模擬戦
英雄の力とは、世界でたった一人に与えられる、いわば世界最強の力らしい。ノルミート曰く、この力を巡って、世界各国は長らく戦争をしているようだ。
俺には、連中の考えなど全く理解できないのだが、奴らは死に物狂いで英雄とやらに憧れているらしい。
まるで子供だなと、俺は内心舌打ちをしたい気分であった。
まあ最強の力を支配したいという、半ば人間の本能であるその意識は、俺も何となくだが理解できる。
だがそのために手段を選ばないというのは、俺にとってはヘドが出そうなほど許せない話であった。
何せアロを初めとする王族どもは、市民をこけにするような人間だ。何があっても俺は奴らを許せない。
王族どもに対するそんな個人的な意見を述べると、ノルミートは「さすがクラテス様。世界中の人々がクラテス様みたいだったらいいのに」と言っていた。
どうやらこの少女にとって、俺は絶対的な正義であり、それ以外はただの外敵としか思っていないようだ。
それにしても世界中の人間が俺みたいになったら、多分世界はすぐに滅ぶと思う。俺だって世界平和とかそんな高貴な所業には、一切の興味が湧かないのだから。
「それでお前は、英雄の力とやらを探していたと」
「そういうことナリ。ノルは四大精霊様に、『救世主』という天命を授かって、そのときにもらった特別な力によって、英雄様をお守りしろとの命令を受けた。だから私はクラテス様を全力でお守りする。戦うときは全力で後方支援するから、クラテス様はムチューになって戦ってください」
「……夢中になれるほど、戦いってのは楽しいものじゃないんだぞ。まあ戦いが楽しいか、楽しくないかは隅に置いて、とりあえず今日から修行を始めることにした」
「修行?」
首を傾げるノルミートに、俺は手短に用件を話す。
この前の巨大蛙との戦闘では、ノルミートの戦闘経験の浅さが伺えた。
あれでは次に戦闘をするときが不安でしようがない。
というわけで、今日から俺とノルミートの二人で、実戦形式の修行を行おうと考えたのだ。
俺自身も英雄の力とやらを操れるようになりたいので、この修行は俺にとってもノルミートにとっても、利益になると思える。
だからこその修行なのだが、ノルミートはパッとしない表情で、上目遣いで俺の表情を伺っていた。
そんなノルミートの手を引いて、とりあえず俺は外に出る。事態が呑み込めていない様子のノルミートは、不安なのか少し強ばっていた。
「安心しろ。ただ俺とお前で、しばらく模擬戦をするだけだ」
「模擬戦? ノル、よく分からない」
「実戦を想定して、二人だけで戦うんだ。そこで俺が戦いに関する技術を教える。それだけのことだ」
「死なない……かな?」
「大丈夫。死なないように気をつければいい」
どうやらノルミートは、模擬戦というものを知らないらしい。
おそらく闘技場などで披露されている、決闘と勘違いをしているのだろう。模擬戦ではそこまで勝ちにはこだわらない。
むしろ勝ちに行くというよりは、練習をするといったイメージのほうが正しい。
「ここだな」
俺がノルミートの手を引っ張って、連れ出した先は、模擬戦をするにはちょうどいい広さの、裏庭であった。
そこなら誰にも目を付けられる事なく、心置きなく戦える。
館の探索をする最中に、俺は偶然この都合の良い空間を見つけたのであった。そしてここを見た瞬間から、ノルミートとの修行を計画し始めた、という経緯だ。
「それじゃあ早速、模擬戦を始めるぞ。ルールは簡単、本気で戦うことだ」
「……分かった。頑張る」
「それじゃあ行くぞ……」
ノルミートも覚悟を決めたようで、前傾姿勢になって俺を待ち受ける。
どうやら俺の動きを観察してから、行動選択をするらしい。だがそれでは遅すぎる。
ノルミートがじっくりと相手を睨んでいる隙に、俺は素早く殴りを入れる。避けられてしまったが。
「……クラテス様……速い……」
「喋ってる暇はないぞ。さあ来い!」
俺だって俊敏さには自信がある。どうしてもノルミートには劣ってしまうが。
魔術による足腰の筋肉強化、そして風を操って追い風で自分を加速する。俺が使える魔法など、平均以下のものなのだが、それでも充分だ。
そうすればある程度の速さは手に入る。それに加えて、肉体的な能力も相まって、俺はノルミートが油断をしている間に接近することに成功する。
そして思惑通りに攻撃をしようとするが……
「いい反応だな」
「ノル、言ったはず。クラテス様じゃ、ノルに勝てない」
「魔力ではな。それにあのときは、お前に対する情報がゼロだった。だが今はおおよその分析は終わっている!」
「っぐ……」
ノルミートの言う通り、出会って間もない俺では、ノルミートには完敗していたはずだ。
だが戦闘とは、言うまででもないが、能力だけで競うものではない。
経験値や情報量によっては、格上の人間に勝つことだって難しくはない。
だからこそ俺は、ノルミートから一歩も退かずに、戦い続けられているのだ。
「防御が弱い。お前は数秒前の幻影を追い過ぎだ」
「動体視力……観察能力……理解」
「それだけじゃない。頭の回転も遅いみたいだな。その分、集中力は人並みにはあるようだが」
「そう言われれば、そう」
「あとは勘だけで攻撃と防御をしている。だから理論的な戦いは苦手だろうな」
「ノル、頭脳戦がにが……きゃっ!!」
攻撃と防御の出し合いで、俺はノルミートの課題を徹底的に指摘する。
まずは戦闘のコツを掴ませる。何が必要で、どんな思考をするべきなのか。
それを具体的に述べて、パターンを記憶させる。それが俺流の戦闘テクであった。
そして会話をしながら戦えている事から、集中力は良いと考えられたので、それを褒める。
すると嬉しそうに油断したので、最後に一言だけ残して、強い蹴りを入れる。するとノルミートの身体は宙に投げ出された。
(あの様子だと、自分の身に何が起きたのかすら、分かってないようだな)
遠くに飛ばされたノルミートに駆け寄り、俺は手を差し伸べる。
さすがにやり過ぎたのだろうか。
対人経験は一度もなかったので、あまり加減が分からない。
傷だらけのノルミートは無理をしながらも、ゆっくりと立ち上がる。向上心はあるのだなと、俺は素直に感心させられる。
そして魔術を使って、ノルミートは自己治療を行う。魔術だけは、やはり類ない才能があるみたいだ。
「大丈夫か? 今のは少し加減が出来ていなかったかもしれない」
「大丈夫。ノルはへーき」
「無理をするな。少し休憩だ」
「クラテス様がそう仰るのなら」
子供だとは思っていたが、それでもノルミートは主人に忠実らしい。
気遣いからか、模擬戦を続行するように促していた。
だが言葉とは反して、その目は潤んでおり今にも泣き出しそうだ。腕を痛そうに押さえており、とてもじゃないが戦えない状態であった。
そんなノルミートの姿を見ていると、俺の良心は痛んだ。
子供に怪我を負わせた罪悪感を、身に染みて感じるはめになったからだ。
「ごめん。お前の好きなお茶淹れるから、部屋に戻ろう」
「クラテス様……やっぱりクラテス様はお優しいです。屋敷では、エルフの森のハーブティーを飲みましょう」
「マジかよ。あんな苦いやつ、よく飲めるな」
「? 苦いというよりは、甘いです。そんなことよりも、ノルはクラテス様の抱っこが欲しい」
「はいはい。お気に召すままに」
年相応の反応ではあるが、今まで子供の世話焼きなどロクにして来なかった俺は、ノルミートの対応には少しだけ戸惑う。
だがまあノルミートがどんな育ち方をしても、俺にはどうでもいいので、育て方も適当で良いというのが、本音ではあるが。
修行初日はすぐに切り上げて、俺はノルミートを抱えて屋敷に戻った。