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昼食を済ませた使節団一行はシェリアに案内され、研究棟の見学を行っていた。勿論、外部の人間に見せられる範囲だけだが。
(……と、言っても本当に見せられないような研究はこんなところでは行わないけれど)
エーリヒや他の使節団員が研究員の話に耳を傾けているのを部屋の隅で眺めながらシェリアは心の中で呟いた。
生活に関わる魔法が主流であるグラネージュ王国であっても、武力としての魔法が研究されていないわけではなく、表からは見えないところで密かに行われている。尤も、防御用の結界などの迎撃用の魔法が主ではあるが。
隣国であるルストゥンブルグでは、生活魔法よりも攻撃を主目的とする魔法の研究が盛んであるため、『見えない研究』で製作された魔法もそれに準じて高威力の攻撃が可能なものが開発されているという噂だ。
そんな、グラネージュとはある意味真逆なスタンスで研究を行っている国から来た彼らは、ルストゥンブルグでは主流でない生活魔法など関心がないかと思われたのだが、存外興味津々のようで、目を輝かせて研究成果に見入っていた。
研究室と研究室の移動の合間に思い切って使節団員の一人にそのことを訊ねてみると、『お恥ずかしながら、我が国では魔道具で湯を沸かしたりできるのは貴族の中でも特に資金力豊かな家だけですから。一部とはいえ、平民の家庭にまで生活用の魔道具が普及しているグラネージュは流石ですね』とのことだった。
それはさておき。
(……やっぱり、エーリヒ皇子は異様に静かだわ。もっと絡んで来ようとするかと思っていたのに)
視察の一環で学食で昼食を摂った後も、エーリヒは午前中と同じように口数少なく、同時にどこか追い詰められたような表情をしていた。今も、やや興奮気味に研究員に質問などをしている他の団員の後ろで、ただ無表情で突っ立っているだけなのだ。
(今大人しくしてくれるのは有り難いのだけれど……)
エーリヒを確保する予定の帰路まで、果たしてこの平穏が保たれるか。
(警戒しておかないといけないわね)
そう再び心に留めて、使節団員達の質問攻めに目を回しかけている研究員に助け船を出すためにシェリアは壁際を離れた。
一時間半ほど施設内を回り、そろそろ王宮に戻ろうと廊下を歩いている時だった。
背後でドサドサッと砂袋をいくつも落としたような重い音がしたのでシェリアが振り向くと、使節団員が何人も倒れていた。
「な……!?」
突然のことに、シェリアを守ろうと随行の女官がすかさずシェリアと使節団員達の間に躍り出た。彼女の手には短剣が握られていた。
同じく随行していたはずの護衛達は、使節団員達と共に倒れていた。辛うじて意識はあるようだったが、起き上がることは難しいようだった。
この人数を一気に無力化したことから考えて、恐らく使われたのは魔法だろう。
その場において、シェリアと女官の他に立っているのは、エーリヒと使節団に随行していた魔術師数人だけだった。
(やられた!!)
シェリアは歯をギリリと噛み締めた。
この時間帯はれっきとした授業時間であるため、学生が廊下を通ることは基本的に無い。尚且つ、使節団の案内のために、彼らが通る予定の廊下の通行を減らすように学院側に要請していたため、教師ですら今日に限ってほとんど通らない。
無論、エーリヒ達が学院内で仕掛けてくる可能性も捨ててはいなかったので、護衛の騎士たちも特に腕の立つ者を選び、対魔法防御のなされた装備に身を包ませていたし、決して警戒を怠ることの無いように言い含めておいた。
それを突破してのけたのだから、さぞ高度で強力な魔法が使われたのだろう。
先程とは打って変わって薄笑いを浮かべたエーリヒと魔術師達を睨みつけたシェリアは口を開いた。
「……一体、何の真似ですか」
エーリヒは嘲笑を深めた。
「見ての通りですよ。邪魔な者達には眠っていてもらうことにしました。申し訳ないとは思いますが、私の目的を達成するにはこうするしかなかったのですよ」
全く申し訳なさそうな表情でそう言ったエーリヒは、ちらりと女官に目をやった。
「その女官が武器を持っているのは想定外でしたが。手荒な真似をしたくないので危ないものは捨ててくれませんか?」
エーリヒの言葉に女官は答えることなく、益々剣呑な目をして彼らを見据えた。
シェリアも彼女の後ろから鋭い目でエーリヒ達を見据えて言った。
「そちらこそ、ずいぶん余裕でいらっしゃるのですね。ここはグラネージュ学術院。長くここに留まれば、私達を探しに来る者も出てくるかと。そうなれば、私達が助けられるのが先か、貴方が私を害するのが先か……」
「……今すぐ貴女方を消すことも出来るのですよ?」
シェリアはフッと笑った。
「今すぐ、ということは無いでしょう? だって貴方達はやろうと思えばとっくにそうしているはずです」
シェリアは足元に倒れている護衛達を見やった。エーリヒは図星だったのか憮然とした顔をしたが、すぐに笑みを取り戻した。妙に余裕気な笑みだった。
「……だったら、どうなのです。依然として、私達が有利なのは変わらないのですよ」
エーリヒは懐から小さな包みを取り出して、開いた。中からは魔道具と思われるものが姿を現した。
(何……?)
思わず怪訝そうな表情をしてそれを見たシェリアに、エーリヒはどこか恍惚としたような笑みを浮かべた。
「実はですね、これはあるものを起動するための魔道具なのです」
「それが一体、」
「帝国では最近新たに魔導兵器が開発されまして、遠隔式で小さな街一つくらいは軽く吹き飛ばすことができるようになりました」
シェリアは全身の血が下りるのを感じた。かすれた声で呟いた。
「まさか……」
「ええ。
———王都にその魔導兵器を仕掛けさせてもらいました」