5
暫し沈黙し、見つめ合ったのち、先に目を逸らしたのはシェリアの方だった。
「……そうですか。行動を改めていただけるのでしたら、私に否やはありませんわ」
「……そうか」
再び落ちる沈黙。
しかしその沈黙は、今までのお茶会で常にあったものとはどこか違っていた。
沈黙を破ってシェリアが目を逸らしたまま口を開いた。
「……ところで、殿下。失礼ながら、本日わざわざ時間を割いてまで私をお呼びになられたのは、そのことを私にお伝えくださるためだけでいらっしゃいますの?」
「え? ああ、それが主ではあるな。だが、もう一つ伝えたいことがあってな」
「はい。———っえ!?」
久々に聞くシェリアの素っ頓狂な声は、フィリップが急にシェリアを自分の膝の上に抱き上げたことによるものである。
「……一体何をなさるのです」
驚きが頂点を通り越したために逆に女神の仮面をほぼ隙なく被ってしまったシェリアが微笑んだままいつもより低い声で抗議すると、フィリップはそれに構わず彼女の耳元に顔を寄せた。
「少し、そのままで聞いていろ。実は———」
話を聞き終えたシェリアはややじとりとした目でフィリップを見た。
「……そちらのお話の方が重要だと思われるのですが」
「いや、あくまでこれはついでだ。本来ならばこの話について、シェリィはお父君から耳にするはずだったからね」
「それでも私を膝の上にお乗せになる理由はないかと」
すげない返答にフィリップはシェリアの拒絶を感じて僅かに唇を噛んだ。自分はまた、間違えたのか。
フィリップは気まずげにシェリアを抱き上げた一番の理由を言った。
「こうすれば傍目からは私がシェリィと幼い頃のように仲良くしているように見えるだけで、何を話しているか分からないだろうと思った。……嫌だったのなら、もうしない」
シェリアの腰を掴み、フィリップは自分の膝の上から彼女を下ろした。
シェリアは呆けたようにそれを受け入れていたが、少しして、ふい、と顔を逸らした。
(……触れられるのも嫌か。だがこれも私の招いたことだ、受け止めて挽回せねば)
フィリップは細く嘆息し、冷めたミルクティーに手を伸ばした。ゴクリ、と一口飲みこむと、冷めたせいで砂糖の甘さが余計に増しているように感じられて顔をしかめそうになった。
「嫌ではありません」
「え?」
鈴を振るうような声でぽつりとつぶやかれた言葉にフィリップは自分の耳を疑った。
「嫌ではありません、と申し上げたのです」
「!」
フィリップは驚きに目を見開いた。
「私を、その……膝にお乗せになることは構いませんわ。ですが、人の目もございますから、何かするときは前もって仰ってくださいませ!」
「あ、ああ」
最後の方はほとんど叫ぶような調子だったため、フィリップは圧されるようにコクコクと頷いた。
シェリアはそっぽを向いたままだった顔を戻し、カップに一口ほど残っていたミルクティーをコクリと飲み干すと、囁くような声量で付け加えた。
「———それに、私たちがそうすることが先程の件でも有効なのでございましょう?」
「……ああ」
フィリップはごく僅かに眉を跳ねさせて肯定した。
そう、それが突然シェリアを抱き上げたり、前回から三日と空けずにシェリアと会うことにしたりしたもう一つの理由だ。
……口には出せないが、もちろん、下心も少しあるが。
(……シェリィ柔らかかったな。あといい匂いだった)
平静を装ってはいたが、膝に乗せた時、ドレス越しでも分かる華奢でありながら柔らかな身体を感じて心臓が騒いだ。内密の話をするために耳元に顔を寄せると、肌からか髪からかふわりと清冽な香りがした。
幼い頃とは異なるそれらに思わず戸惑った。
婚約したばかりの幼い頃はよく先程のようにシェリアを膝の上に抱き上げていた。シェリアは幼子ゆえのぷくぷくとした両手でフィリップの胸元にしがみつき、サファイアよりもキラキラとした目をして天使なんかメではない可愛い笑顔をフィリップだけに向けていた。
成長した今は『可愛い』というよりも『美しい』という表現が似合うようになってきているが、それはただ天使が女神に成長しただけのこと。
それでも夜会でエスコートする時や先程のようなふとした瞬間、シェリアに『女性』を感じるとフィリップは何だか困ったような感じを覚えてしまって———
「———殿下」
気が付くとシェリアが僅かに眉を寄せて心配そうにこちらを見ていた。
……思考に浸りすぎたらしい。
「っ、すまない。何だったか」
(心配をかけてどうする)
自分に活を入れ、シェリアににこりと笑って見せると、彼女は厳しい顔をした。
「殿下、本日お忙しい中私のために男爵令嬢の件でお話をしてくださったのは感謝申し上げます。ですが恐れながら、どうか殿下の御身のこともお考え下さいませ」
「あの、シェリィ?」
「立太子の儀が近いせいでただでさえ通常の倍の公務をなさっておられるのです。時にはお体をお休めになってくださいませ」
「お、おぅ……?」
何だかよく分からない方向に進む話に、何だかよく分からないままコクコクと頷く。
「ですから———私はここでお暇させていただきますわ」
「……え?」
席を立ち、それでは御機嫌よう、と優雅な礼を披露して案内の侍女を伴い立ち去っていくシェリア。
フィリップは呆然とその姿を見送った。