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ソーディスさんの思わぬ行動に、私達の足並みがややずれてしまったが、今この場で敵とも味方とも付かぬ吟遊詩人のベルンハルトさんに相対している最中だ。
なので、ひとまずこの場ではオードバガール魔法準男爵が渋々折れる……というか、後々ソーディスさんから取り上げるつもりで引き下がった。
確か、勉強会のときに魔法省には社会思想調査を行う専任の部局があるって話だったね。検閲や発禁処分を定めることそのものは警察のお仕事なんだろうけども、思想調査と似通った業務だけに魔法使い側でも色々と『抜け道』はあるのかもしれない。いざとなれば、権力を行使すればソーディスさんが頂いた本を処分することくらい造作ないと、魔法準男爵は考えたのだろう。
……一方でソーディスさんはソーディスさんで勉強会でそんなことは既に知っているわけで。つまりここで欲しがったということは、その後吟遊詩人からもらった本をどうにかする算段はあるということなのだろう。
と、なれば。
「……あの、ベルンハルトさん。あなたは今いただいた本のように、執筆活動も為されていて、いくつか著名な作品を生み出しているとか」
おそらく吟遊詩人が本を取り出した時点で、聞いてほしかったのであろう話題に触れる。まあ本や執筆とは言っても、小説やエッセイのような文学作品では断じてなく、思想書やイデオロギーに基づいて国家体制や政治経済について述べた国家論のようなものである。
「まあ、大概は発禁処分になっているがね……。それで聞きたいのは『森の民国家維新論』のことかな?」
――『森の民国家維新論』。発禁処分になっているのにも関わらず、吟遊詩人ティートマール・ベルンハルトの著作として挙げられる。その知名度の高さは本人も感知しているようだ。新聞記事でも取り上げられていたけれども、私がその存在を知ったのはそれを見つけてきたオーディリア先輩によってだが。
「……というか、個人的に疑問だったのですが、発禁本にも関わらず『森の民国家維新論』は何故知名度が高いのですか?」
ふと、思い至ったことをベルンハルトさんにぶつけてみる。
「私の思想が受け入れられた……と言いたいですがね。
実際のところ、発禁処分にされた出版社以外から一部を伏字にしたり、一部の頁を差し抜いて製本して売り出す『贋作』が巷に溢れていると伺っているよ」
ちらりと、オードバガール魔法準男爵の顔を伺うと渋い顔をしながら頷いていたので、どうやら本当のことらしい。
ちょっと気になったので、魔法準男爵に「一部を改変すれば発禁処分品を販売しても法的に問題ないのか」聞いてみたら、「当然出版発行法違反だ」と返ってきた。
内容を一部差し替えたとしても発禁物を売ることは法的に違法だし、そもそも他の企業の出版物を模倣して売るという行為も違法で二重で法に触れているとのこと。
でも、そんな違法行為をしても売れる程、この吟遊詩人の思想は類まれで真新しいものであったのか。
ただ、気になるのは渋い顔をしている魔法準男爵と、ソーディスさんが先ほど貰っていた本のこと。
一度発禁処分を受け出版を断念したものが、もう一度本を売り出そうと志した時に対策を練らない、ということは考えにくい。けれど思想家としての側面を持つ人が果たして自分の考えを捻じ曲げてまで検閲に通る内容で書き直すことは考えにくい。
となると、その『贋作』出回りの件を、この吟遊詩人が主導して行い非合法品として流通させ、自己の思想を啓蒙しているのでは? という疑念が生まれる。……というか、そう考えているのが魔法準男爵で同時にそれは公権力の総意であり、思想的に危険人物として監視しながら調査しているようである。
「……『贋作』の流通にはあなたは関与していない、のですよね?」
「ええ、勿論」
……ただそれは疑いというだけで、警察を含めた誰もが、その決定的な証拠を掴めていないのであるが。
*
「あなたの著作である『森の民国家維新論』の中には、自ら掲げる主義を実現する手段として、『国王によって直接指導された市民による軍事蜂起』でもって現行憲法を停止すると書かれております。これはあなたのお考えに相違ないですね?」
これは用意していた質問である。王家のオーダーやリベオール総合商会への手土産であり、同時に魔法使い組織も着目している点である。
『森の民国家維新論』の中で最も過激な主張がなされている部分が、この市民蜂起を促している文面であり、発禁処分となった最大の要因でもあるはずだ。
おそらくこの吟遊詩人が支持者以外と相対した際に最も突かれるであろう質問が故に、相手も用意していた答えを即答で返してくる……と勘ぐっていたが、意外なことにベルンハルトさんは考える素振りを見せ、多少時間を使ってこう答える。
「その質問に答えることは可能だが……。その前に1つ、尋ねたいことがある。
あの本の中には私の考える理想社会とその実現方法に書いたつもりだ。だからこそ。
……君達3人が考える理想の世界とはどういうものか教えてくれないだろうか」
――瞬間、ソーディスさんから気配を感じたのでちらりと様子を伺ったら、目だけでこちらに痛い程に訴えかけて来ていた。
その符牒は――危険。
この質問は危険球であることとソーディスさんは判断している。
マジか。ここが今日の吟遊詩人との面会の成否を分ける分水嶺なのか。全然気が付かなかった。
勿論、それはソーディスさん視点での感覚なのだけれども、でもそれは私にとって一考だする価値のあるものだし。
そんな私達の無言のコンタクトを知らずか、私達が打ち手に悩んでいることを察してか、トップバッターはオードバガール魔法準男爵が動く。
3人に聞かれている質問だから、護衛役に徹するという彼も答える必要があるのである。
「……後顧の憂いなく、魔王や瘴気の森に魔法使いが立ち向かうことの出来る世界、ですかね」
その組織人としての言葉には、本音が多分に含まれているのだろう。……多分、オードバガール魔法準男爵にとって私の存在そのものが魔法使い組織の憂いになる可能性があるとは考えているはずだ。
そして諜報員である彼にとって危惧すべきなのは、魔法使い内部あるいは国内の情勢が不安定なときに魔王が現れたり、瘴気の森で騒ぎが起こり大規模な戦闘状態に突入することなのだろう。
そして、次に続いたのはソーディスさん。
「世界の外のセカイ……それが、見られる、世界……ですか、ね?」
随分と抽象的で漠然としたことを放ってきた。
世界の外ということは、宇宙空間のことだろうか。
宇宙が見られるということであれば、宇宙開発が進み民間人でも大気圏外にいける世界ということ……?
それとも。世界の外。つまり今の世界とは異なる場所。
……今居る世界から見たときの異世界のことを暗示している?
そんな意味深な話な言葉を受け私も考える。
ただ、間違いないのは魔法準男爵もソーディスさんも正直な意見をぶつけているという点だ。とはいえ、2人が本音で話していることは担保されないが。
翻って私はどう答えるべきだろうか。
理想の世界。パッと言われて浮かぶのは、元の世界のこと。
少なくとも、この世界のようにテロ行為を行う過激派組織が国内に跋扈することは無かったし、魔王侵攻や魔物の存在なども無かった。安全性に関しては今の世界よりも確保されていたのではないだろうか。……ただし、安全な世界イコール理想の世界かと言われると、違う気がする。
いや、重要な一要素ではあるけれども、安全性が保障されていれば不幸でも良いと言う訳ではないので、理想の世界というものは複合的な要因の上に立っているものなのだろう。私の想像の範疇だけれどもね。
「あらゆる魔物の脅威に怯えることがなく。
自身の知識を生活の選択肢の1つとして活かすことができて。
自意識と現実のギャップがなるべく存在せず。
積み上げた経験が活かされる。
……そんな世界が、理想の世界と言えるのでないでしょうか」
前世世界のことではなく。
私がこの世界に来てから感じたことを伝える。
過去と決別し、先入観を放棄して、自意識とのギャップに閉口しながらも歩み続け、それでもなお積み上げてきたものが不十分だと分かって、前世のことを絶念しようとした私の偽らざる本心。
そしてこれは同時に『黒の魔王と白き聖女Ⅴ』の悪役令嬢、ヴェレナ・フリサスフィスには介在しない、私自身の意志である。
私が放言した後、ベルンハルトさんは目を瞑り、たっぷり時間を使って思案に暮れる。
誰も話さなくなって静寂が訪れると、私の耳には暖炉の中の薪が燃える音と、緊張で私自身の心音が混ざって聞こえてくる。
気を紛らわせるかのように、それらの音に長らく耳を傾けていた。
どのくらいの時間が経過したのだろう。体感では長く感じたが、実は一瞬だったのかもしれない。対面に座る吟遊詩人が口を開いた。
「……個々人が思い描く理想の世界というのは実に様々だ。
俗物的な欲望を口にする者も居れば、感情や精神に関わるものを重要視する者も居る。
ああ、そこの護衛の方のように外的な変化を望むということもある。
君達3人の意見が異なるように、理想の世界というものは誰も彼も異なるものを描いている。しかし、それを人は忘れがちだ」
「……つまり、私の『軍事蜂起』がベルンハルトさんの意志か否かに関する質問に答える前に、『理想の世界』というものが誰しも異なったものを描いていること、それを知って欲しかったということですね」
そして、その意味は明瞭だ。
『森の民国家維新論』、そしてこれからこの吟遊詩人が述べることは、あくまで一個人の意見であり、過激派だったり自己の思想に共鳴する者の総意ではないことを理解してほしいということなのだろう。
「そのとおりだ。
……そして、あの本は、私が商業都市国家群から帰ってきた後、すぐに書いたものだ。
理想の世界、理想の国家、理想の社会というものが一体どういったものなのか、考え抜いた。……まあ多少、商業都市国家群での経験に寄っているものもあるかもしれないがね。
議会制民主主義を標榜しているのにも関わらず、貴族のための議会があるのは前時代的だ。国家統一のためにかつてそれが必要だったのは理解しているが、今では弊害のが目立ってきている。故に貴族制を廃することを主張している。……ただ、衆議院のみでは衆愚政治に陥る懸念があるため、諮問機関、あるいは専門的な見地から意見を述べられる貴族院に変わる議会が必要だろう。
大手商会らによって国家の主要産業を軒並み掌握されていることから、寡占状態に陥っており、健全な経済成長が見込めない状況に陥っている。故に自由競争を促すため固着した商会談合を打破して、停滞ではなく競争でもって経済を活性化すべきだ。
そして、富裕層から貧困者まで原則的に一律に税を取る税制は理に適っていない。ある程度収入に応じて傾斜はつけるべきだろう。現行制度は貧しい者に負担が大きすぎる。社会保障による助け舟はあれど、税制のせいで社会保障が必要となる事態は断固として避けなければならない。故に私有財産に応じて、その財産に見合うべき納税義務を果たすべきだ、と考えている。
……それが、私の考えであり、発禁となっている『森の民国家維新論』に書かれている理想の世界なのだよ」
――ソーディスさんの懸念、私が過激派に迎合しかねないという可能性を理解した。
ソーディスさんは分かっていたんだね。
私の頭の中にある想像とこの過激派らに信奉される吟遊詩人の主張があまりにも近似していることに。
この人の主張は、あまりにも私の前に居た世界に似通っている。衆参の二院制、資本主義による自由競争経済システム、累進課税。
もし仮にこの人の言説をすべて突き通してしまえば、前世世界に近付くのではないだろうか。そんな予感さえしてしまう。
「だが、それを成し遂げるためには、今の複雑怪奇な政治勢力を一度精算する必要があり。私は、それを王家の主体とした市民革命に求めた。
……まあ、そのせいで公権力からこうして睨まれるようになり、また別の組織からは私の思想を金科玉条のように崇め奉られる始末になったわけだが」
革命により憲法を停止し、国家を変えるということは随分と急進的だが、王家を頭に据えることで、既存国家を打倒し新国家を作り上げるのではなく、あくまで政治政策の変更という国家の変革に留めているという点は着目せねばならないだろう。
ただし、流血を伴った革命を行って民主主義の自由経済国家を打ち立てる、というのは前世価値観から言えば違和感が先行する。
そして、ここまで述べたということは、これら『森の民国家維新論』に書かれた内容は彼自身の考えということで間違いは無い。勿論、それはガルフィンガング解放戦線に代表されるような過激派組織とは別個に考える必要があるけれども。
「それでは、今でも国家の変革を成し遂げるのには王家と市民が手を取り合って革命を起こすしかない。――そうお考えなのですね?」
「ああ、当然。それが私の主義主張なのだから」
「では、今、世間を騒がせておりますガルフィンガング解放戦線。彼らのような方々が民の支持を受けた上で、王家と結び付けば、あなたの話す理想の世界は実現するのですね」
私としては確認のために、聞いたこの一言。
――これが更に波乱を巻き起こすこととなる。
「――いや。彼らでは……否。誰であっても、革命は失敗するだろうね」
……あれ!?
ここで、まさかの否定の言葉が。それは完全に想定外だ。
――そして吟遊詩人、ティートマール・ベルンハルト氏との会談は佳境を迎えるのであった。




