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「何で……こんなことになっちゃったんだろう」
ララ=ペリン男爵令嬢はひんやりとした応接室の床に座り込み、呆然と呟いた。
つい半時前まで、きっと自分は苦難を乗り越えながらも素敵な王子様と結ばれる『お姫様』なのだと、そう夢見ていたのだ。それが、一瞬のうちに崩れ落ちてしまうことになるとは予想だにしていなかった。
朝食を終えたララが自室に戻ろうと階段を上っていると、ララの父であるペリン男爵が彼女を呼び止めた。
「ララ! いい知らせだ!! すぐに上等なドレスに着替えなさい!」
「お父さま? 一体どうしたの?」
ララの父はララが唯一の娘ということもあり、いつも娘のララに甘い。ペリン男爵家はその位階にしてはそれなりに資産がある方なので、ドレスや宝石も非常識な値段のものでないならば好きなだけ買ってくれる。子供がいるとは思えないほど若々しく可憐な母と同じように、自慢の父である。
その父がいつになく上機嫌だったのでララは不思議そうに聞き返した。
「実はフィリップ殿下から文が来たんだよ。あと一時間半ほどで我が家にいらっしゃるそうだ」
「い、一時間半!? 大変!! 支度する時間あるかなぁ!?」
「ああ、だからすぐにとりかかってくれ! お茶の準備はもう指示してある」
「分かったわ!」
ララは慌てて階段を駆け上がっていき———マナーの先生が見たら柳眉を吊り上げそうな光景だが———衣裳部屋に飛び込んでドレスを見繕い始めた。
何とか一時間半経つ前に身だしなみを整えたララはフィリップを出迎えようと玄関ロビーに降りた。
こんなに短時間で支度ができたのは、偏に先々週からメイドの数を10人ほど増やしたおかげだろう。彼女たちが居なければ間違いなく手間取っていただろう。
「お父さま」
既に母と共にロビーに待機していた父を呼ぶと、振り向いた父はパッと破顔した。
「おおっ! ララ、私の娘! 今日もなんて可愛らしいんだ!!」
「お父さまったら、いっつもそればっかりね!」
ララはくすくすと笑うと玄関扉をちらりと見やった。
「殿下はまだよ」
ララの思考を読んだように母がそう言った。
「それにしても、殿下は急にどうなさったのかしら。あなたは何か聞いてるの?」
「いや、我が家に来る、としか……。だがきっと、ララに求婚なさるのではないか、と思っているんだよ」
「まぁ! きっとそうね!! だってララは嫌がらせにも負けずに頑張ってるんだもの! 私、昔からララに言い聞かせていたでしょう? ララは可愛いから、物語のお姫様みたいに素敵な王子様が迎えに来てくれるって!」
本当に嬉しそうに微笑む母に、ララもつられて笑顔になる。
ペリン男爵は少年時代にメイド見習いだった平民出の母と出会い、結婚する約束をしていたが、家同士の関係により他家の令嬢と政略結婚せざるを得なかった。母は愛人として市井に住まい、ララを育てることになった。
しかし一年ほど前、前妻が亡くなったため、母が後妻としてペリン男爵家に入り、ララも男爵令嬢として扱われるようになったのだ。
初めは貴族独特の慣習などに戸惑ったララだったが、生来の物覚えの良さでマナーやダンスを覚え、夜会でそれらしく振る舞えるようになった。詩や法律などについてはまだまだだが、いずれは生粋の貴族令嬢に負けないくらいになりたい、とララは思っている。
フィリップとは初めて宮殿の夜会に参加した時に出会った。
広い宮殿内で迷ってしまったララをフィリップは優しく会場までエスコートしてくれた。物語の王子がそのまま抜け出してきたかのような姿にララは一目で心奪われた。
『ララは可愛いわね。物語のお姫様みたい。だからきっと、素敵な王子様が迎えに来てくれるわ』
幼い頃から繰り返し母が言い聞かせてくれた言葉がよみがえる。
(わたし……この人の『お姫様』になりたいな)
微笑みの下でそんなことを考えながら、珍しい平民出身の貴族令嬢として、平民から見たあれこれの話をフィリップにした。すると、フィリップは興味深い話だったので今度また聞かせて欲しい、と言ったのだ。
今度また、なんて貴族にありがちな断り文句かなとも思ったララだったが、王宮のサロンへの呼び出しが来て、本当に『今度また』があると知った時は嬉しくて飛び上がりそうになった。
フィリップと二人きりになって甘い言葉を囁かれるのを期待していたのだが、流石にそうはならず、呼び出された広々としたサロンには側近候補の子息達が同席し、女官や給仕の侍女達もいた。
あわよくばフィリップの隣の席に座れないかと思ったが、なぜか側近達がフィリップの両脇を即座に固めたためにそれは叶わなかった。
それでも少しでも近づくべく、なるべく近い席を選び、可愛らしい笑みを心掛けながら話をする。
フィリップに婚約者がいるのは知っていた。しかしこの国にも側室———現国王にも一人いる———制度はあるのだから、フィリップに婚約者が居ようと望みは全くないわけではないはずだ。
フィリップや子息たちの質問にララが平民の視点から答えたり、意見を言っていったりすると、思っていたより活発に議論が進み、一同満足げな顔だった。
その会話の間、ララは平民時代に近所の酒場の娘から聞きかじったアプローチを行ってみた。
『男なんてね、上目遣いして髪をかき上げたりおっぱい強調したりしたらコロッと落ちるわよ!』
『ほら、あんたは結構可愛いんだからニッコリ笑ってアヒル口よ!!』
それを聞いたときはそのあまりの断言口調に、彼女はちょっと男性に偏見入ってるんじゃないのかとちょっぴり思ったララだったが、実際彼女がモテていたのは確かだったので、今回は有難く参考にさせてもらうことにしたのだ。
(幸い顔・体形共に自信はあるし……上目遣いでアヒル口……)
そんなこんなで討論に参加する度にアプローチをしていたが、フィリップが一向に反応せず、しかし拒絶もしないのを見て、ララはついに母に相談してみることにした。
「まぁ! ララったらフィリップ王子のことが好きなのね! そういうことなら、私に任せなさい!」
すると母は父に相談し(父は娘の恋を聞いて三日間くらいジメジメとしていた)、家族会議の結果、『外堀から埋めていこう』作戦が実行されることになったのだ。
ララや母は茶会や夜会に行くたびにフィリップとの仲を仄めかし、ララがフィリップの恋人だという噂が流れるように仕向けた。
その結果、いつもペリン男爵家と懇意にしている家の者は信じてくれたが、なぜか噂はそれ以上は広まらず、逆にペリン男爵家が笑いものになってしまったのだ。そのせいで男爵家の商売は上手くいかなくなり、取引を断られることも増えてきた。
(これはきっと……フィリップ王子の婚約者からの嫌がらせに違いないわ。そうよ、きっと私と同じようにアプローチしても王子が何もしてこないから、腹いせに嫌がらせをしているんだわ! なんて卑劣なの!!)
そう考えたララは次の大きな茶会でフィリップの婚約者であるランバート侯爵令嬢に直談判しに行った。
いつも遠くから見ていたから実感は無かったが、ランバート侯爵令嬢は噂通り女神のように美しかった。思わずその姿に悔しさが沸いたが、ぐっとこらえて話しかけた。
「ペリン男爵が一女、ララです。ランバート侯爵令嬢でいらっしゃいますよね」
侯爵令嬢は戸惑ったように頷いた。周囲の者はララの口調に思わず眉を寄せた。
「ええ。そうですが……何の御用でしょう」
下の者から話しかけるのはマナー違反だとララも知っている。しかし、自分の恋と家族のためにここで引くわけにはいかないのだ。
「わたしは、最近フィリップ殿下と親しくさせていただいています。その上で申し上げます———殿下の寵愛が得られないからって嫌がらせはダメだと思います!」
「……は?」
最後の一言は、男爵令嬢ララ=ペリンとしてではなく、ただの『ララ』としての言葉。
(こんな嫌がらせをしてくる卑劣な人に、負けられない! フィリップ王子は渡さない!)
茶会が終わった後、ララはひそひそと陰口を叩かれたが、ララとしては言いたいことを言えたのでスッキリとした気分だった。
家の馬車を待っていると、背後から声を掛けられた。
「ララ」
振り向くと、父の姉である人———伯母が立っていた。伯母はどこか悲しげな顔をしていた。
「一つだけ、貴女に忠告をさせてもらうわね。———ララ、貴女が思っているよりずっと、貴族というものは恐ろしいのよ。ドレスや宝石、地位や名誉で着飾っていても、それは表面に過ぎない。内側には何があるか分かったものではないわ。ましてや……王族なら、もっと、ね」
「……? 何を言っているんですか、伯母さま」
伯母はララの言葉に答えず、目を伏せると、「じゃあ、私は行くわね」と丁度到着した馬車に乗り込んでいった。
「……何だったんだろう?」
ララは首を傾げた。
そして今、数々の試練を乗り越え、ララはフィリップと結ばれようとしている。
(夢みたい……)
うっとりとするララの目の前には恋しい彼。
通された男爵家の応接間でゆったりとソファに腰掛けるフィリップの姿は優雅な物語の王子様そのもの。ララの理想だ。
「さて、今日こちらに来たのは、大事な『お話』をするためだ」
「『お話』、ですか……?」
ララの父がフィリップの言葉に期待のこもった目で問いかえした。
「ララのことでしたら———」
「ああ、もちろんご息女のことも含まれるが」
やけに平坦なフィリップの口調に、ララは違和感を感じて彼の瞳を見つめようとした。
———瞬間、背筋が冷えていくのを感じた。
フィリップはにこやかに笑みを浮かべている。しかしその瞳は、凍りつきそうなほど冷たい色をしていた。
「ペリン男爵、こちらをご覧ください」
そう言ってフィリップのそばに立っていた侍従———確かラウールと名乗っていた———が持っていた書類を父に手渡す。
その書類を見て父はさあっと顔を青ざめさせ、がくがくと身体を震わせた。
「税金の横領、不法取引、その他幾つかの犯罪……よくもまぁ、たった数週間でここまでのことをやらかしてくれたものだ。———相応の処分を受ける覚悟があるのだろうな? ペリン男爵」
「わ、私は……」
「極めつけになんと他国の回し者と化していたとは! いやはや、恐れ入った」
呆然とララは訊ねた。
「回し、者……?」
フィリップはララを興味なさそうに見やって言った。
「ああ、お前の父は、とある国がお前が私の側室になった後の後ろ盾になるという間者の言葉にまんまと乗せられて横領した金をその国に流そうとしていた。……実に愚かだ」
「あの……」
それまで黙っていた母が恐る恐る口を開いた。
「わ、私達はこれからどうなるのですか」
フィリップはすうっと目を細めた。
「それは未定だ。だがそうそう生易しい処分にはならんだろうな。最悪死罪だ」
母は声にならない悲鳴を上げた。
(殿下、本気だわ……本気なんだわ……。お父様が悪いことしたって分かってる……でも、死にたくない……!!)
ララはソファから降りると床に這いつくばった。
「殿下! お願いします! 何でもします! 何でもしますから、どうか死罪だけはお許しください!!」
ララはひたすら額を床にこすりつけて懇願した。やがて、その声に嗚咽が混じる。
「殿下……お願いします……なんでもします……っ」
暫くそうしていると、低く冷たい声が聞こえた。
「いいだろう」
思わずばっとララが顔を上げると、フィリップは未だ鋭い目をしていたため、ララは恐怖に顔をやや伏せた。
「何でもする、というのは、相違ないな?」
「はい! 相違ありません」
「ならばこれからお前たちに仕事を与える。達成できれば死罪にはならないようにしよう」
「……はい、わかりました」
フィリップ達が帰った後。ララはしばらく呆然として応接室の床にへたり込んでいた。
フィリップのあの姿を見てからはもう、恋心なんてかけらもない。ただ、恐ろしいという感情だけがあった。
伯母の言葉がよみがえる。
———ララ、貴女が思っているよりずっと、貴族というものは恐ろしいのよ。ドレスや宝石、地位や名誉で着飾っていても、それは表面に過ぎない。内側には何があるか分かったものではないわ。ましてや……王族なら、もっと、ね。
「何で……こんなことになっちゃったんだろう」
足の下の床はやけにひんやりとしていた。
2020/4/9 設定とかみ合わない表現になっていたので修正しました。
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