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申し訳ありませんが、次回の投稿(木曜日)はお休みさせていただきます。
学生の本分を全うしてきます……。いざ行かん死地(試験)へ。
「……ッ」
衝撃的なエーリヒの言葉にシェリアは絶句して唇をわななかせた。
シェリアのその様子にエーリヒは満足げな顔をして、手の中の魔道具を弄びながら言い放った。
「そういうわけですから、貴女にはぜひ私と共に来ていただきたいのです。私が初日に国王に謁見した時や、夜会の時の様子を見る限り、貴女は十分にフィリップ王子に対する餌になるようですし。……逆らえばどうなるかは、お分かりですね?」
おっとここで叫んでも無駄ですよ、人払いの結界を張っていますから、と言いながら、エーリヒは廊下の窓の外を目で指し示した。
窓の外には、いつものように賑わう王都の景色。やや日が傾いてきたせいか、昼寝時とばかりに心なしかのんびりとしているようにも思えるそこには、沢山の人が暮らしている。———フィリップやシェリアが愛する、大勢の民が。
(どうやって守ればいい? 今、私に何ができる?)
シェリアは頭を高速で回転させながらエーリヒに問いかけた。
「……目的は、何でしょうか」
エーリヒは魔道具を弄ぶ手を止めた。
「目的? そんなのは決まっています。帝位ですよ。帝位」
「え?」
シェリアは一瞬緊張感を忘れて口をポカンと開けそうになったが、慌てて表情を取り繕った。
「それは、どういう」
エーリヒは『お前は何を言っているんだ』と言いたげに顔をしかめた。
「最も高貴なる血を引く私は、すべてに恵まれています。が、しかし、何の間違いか、そんな私は第二皇子として生を受けてしまったのです。同母兄である第一皇子は病弱であるのに、先に生まれたというだけで皇太子に指名された。……おかしいとは思いませんか」
(意味が分からないわ……。指名されなかったことに不満があるのだとしても、帝位を目指すことと他国の王都の民や私を人質に取ることと何の関わりが……)
唖然としたシェリアに構わず、エーリヒは続けた。
「私はいずれ皇帝となる者。そう母上も仰っていた。母上の言うことは絶対なんだ。……それなのに、見下されているようではだめだ。そのためには、圧倒的な力で思い知らせてやらねばならない! 生まれた順のみで選ばれただけのフィリップ王子や兄上達が地を這う姿を拝んで初めて私は皇帝になれるんだ!!」
(……なんて、幼稚な)
自分に酔ったように言葉を重ねるエーリヒを、シェリアは冷たい目で見やった。ふつふつと怒りが湧いてきた。
シェリアは知っていた。唯一の王子として、既に王位は確定したようなものであるにもかかわらず、フィリップが驕ることなく努力を重ねる姿を。幼い頃一度だけ会ったことのあるルストゥンブルグの第一皇子も、少なくとも、何もせずに第一皇子という地位を享受しているようには見えなかった。
(それを……フィルの努力を、この人は何だと思っているの……! 王弟殿下と手を組んで陛下の命を狙うだけに飽き足らず、幼稚な動機から王都を丸ごと人質に取って、フィルの積み重ねてきたものまで踏みにじろうとするなんて……っ)
激情から、シェリアがぐっと掌を握り込むと、左手の人差し指に硬い感触を感じた。
(———あ)
———『シェリィ、この指輪の機能はね———……』
脳裏に煌めく金緑色と、聞きなれた彼の声。
すっと、頭が冷えるのをシェリアは感じた。そして、ゆっくりと深く息をした。
(……落ち着こう。王都を救うには、大まかに分けて二つの手があるわ。
まず、王都にある全ての魔導兵器を発動前に回収すること。
もう一つは、今ここで、エーリヒ皇子が持つ発動用の魔道具を使えなくすること。
前者はほぼ不可能ね。時間が余りにも足りない。だから消去法で後者ね。勿論、私がエーリヒ皇子に付いていって時間を稼ぐという手もあるけれど……)
エーリヒを見ると、まだ何やら叫んでいた。興奮して、どうにも危うげだった。あの魔道具がどういう仕組みなのかは分からないが、うっかりするとそのまま魔道具を発動してしまう可能性がある。シェリアがエーリヒに着いていっても、それは変わることは無いだろう。
加えて、ここでシェリアが安易な考えで人質になってしまうと、今回エーリヒ一派を抑え込むという目的で共闘を持ち掛けてきたルストゥンブルグの皇帝や第一皇子達に弱みを握らせてしまうことにもなりかねない。
(人質になって様子を見るのは次善の策ね。まずは、殿下が間に合うまでここで粘ってみせる)
シェリアの左手の人差し指に嵌まった指輪は、ほんのりと熱を帯びていた。それに勇気づけられて、彼女はエーリヒを真っ直ぐ見据えた。
シェリアの強い視線に気圧されたように、今度はエーリヒがかすかに青ざめて黙り込んだ。
「なんだ、その目は。……不愉快だな。お前のような高慢な女は、フィリップへの人質にしか使えないのだから、大人しく着いてこい! ———おい、お前たち、早く捕らえろ!」
エーリヒがそばに居た魔術師達に命じると、魔力光がぶわりと舞った。———が、先ほど使節団員や護衛達が倒れていった光景の焼き直しのように、彼らはバタバタと倒れていった。
一瞬の隙をついて、シェリアの前に居た女官が持っていたナイフなどの隠し武器で魔術師達を制圧していた。
女官はそのままエーリヒの一番近くにいた魔術師———普段エーリヒの護衛をしている魔術師のようだった———にも襲い掛かろうとした。が、直前でシェリアの後方に吹き飛ばされてしまった。
シェリアはそれを見て上げかけた悲鳴をこらえ、苦しげに顔を歪めた。咄嗟だったので対処できなかった。
(ごめんなさい)
シェリアが罪悪感に浸る間もなく、一人残った魔術師からシェリアに向かって何らかの魔法が放たれた。しかし、発動した魔法は彼女の手前で突如として消えた。
「……ほう」
魔術師は感心したような声を漏らし、ちらりとシェリアの左手に目を向けてきた。
シェリアは必死で魔力を流し込みながら眼前に立つ二人を見据えていた。魔法を専門とする者達とは違い、生活用の魔道具ぐらいしか普段は使わないためそこまで精密な訓練をしているわけではないので、シェリアの集中力はガリガリと削られていく。
(早く……早く……!)
どれほど経っただろうか。5分だったかもしれないし、一時間だったかもしれない。いずれにせよ、シェリアにとっては永遠にも等しい時間だった。
(まずいわ……流石に、魔力が……!)
フィリップから渡された魔道具は、持ち主を外部からの攻撃から守るだけなら、継続して発動させても然程魔力は要らない。しかし、フィリップから教わったもう一つの『隠された機能』の方は別だった。魔術師からの攻撃を受ける中、シェリアはその『隠された機能』の方を使い続けていた。
ぐらり、とシェリアの視界が揺れる。掌に爪を立てることでそれをやり過ごす。
(……これが駄目なら、人質になるしかないわよね……)
魔力と共に、体力も奪われていくせいか、シェリアの意識は鈍くなっていった。立っているのも正直辛い。それと同時に、心細さも増していった。
(……殿下、……でんか)
徐々に意識が霞に浸食されていくような感覚の中、シェリアの脳内に浮かぶのはただ一人だった。
(———あ、そっか……。……わたしも、馬鹿ね。心の中でだけとはいえ『婚約解消も視野に入れる』だなんて。婚約解消だなんて、心底望んでいるわけでもなかったのに)
こんなにも追い詰められた状況で、シェリアが思い出すのは、大臣達と腹の探り合いはできるくせに女性からの好意にとことん鈍くて、でもいつもひたむきに公務に取り組んでいて、忙しいくせにシェリアのためにいつもお菓子を用意してくれるような、そんな婚約者だった。
(私、思ってた以上にあなたがすきみたい)
シェリアは思わずふふっと笑いをこぼした。
「……っ」
また、ぐらりと視界が揺れた。
(殿下、……フィル)
たすけて。
「シェリィーーーッ!!」
空気を裂くように、この場で聞こえるはずのない人の声がした。
そして、「はいはいそこまでですよー」という声と共にくぐもったうめき声と重いものが倒れるような音が二つしたかと思うと、叫び声の主がシェリアの元に駆け寄ってきた。
(ああ、間に合った)
そう思うと、安堵からか全身の力が抜けて、シェリアの身体も倒れていった。
「シェリィっ」
どさり、と温かい腕の中にシェリアは倒れ込んだ。その腕に苦しいほどの力で抱きしめられた。そして、怯えて震える声で途切れ途切れに言葉が紡がれた。
「シェリィ、だめだ、シェリィ、ねぇ、目を開けて。君がいないと私は、これから先、どうやって歩いていけばいいのか分からないんだ」
(殿下……?)
……ぎゅうぎゅう抱きしめられて、抱きしめられすぎて、
(息が、苦し……)
「シェリィ、シェリィ、愛してる、君が好きなんだ。ねぇ、シェリ———」
「こんの馬鹿がぁーーー!!」
……広い廊下に響き渡るラウールの怒号と共に、ゴツッ、という音、そして、「痛ッ」というフィリップの声がした。