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ようやく少し立ち直ってきたフィリップは姿勢を正し、口を開いた。
「……今回の男爵令嬢の一件の私の非は分かった。それで、その、シェリアを口説くにはどうすればいいと思う」
アニエスはじっとりとした目でフィリップを見た。
「……まずはちょっとした贈り物から始めてみては? 温室の花をお選びになって小さめのブーケにするとか、普段使いできる髪飾りだとか。お兄様センスは悪くありませんし」
「贈り物か……。だが今までもしていたぞ?」
「どうせ誕生日プレゼントだとかお土産でしょう? そうではなく、いつもなさっているお茶会の招待状と一緒に贈れば良いのです。『似合うと思ったので贈らせてもらう。次会う時につけて見せて欲しい。きっと素敵だと思う』とか一言手紙に付け加えて」
それを聞いたフィリップは深く考え込む仕草をした。
「どうしましたの鈍感王子」
「ど、ん……!? いや、シェリアは何でも似合うからどんなものを贈ろうかと思ってな。ただでさえ奇麗なのだから、私が贈ったものを身に着けることで他の男の目を引いてしまわないとも限らない」
アニエスは空を仰いだ。
「……もう嫌ですわこの男。さっさとどストレートに愛の告白でもしてしまえばいいのに」
フィリップは顔を一瞬で紅に染め上げて目を見開いた。
「なっ、そんなことできるか!!」
アニエスはキッと兄を睨み据えた。
「私の前でそれだけ惚気られるのですから、いっそお姉様に思ってること全てぶちまければよいのです!! そうすれば万事解決しますのに!!」
フィリップは顔を紅くしながらも不思議そうな顔をした。
「惚気? どのあたりがだ?」
「全部ですわ」
「何を言う。これは惚気ではない。———事実だ」
絶句したアニエスを尻目に、フィリップは「まずは次の茶会の準備と贈り物の選定か……」とブツブツ呟いた。
それからあれこれとシェリアへどんなアプローチをすればよいか二人で話し合っていると、ふと懐中時計を見たフィリップが眉を寄せた。
「……すまない、私から願い出て話に付き合ってもらったところ悪いが、これから外務大臣と打ち合わせがあってな」
心底申し訳なさそうな顔をしてフィリップが言うと、アニエスは首をひねった。
「それは、一月後にこの国を訪れる隣国ルストゥンブルグの使者についての件ですか?」
「ああ」
立太子式を行う際、表向きは友好国であるルストゥンブルグからは前もって使者が訪れる。立太子式には誰が訪れ、どういった日程で来訪するかといった立太子式に関することを話し合うだけでなく、既に結ばれている盟約について変更点がないか確認したりといった調整も同時に行うことになったのだ。
本来、そういったことは立太子式の時ではなく、国王に即位した時に行うのが慣例だ。しかし、ある事情によりフィリップは予定より1~2年程早く立太子する羽目になったのだ。
「全く、陛下にも困ったものだ。いくら王妃の持病が悪化したとはいえ、それだけでご自分の退位を決めてしまわれるとは」
「……それについてはお兄様に心底同情いたしますわ」
数年ほど前、王妃の病状が悪化し、公務をこなすのがやや困難になった。主要な公務以外は側妃とフィリップとアニエスが分担して引き受けることにしたのだが、最愛の妻を失うかもしれないと恐慌状態に陥った王は即時退位しようとしたのだ。何とか『即時』退位はフィリップ達の説得と、シェリアが未成年のため結婚できない(成年である18歳未満の者の結婚は認められていない)こともあり回避できたが、それでもあまりに急すぎる展開に王族、官僚一同頭を抱えたのは言うまでもない。
中でもとばっちりを食らったのはフィリップとシェリアだった。
フィリップはそれまでも第一王子として、本来王太子夫妻が行うべき執務と国王の仕事の一部を代行していたが、シェリアが成人するのを待って結婚して一年後に立太子、5年以上は経験を積んで国王に即位するという当初の予定が完全に狂ってしまったため、最短で国王になるべく調整や、国内に潜む政敵の排除なども急ぎ行うことになったのだ。その上王妃が床に臥せる度に国王が執務を放り出そうとするのを止め、自分が執務を半分引き受けることで納得させるというのを繰り返しているため、本来の何倍もの仕事をする羽目になっている。そしてシェリアもフィリップと共に駆け回り、本来王太子妃になった後に行われるはずの教育も詰め込むことになってしまったのだ。
(まあでも、国王の気持ちも分からなくはない)
例えばシェリアが王妃のように病に倒れることになったら。自分も国王のようにならないとは言えるだろうか。
(……いや、無いな)
万が一そうなったとしても、自分は悩み、苦しみつつもああはならないだろう。
(私は自分が負うべき責任を放り出すことは例え何があってもできないし、シェリアを『そんな男のパートナー』にしたくはない)
何より、自分の知るシェリアは負うべき責任を投げ出すような男に惚れるような女性ではないから———。
「お兄様? どうかなさいましたの?」
はっと物思いから我に返るとアニエスが不審げに———しかし僅かに心配そうにこちらを伺っていた。
「お兄様、何だか今日はおかしいですわよ? 普段こんなにぼーっとなさることはないのに」
「……ん? ああ、そうかもな」
「もう、しっかりしてくださいませ! そんなではお姉様の心は取り戻せませんわよ!!」
「それは困る」
ははっと笑って席を立ったフィリップは「ではまたな」と言って退出しようとしたが、アニエスに背後から「そういえば」と声を掛けられた。
「例の男爵家はどうなさるおつもりですの? お兄様のことですし事の全容はもう掴んでいらっしゃるのでしょう? 処分はいかほどになさいますの?」
振り返ったフィリップは———完璧な王子の顔になっていた。
優しげな『王子様』でない、国を支える者としての顔。
すっとフィリップは唇の端を吊り上げた。
「ああ……奴らか。調べたところ、調子に乗って随分とふざけた真似をしていたようだ。私が野放しにしていたせいもあるだろうが、あの分では私がきっかけにならずともいずれはやらかしていただろうな。———丁度いい、これをやろう。いいように使ってくれて構わない」
フィリップは懐から取り出した資料を今まで影のように控えていたアニエスの侍女の一人に渡した。侍女はそのままソファに座るアニエスにその資料を手渡す。
「……これは」
資料にさっと目を通したアニエスの顔が強張る。
「男爵夫妻は、もうあれは駄目だな。ここで見逃せばいずれまた調子に乗って同じことを繰り返すだろう。噂だけならある程度見逃してもよいと思ってはいたが……前回の調査からひと月も経たないうちにこれではな」
「令嬢はどうなさいますの? 見たところ夫妻の罪状には関わっていないようではありますが、今回の噂の元凶でもありますし」
それを聞いてフィリップは笑みを深めた。
笑っているのに周囲を凍りつかせるかの如く冷たい笑みに、見慣れているはずのアニエスでさえ背筋がひやりとする。
「令嬢には、少し働いてもらおうと思ってな。何、あの令嬢にぴったりの仕事だ」
僅かに顔を青くしたアニエスはぎこちなく頷いた。
「そう……ですの。それなら私からは何も言うことはありませんわ」
フィリップは目を瞬かせると、氷が融けた笑みを見せた。
「当然だ。アニエスに口を出されるまでもなく、きっちりカタをつけるさ。今回の件に関しては私が後始末をつけるべきことだからな」
ではな、とそのままフィリップは部屋を出ていった。