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感想ありがとうございます!! 全て目を通させていただいています!
沈黙の降りた寝室で、最も早く硬直が解けたのはシェリアをここまで案内した女官だった。
「殿下、シェリア様がいらっしゃることですし、新しく紅茶を淹れ直してまいりましょう」
「……ん。頼む」
自分が沈黙の原因だということに全く自覚のないフィリップがそう答えると、女官は扉の外に控えている侍女に紅茶の淹れ直しを指示しにいった。
それをちらりと見やったフィリップは、呆然と突っ立ったままのシェリアに声を掛けた。
「シェリィ、どうか掛けてくれ。……シェリィ?」
硬直したままでいたシェリアはここでようやく自分が挨拶してから立ったままだったことに気づき、「は、はい殿下」とベッド横の椅子に腰かけた。
「見舞いに来てくれたとのことだが……私が臥せっているとシェリィに教えたのはラウールか?」
「はい、朝方に手紙が届きまして」
「はぁ……あいつ」
フィリップは溜息を吐きながら眉間をほぐすように指で揉むと、顔を上げてシェリアに微笑みかけた。
「何にせよ……来てくれたのは嬉しいよ。だが、シェリィに風邪をうつしてしまうといけないから、紅茶を飲んだら帰るといい」
シェリアはそれを聞いて、僅かに眉間にしわを寄せると、すっとフィリップの手元の書類を指し示した。
「執務をなさっていたのでしょう? 私にうつらないよう帰れとおっしゃるのでしたら、まずは殿下が早く治すよう努力なさるべきです! ベッドに腰掛けて執務をなさってお休みにならないのでしたら、治るものも治りませんわ」
「いや、しかしだな」
「殿下のその責任感が強くていらっしゃるところは尊敬してますが、こういった時こそ体を休ませなくては、政務だってはかどりません!」
「だが、仕事が」
フィリップは一目で熱があると分かるほど顔を赤くして、返事をするにもどこか気だるげで反応も鈍い。しかしそんな状態にも関わらず書類を手にしたままで、シェリアが帰ればすぐにでも仕事を再開しそうな気配のフィリップに、シェリアはカチンときて言い返した。
「なら今日しっかり休んで明日片付けてしまえばいいじゃないの! 『完璧』王子ならそれぐらいやってみせなさいよ!!」
ほとんど叫ぶようにそう言ったシェリアだったが、自分が今何を言ったのかに気づいてさあっと顔を青ざめさせた。
(私ったら殿下に対してなんて口調を!! それに病人相手に大きな声を出すなんて……!!)
フィリップを見ると、驚いたように目を見開いたままシェリアを凝視しており、シェリアはいたたまれなくなり思わず俯いて目を逸らした。
シェリアが黙り込んでドレスの膝のあたりの布を握り込んでいると、不意に紙が擦れる音がした。そして、フィリップの声がした。
「シェリィ、顔を上げて?」
その声が予想したよりもずっと優しい響きだったので恐る恐る言う通りにすると、フィリップはどこか蕩けるような笑みでシェリアを見つめており、シェリアは先ほどとは違う意味で俯きそうになった。
羞恥とフィリップの言葉の板挟みになった結果、シェリアは本人も気づかぬまま頬を染めて微妙に上目遣いになっていた。すると何故かフィリップはシャツの胸元を握りしめ「くぅ……ッ」と呻いた。
「殿下!? 大丈夫ですか!?」
「ああうん、大丈夫。全くもって正常だ。ちょっと天国を覗いてきただけだから」
「それ本当に大丈夫なんですか!?」
フィリップは仕切り直すように咳払いをした。
「ん、ん゛っ……大丈夫。……シェリィの言う通り、今日は休むことにするよ。それで明日、今日の分の執務もこなして見せるさ。でないと『完璧』王子の名が廃る」
フィリップはそう言ってどこかいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「それと……さっきのは、気にしなくていい。むしろ、昔みたいで嬉しかった」
「え!? で、ですが、やはり王子に失礼を……ッ!?」
シェリアが言いかけた言葉を止めたのは、フィリップが立てた人差し指をシェリアの唇に触れる手前に持ってきたからだ。
ほんのりとフィリップの体温が感じられそうな距離に、シェリアの心臓が騒ぐ。
「成長するにつれて、シェリィはどんどん淑女らしくなっていって、それはそれでいいと思った。公の場ではそうあるべきだしね。だが、やっぱり二人だけの時は昔のように気安い関係でいたい、とも思うんだ。……シェリィが嫌なら、無理にしなくていいが」
思わぬ言葉にシェリアはうろたえた。
「その……婚約者とはいえ今は一介の貴族令嬢である私が王子にそのような言葉遣いなど……」
フィリップはそれを聞いて少し寂しげに笑った。
「まぁ、シェリィが無理だと思うなら今のままでいいよ。だけど覚えておいてほしい。私はシェリィが気安い言葉遣いをしたくらいで揺らぐような『地盤』を造った覚えも、『二人きり』の時のことを外に漏らすような部下たちを持った覚えもない」
それに、と付け加えてフィリップは力強くニッと笑った。
「今までシェリィが『第一王子の婚約者』として築き上げてきたものが、その程度で崩れるようなやわなものじゃないということも知っている」
シェリアはその言葉に目を見開いた。
(私……こんなに信頼されてたんだ)
自分が今まで、足掻いて悩んで掴み取ってきたものを、見てくれている人がいる。
その事実に胸が熱くなる。
(———嬉しい)
泣きそうなくらいに。
潤んだ目を見られたくなくてシェリアは顔を伏せた。
……知らず知らずのうちに女神の仮面が崩れ、咲きほころんだ笑みを見たフィリップが顔をさらに赤くしてにやけたのにシェリアが気づくことは無かった。
熱でフィリップくんが素直……。




