3-12
クレティの実家ことロイトハルト家の夏の避暑地訪問から帰宅してから1ヶ月ほどが経過し、私のお父さんの勤め先であるスタンアミナス大学と合同でやっている魔錬学および社会学についての『勉強会』が何度目かの開催が迫ってきた。
第1回でこの世界における1万年分の魔法史について学び、第2回においては現在の魔法使いの制度について概略をお父さんから伺った。その後も1ヶ月に大体1回というペースで『勉強会』は開催されている。
また、避暑の際にクレティのお姉さん方であるアルバ・ロイトハルトさんと、エイダ・ロイトハルトさんの2人から伺った内容についても検討を重ねた。……とはいっても、クレティらの叔父が聖女の国で大使館勤務があることについては、そのままソーディスさんに投げた。その先はクレティ経由で従姉妹の家に何度かソーディスさんが行っているらしいという話は聞いた。
……まあ、ロイトハルト家でソーディスさんのことを取り込むとか勧誘するといったことは、一応コネクションが出来たから余程のことがない限りは私のところに再び回ってくることはないだろう。その辺りは「ソーディスさんは私の庇護下にない」ってしっかり伝えたし。
そして、アルバさんが錬金術師に興味があるって話については、ほとんど避暑地で話を詰められるくらいの内容しか残っていなかった。そもそも錬金術師については私はほとんど知らない。伝えられることと言えば、女子に必修でない魔錬学がアプランツァイト学園では授業科目として設置されていたことと、その動きの主導者がどうやら魔法使いに居ないと私とお父さんで結論付いていることくらいだ。
錬金術師が女性登用を見据えて動いている可能性はあるものの、その思惑や意図、そして錬金術師内部については私の方から教えられることはない。
ほとんどクレティに既に話したこと以上の情報は持っていないし、その後はクレティを介して何か動きがあればやり取りすることとしてアルバさんとはそれっきりだ。
また、避暑に関連して地味に発生した魔石の供給制限。魔王侵攻時とかには行われていたらしいが、何でもない平時において制限されたのは初で、夏休み明けの頃などはクラスでも話題になっていたし、何なら新聞などでも魔錬学教育の見直しも検討されると掲載されていた。
うーん、魔錬学女性教育推進派が魔石の大切さを学ぶという名目を奇貨として利用した感がすごいね。しかし、この動きが学園内情報に限られたところから一気に政治の表舞台に出てきたということは、いよいよゲーム知識通りに魔法教育への扉が開かれるのだろうか。結局裏で動いていた勢力が未だに全く分からないのが気にかかるものの、そちらは辿り着くための情報網がまるで不足しているのでどうしようもない。
ひとまずはまだゲームシナリオ通り社会情勢は動き続けているってことでいいのだろうか。でも今小学3年生で、魔法青少年学院が中学課程であることを考えれば、まだ私の入学には3年以上時間的猶予はあるのにこうして動きが読めるのはありがたい。社会の自然な変革には時間がかかるってことの裏返しなんだろうなこれ。
*
「さて、何回目になるか……。今回の合同学習では、魔法使いの職掌範囲たる『魔王侵攻』と我が国の現行の金融システムについて学んでいく。
なお、アプランツァイト学園初等科組の参加者の多くは実家の繋がりなどで商家との関わりが強い者が多いと伺っているので、基本的な事項を踏まえつつ今回は少し踏み込んだ話もする」
その言葉に、ルシア・クレティの両名は真剣な面持ちで頷き、続いてオーディリア先輩とソーディスさんも頭を下げる。前者2人は確かに『経済的』な話はお手の物だろうが、後者2人は別にそういう繋がりがある家ではないのに全然臆していないのが私とは違うなあ……と思わずにはいられない。
前世含めても経済、金融なんて真剣に学んだことのない私には少々荷が勝ちすぎている。
「今から19年前に魔王侵攻は発生した。我が国では最北に位置するオーヴルシュテック州を中心として、そこから瘴気の森との境界のある州は大なり小なり魔物の侵攻被害が発生した。魔王侵攻は2月から始まり収束したのは11月であり、9ヶ月程度は我が国は一種の戦時体制を敷いていたこととなる。もっとも9ヶ月の間常時大規模な戦闘を行い続けていた訳ではない。魔王侵攻の中盤以後は我が国での戦闘はほとんど小競り合いばかりで、主戦場は隣国の『街道の民』であった」
元ゲーム『黒の魔王と白き聖女Ⅴ』では主人公が生まれる前の話となる――いわゆる『前回の魔王侵攻』と称されるものだ。まあ、ここまでは幼少期の頃から度々話題になっていたね。
「魔王侵攻があったからといって、自分の住む家や街が魔物の手によって破壊された場合でも生活は続けなければならない。例え衣食住を支援されても仕事が無くなってしまえば日常生活に戻ることはできず支援頼みの生活になってしまう。そのため、こうした戦災地域こそ特に企業を破産させるわけにはいかない。
そこで、戦地となった地域の企業・住民が債権者となっている金融債権に関しては魔王侵攻が終了するまでの間限定で支払猶予が認められる行政勅令が出された」
その勅令の名は、『魔王侵攻金銭債務支払猶予令』。そのまま名が体を表している。この勅令が魔王侵攻中の9ヶ月間有効であった。
元々債務を抱えていた企業――言い換えれば銀行から投資を受けていた戦災地域の企業は大なり小なり倒産の危機に瀕する可能性が考えられた。だからこそこの勅令は異例の速さで公布されることとなる。
「猶予……ということは、魔物の被害が落ち着いた後には払わなければならないということですね」
「それは、オーディリア先輩。債権放棄したら貸付側が倒産しますって……」
オーディリア先輩とルシアが言った通り、あくまで『猶予』で後に支払うことになるのは変わらない。
「ですが、戦災地域限定ということは債務者側は魔物の脅威が去ったところで返済能力が復活するわけでもないでしょう? 猶予されたところで結局払えない方も多いのでは?」
「その通りだ。だから当時の政府は、『魔王侵攻金銭債務支払猶予令』が失効となると同時に新たな勅令を制定した」
代替としてできた勅令が『魔王侵攻手形割引補填令』というものだ。『猶予』という文面が消え、その代わりに『割引』・『補填』というワードが入ってきた。
こちらの勅令で決まったことは大きく分けて2つ。
1つは、魔王侵攻発生前に戦災地域で発行された有価証券のうち支払期限が既に過ぎているものは、森の民中央銀行が割引に応じて中央銀行が『魔王侵攻手形』として再発行してその期限を2年延長する、ということ。
これにより債務者立場から見れば支払う金額が減った上支払期限も伸びる。貸付側から見れば回収できるか微妙な『不良債権』気味の手形が、中央銀行が最悪支払ってくれるものに生まれ変わる。
ただし、このままでは中央銀行だけが大損になってしまう。
そこで勅令で定められたことの2つ目。この決済処理で森の民中央銀行が受けた損失は、政府が1000億ゼニーを上限に補填をする、という内容だ。
政府が間に入ることで復興事業としての財源を中央銀行に注入ができる。そして上限を設けることで不必要な決済処理まで行わないようにという腐敗抑止付きだ。
でもこれ政府だけが一方的に損しているだけのような……。
「政府だけが金銭的な持ち出しがあり大損しているように見えるが、一種の損切り政策でもある。このまま放置すればまず間違いなく民間の銀行も債務者も破綻する。銀行が破綻してしまえば待っているのは不景気だ、安易に潰すという選択ができないからこその勅令制定だった」
父の説明を聞いて納得がいく。確かに有力な銀行が軒並み倒産する方がまずいか。そう考えると、この時の施政者はよく損切り判断できたと思う。金融のことはあまり分からないから正直何とも言えないんだけど、この政策に限っては別に悪い政策ではないんじゃない……?
「……あっ、1000億ゼニー、だけ、なんだね……」
「そうなんですよね。1000億で足りる訳がないんです、戦災地域が広すぎますし」
ソーディスさんの呟きを拾う物知り顔のクレティ。
1000億ゼニー。もうそこまで来ると貨幣価値うんぬんの話ではなく桁が大きすぎて訳わかんないんだけど……。
この点についてはお父さんからフォローが入る。
「この勅令で実際に割引かれた後の『魔王侵攻手形』の総額はおよそ5200億ゼニーだ。
必ずしも全部が全部不良債権というわけではないが、それを踏まえても補填額が低すぎたとは言われるな」
1000億の後に5200億というまた桁違いの金額で殴られる暴力。5倍もあるじゃん……。
ここで、忘れていたが大学生側から「『魔王侵攻手形割引補填令』の期限である2年を迎えた段階でも未決済手形は2000億ゼニー程度残っていたと言われている」と指摘が入る。
それに対して、お父さんの回答は諸説あり具体的な金額は闇の中に葬り去られているが、まあ有力な金額と信じられているな、とのこと。
「考えていた2倍の金額を払え、と言われた政府が取れる手段は限られますね……」
そのオーディリア先輩の呟きに対しては、また別の大学生から「当時の政府は時間稼ぎで対応しましたね」と辛辣な一言。
「まあ時限爆弾の先延ばし感は否めないが、時間稼ぎは言い過ぎだ。1000億と言っていたものを2000億支払うと口で言うのは簡単だが、その中央銀行に注入する2000億ゼニーの出所は結局税金しかないんだぞ。1000億ゼニー分増税で賄うとは流石に言い出すことは厳しいだろう。そこで2回法律で切り抜けた」
最初の決済期限は『魔王侵攻に関する手形割引補填の法律』で3年延長して無理やり乗り切り、その3年後は『魔王侵攻手形決済期限緊急法』で更に1年延長して時間を稼いだ。どう考えても先延ばしっすよねこれは。
「当時から2000億ゼニー未決済という話はそれなりに信憑性あって語られる風説であったため、最初の3年延長の法案はどちらかと言えば財界すら仕方ないという形で可決された。
だが、2度目の緊急法での1年延長は相当こじれた。この辺りから国の支払い能力に対して疑問視されるようになる、それでも無理にでも可決されたのは、増税は嫌という有権者の意志も乗っかっていただろうな。当然財界からの反発は大きかったが」
「確かに……2回も、『法律』で延長して……いるんだね」
ソーディスさんが何かに納得、というか感心しているようだけれども、いまいちソーディスさんの発言が意味が分からない。『法律』で延長できた、……とは?
お父さんが何故かその発言に頷き、「2度の支払い延長方策は『法律』で通っている、これは重要なポイントだな」と指摘の鋭さを褒めるような素振りだ。
ちょっと、ちょっと! どういうことなの! 説明おねがいします!
考えても知識になさそうなことだったので、手を挙げて質問をし教えを乞うことにする。その直後『大学生側』から安堵の声が漏れてきたように聞こえた。
*
ソーディスさんとお父さんの謎の意志疎通の理由。
それは、単純だった。
――国会は唯一の立法機関、ではない。
「今までの話で……『法律』と『勅令』、その2つがあったよね……? 名前が違うから、どうやって決めるのかも……違う」
「正確に言えば、そこにもう1つ『魔法令・錬金令』を加えた3つがあるな、立法手法として」
どうやら国の決まりごとを定める方法がいくつも存在する、というわけらしい。
ってか、『勅令』とか『魔法令』とかってなんだこれ! 前世で法律関係に触れていなかったからかもだけれども、全然知らない。
……と、そんな私の様子を見かねたのか、お父さんが軽く説明を入れる。
まずは、『法律』。
国会を通して承認されたものが国王の裁可を得て成立。
うんうん、それっぽい。大体こんなのだよね。
ちなみに国会は二院制で衆議院と貴族院があり、衆議院に予算先議権があるとのこと。う、うん……? 多分前世でもそんな感じだったよね……?
次に、勅令こと『行政勅令』。
内閣の大臣の全員の了解を取った上で枢密院に持っていき、そこを通過したら国王の裁可を得て成立。
……えっ。枢密院?
そして最後に『魔法令・錬金令』。
魔法大臣や錬金大臣の有する魔錬謁見権で国王に謁見が可能で、そこで国王の裁可を得れば成立。ただしこれで制定できるのは軍事事項のみ。
……あれ、なんか簡単すぎないこれだけ? しかも魔錬謁見権ってなんだ。
この他にも細かいルールが数あれど言うまでもなく国会で2回審議に通す『法律』が最も難しい。だからこそ、先程の『魔王侵攻に関する手形割引補填の法律』・『魔王侵攻手形決済期限緊急法』の2法が、勅令ではなく法律で定まったということに意味がある、とソーディスさんは述べたわけだ。
『法律』と『勅令』の重さがどれだけ違うか、という例についてはお父さんが更に説明を加えてくれた。その例とは出来たルールを廃止・停止する際の手間の違いだ。
『法律』であれば一度出来たものを翻すには、○○を廃止にする法律や停止にする法律を新たに審議して定める必要がある。
一方で『勅令』の場合、国王が廃止・停止を通達するだけで失効する。もっとも国王の独断で勅令を停止したことは建国以来一度もないので、実際には有力者から謁見を通して決定される事項とのことだ。
つまり、そのような『法律』にて延命策が取られた『魔王侵攻手形』の処理については、時間をかけてでも解決しなくてはいけない問題だった、というわけだ。
「流石に、2度も伸ばしてしまったため、これ以上の引き伸ばしはできない、という判断で13年前に成立した法律が『魔王侵攻手形処理法』となる。この法律については現在の情勢にも影響を与えている」
『魔王侵攻手形処理法』。魔王侵攻手形――魔王侵攻手形割引補填令で森の民中央銀行が割引いた手形――これを所有する銀行に対して、同価値の国債を発行し全ての手形を回収する法律だ。
これにより、貸付側はより信用度の高い国債という形になったことで一安心というわけだ。そして国側も得体の知れない時限爆弾と化した魔王侵攻手形から国債に引き換えたことで、より確実に支払う意志を固めたこととなる。
「えっ、でもこれって、何も問題は変わっていないんじゃ……? 手形から国債に名前が変わっても、政府が支払えるかどうかは別問題じゃない?」
そう考えてしまう私だが、お父さんから説明が入る。
「『魔王侵攻手形』の形では一括補填の必要があった。だが『国債』であれば分割返済が可能になる。一括で払うお金が無かったから問題になったわけで、分割になった形で現実的に補償できる見通しが経ったことが非常に大きい。
そして『魔王侵攻手形処理法』では分配した国債については15年分割で返済することとなっている」
「法律制定から15年後……」
「法案が出来たのが13年前だから、つまり完済は……2年後」
――未だに、この国は19年前の魔王侵攻で受けた損害について全額補填していなかった。
*
こうなると、どうしても1つの疑問がどうしても生まれてしまう。
「……この国の政府は2年後に返せるの?」
思わず敬語を忘れて家に居るときにお父さんに話しかける感覚で発言してしまったが、それだけ素の思いが出てしまったということだ。
この疑問に対して、答えを返したのは、意外にもお父さんではなく、ルシアとクレティ、そしてソーディスさんであった。
「――本気で誰しもが返せると思っていれば、この国はこんなに政情不安ではないわよ。ウチの商会の前商会長が4年前にテロ組織によって殺されているのも、元を辿ればこの金融不信から来る将来への展望の不安に起因するものなのだから」
「その少し前には同じテロ組織によって魔石経済大臣も駅で殺害されてますしね。ヴェレナさん、忘れてません? 鉄道に乗るときにあんなに荷物検査を入念に行っていたことを。
全部この金融に対しての不信感から来るテロや過激派の襲撃から守るためなのですわよ」
「……あれ、ヴェレナさんが、路面列車の2等車に……普段から乗っていたのって、……これが原因、じゃないの……?」
ソーディスさんの発言を聞いた瞬間お父さんの方を見たら、難しい顔をして目で頷く。……お母さんが私に2等車しか教えなかったのは、意図的だったか――。
3人から指摘されるまで全く気が付かなかった。
19年前の魔王侵攻。それが金融不安とそれに付随する社会混乱という形で今なお色濃く残っていた。その手がかりは色々とあったのに、私は全く気が付くことができなかった。
言われてみると色々と思い起こすことはある。
――転生直後、病院に行った日の帰りに駅の市場を見ていたらお母さんに危ないから市場に入ろうとするのは止められたこと。
――自転車で外出する際には、必ずルートと行き先を事前に親に伝達する家庭内外出許可証ルール。
――ソーディスさんと出会って初めて知った『勇者の国』。かの国の復興も奇跡と強調されていた……過剰なくらいに。
ひとつひとつの事柄は確かに何てことのないものだが、こうして合わせて考えてみれば確かに不自然や違和を感じるものであったようにも思える。
この国は現在進行形で慢性的な不景気と治安悪化の真っただ中に居る。
そのことに今はじめて私は気が付いたのであった。




