before the final 5
街は騒然としていた。人々が行き交い、右往左往している。車道ではあっちこっち車が散乱し、人が乗ってないものもある。クラクションが鳴り響き、真ん中の細い隙間を縫うように、車がすり抜けていった。
みんな、何処へ行ったらいいのか。解っているものはいない。テレビもラジオも、やっていない。情報源はネットのみだ。
"脱出が乗っ取られた"
"今行かないと、もう脱出出来ないらしい"
"緊急避難命令が出ている"
嘘なのか、本当なのか…。わからないので、SNSに聞いてみる。ますます憶測を呼ぶ。
どこで何があるのか。あるいは起きているのか。人々は、ただ逃げなくては、という思いに駆られていた。
理良親子もそうだ。
夫は、昨日、会社から帰ってこなかった。早朝、地震があり「すぐに家に帰る」と連絡があったが、それっきりだ。
日が昇るにつれ、噂が飛び交い、状況がどんどん悪くなっている。そんな気がして、落ち着かない。とうとう、スマホも繋がらなくなってしまった。
家にいても、不安がどんどん広がるばかり。とにかく会社に行ってみよう。と、親子3人で出掛けたのだが…。
地下鉄は途中で止まり、中途半端なところで降ろされる羽目に。途方に暮れて、辺りを見回す。周りはビルばかり。看板や案内板などで、なんとか見当をつける。
目の前を歩く人たちは、足早で過ぎ去っていく。目的地があるように見えた。
夫の会社は諦めて、あの人達についていけば、安全な場所に行けるだろうか。
「おかーしゃーん」
下を見ると、理良がスカートの裾を引っ張っている。じっとこちらを覗き込んでいる。
子供たちに不安を与えてはいけない。ニッコリと笑う。
「どこいくの? おとーしゃんは?」
「うん。お父さんの所に行こうね」
ここなら、歩いてもそう遠くはない。…1人ならば。
下の子を抱っこして、この子を連れて、大丈夫だろうか。
人々の往来は、激しくなるばかりだ。
「お母さんの手を離さないでね。迷子になったら、大変よ」
しっかりと手をつなぐ。下の子の抱っこヒモを上に上げ、抱き直した。うさぎのぬいぐるみを手にしっかりと掴み、ぎゅっと母にしがみつく。
スマホのマップは繋がるか、と開いてみたがダメだった。方角はあっているはずだ。会社の近くに行けば、分かるかな。
不安になりながらも、歩き出す。5分もしないうちに、人がバラバラとこっちに向かって走ってくる。そのうち、波になってきた。
「大変だー!」
「逃げろー‼︎」
口々に叫んでいる。
見上げると、向こうの空で脱出機が静かに地面に近づいていた。黒い煙も上がっている。音もなく、まるでスローモーションを見ているかのようだ。
「理良! こっちよ!」
慌ててUターンする。まだ距離があるとはいえ、危険であることには変わりない。この辺りも巻き込まれるかも……いや、間違いない。段々と影が迫ってきた。
再び手を握りなおし、走り出す。
「まって、おかーしゃん」
理良が止まり、足を突っぱねる。こんな時に、一体どうしたというのか。
「うしゃぎしゃん。あくあのうしゃぎしゃん、おちたよ」
人々が行き交う足元に、ピンクのうさぎのぬいぐるみが落ちている。
「あっ!」
考える間もなく、理良は手を振りほどき、ぬいぐるみへと駆けて行った。
ゴゴゴーゴーーー
音を立てて、建物が軋み始めた。ビルが将棋倒しのように、次々と傾き始める。ガラスやコンクリート片が降って来る。
理良が振り返る。ビルが人を飲み込もうとしている。
「来ちゃダメ!」
下の子をしっかりと抱え込み、しゃがむ。ゴトゴトという音とともに、背中や足を打ちつける。痛みがあちこちに走った。
ドーーーン
振動の後に、突風が吹き抜けていった。
地下鉄は満員。BGMも今日は流れていない。アナウンスもない。車内では誰も話してはいない。エンジン音が、リズムを刻んでいた。
妻に「すぐ帰る」と送ったものの、早朝に関わらず、駅は人で溢れていた。地下鉄も本数が少なく、来たと思ったら人垣で乗れない。何本かやり過ごし、やっと車内に入ることが出来た。
昨日、会社を休業することになり、その業務に追われていた。気がつくと終電時間は過ぎ、帰るタイミングを逃してしまった。家が遠いものは早々に引き上げていたし、昨夜のうちに帰っておけばよかった。
と、人にもまれながら、今後悔している。
先程も地震があり、乗客たちにも疲れが色濃く出ていた。案内もないので、どこの駅なのか。僅かに見える窓から、およその見当をつける。
地下鉄が急ブレーキをかけ、ホームに滑り込む。ドアが開き、降りる人、乗ろうとする人でごちゃごちゃだ。
いつもなら、非情に警笛がなり、有無を言わさず扉が閉まってしまう。だが、いつまでたっても動きがない。
誰ともなしに、
「もう、この電車は走らないぞ」
「運転手が逃げた!」
「緊急避難命令が出た!」
と口々に言い始める。1人が走り出すと、それに続き一斉に逃げ出そうとする。
「地下にいちゃダメだ‼︎」
人の波に逆らえず、足が動かされる。ついていけないものは躓き、壁に押されー悲鳴、叫び声、そして足音。
ゴゴゴーゴーーー
追い打ちをかけるように大きな揺れが、襲いかかった。みな床に倒れ、階段にいた者は雪崩のように滑りだす。
次の瞬間、電気が消え、真っ暗になる。
「なんも、見えねー」
「…いたい…」
「なんでだ。何でこんな目に遭わなきゃなんないんだ!」
呻き声やすすり泣く声。どこかしことなく、起きていた。
呆然とするもの。ぐったりとして、動かないものも少なくない。
そのうち、真っ暗な中に長方形の光が、ポツンと浮かび上がる。また、一つ。次々と増えていった。
そうだ。スマホだ。
誰の上に乗っているのか。誰に押さえつけられているのか。そこから出ようとするが、どうもうまくいかない。手をポケットに押し込み、なんとか取り出すことが出来た。
スイッチを入れると、明るくなり、待ち受け画面が目に入る。家族の写真だ。
4人で近くの公園に遊びに行った時のもの。寒空の下、走り回って、汗だくになったっけ。陽だまりの中、みんな楽しそうに笑っている。
あれから、1年もたっていないというのに…。家族は無事だろうか。
写真の妻の顔を、そっと指で撫でる。
「ごめん。こんな時に、一緒にいないなんて…。本当にごめん・・・こと」
脱出機の離陸場は、空港から高速道路で都心部を抜けた所にある。高速は閉鎖中で、しんとしている。
「構わん。緊急だ」
南之魚の指示で、車を進め、バーを跳ね飛ばす。閉鎖中だというのに、意外にも車で混んでいた。進むに連れ、乗り捨てられたと思われる車が目につく。外に出て、なにやら話している者もいた。言い争いになっている人たちもいる。それを脇目に、スピードを緩めず突き進む。
都心部のビル群が見え始めた時、空にキラキラ光るものがある。
「あれだ!」
怜が指を指す。脱出機は離陸したばかりだ。飛べているのか?
よく、目を凝らしてみる。
太陽の光を受けキラキラしたものは、こちらに近づいて来るようだ。やがて機体の形になり、それがハッキリとしてきた。
「このままでは、墜落してしまう!」
「なに⁈」
車は急ブレーキをかけて停まった。辺りはざわつき、車に慌てて乗る者、走って逃げるものもいた。
怜たちを乗せた車も、急いでバックをする。
周りの車も動き始め、ガチャガチャと当たりみな、思うように出来ない。
その頃には、もう、向こうの高層ビルに落下していた。
ドーーーン
大きな衝撃音。地面を揺らし、その後、砂埃とともに突風が駆け抜けた。あらゆるものが飛ばされて、車同士もぶつかり合う。怜たちの車も風に煽られ、ひっくり返った。
振動が止み、突風もビルの崩壊もおさまった。悲鳴や唸り声が、砂埃とともに辺りに漂う。その中を、放心したようにフラフラ歩くもの。それに当たっても、止まらず走っていくものもいる。
ビルの崩れはひどく、瓦礫の下からもすすり泣きが聞こえる。
「おかーしゃん」
理良はぬいぐるみを手に持ったまま、道路に座り込んでいた。突風に倒され、右の頬と足に擦り傷をつくっていた。
理良の声を聞いて、顔を上げる。が、身体が起き上がらない。視界が狭い。無理に動かそうとすると、全身に痛みが走った。何かの下敷きになっている。
ハッとして下を見る。下の子は目を閉じ、じっとしている。息は…しているようだ。
砂まみれになっていて、見た目ではわからない。頭は打ってないだろうか。どこか怪我は? 抱っこひもが外せればいいのだが、全く自由がきかない。
「おかーしゃん!」
辺りを見回し、探している。涙目になり今にも泣き出しそうだ。
「理良! 理良!」
声を出すと痛みが増してくるが、聞こえるように大声で叫んだ。
「おかーしゃん」
目が合うと、理良は走ってガレキの前まで来た。
「お母さん、大丈夫だからね」
「あくあは?」
「うん、大丈夫だよ。おねんねしてる」
それを聞いて、理良は幾分安心したようだ。
助けを呼ぶことは出来るだろうか。警察や消防隊は? 耳を澄ましてみたが、救助をしている気配もなく、サイレンも聞こえない。
理良だけでも、なんとか安全な場所に避難させたい。怪我の手当てもしないと。せめて、夫に会うことが出来たら…。…あの人は無事だろうか。
みな、立ち止まることなく、走って行く。時には叫んだり泣きながら、自分たちのことで手がいっぱいだ。
1人の女性が通り過ぎようとして、
「こと! ことじゃない」
そう言いながら、駆け寄ってきた。ガレキの下を覗き込み、
「ちょっ、どーしよー…。わーっ、どーしよー」
オタオタと辺りを見回している。
彼女は高校の同じ部の同級生だ。卒業してからも、どこかに出かけたり、たまに会っていた。確か、"ともちゃん"というたこ焼き屋をしていたはずだ。
「わたしは大丈夫よ」
「何言ってんのよー。全然、大丈夫じゃないし。ちょっと、どうしよう…」
「それより、この子たちが」
理良、そして、一緒に下敷きになってしまった明亜。
「その子、出せる?」
その問いに、首を振る。
「抱っこひもが外せないの」
「わかった」
彼女は大きく頷いた。
「助けを呼んでからね」
立ち上がると、理良の手を握る。
「よし。ともちゃんと一緒に、ママを助けてくれる人を探そう」
「とも…ちゃ…ん?」
どうしていいかわからず、母の方を振り返る。いつものように、にっこりと笑っている。
「そうよ。ともちゃんと行こ。ちょっと行った所に、商店街のみんながいるからね」
と歩き出す。理良もそれについていく。
「ところで、名前なんだっけー」
前に聞いたんだけど…。
「りゅら!」
「あ、リュラちゃん」
ことは遠ざかって行く2人の背を見送る。
どうか、どうかあの子だけは無事でありますように。薄れる意識の中、ただ、ただ、願うだけだ。
怜はひっくり返った車の窓を開けた。開けたというより、叩き割った。なんとかよじ登り、外へ出る。
「ゴホン、…ゴホン」
砂ぼこりに喉がむせる。顔を上げ、辺りを見回した。
車は重なり、道路の上には大小様々なコンクリート片が散らばっていた。高速道路は途中で途切れ、崩れている。その先のビル群は倒壊。黒煙が上がり、今まで青かった空を、灰色の雲が覆っていた。
ー現実は残酷だ
上手く行きそうだと浮かれた瞬間、足元を掬われる。また、次を考えなくてはならない。その繰り返しだ。
とうとう、我々は文明という楽園から追い出されてしまった。せめて、これ以上悪くならないように。最悪がこないように。
もう、祈るしかないのか。