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お昼時を少し過ぎた頃、フィリップの執務室にはペンが紙の上を走る音と書類の擦れ合うかさついた音だけが響いていた。
ラウールは偶々出払っているのか、話し声すら聞こえることはない。
———不意に、執務机の斜め後ろの棚が音も立てずに開いた。そして、棚が開いたことでぽっかりと空いた空間の闇から浮かび上がるように、黒いローブの人影がいくつも姿を現した。
その人影達は、執務机に一心不乱に向かう背中に無音で忍び寄り、
「はーいストップ」
一斉に崩れ落ちた。
いっそ呑気にも思える緊張感の窺えない声の主は倒れ込んだ黒マントの者達に近づいて覗き込んだ。
「うーわ、まだ意識あるのか。流石はルストゥンブルグの宮廷魔術師だな。でも一発で気絶させられないあたり俺もまだまだってとこかな」
うんうん、と頷いた『声の主』———ラウールは、そう言うとその手に再び魔力光を宿した。
「お話したいのは山々だけど、俺仕事あるんだよな。……つーわけで」
侵入者はその光を見て何とか逃れようともがいた。しかし、時すでに遅し。侵入した魔術師達は身体を震わせ、一瞬のうちに沈黙させられた。
「よし、これでこっちは完了だな。———おーい、入ってきていいぞ」
ラウールが声を掛けると、扉が開き、ラウールの同僚である他の侍従たちと、フィリップの護衛たちがわらわらと入ってきた。
彼らは床に転がる魔術師達をてきぱきと縛り上げ、見事な簀巻きにして担ぎ上げると、「それでは失礼します!」とさっさと部屋から出ていった。
「さてと、俺も行くかな」
ラウールはちらりとフィリップの執務机に目を向けた。机に向かい、書き物をしていた姿は煙のように消え去っていた。
(一発では無力化できなかったけど、幻影の方は全く気づかれなかったみたいだな)
視線を戻したラウールは次の仕事のために小走りでフィリップの執務室を出た。
* * *
王宮内でも一際豪奢な一角にある一部屋では、ゆったりとした衣に身を包んだ男性が頬杖を突きながら書類に目を通していた。
見たところ四十前後の年の頃の彼はどこかフィリップやアニエスに似た端正な顔立ちをしており、少し乱れた髪や年相応であろう細かなシワといったものさえ、彼の魅力の一部と化していた。
暫く書類を黙々と片付けていた彼は金緑色の目を憂いがちに伏せ、深く溜息を吐いた。
「……早く、王妃の元に行きたいのだが」
「駄目です」
彼のそばに居た老齢の侍従長は彼の言葉を間髪入れずに切って捨てた。彼はむぅっと膨れた顔で侍従長を睨め上げた。
「……ちょっとくらい」
「駄目です」
「ほんの五分」
「駄目です」
「あ」
「駄目です」
侍従長が恐るべき反射速度で却下していくと、問答に飽きたのか、彼は書類の上に身体を伏せた。
「汚れますよ」
「大丈夫だ、インクはもう乾いているから」
机に頭だけ起こした姿勢の彼を見て、侍従長は溜息を吐きたいのはこっちだと言いたげに、眉間に寄ったしわをぐりぐりと揉んだ。
「……王妃殿下が病床にいらっしゃるのでご心配になられるのは仕方のないことと存じますが、どうかせめて最低限の執務は投げ出さないでくださいませ。これ以上側妃様のご負担を増やされませんよう———陛下」
「……分かっている」
ふてくされたようにグラネージュ現国王は頷き、渋々といった様子でペンを執った。
「それに、本日はこの部屋からお出でになりませんよう、フィリップ殿下からも言付かっておりますゆえ」
駄目押しのように付け加えられた言葉に、国王はぴたりと手を止め、侍従長の顔を見上げた。
「フィリップからの報告書は読んではいるが……本当に『あいつ』が来るのだろうか」
「……」
「『あいつ』は5年前まで実に良い相棒だったし、今でも私は『あいつ』を追放したことが本当に正しかったのか……と思うことも、ある」
「……もはや過ぎてしまったことですゆえ」
「……。そうだな」
複雑な表情で諭すように告げられた侍従長の言葉を、国王は胸に重しが吊るされたような感触を味わいながら肯定した。
国王がその感覚を振り払うように再び溜息を吐いて書類に目を落とした時。
「動くな」
背後の壁から、空気を裂くように冷たい声が響いた。
国王と侍従がゆっくりとそちらを振り返ると、フード付きのマントを着た背の高い人物と、その後ろから、わらわらと黒いローブの者達が壁にある隠し扉から侵入していた。
先頭の人物はフードをゆっくりと取った。
「———お久しぶりですね、兄上」
この場に似つかわしくない爽やかな笑みを浮かべて、5年前に国外追放されたはずの王弟が立っていた。




