prologue-1
ルシアの家に訪れるのは2度目だ。前に来たのは、あのとき――『製紙事業計画』でのことだ。あれは確か1年生の今頃だったから、もう4年も経っているのか。
また前回はお昼に伺っていたが、今日はもう夕方を通り過ぎてほとんど夜更けに近い。そもそもルシアのお父さんからの緊急通信があった時点で夕方だったし、そこから家を出るとなるとね。
そんな時間なので、今回は両親同伴だ。
最初は私は緊急通信を受けた直後、自転車と路面列車を駆使しルシアの家に行こうとしたが、流石に止められたのである。勿論、夜で危ないというのも理由の1つではあるけれど、それよりも大きい理由があったために私は両親に従った。
それはこの国の政情不安。鉄道に乗るときの荷物検査や、テロ事件。
それらの要因が慢性的な不景気に起因していたこと。であるのならば、考えざるを得ないわけで――不景気で社会混乱が起こるのであれば、銀行が突如休業するなんて事態が起きたらこの国の治安は果たしてどうなるのだろうか。
そしてルシアのお父さんは、魔力通信において金融不安が金融恐慌になったと明言した。その言葉の重要性を加味した私の両親は、迅速でそして久しぶりに過保護の面が出たのであった。
我が家には自家用車が無く、公共交通機関を利用するには多少リスクがある情勢となってしまった。それでもなお、外出するとなるとどうするか。
タクシーの利用に踏み切ったのである。
私達の住んでいる街であるヘルバウィリダーには我が家から歩いて数分の場所にタクシー関係の商会があり、運転手込みで一時的な契約を結べるとのことだ。
……あれ? タクシーって前世では道で手を挙げて止めたり、電話で予約して指定した場所に来てもらったよな、と思ったが、そもそもこの世界にある情報伝達手段で高速のものは魔力通信だ。遠隔地に対してはメッセージを送るだけで1日終わるようなものだから、近場に商会があるのであれば直接赴いた方が早いのは当然だ。
また一方で道で捕まえるとはいっても、そもそもこの国は車の利用者が少ない。道路に敷かれたレールを走る路面列車とバスが大勢を占める印象で、タクシーすらあまり走っていない。
何故か? 生活に必要なライフラインも兼ねる魔石の輸送に優れる路面列車のが優先され、優遇されているからだ。路面列車網が発達した一方で乗用車というものがあまり発達していない。
運転免許がプロフェッショナルな専門資格だったね、確か。
……となれば、当然推測できるものがあるけれど、私はこの考えにタクシーの商会へ赴くまで至らなかったわけで。
「本日はご利用ありがとうございますフリサスフィス『魔法伯爵』殿。
……お久しぶりですね、先輩が近くに住んでいることは伺っていたのですが」
「グリムヴァルト魔法男爵。……いや、魔法爵位で呼ばぬ方がいいか。今日は妻と娘も一緒に世話になる」
運転技術が希少だけれども、お父さんは公用車の運転をしていたし、それは魔法使い内部で有事の際の即応性から訓練していることは以前に誰かから聞いた気がする。……多分、ルシアと居た時だっけ?
ここに魔王侵攻後の『軍縮』という名の学閥の一部左遷を重ねると、見えてくるものが変わる。タクシー業界というか……自動車運転を行う業種は絶好の魔法使いの天下り先じゃないか。
そんな高度専門職の人間ばかり雇っているということは、
「3名……とのことですが、先輩は魔法銃扱えますから護衛は運転手の私以外に1人居れば良いでしょうか? ああ、勿論『元』学閥の者ですよ」
「ああ、それと私達が不在している家の護衛も頼む。そちらには3名ほど回して欲しい」
要人護衛も出来るレベルの水準の高級タクシーですよねやっぱり。
でもまさかタクシーの会社が同時に護衛も行えるとは思わなかった、てっきり警備会社的なのと繋がっていると考えていたのに、違ったのはどうして……って!
タクシー運転手が『元』魔法使い!
別に運転だけじゃなくて戦闘もこなせるじゃん! ってことは、この世界のタクシー業界ってつまり――
傭兵だ。
そういえばこの国の軍事制度の1つに『私兵』ってのがあったな。高率の税金を負担すれば合法的に兵力を保有することが認められていた。だから、運送業兼民間警備会社という体の傭兵組織なんだこれ。
……タクシーを使う、という言葉の重さがこの世界では全然違うんだ。
*
銃を携行する2人の元魔法使いの現・タクシードライバー兼ボディーガードが運転席と助手席に座り、私達家族3人は後部座席へと座る。やっぱり高級タクシーではあるみたいで座席はふっかふかだし、車内もそこそこ広い。ちなみにお父さんも武装しており、いざという時には戦力として当てにされている、みたい。
車体も実は防弾仕様らしく、何やら魔法に反発する物質で出来ているから魔法銃・魔石銃ともにその弾速を大幅に奪うことが可能とのこと。その辺りの話をされてもまるでさっぱりだったのでポカンとした顔をしていたら、ゆくゆく魔法青少年学院に行ったら習うはずだ、ってお父さんに言われた。そしたら護衛の2人が女の子で!? といった感じで驚愕した後に「まあ……フリサスフィス先輩の子ならあり得るか」と納得された。
やっぱりこういう所を見てしまうと、お父さんって優秀だったんだなあと改めて実感してしまう。
と、同時にこうやって慕ってくれている……のか良く分からないけど、ともかくそこそこに仲の良い後輩が居たのにも関わらず派閥を形成しなかった面に関してはやっぱり権力に無頓着というかなんというか。
そんな詮無きことを考えていたら、前に座る2人が父に話しかけてくる。そこらへんのコミュニケーションスキルは前世のタクシードライバーと同じなんだ……。
「ところで、フリサスフィス先輩がタクシーを利用するなんて珍しいですね。自宅に護衛を詰めることも私らに依頼するのは初めてですよね? ……やはり、ドラッセル関係で?」
……彼ら、情報が早い。でも魔力通信は緊急通信とは言え、その送受信には短文メッセージでも1時間以上かかるので、多分ルシアのお父さんの言伝を聞いた時点で既にそれくらいは経過している。そして準備してからタクシーに乗りに来たからもう市井には知り渡っている情報なのか。あるいは運転手みたいな動き回り様々な相手と会話する職業なら、取り付け騒ぎのような大きいものは知っていてもおかしくはないのかも。
「……それほどまでに、もう話題になっているのか」
「ええ、号外でもう新聞も出ているくらいですし。今日はもういつもの3倍くらいはお客様増えてますし。正直、明日明後日などのご予約はもう全部埋まってますね、タクシーの方も護衛の方もどちらも含めて。
今日は遅い時間なので、何とか先輩の要望に人員を割ける余裕はありましたが、明日以降は正直厳しいですよ」
慢性的な不景気でかつてテロがあった国で、元軍人の護衛付きの高級タクシーの予約が急に埋まる。それが意味するものは、……やはり来るのか。金融恐慌。
ルシアのお父さんの言葉に対しての状況証拠が1つ増えてしまった。気を重くしつつルシア邸へと向かうことになるのであった。
*
さて、久しぶりにやって参りました、ルシアの家。
移動中に日は沈んでしまい、辺りは既に夜と言ってしまっても過言ではない程に暗闇に支配されつつある。
既にルシアのお父さんたるベックさんは帰宅していたようでルシアと共に私達を迎えてくれた。
家族は兎も角として、魔法銃携行の護衛2人を引き連れて来るとは思っていなかったらしく面食らった表情はしていたけど。
それでもすぐ意識を戻して、私のお父さんに挨拶していたのは有力商会の新規事業を任されている身の上だと感じざるを得ない。適応力が高い。
そして考えてみれば、ベックさんと両親が実際に会うのは初めてだ。『製紙事業』の際に互いに連携していたり、ルシアと私のお父さんとは『勉強会』で会ってはいたけれど、親同士で会うタイミングは確かに無かったな。
そこで真っ先にお父さんが確認を取ったのは、今日中に帰れるかどうか。まあ夕方に呼んだということもあるからねえ、そして日が変わる前に自宅に戻るとするならば、帰りもタクシーに乗って帰る必要があるから、この場に護衛のお二人と車を待機させておかねばならない。
それを聞いてすぐに私に対して伺って早めに済ませるから待機していて欲しいと、ベックさんは告げる。
来賓室……前にふっかふかのソファがあった場所に、お父さんとお母さんと護衛2人が通される。まあお父さんと護衛の人はお互い魔法使いの元学閥同士だったし積もる話もあるようで、待つのは別に構わないらしい。お母さんもそこに自然と混ざるのは流石。
そして私だけ別行動。まあ私のことを名指しで呼んだからしょうがないけど。ルシアとベックさんとともに更に別室へと連れて行かれることに。
*
一応私が急遽呼ばれた側とはいえ、大所帯でやってきてしまったことは詫びを入れておく。4人分の来客への準備はそれなりに大変だろう、という思いを込めて放った言葉だが、それはあっさりルシアに「別に気にしなくていいわよ、家には使用人居るし」と返される。
そうだった、確か前に来たときにもこの家侍女の方が居たわ。じゃあ、そっちはあんまり心配しなくていいのね。
となると、客間というには少々絢爛ではあるがあの部屋が埋まってしまっている以上、私は今、どの部屋に連れて行かれているのだろう、と一抹の不安を感じながら、私の前を歩くラグニフラス親子の後を付いていく。階段を昇り奥の一室に案内され、扉を開けると……ソファーにいくつかの絵画が飾られたシックな部屋が。
あれ? 応接室が他にもあったんだ? と疑問に思いながら部屋を見渡すと、1つ気が付いた。
この部屋には、窓が無い。
「じゃあ、お父様。私はお茶を取ってきますわ。ヴェレナちょっと待っていてくださいね」
ああ、うん。それは良いんだけど……。
何故、こういう時に侍女を使わないのか。ルシアが出ていき扉が閉まると部屋の中には静寂が広がった。
「あの、ベックさん……。この部屋は……?」
耐えかねて私は目の前に居るルシアの父に尋ねる。
「まあ、ソファーに座ってくれて落ち着いてくれて構わない。この部屋は、たまに楽器の演奏部屋として使っている。ルシアも幼い頃はこの部屋に家庭教師を呼び様々な楽器を習ったものだ」
演奏部屋……ってこれは嘘ではないけど建前か。つまりは、防音部屋というわけでしょう。そして窓が無い。一応調度品だけ見れば客間の体裁は整っているが、機密保持のための密談部屋ってことだよね、これ。
そうすると、扉近くの小さな鐘が鳴る。その直後にベックさんが立ち上がり部屋の扉を開け、ルシアがお茶を持って入ってきたことから、さっきの鐘の音は部屋の外から鳴らせる仕掛けなのだろうと推察する。
でも、扉をノックすればいいだけなのにわざわざこんな仕掛けを……と思ったが、そうか。部屋の外のノック音すら届かない程の防音なのかこの部屋。
そしてルシアが自力で入れなかったことから内鍵であることも確定。さらに加えれば今ルシアが給仕の真似事をしているのは、勿論私が相手だから経験を重ねさせる意図もあるとは思うが、それ以上にこの家の使用人すらも近付けさせないという思惑を感じてしまう。
今日の昼間にはオーディリア先輩の応対をしただけに、この部屋に連れてこられた意図を推察しようとして、考えが迷宮入りする。
少なくとも、ベックさんとルシアが、製紙事業の際よりも遥かにガチ応対をしてきたことは確かだ。……あのときは叱責だったが、今回どうなるんだ一体。
一通りお茶を出したルシアがベックさんの隣に座り私に向かい合う形で座ったことを確認して、ベックさんが改めて話を切り出す。
「伝えた通りだが、ドラッセル金融にて取り付け騒ぎが発生し、午後2時に全支店で休業に踏み切った。リベオール商会内部ではこれが長期化して金融恐慌へと繋がるという見方が大勢を占めている。そこでヴェレナさんに質問したくて少々無茶をして連絡を取ったというわけだ。あなたが考え付く限りの対策を教えて頂きたい」
えっ、難問が来た。
多分、前世知識を求められているには違いないのだけれども。……よし、ここは言葉を分けて考えてみよう。
取り付け騒ぎって、あれだよね。銀行に預けていたお金を下ろそうとして皆が一斉に銀行に行くやつ。
あ、まずはここだ。
「先に確認したいことが何点かあります。
初歩的な質問で申し訳ないのですが……、何故取り付け騒ぎが発生すると銀行は休業するのでしょうか」
その質問をして一拍おいて溜め息を吐く目の前の親子。その後呆れた顔をしながらルシアが口を開く。
「お父様は性急すぎ。この子の見識や発想力は常人では計り知れない水準にはあるけど、意外なところでポンコツなのだから。
ヴェレナは知識に偏りがあるから前提条件からしっかり教えてあげないと神がかりは期待できないわよ……。
その上、経済的な話は専門ではないのだから尚更よ」
……なんか、ルシアが自身の父を諭している姿は新鮮だ。まあこのベックさんに会ったのは一度しかないけど。そしてその娘の言い分を素直に守り主導権をルシアに譲り渡す。
「いい、ヴェレナ? 仮の話だけれども自分がお金を預けている銀行が潰れそうだって話を聞いたら、そこにお金を預けておきたくないわよね?」
確かにそれはそうだ。だって万が一倒産したら預けているお金返ってこないかもしれないからね。預金が下せるうちに手元に残しておこうという発想になるのは自然だ。
「で、ここで問題になるのが銀行はお金を貯めておく貯金箱ではないのよね。預けたお金をそのまま持っていたら金利で赤字になるもの。だから銀行側でお金を運用して増やす必要がある」
「ああ、そっか。銀行がお金を増やすために運用しているから、預金総額と比較して今現在銀行の手元にあるお金が足りないんだ」
成程ねえ。ルシアが補足するには、そもそも各支店にあるお金も均等配分しているわけではないので、銀行側の想定を超えれば意外と一支店レベルではあっさりと貯めているお金が尽きたりするらしい。
預金が引き出せないと不満を持たれると、信用低下が決定的になり、この流れが爆発的に波及してしまう。だから休業をするのだ。
休業しても信用低下は免れない? 要は預金者が全員取り立てに来ても返せるという『姿勢』をアピール出来れば良いのだ。去勢でも欺瞞でも何でもいいからとにかく預金者に安心感を与えれば、取り付け騒ぎは収束する。……まあそれが難しいわけなんだけど、とルシアは話す。
そこまで説明してもらったところで、ベックさんが口を挟む。
「……それで、今回我が商会がこの金融不安が長期化すると見込んだ理由はこれだ」
そう言って応接ソファーのローテーブルに新聞が置かれる。
ご丁寧に色ペンでマーカーが引かれていたので、私はその部分を読み上げる。
「『魔王侵攻損失補償国債法案』……なんですか、これ?」




