17
「今日はもう休め。明日は歓迎の夜会だそうだ」
「承知いたしております。では、私はこれで」
フィリップ達に滞在中に宿泊する建物の前まで案内を受け、副使が自分に割り当てられた部屋に入っていくと、エーリヒはフンと小さく鼻を鳴らした。
(『良い上司』の皮を被るのも疲れるものだ。『奴』の提案さえなければ使節などといったはした役職、誰が好き好んで希望するものか)
エーリヒは現皇帝を父に、由緒正しき公爵家の娘を母に持っている。つまりは両親共に高貴なる血を引いているのだ。貴族たちも夜会などの度にエーリヒの周りに集まり、『エーリヒ殿下は素晴らしいお方でいらっしゃいますね』と口々に賞賛するのだが、実力派と評判の大臣は一向に声を掛けてこようとさえしないし、父である皇帝もエーリヒには目もくれず、第一皇子や第三皇子ばかりを気に入っているようなのだ。
今は敢えて実力を出していないだけで、本来使節団の長などという地位に甘んじるような器ではないはずなのに。
(だが今回の計画が成功すれば、きっと父上も私を皇太子にとお考えになるはずだ。そうだ、あのような病弱な兄や凡愚な異母弟など皇帝の座には相応しくないと母上も仰っていたではないか! ああ、皆が目を覚まして私を褒め称える姿が目に浮かぶようだ!)
今後の約束された栄華を思うと、エーリヒの顔には自然と笑みが浮かんできた(エーリヒの近くにいた侍女はうっかりその顔を目撃すると、表情を固めてススッと廊下の端に身を寄せた)。
「こちらです、エーリヒ殿下」
案内役の侍従の声にエーリヒの意識は引き戻された。
「ありがとう、ご苦労だったね」
面倒だったがエーリヒが労いの言葉を掛けると、侍従は黙って慇懃に一礼して扉の脇に寄った。エーリヒは鼻白んだが、追及することはせず、そのまま部屋に入っていった。
事前にオーダーしていたため、エーリヒが部屋に入るとすぐに数人の侍女たちが軽食を持ってきた。彼はそのうちの一人に目を留めた。
(ほう……。中々の器量だな)
ひたすらに美しかったフィリップの婚約者とは異なり、女神というよりも花の妖精や天使といった表現が似合いそうな愛らしい娘だった。彼女はエーリヒと目が合うと上目遣いでにっこりと笑いかけてきた。
エーリヒは女性が好みそうな態度を心掛けて彼女に話しかけた。
「すまないが、君の名前を教えてくれるかな? 知っているとは思うが、私は使節団の正使を務めている第二皇子エーリヒだ」
するとその娘は恥ずかしそうに微笑み、軽く侍女服の裾をつまんで会釈した。
「ペリン男爵が娘、ララと申します。この度は、外務大臣様よりご推薦を頂きまして、こちらで殿下のお世話をさせていただくことになりました。
……そのぉ、わたしは詳しくは分かりませんが、正使様なんて大変なお務めをされるなんて、エーリヒ殿下は凄いのですね!」
そう言った娘———ララはエーリヒを尊敬したように、見開いた目をキラキラとさせた。
エーリヒは娘が予想通りの反応をしたのを見て満足げに頷いた。
(うむ、やはり女はこうでなくてはな。ランバート侯爵令嬢とかいったか、あのような高慢な女は駄目だ。この娘のように従順なのが一番だ)
女たるもの、エーリヒに笑いかけられれば頬を染めてエーリヒを褒め称えるのが当然なのだ。多少媚びを売ってくるぐらいが丁度いい。フィリップの婚約者のように、すげなくあしらうなど言語道断だ。
知識なんてものは要らない。貴族の娘ならマナーとダンスができさえすればいい。母もそう言っていた。
うんうんと頷いていたエーリヒだったが、あることに気が付いた。
「外務大臣殿の推薦と言ったか。君は彼の血縁かい?」
ララは苦笑して答えた。
「いいえ、血縁と言えるほどの血の近さはありません。でも、我が家は外務大臣様の家の寄子ですから、目を掛けてくださったんだと思います」
(ふん、なるほど。確か奴には未婚の娘はいなかったはずだから、代わりにこの娘を私に差し出して取り入ろうという魂胆だろうな。だが、何かに使えるかもしれない)
そう考えたエーリヒは笑みを崩さぬまま言った。
「そうか。実は私も彼には国で世話になったことがあるから、似た者同士として仲良くしてほしい」
それを聞いて何故かララは瞳をうるうるとさせて悲しげに目を伏せた。
「……ですが……わたしとはあまり仲良くなさらない方がいいと思います」
「? どうして?」
エーリヒが甘い笑みを意識して浮かべて問いかけると、ララはくすん、と小さな泣き声を漏らし、潤んだ目でこちらを見上げて答えた。
「わたしは、フィリップ殿下のご婚約者様によく思われていないようで……そんなつもりなんて無かったのに、『分不相応にフィリップ殿下を誘惑した』と……」
エーリヒは目をキラリと光らせた。
(……ふん、馬鹿な娘だ。どこまで本当か知らないが、こちらに取り入ろうというのが透けて見えるな。扱いやすそうだし、利用した後は私の愛妾にしてやるのも手だな)
「それは大変だったね」などと慰めの言葉を掛けてやりながらエーリヒはララをどう使ってやろうかと思案し始めた。
* * *
エーリヒが滞在している部屋を退出したララは、先程の媚びた様子とは打って変わって緊張した表情を浮かべて人気のない一室へと足を踏み入れた。
扉をきっちり閉め、壁にトン、と寄り掛かったララは、そこでようやく詰めていた息を吐きだした。
(これで、とりあえず掴みは『いい感じ』かな。指導を受けたとはいえ、演技って疲れるなぁ……)
そうやって一息吐いていると、不意にどこからともなく声がした。
「お疲れ様です」
「っ!?」
驚きのあまり叫びそうになったララだったが、すんでのところでこらえた。
ぎっ、と天井をジト目で見上げて、声の主に小声で抗議する。
「驚かせないでください! 心臓が止まるかと思いました!!」
「ふふ、私としましては驚いてくれて嬉しいです」
「もう、本当に誰かと思ったんですよ!?」
全く、とララは唇を尖らせた。
今回フィリップに命じられた『仕事』の前に、直属の部下であるという彼からは丁寧な演技指導を受けていた。ララとしてはこんなもので上手くいくのかと半信半疑だったが、今のところは初っ端のせいもあって計画通りに運んでいるようだった。
(まさか本当に外務大臣様が侍女として使節団の世話をしないかと声を掛けてくるなんて……)
フィリップが予想した通り(正確には『予想の1つ』だが)、ララに目をつけた外務大臣は彼女を使って、外務大臣達の『計画』が上手くいった後に第二皇子と縁を繋ごうと考えているようだった。正使の世話を共にする他の侍女達もそんな事情を知っているらしく、ララがあからさまに皇子に媚びを売っても何も言わなかった。
皇子もララが媚びた演技をしているとは気づいているようだったが、まさか演技に気付かせるのが目的だというのには気付かなかったようだ。
この時点でララに与えられた『仕事』の三分の一くらいは達成している。
……とはいえ、残り三分の二があるので、まだまだ気が抜けないが。
(……頑張らないと)
ララは意識を切り替えた。
「では、定期連絡を始めますね」
———顔を引きしめて報告や情報交換を行っていくララを見て、潜んでいた『影』がほんのりと顔をほころばせたが、残念ながらそれを見たものはいなかった。




