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 カチャ、と僅かに磁器が触れ合う音をさせてカップが置かれた。


「お姉様も例の男爵家の件、お聞きになりましたの?」


「……ええ。次期王太子妃として報告をお受けしました」


 アニエスの遠慮がちな問いにシェリアは憂いを帯びた顔で頷いた。


 久しぶりに、とアニエスは丁度宮殿に来ていたシェリアを居室に招き、二人でお茶の時間を楽しんでいた。用意された菓子をつまみながら他愛無い雑談をしていたのだが、その中でペリン男爵家のことが話に上がったのだった。



 実はアニエスは、噂を流した男爵家のご令嬢はどんな女か確かめようと、フィリップやその側近候補達が男爵令嬢を招いて討論をしている場にこっそり足を踏み入れたことがあった。……給仕の侍女に変装して。


 アニエスの変装技術は『影』のお墨付きなので、堂々とサロンに入っても気づく者はほぼいなかった。唯一フィリップだけは例外で、アニエスに気づくと顔だけは王子フェイスのまま『お前……何をしてるんだ』と死んだ魚の目で訴えかけてきた。もちろんアニエスはスルーした。


 アニエスは彼らに紅茶や菓子を出しながら、男爵令嬢の立ち居振る舞いや話をチェックしていった。


(動作や言葉遣いのマナーはそれなり、顔も愛らしい感じの美少女って感じですわね……まぁ、お姉様には敵いませんけど)


 でも、


(……何なんですのあのドレスは!? 真っ昼間から襟ぐりがあんなに広いドレスをお召しで、お胸がポロリしそうですわよ!? TPOってものを知らないのかしら!? 貴族になってまだ半年とはいえ、あれは平民だろうと顰蹙(ひんしゅく)ものでしょうに!)


 思わずアニエスはカッと目を見開いた(そばに居た側近候補の一人は何かを感じてビクリと震えて顔を青ざめさせた)。


 苛立ちをこらえてアニエスは男爵令嬢に近づき、給仕を行った。ちょうど紅茶が出されて一息ついたためか、フィリップ達の会話は雑談になっていた。すると男爵令嬢はうるうるとした上目遣いで胸元を軽く握って小首を傾げて宣いやがったのだ。


『殿下、ご婚約者様のことで『()()』あるとは思いますが、()()()()ぜひ相談に乗ります!』


 男爵令嬢のその言葉にラウール含め側近たちは『あー、また典型的(テンプレート)な……』と言いたげに生温かい目を男爵令嬢に向けた。


 そしてアニエスはというと———見事に地雷であった。持っていたティーポットがミシミシと陶器にあらぬ音を立てた。


(はぁあああ!? 『相談に乗ります』ぅ!? 数々の殿方が引っかかる魔性の台詞ですわね!! しかも『色々』って何ですの!? お姉様に悪いところがあるとでも!? お姉様を馬鹿にしてますの!? 本人に自覚があるかは分かりませんけどあざと過ぎますわ! ムカつきますの!! ああ今こそあの特注の扇子が手元に欲しいですわ!!)


 こうして、ペリン男爵令嬢はアニエスの地雷を見事に踏み抜いた者としてアニエスのブラックリストの上位にランクインすることとなった。


 因みにフィリップは男爵令嬢の『提案』を受けて、


『いや、気持ちは嬉しいが、やはりシェリィのことはできるだけ私自身で考えたいと思うんだ。それにどうしてもという時はアニエスがいるしな』


 と、モーションに気づくことも引っかかることも一切なかった。この時ばかりは兄を褒めてもいいと思ったアニエスだった。


 そういうわけで、アニエスは男爵令嬢をどう料理してやろうかと手ぐすね引いてタイミングを待っていたのだが、ペリン男爵家の不祥事を聞き、萎えた気分を味わった。流石に破滅一歩手前の少女をいたぶる趣味は無い。


 だが、あの時感じた苛立ちが全く無くなったわけでもなく。


(何で(わたくし)がこんなことで悩まなければならないんですの!?)


 アニエスはやや乱暴な所作でラングドシャをつまみ、口へ放り込んだ。



「アニエス殿下、淑女らしくありませんよ」


 柔らかな声音で紡がれた言葉に、アニエスはハッと我に返って姿勢を正した。


「し、失礼いたしました、お姉様」


 アニエスがしゅんとして謝罪すると、シェリアは穏やかに微笑んだ。


「いいえ、(わたし)は構いませんわ。ただ、普段の癖というのはふとした瞬間に出るものです」


「……はい」


 アニエスはばつが悪そうに頷いた。やはりその身に『次期王太子妃』『第一王子の婚約者』という重責を背負ってきたからだろうか、よく耳にする言葉であるのに、シェリアの言葉にはマナーの教師も敵わぬほどの重みがあった。


「それと———『私のために』彼女に何かなさろうというなら、どうかお止めくださいませ」


 アニエスは思っていたことを言い当てられて首を竦めた。どうにも、この将来の義姉(あね)の前では『妖精姫』も形無しだ。あっという間に隠していたことが見抜かれてしまう。


 シェリアはそんなアニエスを見て、『全くこの娘は』という表情で苦笑した。


「アニエス殿下が私のことを大切に思ってくださっているのは承知しております。ですが殿下ばかりにそのようなことをさせてはおけませんわ。だって、これは本来、私がすべきことですから」


 私の面目が丸潰れですのよ、と茶目っ気たっぷりに笑うシェリア。シェリアがアニエスの評判などのあれこれを気遣って言っているのは明白だ。


「……お姉様には一生勝てない気がしますわ」


 口をへの字に曲げたアニエスに、シェリアはクスクスと笑いをこぼした。






 その後ものんびりお茶の時間を楽しんでいた二人だったが、侍女に声を掛けられてその時間は終わりを告げた。


「会議が終わったとのことで、フィリップ殿下がランバート侯爵令嬢をお呼びするように仰せです」


「あら……あの会議やっと終わったのね」


 アニエスは不快げに少し眉をひそめた。


 そもそも、今日シェリアが宮殿を訪れたのはフィリップと定期のお茶会をするためだった。しかし、大臣の一人がゴネたせいで会議が長引き、フィリップが時間通りに来られなくなってしまった。そのため、フィリップはアニエスに『会議はあと一時間で()()()()()から、シェリアを頼む』と伝言をしてきた。伝言を受け取ったアニエスはちょうど来たシェリアに声を掛けて自室に誘ったのだった。


 壁の細かな装飾が施された時計をアニエスがちらりと見やると、伝言が来てからほぼ一時間ぴったりだった。


(お兄様の優秀さは分かっていますけれど何だか腹が立ちますわね……)


 アニエスはフン、と小さく鼻を鳴らした。


(それにゴネた大臣! お姉様をお待たせするなんて、後で名前を覚えて差し上げないとねぇ。これは『お姉様のため』ではなく『私の憂さ晴らしのため』ですもの、たっぷり楽しませてもらいましょう。きっとお兄様もただでさえお忙しいのにお姉様との時間を邪魔されて怒っていらっしゃるでしょうし、一緒に()()で遊んでくださるかもしれませんわね)


 ……シェリアに隠れてアニエスはやる気満々だった。

 シェリアの言葉はアニエスにとって大事なものだが、こればかりは聞けないのだ。一応『男爵令嬢の件』に関しては手出ししない方向だが、それ以外は別である。


 シェリアが辞去する旨を述べて優雅に去っていくのを可憐な笑みで見送りながら、アニエスはどんな風に()()か構想を練り始めた。



 ———余談だが大臣の一人は、会議から戻ると突然身体を震わせて『何だか寒気がする……。ッ!? おい、今、棚の陰に女が見えなかったか!? こっちを見ていたぞ!?』と悲鳴を上げて錯乱した。その日一日、彼はビクつきながら過ごしたそうだが、これから更なる試練が待ち受けていることを彼は知らない。




(……それにしても、お兄様はいつになったらお姉様に思いの丈を伝えられるのかしら。外野が出しゃばってあれこれするのは無粋ですし、これ以上何もできないのがもどかしいですわね)


 先日、兄からシェリアとのことについて相談を受けた時のことを思い出す。


 男爵令嬢の処遇について訊ねた時、兄は恐ろしく冷たい笑みを浮かべた。かなりの割合自分のせいであり、そんな感情を抱くのは理不尽だと理解はしていても、彼女にシェリアが傷つけられたことへの隠し切れぬ怒りが滲み出ていた。基本的には理論派の兄が理屈では片付けられない感情を発露するのはシェリアに関することだけである。もっとも、その怒りのために判断の目を曇らせることもないのだが。


(まぁあの分だと、お姉様を傷つけたご自身に対しては更に何倍も怒っていらっしゃるのでしょうけれど。……それだけお姉様が大事なら、照れやつまらない意地なんかお捨てになって、跪いて縋り付けばよろしいのに!)




『君が好きだ』




 そのたった一言で万事解決するというのに。


 アニエスは溜息を吐くと、気を利かせた侍女が差し出してくれたラベンダーティーに口をつけた。





ちなみにラウールくんは多少ランクは上下しますが、アニエス王女のブラックリストに常駐してます。

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