」
何も問題はない。
ノルはさっきからずっと、俺の背中ばかりに意識を向けていたから、ノルの一手は読めていた。だから俺は反撃を容易に行うことができる。
身体を後ろに捻る必要もなく、ただ俺は右手を後方に向けて、ファイヤーボールを放つ。
するとそれをまともに喰らったノルは、短い悲鳴を上げた後にすぐ地面へと倒れた。
「勝負ありだな」
倒れるノルに近寄り、手を差し伸べようとした時のことであった。
ノルがふと立ち上がったかと思えば、気がついた時には俺の目の前に短い刃を向けていた。
これには俺も、動揺せざるをえなかった。
「ノルの勝ち。クラテス様はノルをあなどりすぎている」
「はいはい。けどまあ成長したよな。これだけ強ければ、久しぶりに街に出てもいいかもな」
「街! クラテス様、ノルは街に言った事がない。街ってどんなところ? 美味しいものとかいっぱいある?」
「まあそうだな。けど想像以上に、居心地悪いと思うぞ」
俺が含みのある言い方をすると、ノルはすぐさま首を傾げて疑問をあらわにしていた。
無理もないであろう。街と聞けば、真っ先に華やかな印象を抱くはずだからだ。
だが現代の街、つまり王都は、長い歴史と比べても、かなり荒れたものとなっていた。
商業都市では、貧困に苦しむ者が怪しげな商売をしていたり、食料の強盗などの被害が相次いでいる。
貧困街では、それこそ法に抵触するような、水商売や人身売買等が盛んに行われている。
そして王城周辺では、国王に不満を募らせた市民が、日々王城の入り口に押し寄せており、そこでは武力衝突なども頻繁に起きていた。
つまりノルが想像するような、明るく裕福な都会というものは、現状どこにも存在していないのだ。
どこへ行こうが、現実の殺伐とした臭気は消えず、耳を塞いでも争いの怒号は、どこまでもどこまでも聞こえてくる。
それがこの国が抱える貧困問題であった。
王宮はそんな現状を知らないのか、毎日楽しくもない宴会を開いて、貴族たちだけで騒いでいた。
そんな現状を解決しようとする組織が、革命軍と呼ばれる学生を中心とする組織なのだが、俺にとってはどうでもいいことだ。
それに国の革命だなんだに、ノルを巻き込むわけにはいかない。ノルは、普通の子供なのだから、そういった世界を知る必要は一切ない。
だがノルにこんな現状を教えるわけにもいかず、俺はそれとなく説明を省いた。悲惨な現実など、知れば知るほど傷つくだけだ。
それでもノルは都会への憧れか、王都について気になって仕方がないみたいだが。
「まあとりあえず今日中に街へ行くぞ。目的はただ一つ。ギルドでのクエスト受注だ」
「つまりそれを達成して、お金を作る」
「そうだ。全ては生活のためなんだ」
魔物がいるこの世界、革命などに参加しなくても、いつかは面倒な争いに巻き込まれる。
その相手が、人間なのか魔物なのか魔族なのか。それだけが肝心なのだ。
現代の情勢からして、まず平民からの、難易度の低いお手軽な依頼は少ないはずだ。
理由は単純で、凡人でも手の出しやすい簡単なクエストは、今や国中の人間が必要としているからだ。
だがとりわけ難易度の高いクエスト(国から発注されるようなもの)は、報酬額も張る代わりに、凡人にはまずこなせない。
理由は、主に魔族や強力なユニークモンスターの討伐が、クエストの内容だからだ。
魔族に捕まれば一生を奴隷で過ごす可能性だってありうる。それ以上に酷いことも。
だから凡人がわざわざ背水の陣で、国からのクエストに挑む利点が、何一つないのだ。
そんなクエストに挑戦するくらいなら、工場などで酷使されているほうが、まだ生き残れる可能性がある。
それにこんな世の中では、人々は自殺などしてられない。自殺するくらいなら、少しでも金を稼いで、それを家族に残してから事故で死ぬほうが、個人の尊厳は維持されるものだ。
それこそ自殺などしようものなら、末代まで恨まれる。
だが実力のある人間は別だ。戦闘力さえあれば、魔族でも魔物でも狩って、安定した収入が得られる。
それがこの国の騎士であり、ギルドの強者共なのだ。
「でもこの館に残っているほうが、クラテス様は安全。なんで街に行くの?」
「やるべきことがあるからだ」
「おお! かっこいいですね、クラテス様」
「そりゃどうも」
凡人には、鍛錬して戦闘力を育む時間などない。
そんなことをしていると、いつかは資産がなくなって、一家全員で死んでしまうからだ。
だが幸いにも、ノルの館にはなぜか備蓄が備わっていた。だから俺たちの場合は、労働をしなくてもただ修行さえしていれば、いずれはクエストによる安定した収入へとありつける。
実のところは、ノルの備蓄を利用すれば五年程度は生きられたが、それだけの歳月をのんびりと修行して過ごすつもりはない。
なるべく早く、あの憎い王宮へと立ち入り、気が済むまで荒し回りたい。
だからこそ俺は、修行に励んで強くなることを願った。ただの報復劇のためだけに。
「じゃあノルとクラテス様は、魔物と戦うの?」
「そうだ。前にも言った通り、ノルは後方支援。俺が戦陣を行く。それと街では偽名を使うから、クラテスと呼ぶなよ」
「分かってる、デルフォイ様」
「よし。いいだろう」
布団の中で、適当に思いついたデルフォイの名を、ノルは呼んだ。
それは俺の今日からの名前であり、これからずっと使われるであろう名前だ。
クラテスは今日をもって、この世から消えるのだ。
もう指名手配ではない。
ここが俺の人生の再出発なのだと、俺は固い決意を持って、再び王都へと舞い戻るのであった。