before the final 2
証明の薄暗い廊下だ。まだ、電気がついていてよかった。長く続いている廊下の途中の扉。立ち止まり、カードをかざす。次に指紋と瞳。
やたらと時間が長い。
もう、無理か。
"ショウニンシマシタ" 機械の声の後に扉が開いた。
「フーーッ」
獅子尾 怜は安堵の息をもらした。
広い部屋には廊下の光が差し込み、ひょろりと背の高い影が伸びていた。中には、デスクが列になっている。その上には、何台ものパソコン。機械類も置かれていた。照明はやはり暗めだ。スイッチを入れても切っても変わらなかった。
1つのデスクに近づくと、イスに座り、目の前のノートパソコンを開けた。
"宇宙移住計画"。その下には"閲覧禁止"の文字。だが、見る術は知っている。キーボードを打ち、マウスをクリックして、ファイルを開けた。
『宇宙移住計画』
地球全体の汚染がひどく、一定基準への回復が難しいため、火星への移住を進める。
ー火星環境についてー
地球と同様の環境を再現することに成功。初年度から3年間は移住者全員が基準を満たした生活をすることが出来る。その後は未知数であるが、我々の技術力で維持させるため、全力を尽くす。
移住者人数 最大88,940人
移住完了期限 2038年
あとには、細かい計画、タイムスケジュールや移住者リストが続いている。
怜はイスの背もたれに体を倒し、天井を見つめた。豆電球のように弱い光が、等間隔に並んだいる。それを数えながら、なんとか気持ちを落ち着かせた。
うすうすは感じていたが、まさか本当に実行するとは…。全人口のうち、たったの9万人弱。しかも、もうまもなく定員に達するのではないか。
騒ぎになる前に、さっさと終わらせるつもりだ。
この宇宙移住計画は、大学在学中から、ちらほらと噂されていた。
「火星での環境設備が進められている」
「実験用の旅客機型ロケットが飛行に成功したようだ」
という程度の情報しかなかった。本当かどうかもわからない。
地球全体が激変し、人類にとってはどんどん住みづらくなっている。皆、「それが本当なればなあ」となんとなく思うだけ。
その願いは、5年前から急に計画が進み始め、あっと言う間に実現した。
怜がこのプロジェクトに参加したのは、ほんの1年前だ。なぜ、こんな中途半端は時期に、と疑問が湧いた。しかし、選ばれたことを誇らしく、そんな考えもすぐに消えた。当初は…。
プロジェクトのメンバーはコロコロと変わる。前任者が辞めてしまった理由は、自殺か事故死だ。彼らの死には、意図的なものを感じる。宇宙移住計画の全容を知り、阻止しようとしたのか。
今からでも、なんとかならないだろうか、いや、なんとかしなくては。
「よし」
パソコンを再び動かす。
「おや、おや。誰かと思えば。レイじゃないか」
人影にギョッとしたが、声でわかった。
「所長じゃないですか。どうしたんです?」
何が、誰かと思えば、だ。扉の認証を見て、来たくせに。
怜は一瞥しただけで、画面を見ながらキーボードをたたいていた。
「それはこっちのセリフだよ。ここは立ち入り禁止だぞ、レイ。もう、電気も切断する。まあ、それでもここにいたければ、いてもいいが」
と大笑いした。笑えないジョークだ。
「レイは優秀だ。素晴らしい技術を持っている。我が国の特待生として招かれ、在学中から"教授"と呼ばれるほどだからね。ちゃんとリストにも載ってるんだ。ここに残るのは、勿体ない」
そこまで言うと、何か思い出したように「おっ」と声を上げた。
「わたしは行かないよ。余命20年もないだろう。妻と2人でここに残るから。あとはよろしく頼むよ」
「所長は知っていたんですか?」
少し考える。
「うーん……途中からかな」
怜は手を止め、所長を睨んだ。
「じゃあ、どうして止めなかったんですか!最善の計画があったはずだ。これでは、あまりに犠牲が多すぎる!」
「では、犠牲が少なけれはいいのか?」
その言葉に怜は怯んだ。
「半分ならどうだ? その代わり、半分は犠牲になるぞ。全人類を助けるなんてムリだ」
今はそんな議論している場合ではない。
「全人類を助ける努力は必要です。それに、計画を発表した時は、"みんな移住できる"と言ってたじゃないですか。かなりの人が登録料を払っているんですよ。それなのに、初めからメンバーが決まっていた。詐欺ですよ」
所長は両手を上げ、肩をすくめた。
「資金が必要だったんだ。生き残りをかける者たちへの餞別だと思えば、安いものさ」
「残された人たちも必死です!」
「残された=死じゃない。彼らだって、頑張れば再生できるかもしれないじゃないか。うん、そうだよ!」
素晴らしい事を思いついた、と言わんばかりに所長は自信有り気だ。
怜は反論する。
「それは難しいです。豪雨、洪水、地震。ひっきりなしの災害。この環境下だ。よほど統制がとれていないと乗り切れない。あなたも、それはわかっているはずです」
「そこなんだよ。ここを見捨てたのはね。ムリなんだよ。もう、ムリなんだ。元に戻すことは。だから、リセット」
ボタンを押すように、右手をポンと撥ね上げた。さらに所長は、
「だけど、宇宙に行ったからと言って、100%安全とは言えないね。計画通り順調にいくかな。人間は思わぬ行動に出る。それに宇宙がどんな所なのか。実際のところ、誰もわかっていないんだ」
口角にツバを飛ばしながら、熱弁を続ける。
「地球から飛び立てるのは、あと1、2機ってところだ。それでおしまい。今造っているのは、張りぼてだ。飛ぶのはムリだね」
薄暗い中で、不気味な笑みを浮かべていた。
「フ、フ、フ…見捨てた組と残された組。どちらが生き残るだろうね。ハ、ハ、ハ」
怜はため息を吐いた。
この人は壊れている。
イスから立ち上がると、部屋を後にした。廊下に出てからも、所長の高らかな笑いが響き渡っていた。