5-2
過激派組織が王子に対して一介の吟遊詩人に会うように要求している。
まずい、意図が全く読めない。
そもそもガルフィンガング解放戦線のようなテロ組織が伸張した原因は、慢性的な経済不安であったはずだ。それが2年前の『森の民金融恐慌』で底を付いてからは、今の宰相の経済対策のおかげで改善傾向にあった。
そうした宰相の処理の中で、その不況の根本要因であった『魔王侵攻手形』関連の国債も全て回収していることまでは以前にオーディリア先輩やルシア、クレティらから聞いた。
……あれ? じゃあ、過激派組織が未だに蔓延っているのは何故?
ああ、そうだ。ラウラ先輩が前に言っていたな。不況による雇用対策の1つとして繊維業の振興策を投じたけれども、生産量は拡大され輸出も増え景気は上向いた一方で、新規雇用の工員の作成した低品質な布を対外輸出するわけにもいかず、元々国内用に回していた布製品が輸出に回され、巷では劣悪な布が出回っていると。
つまり、低所得層を中心に景気が上向きつつある実感が伴わないのだろう。それによって政府政策との乖離を引き起こしつつあるわけで、同時にこの事実が過激派組織の勢力維持に繋がっているということかな。
だからこそ、分からない。過激派にとって王子は倒すべき既得権益層ではないのだろうか。にも関わらず、主義主張異なる過激派の諸組織から会うことを望まれる人物が存在すると言うのは不可解でしかない。
そんなことを考えていると、アマルリック王子とルーウィンさんの話は続く。
「その吟遊詩人が、いずれかの組織に属しているか否かはこの際関係ないことだと思います、エルフワイン殿下。そうした非合法的手段を使う愚か者共の戯言に耳を傾ける必要などありません。どうか、彼らの世迷言で御身を危険に晒さないでください」
「まあ、私自ら彼の者に会うつもりは無いさ。
……加えて正式に使者を立てても駄目だろう。状況的に全く気にかからないという訳でも無いが、一方的に送り付けられた手紙という非正規の手続きで、特に非常事態でもないのに王家が動くという先例を作るわけにはいかない。
一度そのようなことを認めてしまえば、今後国内のあらゆる陳情が手紙で私の下に届くようになる恐れがある」
うーん。外から盗み聞きしていてあれだけど、何だか2人の会話には違和感が。
ルーウィンさんの意図は分かりやすい。王子の身を案じているだけだ。それが、王子という『肩書き』を重要視しているのか、エルフワイン・アマルリックという1人の『個人』を見た上での発言なのかは読み取ることが出来ないが。
一方で、アマルリック王子。彼は幾分過激派に同情的なような言動が見受けられる。ただし彼らが求める吟遊詩人との接触は、政治的な立場から鑑みて不可能と判断するくらいには理性的だ。
……いや、待て。
王子は入学式のときに接触した際に、オーディリア先輩は『王族としての言動を重視する方』と評していた。先輩の人物評価には全幅の信頼を置いているからこそ、過激派に同情的なのは王族的な振る舞いとして正しいのかという問題に引っかかる。
でも『黒の魔王と白き聖女Ⅴ』のゲームシナリオ中では魔法使いの内部の強硬派として台頭したヴェレナと婚姻関係を結ぶことになるくらいにはゲーム上では王子と過激派は近しいわけで。
それは本当に、王子が思想的に共鳴ないしは同情しているということなのだろうか? 政治的必要性に起因するもの?
後者のバイアスがあったことは間違いない。ただ、王子個人がどう考えているのかが今の言動から判断することが難しい。
王家の情報網をもってしても、彼の吟遊詩人の本心や人物像を完全に把握できていないことは王子が行動に迷いを見せていることからも読み取れる。
だからこそその『未知』の吟遊詩人を危惧して、過激派と一括りにして判断することを留保して、出方を探っている……とは考えられないだろうか。ちょっと推論を重ね過ぎで確度にはやや欠けるけれどもね。
ただ、2人とも意見の方向性こそ異なるが、例の吟遊詩人には会わないし、王子から使者を出すこともしないと最終的な答えは一致した。
ということは、この件はこれ以上話は広がりようもない。特に大事になりそうもなく何も始まらずに終わりそうだ、と安心しながら帰路に着こうとしたとき何事かが起こってしまった。
「では、エルフワイン殿下。過激派の件はこのまま留め置く、ということで?」
「……さて、どうしたものかな。
そうですね、ここまで聞いていたクラスメイトのヴェレナ・フリサスフィスさん? 何か名案はありませんか?」
王子が敬語に切り替えてそう言うや否や小講堂の扉が開かれ、2人の眼前に私の姿が晒されることとなった。
あー……バレていたか。ルーウィンさんは私が居たことに驚いている様子だが、王子は私の所在を把握していた、と。
「申し訳ございません。悪意があったわけではないのですが、帰ろうとした途上でこちらの部屋から話し声が聞こえて気になってしまいまして。
……アマルリック王子。いつから気付いておられました?」
この状況下で王子のことを無視するのはあまりにも不自然になるし、今更取り繕える場面でもないので何故バレたのか聞いてみる。
すると、王子はあっさりと答えを告げた。
「まあ学院の中とはいえ、護衛もなしに遅くまで残るなんてことは私には許されませんので。
隠れている私の手の者から合図は送られておりましたので気付いておりましたよ」
……それはつまり始めから分かっていたということですよね。私の中での警戒レベルが一気に数段階上がる。私が通りがかったタイミングで既に気が付いていたのにあえて泳がせていたということは、今王子が話した内容はそのままそっくり私に聞かせる意図もあったということになる。
私が通りがかったのは偶然でしかないのに、王子は瞬時の内にそれを奇貨として利用することに思い至ったということになるわけで。
そして、そのクラスの化け物となると、オーディリア先輩やソーディスさんを相手にするくらいの意気込みで行かなければ飲み込まれるであろう。
そして、2,3の会話を続けた後に王子から告げられたのは、案の定とんでもないことであった。
*
「――ヴェレナ・フリサスフィスさん。お話を伺っていたのでしたら薄々察しているかもしれませんが、我らの代理として吟遊詩人『ティートマール・ベルンハルト』にお会いして頂くことは可能でしょうか?」
……まあ、その提案が来る可能性があることは正直考えていた。
確かにメリットもそれなりにはある。けれど一方でこの国の過激派に近しい人と会うというわけで安全面での不安が大きい。
そして、ゲーム中では魔法使い内の強硬派として台頭した私が、この時点で魔法使い外部の民間の過激派組織とのコネクションが形成されるのは、私にとってあまり良いことではないのでは。
リターンはそれなりにあるが、現状リスクのが大きいように感じる。
となると、まずは時間稼ぎか。王子がどの程度の利点を提示してくるかによるし、私としては今すぐに結論を出す話でもない。それがリスクを考慮しても揺さぶられる程のものであれば、改めて考え直す必要があるだろう。
というわけで、最初の返答にたっぷり時間をかけてから、私は王子に向かってこう放った。
「……それは、王命ということでしょうか?」
実力が未知数な王子という相手なだけに、私もかなり警戒と予防線を張ることを考慮した上での質問返しである。
王子がここで王命であると認めた場合は、この場を凌ぐことは可能だ。それは王子は王族ではあるが、現国王ではないため、私に対しての実質的な命令権限を有さないことにある。
そもそも、だ。私は魔法青少年学院の生徒なので、その上位者は学院、ということになる。そして学院は魔法教育統括部の一組織。つまり生徒という立場で考えるのであればそのトップは魔法教育長官であり、実はそこに王族が絡むことはない。
とはいえ魔法使いは国防を担う軍隊としての側面もあるため、そこで国家に従属するわけだが、そこで初めて国家の代理者たる国王が登場する。
つまり私の質問は所管の違いを盾にした一種のトラップだ。もしこれを王命であると認めてしまえば王子は国王に陳情する必要が生じて、国王から魔法教育統括部に直接命令書を発行しなければならない。
……まあ、王子がオーディリア先輩の見立て通りの人物であれば、それくらいのことは造作も無いのだろうだけれども。ただまず間違いなくその所定をプロセスを踏むのには時間がかかる、というのが一点。
そして私を動かすのには、私の父を閑職に追い込んだ『学閥』の魔法使いらを動かす必要があるわけで。
父の復権を恐れる彼らが私と過激派組織が結びつくことを恐れて何か手を打つ可能性はある。それも時間稼ぎの一手としては最適であろう。
……ただ、私が質問した瞬間に王子の顔つきが少々変わったように見えた。これは質問に込められた意図を看破されたか。
「いえ、王命ではございません。私的なお願い事となりますね。
そもそも所定の手続きを踏んだ場合、それは王家から魔法使いへの正式な依頼となってしまいますので、それはこちらにとっても些か都合が悪いですね」
そういえば、政治的に正式な使者を立てるというのがよろしくないって言っていたな。となれば王命を拒否するのは当然か。
……ただ、これで『私的なお願い事』という言質は頂いた。つまり、ただのお願いなので拒否するという方便が、王子の心証さえ気にしなければ使えるようになったのである。
「殿下。私は彼女に過激派への使者の真似事をさせるのは反対です。
一介の生徒でしかなく貴族ですらない彼女には後ろ盾がありませんので、過激派に手出しされたときに、防ぐ術がありません。そういった事態になると、まず真っ先に責任を追及されるのは王子個人になりかねないでしょう。殿下にとっても彼女にとっても危険過ぎます」
ここでまさかのルーウィンさんからの援護射撃。そうか、王子のプライベートな事情で私に被害が出れば、王子の監督責任が問われかねないのか。
……うーん。王子がそれを想定していないわけが無さそうなんだけど。
そして、私を『一介の生徒』と称した時点でルーウィンさんは私のバックグラウンドを調べていないことはほぼ確定。魔法使い上層部と私の父の確執を彼は知らないと判断して差し支えないはずだ。
そうしたルーウィンさんの立ち位置を理解した上で、王子は呟く。
「まあ、それは……『フリサスフィス』の名がある程度安全の担保にはなるのでは無いでしょうかね」
あー……王子は私の父について調べ上げていますね、これ。
私の意見だけで決めていいものでは無くなってきたな。少なくともオーディリア先輩には相談したい。それにはここで即断することだけは避けなくては。
そして、王子への警戒レベルは更に上げる。それはルーウィンさんがどう思うかについてはある程度無視して、王子との一言一句のやり取りに細心の注意を払わなくては。
それが、ルーウィンさん側が私に対する警戒度を上げることとなっても、今を乗り切る方が重要だ。
「……父は閑職ですので、その名が果たして本当に過激派にとって抑止力となるのかどうかは甚だ疑問ではあるのですが。
そのようなリスクを取ってまで、その吟遊詩人に会う理由が私には思い浮かびません」
明確な拒絶の言葉を口に後に気が付く。
過激派あるいは王子の権勢を利用して、フリサスフィスの名が魔法使いの中枢に復権する意図が私に無いことが今までの言動で判断できるであろう。
……私のそうしたスタンスを見破るために王子はあえて私と過激派を結び付けようとブラフをかけていた可能性があるか? いや、それは流石に疑心暗鬼が過ぎるだろうか?
王子は私のそんな内心を知ってか知らずか、こう答えるのであった。
「吟遊詩人に、会う理由ですか。そうですね。
ガルフィンガング解放戦線に対して繋がりがあるという部分は聞いていましたよね?
――リベオール総合商会。その前商会長の暗殺事件。
あなたの御友人の仇を知る良い機会ではないでしょうか」
――王子は。リベオール総合商会と私の繋がり、そしてルシアとの情報提供関係まで把握しているのか。
その繋がりをガルフィンガング解放戦線側が知っているとすればの関係者と会うリスクは格段に上がる。だから本来は彼らから話を聞くというのは、どこまで向こうが情報を手に入れているのか分からない以上無理としか言いようがない。
だが非公式とはいえ、王子の頼み事というカードがあればリスクを軽減できるのは確かだ。そして、そのように危険度を下げた状態で会う機会というのはそうそう無いだろう。
……リスクの高い相手に会う危険性を、王子はあえて危険度を高く見積もらせることによりハイリスクな相手と比較的安全に会う場を提供可能という利点にすり替えてきた。
そして私はそうした王子の策略に対して、一定の納得をしてしまったのである。




