4-19
地元が近づくに連れて、謎が深まるばかりのラウラ先輩。
面識の無さそうであった路面列車改造バス――通称『改バス』の運転手にお嬢と呼ばれお金を渡すことを拒否されたりして、ようやく彼女が言っていた「地元じゃ自分はスリや誘拐に会うことはないだろう」というのが虚言でも私を安心させるための方便などではなく、本気で言っていることが分かった。
「待たせたようですまんな、ヴェレナ。
ほら10ゼニーは返すから手に持っておきな……。どうせその様子じゃ改バスに乗るのも初めてなんだろ?」
色々とラウラ先輩に聞きたいことが増えてきたけれども、『改バス』とやらに乗ったことがないのも確かなので先輩の問いかけに対して素直に頷いて、乗り方の教えを請う。
「まあ、とはいっても乗るときは何にも無いんだけどな。
さっきみたいに路上で走っているやつの中から行き先が近いものを見つけて止めればいいだけだ」
改バスに乗り込み、先ほど先輩が交渉した通り荷物を助手席に置きながら話を聞く。バスに改造された元・路面列車内は座席が増設されているようで、対面式の座席シートの他に中央部に板が渡されてこちらにも座ることが出来るようになっている。
その反面中で立って乗車することは難しそう。そもそも座って見ると向かいのお客さんの膝が当たりそうなほどに近い。
一応揺れても大丈夫なように金属のポールが座っていても握ることのできる高さに横に設置されている。反対側の人にぶつかりそうになったときはこれを握ればいいのかも。
そんな座席の慣れない狭さに四苦八苦している姿を先輩にがっつり見られる。はじめてなんだから仕方ないでしょうよ。
苦笑いしながらラウラ先輩は続きを話す。
「逆に改バスから降りたいときは、ヴェレナが今見ている金属棒に硬貨を打ちつけてカンカンと音を鳴らせばいい。そうすると改バスが停車できる場所なら止まってくれる」
へえ、このポールって持ち手以外にもそんな役割があるのね。
そうやって感心していると怪訝な表情を私に向けてきたので、ラウラ先輩の目を見る。すると観念したかのように、話し出す。
「……お前、本当に改バスに乗ったことないんだな」
えっ、それはどういうことだろう。先ほどの発言と説明は何だったんだ。
「……いや、説明は全部本当だが。ただ、改バスって路面列車やバスと同じくらい足として使うものなんだけど。
普段何で移動してるんだ、ヴェレナ?」
普段何と言われても……。バス停が家の近くにあるし、バス路線がそのまま路面列車停留所付きの鉄道駅まで通ってるし。
それ以外で、普段と言われると。公用車は緊急時だけだからちょっと違うしねえ。タクシーだって1度しか乗ってない。ふと頭に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「初等科のときは、自転車でスクールバス乗り場まで通っていましたよ……あっ」
言ってしまってから気が付いたが、自転車が高級品なことはかつてソーディスさんの家で聞いたことだった。
「……え? 自転車? 『自転車タクシー』ではなくお前自分の自転車持ってるのか……」
ん? 『自転車タクシー』。また聞きなれない言葉だ。ただ、まあ今度は言葉面から何となく把握できる。
ラウラ先輩に聞き直すと、「まあ、改バスも無いような富裕街には、自転車タクシーは走ってないか……」と呆れられながらも、それが中古の業務用自転車を安く買い取って横に座席を取り付けたものを言うらしい。バイクのサイドカーの自転車版? みたいな感じとのことだけど、そもそもサイドカーの記憶自体があやふやだ。
そんな自転車タクシーは、体力のある若い男性が日銭を稼ぐために元締めの会社から自転車をレンタルして街中に居るらしい。
……今まで見たことなかった。
「まあ、見たことないのも無理ないさ。基本金持ちも観光客も乗らないからな。ヴェレナの住んでいる街で見かけないのは仕方ないさ。
そもそも王都中心であれば路面列車と鉄道網が網羅されているから移動に困らないしな」
言われてみれば、確かにその2つの充実度を感じる場面は多々あった。確かに他の交通機関が発達する余地がないのは納得がいく。
そんな話をしていると時間はあっという間に過ぎるもので――。
ラウラ先輩が窓の外をちらりと見ると私に声をかけてくる。
「ああ、そろそろだな。
……ヴェレナ? 折角だから硬貨で上の金属棒を2回叩いてみな」
そう言われて私は、財布に戻し忘れてサロペットのポケットに入れっ放しとなっていた10ゼニー硬貨を思い出し、好奇心の赴くままにラウラ先輩の言う通りにするのであった。
*
「まさか、本当に10ゼニーで乗れるとは……」
路面列車の3等車ですら一律で50ゼニー取るのに、それよりも安く乗れるとは思わなかった。私の中の『ゼニー』という貨幣の価値が未だに定まらない。
アプランツァイト学園の初等科食堂では1食400ゼニーくらいしたはずなんだけど……、でもあそこも大学科のカフェテリアはその半値以下くらいだったし初等科食堂はクオリティも凄かったし高級店だったのかなあ。
そんな1食数百ゼニーかかるという『常識』を持っている私にとって10ゼニーで乗り物に乗って移動が出来るというのは正直、驚いた。
「まさか、ラウラ先輩……。あの運転手の弱味でも握って……」
「そんなことしてねえよ! 1人10ゼニー、それが改バスの運賃だから。どれだけ距離乗ってもそれは変わらねえ。
……というか、そもそもヴェレナ、乗るときに向こうが金を払わなくても良いって言っていたのを断ったのを見てなかったのかよ!」
ああ、そうでした。あまりに安すぎて不当な疑惑を先輩に向けてしまった。ここは正直に謝ろう。
降りたところから2,3分歩いただろうか。先輩が私に声をかける。
「――それでもうこの界隈はハウトクヴェレ、ウチの故郷にほど近い。
ほら、あそこに門が見えるだろう? あそこから先がハウトクヴェレだ」
彼女が『門』と称したそれは、土埃の舞う道沿いに無造作に建てられた壊れた2本の魔石街灯同士を針金でアーチ状にして、太さの異なる針金で器用に『ハウトクヴェレ』と書かれているお手製のタウンアーチであった。
……それで、そのアーチの向こうに立ち並ぶ家々はよく言えば雑多だ。木材やトタン、布や金属板など多種多様な材質で構成されている。悪く言えば……うん、廃材を再利用して建てられたと一目で分かる。
その街並みから少し外れた部分を見てみると、荒れ地のような周囲より若干低い平たい土地が広がっている。葦や石が転がる河原のように見える。
「……あちら、には川が……流れているのですか?」
私が口を開き、発声することで尋ねた質問に対して、ラウラ先輩は射抜くような視線でこう答える。
「確かにあっちは川だな。ただ上流からも生活廃水が流れてくるから水は濁っているぞ。まあウチも汚水垂れ流しているからお互い様なんだが。
……それよりも、ヴェレナ。その反応は、別に予想していたから無理に我慢しなくていいんだぞ。
――臭いがキツすぎて受け付けないんだろ? ……しょうがないさ、此処に初めて来た奴は基本的に誰でもそんな反応さ」
……。
…………ヘドロのような腐敗臭と、鉄錆びを想起させるような金属臭。
改バスを降りた瞬間に異臭を感じ、『ハウトクヴェレ』に近付くに連れてそれが確実に強烈になっており、先輩側からそれを不快に思っていることを指摘され最早言い逃れのできない私は黙って頷くしかなかった。
*
「とは言っても、結局鼻がおかしくなって慣れるしかないんだけどな。こればっかりは……。
とりあえずウチの部屋が一番臭いはマシか。荷物置きに行くついでに……」
先輩が呟いて私を案内しようとするが、その声は次の瞬間かき消されることとなる。
「――っおお、お嬢じゃねえっすか!! お早いお帰りで!
あれ、でもラルゴフィーラでの御勤めから戻られるのって明日じゃねえですか!?」
「おーおー、久しいな。何、ちょっと向こうで一悶着あってな。
向こうでのゴタゴタに巻き込まれないようにとんずらって訳さ。
ああ、それよりも。ウチの連れが……まあ、いつものやつだ。ウチが使っていた部屋ってまだ空いていたよな?」
「へい、そりゃあ勿論ですよ! このハウトクヴェレにお嬢の部屋を使う輩が居る訳ないじゃないっすか。定期的に掃除婦も入っているって話だから、特に問題ねえと思いますぜ。
……それで……そのお嬢のお連れさんは、どちらさんで?
随分と良い身なりしてますけど、もしかしてお嬢……攫いました?」
話しかけてきた男性も、ラウラ先輩のことを『お嬢』と呼ぶ。
この『ハウトクヴェレ』においてはラウラ先輩の知名度は高いのかもしれない。いきなり通りがかりの人がこうして親しそうに話しかけてくるくらいだし。
そしてその男性は私の姿を一瞥するなり誘拐を疑ってきた。
「攫ってないわ、阿呆! 学園の後輩だ、後輩!」
……この場は私からも簡単に自己紹介をして、誤解を解いておいた。
*
どうやら先ほどの男性はこの街に余所者や要人が入ってきた際の先触れも兼ねていたらしく、ラウラ先輩の帰還は私達が歩きながら先輩の部屋を目指すうちにあっという間に住民に共有されたようだ。
それで、先触れ要員の男性が、私が先輩の友人であること、そしてとりあえず先輩の部屋に向かっていることを察してくれているみたいである。
道行く人に「お嬢、御勤めご苦労様です!」などと帰還を祝う言葉を老若男女問わずかけられるのに対して、長話をする人が居ない。みんな一言二言声をかけると去っていく。……私達が部屋に行く、ということを邪魔しないためなのだろうか。随分と統率がとれている。
しばらくそうして先輩が声をかけられながら歩いていると、不意に開けた場所が現れた。どうやらこの街の中央広場らしい。先ほどの道沿いにも怪しげな露店が立ち並んでいたが、広場にも食べ物の屋台などが並んでいる。
そしてその脇には小さいながらもちょっとした食料品の市場があり、町の人の憩いの場となっているようだ。
……何より目立つのは周囲の建物と比較しても一回りも二回りも大きな石造りの教会。教会は随分と立派なんだね。
すると、その教会のすぐ隣にあるこの街では比較的しっかりと建てられている印象を受ける木造の建物にラウラ先輩が入っていったので私も慌ててその後に続く。この建物は街の入り口にあったような廃材建築ではなさそう。
中に入ると柑橘系の香りがする。と同時に中で慌ただしく作業をしていた人らが手を止めて一斉にこちら……というかラウラ先輩の方を向き、『お嬢』への帰還の歓迎の意を伝える。
ここまで来ると、あれなのか。市長の娘? とかそういうやつなの。
そんなことを考えていると当のラウラ先輩は、そこに居る人々の中で一際人相の悪い男性に話しかける。
「おい、ゴダスカルク。……こいつは、お前の差配か?」
「ええ、とは言っても先ほど先触れの連中が来たばかりですので。お連れの方がいつものアレだそうで、とりあえずここだけでも、と芳香剤を撒き散らしていた次第ですね」
ああ、私が臭いにやられたって話を聞いて、先輩の客人だからということで芳香剤を使ってくれていたのか。
……でも先触れって、一番初めに話しかけてきてくれた人のことだよね。ほんの数分前じゃん。この建物内の人が作業をしていたのも先輩が1日早く帰ってきたから慌てて準備をしていたってわけか。数分でここまで判断が回るってのもすごい。
「へえ、でもこの街にこんな芳香剤なんてあったんだな。ウチ全然知らなかったぞ」
「ああこいつはすみません。ですがお嬢が学院で果物にハマったという話は、前回戻ってきた際に話していたじゃないですか。
……であれば、驚かせてやろうと準備していたものですよ。そのまま果物を仕入れても芸が無いし、一応お嬢も年頃の乙女、ですし?」
「ああ分かった、悪ふざけってこったな。……まあ、今回は役に立ったから礼を言うべきかもしれんが。
そうだ。ゴダスカルクにも改めて紹介しておかないと。
お前の言うお連れの方のヴェレナだ。一応ウチの後輩にあたる。
んでヴェレナ。この人を殺してそうな見た目をしている男は、ゴダスカルク・オドアーサー。モグリの弁護士で口先だけは立つが腕っぷしはさっぱりなのでこんな見た目だが殺しはやってないらしいぞ。間接的には知らんがな」
……えっ、モグリ? 弁護士? 殺し? ちょっとごめんなさい理解が追いつかない……。
「いやお嬢。事務所は追放されましたが資格を剥奪されたわけではないんで、一応今でも正規の弁護士っすよ、いつも言っているじゃないですか。
ええとヴェレナさん? でよろしいですね。正直、お嬢が外の友人をこの街に連れてくるのは初めてなんで驚いてます。
ですので、色々と聞きたいことはあるのですが一番あなたが気にしていることを1つだけ。
――この街、臭いが酷いでしょう?」
自己紹介を返そうと思ったら矢継早に私の方が質問された。それも随分答えにくいことをばっさりと聞くなあ。
まあこうして芳香剤まで用意してもらった段階で、向こうにもバレている訳だし、先輩に既に伝えているから今更取り繕ってもどうしようもないので、素直に頷く。
「まあ、見ての通り貧民窟だから臭いってのもあるんですが。一応それだけじゃねえんですよ。
血の臭い……ああ、上品なお嬢さんには『金属の香り』とでも言った方がいいですか。そういう血生臭さが混ざっているからこそ、この街は臭いんだ。
あ、いや別に殺しが横行しているとかそういうわけではありません。弁護士としてこの街がグルになって違法行為に手を染めていないことは保障いたしましょう。
……皮革の加工師らの街でもあるんですよ。何で周辺地域から家畜の皮やら屠殺処理の行われた原材料が集まる。だから臭いって算段なわけです」
皮革製品の加工の街。前の世界でも今の世界でもレザーとかを使用した鞄などのアパレル製品はあったけれども、それが天然素材であれば動物であることは当然知識としては知っている。また前世では動物保護問題などでそれが取り沙汰されていたことも。
しかし、加工前の状態に思いを馳せることはあまり無かった。動物の皮なんだからそれは即ち言い方は良くないかもしれないが生き物の死骸だ。処理の過程であれば臭いが酷いのも頷ける。
何も考えずにそうしたレザー製品を使っていたのも確かだし、動物保護ドキュメンタリーなどを見ても漠然と可哀想としか思っていなかった。
臭いのことに考えが廻ったことなど、今まで一度も無かったのだ。
私が考えを巡らして何かを感じていることをラウラ先輩は察したのか、次のような提案を行う。
「ああでもそういう話ならこのエセ弁護士よりも、アンセルムの爺さんにでも聞いた方が詳しい話が聞けるかもしれないな。
ゴダスカルク? あの爺さんは今日も店に居るか?」
「……え? ああ、はい。ガキ共の手合わせの当番も別の方がやる日ですし、何も無ければ店に居るんじゃないですか。
でも、良いんですか。このお嬢さんをあそこに連れて行って、だってあそこは……」
何やら不穏なことを言い出した強面の弁護士さん。この街の皮革製品を含めた背景は気になるけども、ちょっと怖いんだけど。
「おいおい、皆まで言うな、ウチの楽しみが減るじゃないか。
……で、ヴェレナ? 詳しい話が知りたいなら、お前の鼻がイカれ……いや、落ち着き次第向かおうと思うけれどもどうする?」
ラウラ先輩の明らかに悪巧みしている顔と、そこから放たれた言葉。
まず間違いなく何かがあるのは確かだ。
正直怖さもあるけれども、ラウラ先輩が何かやらかすには違いないが私のことを危険に晒すとも思えない。好奇心と煽りに乗る形で先輩に了承の意を告げると、「そうこなくっちゃな!」と破顔した。
……ってか、私の鼻をイカれさせるってどういうことなの……。




