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「へえ、ヴェレナさん。一体何をなさったんですか? ルシア・ラグニフラスさんと随分と上手いことやったようですが」
私とルシアが仲良くなったことは、いつの間にか1学年違うはずのオーディリア先輩にも伝わるまでになっていた。……いや先輩はそうした人間関係の機敏には目ざとそう、というか既に私達のクラスに情報網築いていそうな怪しさまで感じるね。
「黙秘権を行使させていただきます」
ルシアと仲良くなったきっかけが彼女の家の仕事についてなので私の口から漏らしてはいけないとオーディリア先輩の詮索には断じて乗らない。
「何も話さないという姿勢を明確にすれば、それは何かあったって言っているようなものなのだけどもね……」
先輩の独白に似た、でも私に聞かせるような呟きは無視だ、無視。
そもそも、もう今の時点では私の方からアプローチを仕掛けていなくてもルシア側から話しかけてきたり、学校でのグループ活動とかは積極的に誘ってきたりしてきているのだ。まあ利害無関係で話しやすいという目論みが向こうにもあるとは思うが、正直そのルシアの言動には私も助かっている、ともいえる。
まあその反面クラスの周りの目にも明らかであったようで、ルシアと私の2人トップ体制の派閥が出来たと思われているようだ。私はもちろん、ルシアも誰かを傘下に置いているようには見えないけど派閥らしい。
ふと、ルシアのことを考えていたら、教室にルシアが慌ただしく入ってきて興奮気味に私に話しかけてきた。だからそういう行動とるとクラス中が私達に注目しちゃうでしょ。
「ヴェレナ、ヴェレナ! スタンプラリーのときの話、久しぶりに家に帰ってきたお父様に話してみたら褒められましたわ! 期待した通りの友人をこんなに早く見つけ出してくるとは驚いた、って言われましたわ! ありがとう、ヴェレナ!」
良かった。けど、こんな周りに人が沢山居る中で言ってしまうのはまずくないかな。言い切った後すぐにルシアは、驚きはっとした表情になり、その後やってしまったという羞恥なのか顔を真っ赤に染めてしまった。
そんな中、物に動じない様子のオーディリア先輩が、ルシアに話しかける。
「えっと……ルシア・ラグニフラスさん、ですよね? 私初等科2年1組でヴェレナさんのパートナーを務めさせていただいておりますオーディリア・クレメンティーと申します」
ルシアは名乗られた瞬間に身体をびくっと震わせて、恥ずかしいところを見せてしまった、といった内容を返す。
「いえ、ヴェレナさんのパートナーとして、彼女が友人に囲まれている姿を見て安心いたしました。それで部外者ながら1つお節介と言いますか参考になればと思ってひとことお伝えしますが、詳しくは存じ上げないのですがヴェレナさんとラグニフラスさんの2人で何かを成し遂げて期待されていた成果を上げたのですよね?
……それでそこまで喜ばれるということであれば、期待以上のことをこなせば、周りの方ももっと喜んで頂けるのではないでしょうか?」
*
オーディリア先輩の甘言に見事に踊らされたルシアは、私と2人で話したいことがある旨を伝えてくる。そのときのオーディリア先輩は「これはパートナーとしてのお役目に入りますので」と言いながら、初等科の向かいにある3号館、レトロでクラシカルなレンガ造りの建物の中にあるミーティングルームの予約方法を教えてくれた。
いや、部屋の予約って小学生でも利用できるのか……。
そして放課後に、私服の学生、たぶん大学生? が沢山居る3号館の中をものすごい浮きつつも2人で萎縮しながら強行突破して予約したミーティングルームへと入室した。
2人きりになり、ようやく落ち着いた様子のルシアは私にこう話しかけてきた。
「……というか、ヴェレナのパートナーってオーディリア・クレメンティー先輩だったのね」
「あっ、やっぱりオーディリア先輩って有名な人だったんだ」
そうしたらルシアが深くため息をつく。いや2年生の主席だし言動から只者ではない感を醸し出していたから分かっていたけど、やはり規格外の存在なのか。
「有名どころじゃないわよ、あの人は……」
――オーディリア・クレメンティー。
ルシアが語るには、彼女は町医者の娘で世間一般的に見れば高収入の裕福な家ではあるものの、アプランツァイト学園的には家業が政治的にも経済的にも影響力が乏しいから平凡以下となる。うわ、開業医でもそんな扱いなのかこの学園……。
というのもこの国の医療品、医療機器というのは魔法や錬金術といった要素のおかげで単純な医療知識以外にも専門知識の部分が必要となる。故に新規参入者が少なく流動性の少ない市場とみられているため、相対的にこの学園でのコネ形成という面での優先順位は下がる。
それに会社経営なら後を継ぐ可能性はあっても、医者だと医師免許が必須なので後を継ぐかどうか不透明なため折角コネクションを形成しても将来的にどうなるか分からない、というリスクがあるため、この学園での開業医の子供の重要度は相対的に落ち込むのだ。
そうした前提なのに対して、オーディリア先輩はどうか。彼女はほとんど実家の家業関係なしにたった1年間で今の初等科2年を完全掌握し、そして上級生に対してもネットワークを広げている。初等科児童会役員部……つまり生徒会のようなものには所属こそしていないが、入学式の運営委員にしれっと紛れ込むくらいには上級生コネクションも深い。
うん……化け物だこれ。
「現在の初等科全校生徒の中である意味でこの学園の制度を最も良く理解し、最も上手く活用しているのが彼女と言ってしまっても過言はないと思うわ……。それだけの相手に私達1年との関係形成の取っ掛かり、つまりパートナーとして選ばれたのがヴェレナ、あなたなのよ」
うへえ、そんなヤバいポジションなのか。権力から距離置きたいとかのたまっていたけれども、こんなん巻き込まれ確定の場所に居るじゃん私……。
「まあ、それはともかくとして……。ヴェレナ、そのオーディリア先輩の助言は大いに検討する価値のあるものよ」
「助言というと、期待以上のことってやつ?」
「そうよ! つまり、これからお父様が立ち上げる予定の製紙事業の計画を私達で見積もるってのはどうかしらね!」
元々は問題共有までの話だったのだ。それが計画まで立てられればルシアの父の中でのルシア評価も上がるだろう。
「まあ、相談に乗るだけだけどね」
そこから怒涛の放課後やお昼休みの時間などを利用した製紙事業の計画を立てる話し合いが始まった。
まずは既存の製紙工程の確認。でもまあこれは馬場で聞いていた通りだ。
道なき道を行ったような山奥から木を伐り出して、馬で川に運び、水運で下流にある工場まで運ぶ。そうした木材を砕いて加工して紙にして出荷。この流れだ。
「そしてお父様の勤める『リベオール総合商会』の強みは、前にも話したけれども金融・石炭採掘・工業ね。ただ前者2つは製紙事業そのものには運用が難しいから、私達が考えるのは工程の工業化になるわ」
ルシアはそう語る。ただし、紙の加工工場そのものは既にあるものでも機械の導入が進んでいるようだ。故に手を加えるべき部分は、伐採と運搬になる。私がその解決策をまず案にする。
「つまり山奥に工場を建てればいいんじゃない?」
「それだと、できた紙を街まで運ぶ手段がないわ」
「そこは、もう鉄道を誘致するとかしかないんじゃない?」
そこで出てきたのが鉄道誘致案。
そして私の考えた案は、ルシアの知識によってブレイクスルーする。
「確かに繊維工場でもあるわね、そういうの。綿花畑や桑畑のある農村地帯のど真ん中に工場を建てて、そこに鉄道を通して完成した服とか布を運ぶって手法ね。それと同じように考えればいいのね」
なんだか楽しくなってきた。何でもない案がブラッシュアップされて具体的な計画に落とし込まれていく過程は楽しい。
「ねえ? 山奥の工場では通勤が大変じゃない?」
「確かにそうだわ! 社員寮と食堂は必須よね!」
「もうそこまでするなら折角自然豊かな場所なのだから保養地のようにしてしまえば、労働効率も上がるかもよ」
「天才よ、ヴェレナ!」
また、別の日には……
「ねえ、ルシア? この計画のままだといずれ木は伐採され尽くされてしまうんじゃない? 木材に使えてかつ生育の早い木を植樹する必要があると思うの」
「ヴェレナ、鉄道を引けば確かに完成品の紙の運搬には便利だけど、これって肝心の山の中での伐採には役に立っていないわよね。とはいっても伐採所1つ1つにまで鉄道を引っ張って駅を作るのではコストがかかり過ぎるからどうしましょう」
「うーん……仮の線路、というか簡単な線路を敷いてしまって、そこに伐採した木が乗る専用の貨車でも作れば良いんじゃないかな」
前世で何となく知っている知識に対してルシアとともに精度を高めていく、その過程はまさしく事業を作っているぞ、という感覚があって時間はあっという間に過ぎ去っていった。
そうした、ある日ルシアからいつものように新たな疑問点が提示される。
「ここまでずっと紙をどのようにして作っていくかばかり考えていたけれども、実際のところ紙を使った製品って色々なものがあるわよね。普通ならプリントとか本、あるいは新聞紙とかなんだけど、よく考えてみたら紙袋とか包装紙とかもあるじゃない。私達は何をメインにすればいいのかしら……」
うーん、紙の用途か。確かにトイレットペーパーとかキッチンペーパーとかも紙だし物を書いたり読んだりするものだけが紙ではないね。
でもありきたりのものだと競争率高そうだから、私の知識が活かせてかつ、あまり無さそうなものがいいな。
……そうだ、和紙は障子に使われているな。窓や扉の材料としても使えるね。和風なもので言えば和傘もあれは紙だよね。でも普通の紙を傘になんてしたら濡れて使い物にならなくなっちゃうはず……それは障子もそうだ。そうした水気を除去するには……?
「油紙……。そうだ、紙を油でコーティングすれば強度や防水性を高めることができるんだ!」
そして、油を取り扱う家に生まれた同級生が私のクラスには居たはずだ! そのことにルシアも気が付いたのか、2人で顔を見合わせ笑い合う。かくして製紙計画は新たな段階へと進んだのであった。
*
「はぁ……確かに、油は私の実家で取り扱ってはおりますが……?」
同級生のクレティ・ロイトハルトさんに、私とルシアで詰め寄った。
クレティさんの実家たるロイトハルト家は油問屋であり、王都の植物油業界では名の知れた問屋であるらしい。国家統一前の王都――すなわち今の王族が領主だった時代に直々に謁見して油の製造・売買許可証を得ているお墨付きの老舗だ。
魔石装置が発達する以前は照明や暖房に火を使っていたために油の需要が大きかったが、現在ではそうした燃料としての需要は衰え、食品用あるいは工業用の油の取り扱いが主流となっているとのこと。
ここが攻めどきと見たルシアは、ギリギリまで情報を出してクレティさんに協力を促した。
「実は、新規事業について考えていて油に関する部分で分からないから、その辺りの相談に乗ってほしいのですわ。もちろん、これはクレティさんにも利益のある話だと思うのですけど」
「……相談に乗るだけで利益が得られるのであれば、確かにやってみたいのですが……」
「じゃあ、決まりね! 今日の放課後、3号館のミーティングルームで待っているわ!」
「ふぇっ……はぁ、分かりました……」
何か無理やり感がすごかったけどクレティさんが私達の仲間入りした。これからは仲間の一員だからということで集まった後は、ルシアの家の事情部分だけを省いて、製紙産業について新たに工場を出す計画を練っていることを説明した。
そして、私が油紙という着想を得たことでクレティさんに相談を持ちかけることになった経緯を話した。すると、
「確かに、そうした紙に油を塗って汚れにくく、あるいは濡れにくくする技術はありますね、錆の防止にもなるので金属部品の保存とかにも用いられることもありますし、食品や医薬品などの貯蔵にも用いる場合もあることは伺っております」
既に存在する技術だったか。やっぱり専門家が居ないとこういうことは分からないね。私とルシアは落胆も大きかったが、クレティさんを引き込んだことそのものは間違っていなかったと確信して、クレティさんの見解をとりあえず聞いてみる。
「私の家は油の専門なのでそれ以外についてはあまり良く知らないのですが、そうですね。紙に関係するものであれば、顔料……えっと、インクの着色料にあたる部分でも大豆やリネン、桐の油は使われておりますし、そもそも機械を動かすには潤滑油が必須ですよね。そらちの関係であればもしかしたらお助けできることがあるかと思いますが……」
ルシアはクレティさんの発言でリネンと言われたときに驚いていたが、リネンは機械繊維が始まる前の時代に席巻していた繊維素材だったらしい。今でこそ絹や綿に追い越されてはいるがそれでも三番手を羊毛、つまりウールと争うくらいのシェアを誇っているとのことだ。
そんなリネンが油でもポピュラーな存在だと聞いてルシアは驚いていたようだ。私はどっちも知らなかったからよく分かんない。
でもまた異なった視点から意見が出てきたことで新鮮さが取り入れることができるので彼女の加入は大いに計画進行への原動力となったのであった。
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「できましたわ……! これでいいでしょう、クレティさんどう思う?」
「そうですね……、新しく工場を建てるプランとしては悪くないのではないでしょうか。ただ素人目にはなるのでなんともいえないですが……」
「いや、ここにいる全員紙作りの素人でしょうよ」
私がそういうと2人は苦笑した。
できたプランは、中々に自信がある。
まず、第一に木材伐採を行うために木の切り出しと運搬に便利な森の近くに工場を建設する。このとき、水利と社員保養の関係上、湖の周辺に工場を建てることが望ましいとした。
そして、工場と伐採所を結びつけるためのトロッコ路線を敷設。そして、工場稼働のための魔石運搬と製品出荷のためのインフラとして鉄道を誘致する。
ここまでを一連のモデルケースとして、その後は各工場ごとに特色を出していく。そのまま印刷紙を作成したり、新聞紙や製本を行う。そのときはクレティさんのところと協力してインクに関する知識を教えてもらうのもありだ。はたまた油紙加工であったり、あるいは紙袋などの文字を書く用途以外に利用するのもいいだろう。
今まで考えていた発想が上手く1つにまとまったように思える。
……と、ここまでの計画が完成したところで、ルシアからの伝達で彼女の父親が私に会いたがっているから休みの日に日程調整して欲しいと連絡がきた。
なるほど、これは正念場になるな。
そして私は次の休日にルシア宅にお呼ばれすることとなったのである。




