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「しかし、今回の話をはじめて聞いたとき私も驚いたよ。王家の密命というのもそうだし、その使者が女性でしかもこんなお若い方を指名するとは思わなかった。……ああ、勿論『フリサスフィス』という随分懐かしい姓をこのような場で耳にすることもね」
「あの……失礼ですが、父のことをご存知で?」
「直接お会いしたことはないが、魔法使い内での噂程度であれば私も伺っているよ」
吟遊詩人、ティートマール・ベルンハルトのその言は、少なくとも父が左遷された魔法使いであること程度は知っていたことを示唆していた。……まあ今更その事実で驚くこともないが。この辺りの素性把握はアプランツァイト学園時代に散々経験している。
「驚いたと言えば、ベルンハルトさんのこのお宅。とても広くて驚きました。また、この客間も窓から見える中庭も、随分と趣向が凝らされており格式高い印象を受けますね」
本心から思っていたことを告げる。単純な家の広さで言えば私の住む家よりも広いのは事実だし、おそらく客間の暖炉を含む整備や、庭の整い方は使用人の有無の違いが大きいのだろう。
そんな私の賛辞に対してベルンハルト氏はこう告げた。
「どうやら資本家の方々は、私が怠惰で豪奢な生活をしていると安眠できるようでね。日々忙しく働く彼らのために、質の良い睡眠を提供できるよう尽力しているというわけだ」
いきなり、皮肉を突っ込んでくる。隣に座るオードバガール魔法準男爵は表情こそ変えてはいないが、吟遊詩人の発言に対して若干身体の芯がぶれたように見えた。
私を挟んで反対に座るソーディスさんの横顔をちらりと見たら、彼女は私と一切目を合わせず相対する相手を見つめながら、それでも私の視線に気が付いたようで、目だけで僅かに頷いて見せた。……これはGOサインか。
ならばと、様子見もかねて少し言及してみる。
「……ベルンハルトさんは大手商会からは献金を受け取り、過激派の団体からは活動資金を頂いているという噂がございます。……これらは事実ですか?」
門前でソーディスさんが言っていた内容を反芻してみる。
そうすると、事も無げに答えが返ってきた。
「ええ、頂いておりますよ。……それも各地の酒場で詩を詠み、歌を歌い日銭を稼ぎ糊口を凌いでいたときには考えられない程の大金がね。
そうしたお金は全て納税手続きして受け取っているし、誰からどれ程受け取ったのかも目録として残してある。官警にもそう伝えているよ」
まさか全く隠し立てしないで認めてくるとは。しかも納税処理も行っているとか、確かに不正資金ではなければ当たり前の話だが、権力者に反発する過激派組織から受け取った活動資金の贈与税分を支払っているとか違和が物凄い。
「ガルフィンガング解放戦線からの……資金提供も、受け取って……おります、か?」
おっと、ソーディスさんが更に具体的な質問を突っ込んでいく。
「ええ、受けましたね。既に税の申告は済ませているから、裏取りもできるはずです」
ソーディスさんの質問に対しても顔色ひとつ変えずに答えるベルンハルト氏。その質問の答えにくさにも、あるいは同席しているソーディスさんについて何者か一切問わずに、表情にも出さずにむしろこちらに協力するような素振りすら見せる姿は、本当に実像が掴めない。
そんな最中、客間のドアが軽くノックされる。
「おっと、茶が用意できたようだ。……入りなさい」
その吟遊詩人の掛け声の後に、ワンテンポ置いてから給仕の方が部屋の中に入ってくる。
そういえば、オーディリア先輩から言われていたことがあった。曰く、「お茶を出されると思いますけれども、そのお茶には手がかりが多いですから見逃さないように」とのことで。
つまり、交渉事に多少慣れている人であれば、お茶に何か仕込むというわけだ。仕込むと言っても毒を混ぜるとかそういう類のものではない。
例えば、私は『製紙事業』のときと『金融恐慌』のときの2度、ルシアの家に行ったことがあるが、そこで出されたお茶は2度ともジャスミンティーであった。それは、私がかつてお母さんから薦められたジャスミンティーを好むという情報をあの時点で掴んでいて、相手の好みに合わせてお茶を選んでいたことで、「私達はあなたのことをここまで知ってますよ」という意思表示が含まれていた。当然、私はそうした暗喩には全く気が付かずスルーしていたが。
他にもジャスミンティー関係でいえば、一昨年にオーディリア先輩がお父さんから魔法使いの話を伺うために我が家を尋ねてきた際に、出されたジャスミンティーを一口飲んだだけで購入店舗まで特定するという出来事があったが、これもオーディリア先輩がソムリエの如き卓越した味覚を持ち合わせていた、というわけではなく、単にジャスミンティーを好むことと、どこの店で買っているかを知っていただけで、後はほとんどブラフをかけて言っていただけ、と先輩は明かしてくれた。
そのようにお茶を巡ったやり取りひとつでその後の話の主導権すらも左右されかねないので、そうした取っ掛かりを見落とさないように、と先輩から言われたのである。
白磁のティーカップに入れられたお茶は、色合いだけ見ると麦茶やウーロン茶のような色合いをしている。透明感のある茶色、とでも言えば良いのだろうか。少なくとも紅茶系統でも緑茶でも無いことは確定である。
しかし眼前に給されたとき、それらのお茶とは全く異なった香りを醸し出している。何だろう、木のようにも思えるしハーブ感とでも言えばいいのか……とにかく、独特な香りなのだ。けれど、悪くない。
そして、ティーカップの他にティーカップと同じく白磁のクリーマーと小さなシュガーポットのようなものを置かれる。
「お好みで、ミルクと削った岩塩をお入れください」
と、給仕の方は一言告げて去る。このシュガーポットのような磁器の中身は砂糖では無く岩塩か! さしずめソルトポットとでも言えばいいのだろうか。
「折角だから、少し趣向の凝らしたものを用意した」
そんな言葉を話しながらベルンハルト氏はミルクを並々注ぎ、岩塩を一匙掬って茶へ混ぜる。紅茶であればミルクティーがあるし、塩を茶に混ぜる文化はあまり存じ上げないが、塩クッキーとか甘さとしょっぱさを売りにした塩スイーツなどが前世であったことから存外全く突拍子もない組み合わせではないように感じる。
……でも。まずは、見慣れないお茶だから、そのまま頂いてみるかな。
そのままティーカップを持ち口に運ぶ。
口に含んだ瞬間に感じたのはわずかな苦み。しかし直後にコクがあるというのだろうか濃厚で芳醇な濃い味わいが口一杯に広がる。そして後味は最初に感じた僅かな苦みから打って変わって温かみのある仄かな甘味が徐々に強まり、飲みごたえがあり余韻が長く続く。
「これは……、複雑で独特な味のお茶ですね。表現が難しいですが、めまぐるしく変化、しているような印象を受けました」
「ほう、フリサスフィスさんはそう感じたか。興味深い感想だ。
……ミルクと塩を入れてみなさい。また味わいが変化するぞ」
どうやら私の感想に気を良くしたらしいベルンハルト氏は、異なった飲み方を薦めてくる。まあ、あんなにミルク入れていたしオススメの飲み方なんだろうなあ、これが。
そんな詮無きことを考えつつ、岩塩を溶かし、ミルクを入れて撹拌する。……何だかミルクが思ったよりもさらっとしていた。もしかして私が普段使っている市販の牛乳とは別のメーカーのものとかで、品質が違ったりするのだろうかなこれ。
そしてよく混ざったと判断して、もう一口。
ミルクを入れたので当然クリーミーな味わいにはなったが、しかしその口当たりにくどさはない。ミルクがお茶の風味や香りを損なわせずに、見事にその強いコクと調和しており、更にそこに塩が加わることで味が引き締まり、身体の芯から暖まるような印象を与えている。
私のリアクションを見て満足そうなベルンハルト氏。言葉無くとも私がこのお茶に好印象を抱いていることが伝わったようだ。
そんな私と吟遊詩人の様子を見て、オードガバール魔法準男爵が口を挟む。
「……このミルク。牛の乳ではないですね。あっさりとした味わいに僅かな塩味。もしかして、ラクダ……でしょうか」
魔法使い上層部との約定で護衛としての任を全うするために、魔法準男爵は本来交渉に関わってはならないとのことだったが、ミルクが気になったようだ。
……牛乳だと思って口にしたものが別の食品の味がした、となれば毒を盛られた可能性も考慮して口を挟んだのか。安全保障に関わる部分なので、護衛としての役割に含められる行動と言えるのね。
そんな魔法準男爵の折り合いをつけた一言に、その内実の警戒を知ってか知らずか、やはり吟遊詩人はあっさりと種明かしをする。
「ほう、ラクダの乳と看破するのか貴殿は。若い魔法使いなのに珍しいな、何故分かった?」
「……大学時代の研究が『砂漠の民』の通商路防衛について、でしたので。
現地で飲んだラクダの乳に似ている印象をこのミルクから受けました」
おそらく内心、オードガバール魔法準男爵は自分の個人情報を目の前の吟遊詩人にあまり明かしたくはないだろうが、相手から聞かれている以上は答えないと不自然なので致し方なく身の上を明かしているのだろう。
とはいえ、彼の本来の身分は私の護衛などではなく諜報員なのだから、今話している内容ですら精巧な作り話である可能性は充分にあり得るが。でも、ここで『砂漠の民』という具体的な国名を挙げるということは、完全に口から出まかせを言っているわけではなさそう。
「……若い魔法使いが『砂漠の民』とは珍しいな。その年頃であれば『勇者の国』やら『英雄の国』といった先進国に憧れるはずだがね」
若い人が先進国かぶれになるというのは何となく分からなくはない。そしてこの口ぶりから『砂漠の民』というのは先進国には少なくともカテゴライズされないのは確定。でも何か違和を感じるが、その違和はソーディスさんの独白に近い一言で吹き飛ぶこととなる。
「『ラクダの乳』……。だから、『砂漠の民』……。
でも、お茶は……黒茶、だった。黒茶の産地は商業都市国家群だった、はず……。
そっか。……この飲み方。
あの……、ベルンハルト、さん。
このお茶は、商業都市国家群の……北部にある乾燥地帯で飲まれているもの……です、よね?」
ソーディスさんが自身の知識を統合して、未知の喫茶手法からどの地域の文化なのかをピンポイントで特定してきた。……そんなことも出来たのか、ソーディスさん。
その瞬間、相対していた吟遊詩人のベルンハルト氏ははじめて驚きの表情に包まれた。
『商業都市国家群の北部』。さて、大きなキーワードが出てきたぞ。
*
「実に、面白いね君達は。確かに自慢したいと思って良い茶を用意していたが、茶1つからここまで情報を引き出して頂けると、冥利に尽きるというものだ」
そう言って彼は立ち上がると、客間の隅に置かれていた木製の多段チェストの上に置かれていた本をひとつ取り出し、私達の眼前に置く。
「『見棄てられた都市』……。著者は、ベルンハルトさん。あなたのお名前が書かれておりますね」
ちらりと横目でソーディスさんを見ると、ソーディスさんもそのアイコンタクトが来ることは予測していたのか、目を伏せる。
……つまりソーディスさんの知識データベースをもってしても、知らない本なのか。
「実は20年ほど昔に、小さいながらも新聞社の記者をしていてね。
その当時に特派員として、『商業都市国家群』の北部には行ったことがある。この本はそのときの実体験に基づいて書いたものだ」
「20年前……、すると『魔王侵攻』の前後ではないですか?」
「ああ、そうだ。……従軍記者というやつだな。
戦線が流動的であったために、後方に居るよりも、軍に居る方が安全であった始末だ。私自身が銃を持って戦うこともあったな。外国人だろうと軍籍でなかろうと、そんな建前を言っていられないくらいには逼迫した状況だったから、是非とも正当防衛と言うことで流してほしい」
前回の魔王侵攻。私、というかこの身体たるヴェレナが生まれる前、お父さんも指揮官として従軍していた出来事だ。
今までお父さんの日記から『森の民』の魔王侵攻への対応は見てきた。
魔王侵攻後、我が国の経済にどのように影響を与えたのかは勉強会で学んだ。
ソーディスさんから『勇者の国』が全土占領され、その後奇跡の復興を果たした話を聞いたこともあったっけ。
でも、隣国での『魔王侵攻』については、精々我が国と商業都市国家群の間にある『街道の民』で激戦になったくらいしか聞いておらず、商業都市国家群で『魔王侵攻』時にどう対応していたのかは聞いたことがなかった。
でも、それを実地で知っている人が目の前に居る。
詩人を名乗りながら、彼がインドア派ではなく健康で引き締まった体型をしているのも納得がいった。過去の出来事ではあるとはいえ、従軍経験があるのね。
そして、そうなると商業都市国家群の北部という言葉が重大な意味を持つ。魔王の住む、瘴気の森は我が国……というかこの世界の北部に広がっている。ということは、必然的に最前線であり、商業都市国家群の激戦区域であったことは容易に想像が付くわけで。
すると、ティーテーブルに置かれたこの本の表題、『見棄てられた都市』。それが示すものは……。
「その本には魔王侵攻で壊滅した街が、その後に体制変革が起こり、群雄割拠の動乱に巻き込まれる過程を描いていたが……、途中で帰国命令を受けてね。未完成のまま我が国に帰ってきた、というわけさ。
一応、未完成ながらも本としての体裁は整えて出版するつもりだったが、外交上の機密事項にどうやら触れていたようで、出版する前から差し止められた。だから仮で刷った数冊しかこの世に存在しない。
だが、折角我が邸まで来たのだから君達に贈ろう」
……出版差し止めって、それ発禁処分受けてますよね。一応王家の密命を受けている私達が受け取れる代物ではない。……特に、曲がりなりにも国家公務員の魔法使いであるオードガバール魔法準男爵には。案の定彼の口から断りの口上が紡がれる。
「申し訳ないが、受け取る訳にはまいりま――」
「――ありがとうござい、ます。……それでは私が、個人的に……いただきます、ね。
私には王家も……、魔法使いも、関係、ない……です、ので」
――魔法準男爵が断りの言葉を告げ切るよりも早く、ソーディスさんが私的にその本を頂くとして、そのままソーディスさんの私物の荷物の中に即座にしまわれた。
「……」
「……」
早く前言翻して荷物から出して元に戻せ、と視線で訴えるオードガバール魔法準男爵と、それを無視して自分のものとしてもう完全に持ち帰る気で居るソーディスさん。
えぇ……。
まさか公的権力の目のある前で、発禁本を堂々と持っていくとか。いくら希少でこの場を逃したらおそらく二度と手に入らない本だとはいえ、知識のためならそこまでするのかソーディスさん……。




