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恐怖のお茶会から3日後。
フィリップはシェリアを宮殿に招き、庭園の散策に誘った。もちろんシェリアの心を何とかして繋ぎとめるためだ。
本当は茶会の次の日にでも会いたかったのだが、いかんせんフィリップは立太子前の調整に忙しく、シェリアも次期王太子の婚約者として夜会などに招かれることが多いため、予定がかみ合う———正確にはフィリップがかみ合わせた———のが3日後だったのだ。
……時間を捻出するために働かされたのは主にラウールだった。噂の調査についての当てつけであることは言わずもがなである。
宮殿の庭園はいくつかあるが、王族とその関係者しか立ち入りが許されない第三庭園にシェリアを招くことにした。
次期王太子の婚約者として、シェリアも第三庭園への立ち入りは許可されているし、余計な者に話を聞かれる心配もないので、二人で話をするのにぴったりである。
そして今、フィリップはシェリアと二人で———侍従たちは姿は見えるが声の聞こえない距離でこちらを見守っている———アーモンドの花が咲き乱れる一角を歩いている、のだが。
(い、一体何を話せばいいんだ!?)
ここ数年シェリアとまともに話していなかったことにより、天気と政治以外の話題が思いつかない。
唯一話せる話題といえば、なんとも腹立たしいことにあの男爵令嬢についてのことだ。
しかしそれもほとんどシェリアの「男爵令嬢と親しくなさるのをお控えください」というようなお小言だった上、フィリップはハイハイと頷くばかりだったので、会話ですらなかったかもしれない。
そもそも、
(女性ってどう口説けばいいんだ……?)
ここに至ってフィリップの対女性スキルの低さが仇になり、シェリアへのアプローチの仕方がサッパリ分からないのだ。
ちらり、と隣を歩くシェリアを伺う。
今日のシェリアは艶やかな蜂蜜色の金髪を緩く編み上げ、淡い緑を基調としたタフタのシンプルな細身のドレスを身に着けている。いつも通り女神のような姿だ。
視線に気づいたのか、ふ、とシェリアの鮮やかな青の瞳がこちらを捉えた。
「———どうかなさいまして? 殿下」
フィリップはびくりと身体を震わせ、慌ててシェリアから目を逸らした。ついつい見過ぎていたらしい。
「ああ、いや、その……なんだ。今年もアーモンドの花が見事だろう? だから、この奥にテーブルと椅子を用意させているから、茶でも飲みながら愛でるのはどうかと思ってな」
「……まぁ。素敵ですわね。そういたしましょう」
シェリアは、先日の茶会から様子の異なるフィリップに戸惑っているようだったが、頷いてフィリップがエスコートするに任せた。
庭園の奥にあるやや開けたスペースには、すでに侍女たちによってお茶の準備が調えられていた。
フィリップは椅子を引いてシェリアを席に着かせると、真向かいではなく、はす向かいの———シェリアの隣と言えなくもない———位置に自分は腰掛けた。そして、使用人一同を下がらせた。
シェリアは表面上女神の微笑みを浮かべつつ、今度こそ不審者を見る目でフィリップを見た。
「……。自業自得だと分かっていてもその目は傷つくな」
「はい? なにか??」
「ああいや、こちらの話だ。……それより、だな。例の男爵令嬢の話だが」
シェリアの目を見て、そう話を切り出すと、途端にシェリアの表情は作り物めいた微笑となり、周囲の温度は数度下がったように感じられた。
シェリアはニッコリと微笑んで小首を傾げた。
「今更何のお話かと思えば……その話でしたか。私はあの方を愛妾として迎えるのに反対はしておりません、ただ、時期が問題なのです、と何度も申し上げたはずです。
そもそも私との婚約は王家とランバート侯爵家の間で結ばれたものである以上、(中略)王国法においては伯爵よりも下位の貴族令嬢が王太子の妃となる場合(中略)かの男爵令嬢に側室としてであっても王太子、次期王の妃が務まるかということについては(中略)現在の情勢下においては隣国との関係を(中略)———よって私たちの婚約関係を脅かしかねないお二人の振る舞いは到底認められ得ぬものなのです。お分かりですね、殿下」
流れるように紡がれた婚約者の言葉に、フィリップは重い口を開いて相槌を打った。
「……ああ、わかっている」
いつもなら、フィリップはここでそっぽを向いて、自分の交友関係なのだからと気にも留めることなく流していたことだろう。しかし、今日はシェリアに対して、今までの態度を反省していることを示すためにこの場を設けたのだ。
示すのは、謝罪、ではない。
王族、それも王太子に内定している自分が謝罪をしてしまえば、いくら婚約者でも、いや、結婚の約束をしている『だけ』の貴族令嬢だからこそ、シェリアはフィリップを許さなくてはならなくなってしまう。
それはフィリップの本意ではない。
目の前の婚約者の目は、無機質な輝きをもってこちらをとらえている。
(思ったより痛いな……)
これなら先程の不審者を見る目の方が余程凹まなかった。
……だが、これは今の自分が甘んじて受けるべきものなのだ。
フィリップは一瞬だけ目を伏せると、深く一呼吸して再び婚約者の目を真っ直ぐ見据えた。
「私は愛妾を持つ気はない」
「……は?」
シェリアはぽかんとした顔をした。フィリップはそんな顔も可愛いと感じたが、『そんな顔』を見たのが数年ぶりだと気づいてさらに凹んだ。
『そんな顔』すら見られなくなるほどに、自分はどれほどのことを押し付けてきたのだろうか。自分の馬鹿さ加減が心底嫌になる。
フィリップは、ぐ、と思わず歯を食いしばってから再び口を開いた。
「……件の男爵令嬢には、元平民ということで平民視点から現行の政策についての意見を求めていた。候補も含めて私の側近達とな。両陛下には許可を取ったが公式なものではなかったから、私達の会話を目にした者達に誤解させてしまったのだろう。……だが、今後は彼女との接触は控える」
「……」
「シェリィの言う通り、周囲に勘違いをさせる可能性のある振る舞いをしてしまった……のだろうと思う。シェリィの話にきちんと耳を傾けるべきだったと、反省、している」
尻すぼみになったものの何とかそう言い切ったが、啞然としたままのシェリアの顔が見られず、思わず顔を伏せた。が、これでは駄目だとうつむきたくなるのをこらえてぐっと顔を上げて、シェリアの目を見つめた。
———君にばかり押し付けてしまって、すまなかった
言葉で言えない分、視線に想いを込めて。