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◇ ◇ ◇ ◇
「どうですか、アンジェリーカ嬢? このお店では、商業都市国家から厳選された茶葉を仕入れているのですよ」
「エルフワイン様、ありがとうございますっ! ……わあっ、すごいいい香り……。では、いただきますね。
んっ……、口当たりが良くて、風味が広がりますね……いえ、ごめんなさい。私、自分の国で高級なお茶を飲む機会が無かったので。今までで頂いたお茶の中で一番美味しいってことは分かりますけれども、私なんかにこんな美味しいお茶は勿体ない……」
アンジェリーカがそう伏し目がちに零すと、ヴィンテージ物の丸いカフェテーブルの対面に座っているエルフワイン王子は儚げに微笑みながら、腕を伸ばして私の左手の甲にそっと指を重ねてきた。
「そう自らを卑下しないで、アンジェリーカ嬢……ううん、アンジェ。
……これから、知れば良いのです。美味しいお茶も。この国のことも。――そして私のこともね」
「エルフワイン様……」
まどろんだ時間が流れる昼下がり。閑散としたカフェの中は、私達の他に誰もお客さんは居らず、王子も普段は近侍している方々を今日は連れておらず、私達2人は、決して長い時間ではなかったけれども、濃密な時間を過ごしたのであった。
――黒の魔王と白き聖女Ⅴ 森の民ルート・国外派兵官吏職業体験イベントⅨ「カフェでの一幕」――
◇ ◇ ◇ ◇
……夢を見た。
もう何年前になるのだろう。転生する直前までやっていたゲーム世界の夢。
正直、今更になって見るとは思わなかった。しかも、ただ王子とカフェで話しているだけのシーン。
確か無意味にイケメンな横顔のスチルだったと記憶しているが、王子以外に何が写っていたかまるで覚えていない。
何分数年前に1回だけやったゲームだから、重要な部分を除くと所々記憶が抜け落ちている所があったりする。この世界に直接的に関わってくることだから、何とか覚えておこうと努力はしているが、流石に限界はあるものだ。
だから登場したカフェがおそらく王都を探せばどこかしらにあるのだろうけれども、それがどこなのかは分からない。
……ああ、でもこの王子はカフェに行くとなると毎回同じカフェに連れて行っていたな。作画の節約というゲーム上の都合か? ……いや、主人公の行動範囲で行くことのできるお店は全部入ることができたから、それはない。
となると、王子の趣味なのだろうか。……うーん、実際このエルフワイン王子はクラスメイトとして居るんだし、聞けば分かる話だけれども。
だが、必要以上に関わって悪役令嬢ルートに抵触するのも怖い。何が私達の関係に影響するのか分からないからね。
「……ヴェレナさん? あら。朝食はもう出来上がっていますよ。早く来てくださいな」
「あっ、すみませんビルギット先輩! 今行きます!」
……今日は平日の朝で普通に学院の授業の日だったのに、すっかり夢に気を取られていた。先輩に自室まで呼びに来てもらうとは何という失態。
*
「――現在私達の生活の中にある魔道具や魔導装置のほとんどには、『魔力増幅装置』が利用されております。ただし『魔力増幅』と言っても、魔力の大きさを実際に大きくしている、というわけではありません。
本来魔法の発動に必要な諸条件を『魔力増幅装置』内に描かれた魔法陣が代替することで模擬的に少ない魔力で大がかりな魔法を発動することができるようになっております。
ただし装置内の魔法陣全体に魔力を行き渡らせる必要があるため、その魔法陣はなるべく細い線で短く描かなければなりません。市販されている装置にしようされている『魔力増幅装置』の魔法陣ですら、既に人の手で描くことが不可能な程の精密さで効率を上げているため、これらの描写には専ら魔導工作装置が利用されております。
……そろそろ時間ですか。次回の『魔法学』では原始的な魔法陣の作成方法について実習も踏まえて学んでみましょう」
よし。今日の授業はこれで終わりだ。後は、放課後の『特別教育』を済ませれば一日が終わる。
……しかし、2学期から新しく始まったこの『魔法学』の授業。今まで学んできた魔法と錬金術の共通分野たる『魔錬学』と比べると、やっぱりファンタジーというか、魔法が本当にあるんだなあ、って気持ちになってくる。
いやもう何年もこの世界で過ごしているわけで今更魔法の存在を疑っていた訳ではないけれども、以前の科学の発達した世界では魔法なんてそれこそ空想の産物でしかなかったわけで。学問として体系化されている、という事実は実感として魔法を感じることが出来る。……魔錬学も私にとって未知の学問であったけれども、あれはどちらかと言えば理科に近かったし。
そして今日は座学の授業ばかりで、グループワークだったりディベートやディスカッション形式の授業が無くて良かった。
同じクラスに我らが王子が居る訳で、朝に恋愛ゲームの夢を見てしまった以上、面と向かって話すのは流石に気恥ずかしさが先行する。
もっとも、元々私と王子はそんなに関わる訳ではないし、私の方が一方的に王子を避けているのを向こうも察しているというか、気を遣っているのか好都合だと思っているのかは分からないけれども、王子側からも私に対してコンタクトを取ってくることは無かった。
だからといって、全く話さないとか異常に不仲というわけでもなく、単なるクラスメイトの範疇に収まっているだけのように私は感じている。
王子の周りには、常に近侍しているルーウィンさんを始めとして貴族家子息などの高貴なる身分の方々は勿論のこと、その人当たりの良さから身分に分け隔てなく王子の周囲には誰かしら人の影はあるので、私の方から話しかけたりしなければ何も起きない。
と、そんなことを考えていたら、クラスの先生に呼び止められた。
「今日の日直は、フリサスフィスであったな。地方校からの回覧情報が回ってきて、明日までに生徒全員に資料として配りたい。複製作業を手伝ってくれないか?」
そして今日の『特別教育』の担当の先生には伝えているから、そちらは問題ないとのこと。
……地味に退路が潰されていて拒否権ないじゃないか。
*
「えっと……。『魔法青少年学院で合同の軍楽隊募集のお知らせ』……? ああ、軍楽の大会が近いのですね」
回覧で回ってきた情報は、別に大したことでも何でもなかった。
軍楽……前世の感覚で言えばマーチングドリルに近い。行進しながら楽器を演奏したり、旗を持って振り回したりとかそういう感じ。
その中学生大会――正確に言えば満15歳以下なら中学生でなくても出場可能だが、ともかくその大会のために魔法青少年学院の私らの通う中央校と、夏休みに旅行に行った際に立ち寄ったラルゴフィーラにもあった地方校と合同で臨時チームを作成するという話である。
何故わざわざ合同などとしているかと言えば、中央校は1学年わずか30名しかおらず、単独でそういった大会に出場しようとすると生徒の負担が大きすぎる。
一応軍事行進は『特別教育』で、楽器演奏も芸術の授業で重視されているから全くの未経験者というわけではないのだけれども、それ専任でやってきた他の軍楽部がある学校には太刀打ちできないわけで。
でもかといってあっさり負けるというのは、今度は魔法使いは軍事を司る組織という面から見たときにあまりよろしくない。魔法使いの卵である私達が、軍楽という軍事に関連するパフォーマンスを軽視することは、魔法教育の質が問われるとか意見が出て、魔法使いを軽視する風潮を作りかねないとか何とか。めんどくさい。
そこで窮余の策として魔法青少年学院の名を冠する4校の合同チームを編成することとなるわけで。ちなみに、軍楽以外の普通の部活でも個人戦等の少人数で出場可能な競技を除けば、合同参加がほとんどだ。
即席チームとはいえ、全員『特別教育』で軍事教育の基礎みたいなものは受けているのでチームワークは悪くないとのこと。……というか指揮系統が部活レベルではない程明確化されるらしい。
と、ここは問題ない。
問題は、この回覧情報の複製作業だ。
複製なんてプリンターをコピーすれば一発……なのだが、残念ながらここは前世のように上手くいかない。
というと、プリンターがこの世界には存在しないように思えるが、存在しないわけではない。だって『新聞』があるし、大量の文書を複製する技術が進んでいない訳がないのだ。情報を画一的に大量に拡散できることは言うまでもなく重要なことで、それは軍事に関わる魔法使いだからこそ、より直接的に影響する。
……何が言いたいのかと言えば。学校の中にもプリンター……というか魔石タイプの印刷輪転機が1台ある。
うん、1台だけ。
印刷技術を重要視していて輪転機1台。技術としては存在するけれども高価な代物だということを示している。
となると、そんな高価なアイテムをおいそれと使って壊したくはないという意識が働くわけで。
結局、簡単な複製作業や急ぎでないものは、手作業でやってしまうという結論になる。
……ただ。問題はうちのクラスでは何故か、私が日直のときにこの複製作業を任されやすいということだ。
先生が日直に雑用を頼むこと自体はたまにだが、あることである。だけど他の生徒に対しては荷物運びとか新しく搬入した教材の整理だとか、そういうことが多いのに私には何故か文書の複製ばかり回ってくる。
1つの理由としては、教員側が私、すなわち女子生徒に力仕事を任せるのに抵抗感があるのは考えられる。まだこの学院は、共学になって2年目でしかないのだ。それまでの生徒らに慣れていた先生であればあるほど、私達女子生徒の取り扱いが妙になることも分からない訳ではない。
……そもそも、あの女子3人に1年間先生として接していたらどう対応すれば良いのかなんて、かえって分からなくなるわ。
後は私の父が魔法使いという部分も考えられるのかな。特段外部に漏れても問題の無いばかりではあるけれども、それでも左遷されているとはいえ、正規の魔法使いが身内に居る私が情報保護という観点では適していると言えなくもない。……本気で情報の漏洩防ぐ意図があるのであれば、そもそも生徒にこんなことをさせないから気休め程度のことではあるのだろうけども。
ただ、これが地味に時間がかかる。自分が読むだけなら雑に作ってしまって構わないんだけれども、曲がりなりにもクラスメイトに届く文書であるので手が抜けない。
これは私の中の皆無に近い女子力が見栄として発動してしまっていることが主要因ではあるけれども、同級生の中には王族・貴族が居て、曲がり間違って親世代の手元に渡ったときにガチの貴族当主に手抜きで書いた字を見られるのは嫌だなあ、という気分も入っている。
というわけで1枚書くのに大体10分くらいかけている。それで1クラス分なので30枚、ってことは300分……5時間かかる計算なわけだけれども、先生が半分以上は処理するので大体2時間くらいで終わる。
というわけで放課後にある『特別教育』へは、文書複製作業を頼まれたときには大体参加できない。
……さーて、ひたすら無心で文字を転写する作業、やりますか。
というかこういう作業こそ、魔石装置や魔道具を使わなくても魔法で何かこう上手いこと出来ればいいのに。
*
……案の定、見込んだ通り2時間かかった。
2時間ぶっ通しで文字を書くとすごい疲れる。
少し前に『特別教育』も終わったようで、校舎内には夕陽が沈みかける程に夜が顔を覗かせている。
作業をしていた職員室の隣の準備室から出ると、先生以外の生徒の姿がもう廊下内には見えない。もうみんな寄宿舎に戻ったってことかな。門限は危ないけれども、こういう日直作業を頼まれたときは大体先生が申請出してくれているので、多少遅れても問題は無い。……女子寄宿舎の夕食当番の日じゃなくて本当に良かった。
さて、寄宿舎に戻ろうか。
誰も居ない廊下を進み昇降口へと歩みを進めていると、ふとその途中にある小講堂の明かりが付いている。
あれ? 誰か残っていたのか、と思いつつ、歩みを変えずにそのまま通り過ぎようとしたときに、小講堂の中から大きくは無いが、声質のせいか周りが静寂であったからか、抗議するかのような色を持った非常に通る声が聞こえてきたのである。
「――エルフワイン殿下。……私は反対です! そもそも、このような低俗なものを王族である貴方にご覧いただくことですら、忌まわしい。
何故、王子はあのような輩――そう、ガルフィンガング解放戦線と繋がりのある彼らの書状を手元に置いておくのですか! あれらは国家の膿であり、絶対に殲滅せねばならぬ病原菌ではないですか!」
「……諫言有難く思う。だが、私としては書状など送るだけ送らせておけば良いと考えている。
そして、君の考えは分からないでもないが、彼らにも言い分があり、それが一部とはいえ我が国の民の支持を得ているわけだから無下にするわけにもいかないだろう」
……うわ。王子とルーウィンさんだ、この声。
しかも勝手に聞いてしまってはまずい内容ではないか、これ?
思わず足を止めてしまった以上、盗み聞きをしてしまっているようになってしまったが、これはまずい。
そんな私の混乱をよそに話は進む。
「しかし……、彼らは非合法的手段でもって我が国の権力を簒奪せしめようとしております。それは即ち国家転覆を狙う暴力主義者の兇徒ではありませんか」
「君の意見は事実だが、この書状の内容には気になる点もあるのだよ。
……合法・非合法、あるいは過激・穏健を問わず、この手の組織から届く書状にはよく『この御方と会ってほしい』という内容が書いてあるのだが、その殆どが『ティートマール・ベルンハルト』という吟遊詩人の名を出すのだ。
……軽く探りを入れてみたが、どうやら特定の組織に肩入れしているわけでもなく、彼自身は具体的な行動には出ていないようだ。にも関わらず複数の組織から私との面会を望まれている。些か不可解な状況であるので、書状を差し置いているというわけだ」
――吟遊詩人?
ガルフィンガング解放戦線のような過激派と縁はあるようだが、そういった組織の構成員ではない。
でも、王子の下に会ってほしいと書状が届く。
……一体、どうなっている?
かつてルシアのお父さんが所属するリベオール総合商会の商会長を暗殺したテロ集団は、王子に何を求めているのだ。




