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学園案内という名のビルギット先輩の乗馬披露が終わった入学式当日の夜。
昼間の間にルシアに送っていた魔法通信の返信が届いていた。同級生の王子の側近をしているあの博愛主義の男子生徒の本家であるルーウィン侯爵家についてリベオール総合商会の伝手を使って調べてもらいたい、というあれだ。
結局その問いかけに対するルシアの返答は、「貴族家は秘密主義が大きく、その家族構成すら情報公開されていないことが多い上、関係者も中々口を割らないので分からないことのが多いわよ」という白紙回答であった。
ただし情報提供ができなかった代わりかどうかは知らないが、「多分ヴェレナは知らないでしょ」というまくら言葉を置かれた上で、何やら女子寄宿舎宛てに貴族関係の書類を送ったとのこと。
それで3日ほど経った日の放課後、女子寄宿舎に戻ると警備兵の方が私に郵便を渡してくれ、その差出人欄を見てみると『ルシア・ラグニフラス』と書かれていた。
ただし……、私はまだ中身に触ってもいないのに封が開いている。それはつまり誰かに見られた、ということだ。
警備兵から手渡されたから警備兵の人が中身を勝手に空けて見たのだろうか。……いや、封は明らかに刃物で切り拓かれた形跡があり、折り目に沿って綺麗に切られているのでペーパーナイフか何かで切ったのだろう。
となると、屋外で女子寄宿舎の入り口を守っている警備兵がペーパーナイフを常備しているというのは考えにくい。どちらかと言えばデスクワーカーのが可能性が高いが。
すると学院の職員か。もしくは郵便局? ……まさかルシアが元々封の空いている封筒に入れたなんてことは流石に無いよな。
そんなことをダイニングで悩んでいると、偶然飲み物を取りにビルギット先輩が通りがかったのでこれ幸いと聞いてみる。
「……検閲のことですかね? 我が国の治安は悪化しているので致し方ない面はあると思いますよ。
学院によって個人の郵便物に至るまで1つ1つチェックはされますが、それは個人の嗜好や思想を探るといった用途にではなく、爆発物やら危険物などが混入していないか確かめるためにですからね」
そういう意図であれば仕方ないの……かなあ。正直違和感が物凄いが、確かに公務員が羨望されている現状でかつテロリストも跋扈している現状では確かに警戒するというのは分からないでもない。
一時的な障害ではあるみたいなので、この国の情勢が沈静化すれば自然に解除されるか。まあ問題は、森の民金融恐慌という不況を越え、それ以前の治安と景気悪化の根本原因であった魔王侵攻手形関連の負債を返し終わっているのにも関わらず、テロ組織が伸張し治安の改善の見込みが全く立っていないという部分だが。
それで検閲された中身は何枚かに亘る手書きの紙であった。ただし筆跡はルシアの字からは程遠く、おそらくラグニフラス家の使用人辺りが書いたものなのだろう、さっと見てみただけでも貴族に関する情報が結構細かな字で書かれていた。……結構文量あるみたいだから後で読んでおこう。
*
「ああ……、しんどい……キツい……」
――入学式から3ヶ月経過し、7月。
土曜日は午前中だけ『特別教育』があり、お昼には終わるのだけれども、朝の9時から3時間続けての『特別教育』は合間合間に休憩の時間が挟まれているとはいえ相当辛い。
そもそも、入って1週間くらいは『特別教育』も内容――つまり『教練』・『乗馬』・『護身』・『訓話』の4種に関する説明だったり、あるいは体力測定や経験のあるスポーツや武術の申告・確認などと、むしろ座学の『学科教育』よりも楽なくらいだった。
それがいざ本格的に始まったら豹変して私に試練として襲い掛かってくる。1年生は基本的に誰しもが『体力作り』から始まる。そのためこの時期は『教練』に最も時間が割かれる上、体力を鍛えるということで、かなり体育会系というか体育会そのものだ。
……4月の頃は階段昇降といって、『櫓』と本学院では呼ばれている建築現場などで使われている足場、あるいは非常階段のような見た目をした設備をひたすら全力ダッシュで昇り降りするのを週に3日程放課後にやらされた。休憩も大分挟んでいるから実際走っているのは1時間程度だけど、最初の頃は足が筋肉痛になるわ、『教練』が終わった帰りに足がつって大変なことになるわ散々だった。しかもこの『櫓』。建物の高さに換算したら8階建て相当だと言う。それを全力で駆け昇って、すぐさま駆け降りるの繰り返しなのだから足に負担がくるのは当たり前である。
そして、今ではそうした階段昇降から更にステップアップして、梯子を命綱をつけ高速で昇り降りする教練へと変わった、私達はそれを『梯子登攀』と呼んでいる。
昇るのに手を使う必要があるし、何より階段よりも足場が悪いので、早く昇るにはそれなりにコツが必要であり、しかも1日に何度もやらされるので体力が嫌でも付く。
だからこそ、毎日ヘロヘロになるまでそうした『特別教育』を受けているせいでしんどいし辛いわけだ。
そして『教練』以外はまだ本格化していないものの、『乗馬』については多少馬に慣れるという意味でもって平日に1日か2日、そして土曜日授業では月に1,2回程度行っている。はじめて乗ったとき……というか馬の背は高く、最初は馬の上に乗ることすら大分苦労した。乗ったら乗ったで視点が高くて怖かった。
そして当たり前すぎて忘れがちなことだが馬も生き物だ。初心者である私……というか下手くそに指示出されたくないのだろう。教官の先生が教えてくれた通りに歩くように足で馬の腹を軽く蹴っても無視するんだ。少し強めに蹴ると嫌々歩き出すのだけれども、こっちが馬の上でバランスを上手く取ろうとすることに集中していると、指示を出していないことを良いことに馬もすぐ止まってサボろうとする。
……まあ、気持ちは分からないでもないけどね。
そして『乗馬』という行為そのものが地に足を付けず、別の生き物に乗るということで、普段絶対使わない筋肉を酷使する。最初に乗ったときなんて内股とふくらはぎの外側がピンポイントで筋肉痛になって翌日歩けない程だった。そのときだけは、土曜日に『特別教育』が設置されていたことに感謝し、同時に最初の『乗馬』の実技を土曜日にやってくれたことにも感謝であった。
それでも何度か乗っているうちに馬も段々と私の指示を聞くようになって、一番最初にやっていたゆっくりと歩く『常歩』でならば、多少ぎこちないものの曲がったりできるようになり誘導なしでも動くことができるようになった。今では『速歩』という人間でいうところのジョギングみたいなペースで直線を走ることは出来るようになった。もっとも、速度が上がった分お尻にくる反動もそれに応じて大きくなったので、再びありえない部位の筋肉痛に悩まされるようになるのだが。
まあそうした前世でインドア派であった私には何かの修行かと思うような体力作りの日々は、私だけではなく他のクラスメイトらも相応に辛さを感じているようで、まだ入学してから3ヶ月ではあるけれども、早くも1年生から自主退学者が2名出ている。……31人中の2名だからね、結構大きい。
そして入学式の頃には怪訝な視線を向けられていた私であったが、とりあえず3ヶ月同級生男子らと同じメニューを何とかこなしていることで、そうした目線を向けられることは今ではなくなった。
まあ、どちらかというと私を見直したとかそういう話ではなく、多分男子も単純に疲れているだけで周りのことを意識する余裕がなくなっているだけなのだろうけども。
そんなことを女子寄宿舎のダイニングにあるテーブルに突っ伏して考える土曜日昼下がり。今日は乗馬ではなく『梯子登攀』の方をやってきた直後なので足がパンパンでもう外に出歩く気力もない。
なのでこのまま自堕落にテーブルにしがみついていようと決心したそのとき、玄関が開く音がしてほとんど間を置かずしてダイニングに誰かが入ってくる。
「帰ったぜー、……って。
おおー……見事に潰れてんな、ヴェレナ」
この口調はラウラ先輩だ。先輩の方に顔を向ける余裕もなく私は返答する。
「あれ? お1人ですか? 先輩たちも『特別教育』終わったところですよね」
「あー……。ビルギットは今日明日は実家に帰るらしい。外泊届取っていたしな。
オーディリアは休日に居なくなるのはいつものことだろ。一応門限ギリギリに帰ってくるが何しているんだあいつは」
この学院に入学してはじめて分かったことだが、休日は基本的にオーディリア先輩は門限の時刻の瀬戸際まで度々外出している。……というか門限に間に合わないことも多々あるが、そういうときは門限を超えて外出するための許可となる外出届や学院外で宿泊する場合に提出の必要な外泊届を卒なく申請しているので校則的には全く問題ないが、それでもよく外に出る。
確かオーディリア先輩は、この女子寄宿舎の部屋を決める際に外出頻度が高いから玄関に近い部屋を選んだと言っていたわ。
「まあ、ウチらのことはどうだっていいんだ。この時期にそれだけ疲れているってことは……登攀教練か?」
そのラウラ先輩の声に黙って頷く。
「登攀は絶対必要なこととはいえ、体力と筋力勝負だからキツいよなあ。今の時期だとロープをやり始めるくらいか? それともまだ梯子の段階か?」
えっ、なんすかロープって聞いてない。梯子の次はロープで昇り降りするのか。
私の表情を覗き見たラウラ先輩は意地の悪そうな笑みを浮かべてこう続けた。
「その顔はロープはまだって感じだな。梯子はまだはじめてでも時間をかければ昇れるけれども、ロープは絶対無理だから今よりもっと苦労するぞ」
「……ロープってそんなに難しいのですか?」
「今のヴェレナだとおそらく腕の筋力が足りないな。そしてロープの握り方の感覚を掴めるまでが大変だろう」
筋力足りないって、筋トレとかする必要あるのかな……。でも先輩ら3人ともそんなに筋肉を鍛えているという印象はない。オーディリア先輩もこの学院に入る前と後で特にシルエットというか精悍な体つきに変化した様子もないけれども、見えないところで実はしっかり筋肉が付いていたのか。
思わず制服姿のラウラ先輩の身体をまじまじと見つめるけど、そんなに筋肉の付いている印象は受けない。
「……あのなあ、筋力が必要とは言っても筋肉質な肉体美を追求している一部の男子の筋肉バカ共とは違うんだ。多少引き締まるくらいで留めているに決まっているだろう。そもそも今でさえ『特別教育』だけで肩幅が広くなって困っているのに……」
肩幅が広がるのは嫌だなあ……。
今の教練が楽になるのであれば筋肉を付けた方がいいのは分かるけれども、先輩らのやり方を踏襲した方がいいのかもしれない。卒業するときには筋骨隆々の鋼の肉体になっていたりするのは……うーん、どうなんだろ。
あまり見た目に拘りがある方ではないのだが、自分自身がマッチョというのは流石に合わないと思うので……。筋肉の似合う女性が魅力的であるのは大いに同意できるのだが自分がそうしたシルエットに似合うのかというと、ちょっと違う気がする。
そもそも前のゲーム世界でも悪役令嬢であって、一騎当千の女傑のような人物だったわけではない。だから多分私が過度に鍛えようとしない限りは大丈夫だとは思うけど。
というか元々はインドア派なんだから、前世では筋肉に無縁だったのにどうしてこうなった。
「ああ、そういえば、ラウラ先輩たちは今日の『特別教育』では何をなさったのですか?」
ふと1学年上の先輩たちは一体『特別教育』で何をやっているのか気になった。
「ウチらか? 今やっているのは『設営教練』だな。制限時間内に不整地で土嚢を積み上げる作業をやったり、そうして組み立てた土嚢の壁を撤去したりを繰り返している」
うへえ……それもキツそうだ。
いやでも、きっと1年後には今以上に体力が付いているのは間違いないし、思っているよりも大変じゃなかったりするのかな? ……そんなことないと思うけど。
そんな詮無きことを考えていると、ラウラ先輩が突如思い出したかのように私に問い詰める。
「ああ、そうそう。少し気が早いけど、夏休みで空いている日程教えてくれるか? 実はこの寄宿舎の面子で泊まりの旅行を考えているのだが……どうだ?」
夏休み。ちょっと先の話だけど、泊まりがけの旅行となるともう計画を立てる時期でもあるのか。
ただし、この学院の夏休みは名目上1ヶ月程度置かれているものの、夏季集中授業と『特別教育』が設置されていて半分くらいは潰れて実質は2週間ほどである。
「ええ、それは構わないのですが。一体どこへ行くのですか?」
「まだ、予定なのだが我が国の西部で最も栄えているヴァンジェール州の『ラルゴフィーラ』という場所に行こうかと考えている。
ほら、魔法青少年学院は『地方校』があることは知っているよな? その地方校がある場所であり、同時にこの都市は隣国の『街道の民』の目と鼻の先にある。国際鉄道に乗れば次の駅が他国という場所だ。
そうした立地上、『街道の民』の影響はもちろん、その先にある『商業都市国家群』の息吹も感じられることだろう。
――どうだ? 興味はあるか?」




