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prologue-4


 オーディリア先輩の謝罪。それは実際に言葉に出されるまで全く想定していなかった。

 しかも紡がれた言葉は、正直なところ今更な話である。私を補佐役に据えようと育成している事実は隠そうともしていなかったし、それはラウラ先輩辺りだって魔法青少年学院時代の頃から見抜いていたことだった。


 それに対する後悔というのも不可思議なものである。しかし、先輩の言葉の中に本心が見え隠れすることを認識できるくらいには、私はオーディリア先輩に鍛えられていた。

 だからこそ先輩の謝罪に対して素直に生じた感情は疑問であった。


「誘導されているのは自覚しておりますし、それでも先輩が私のためになると考えていたのは理解しています。……だからこそ、それで謝罪に来るというのが解せませんし、しかも急にというのも妙な話ですね」


 急に来るところもタイミングを逃している。私の成績のことなど知ろうとすれば先輩なら下手すれば合否が出る前段階から知れたとしても全く不思議ではないのに、結果が出てからそれなりに期間が空いてから動き出してきた。

 合否が出た後から状況の変化があったのであれば納得はいくものの、それならそれでアポイントを取って落ち着いて場を整えるだけの冷静さがあるのが先輩である。


 あまり謝罪している人間のことを訝しむのは趣味では無いが、けれども言っている人間がオーディリア先輩だ。少しでも違和感があるのならば、それには大体意味がある。


 だからこそ、出てきた言葉は案の定埒外の一手であった。


「……一応私の伝手でヴェレナさんの成績について照会してみました。単純な素点不足であり、何らかの政治的意図が働いていたわけではございません。

 というか政治的にはむしろヴェレナさんのことは受からせたかったとすら思えます」


 さらっと告げられたが、成績照会というのは本来不可能だ。法的に違法かまでは分からないが、普通照会して出てくるものでもない。受験者の下に通達される合否通知は合格・不合格という結果しか書かれておらず、その得点配分については知る由もない……はずなのに、オーディリア先輩はさらりとその壁を破ってきた。

 即ち先輩が何らかの影響力を魔法学院ないしは魔法使い上層部に行使したということになる。


 違法行為に限りなく近いグレーゾーンの行いをさらりとする先輩に私もお父さんも絶句したものの、先輩の口は止まらない。


「今回、私が謝罪をしている意図はまさにこの素点不足によるものなのです。

 私だけではなく、ヴェレナさんの入学は多かれ少なかれ大多数の人間に、派閥に『望まれて』おりました。だから……ええ。


 ――やろうと思えば、私の一意で成績の改竄や補欠合格とすることも出来たのですよ。


 ですがそれを押し留めたのは以前ヴェレナさんが『そういう手法は苦手』と言ってくれたからですね。それが無ければ私は多分あなたにも言わずに合格にするように手配していたでしょう。

 これが今日こうして謝罪の為にお伺いした理由です」



 私の成績を改竄して合格であったことにする。こちらは明確な不正行為である。というかこの主目的のために先輩は私の成績の素点を入手したのだろう。

 この一件のターニングポイントは、私が農業界の動きについて知った『豊作飢饉』問題に関する対策にて、ルシアの実家であるラグニフラス家を介してリベオール総合商会に魔法使い内部の機密文書の不正の便宜付与と機密漏洩という手段を見せつけられた際に、先輩に対して苦言を呈していたことである。


 ……あれが無ければ、多分私は何も知らされずに魔法学院に合格していた。

 オーディリア先輩にとっても、学閥にとっても、片翼党にとっても、そして女子魔法使いを第三極に使いたい旧来の魔法使いにとっても――魔法使いの派閥のほぼ全てが私が合格した方が各々の望ましい方向に進むのだから、本来のオーディリア先輩であれば、それを手に取るということも私には分かってしまった。



 だからこその先輩の謝罪なのだろう。そしてこれは二重の意味での謝罪だ。

 まず私が好まない手法を取ろうとしたことに対しての謝罪。


 そして。

 ――不正で受からせられたのに、それでも落とした事実についての謝罪である。



 そこまで認識した時、私のすぐ隣が音がした。

 お父さんが荒々しく椅子から立ち上がった音である。


 その瞬間、私は否応なしに理解してしまった。これを私だけにではなくお父さんにも伝える意味に。お父さんには、派閥的な政治的な力学関係は分からない。だからこそ事の軽重を私を不正に巻き込もうとしたことで考えるはず。そしてこれくらいのことはオーディリア先輩も考えてはいるはず。


 ……先輩。私のお父さんに叱責されるために、敢えて明瞭に口に出したのか。


「お父さ――」


 私が止めに入ろうと声をあげようとしたが、その時思わず目に飛び込んできたものに言葉はそこで止まってしまう。


 立ち上がったお父さんの手は。怒りで打ち震えていた。

 それが私を思ってのことだと痛い程に分かるがために声が続かなかったのである。




 *


 そのまま感情のままに行動しかねないお父さんであったが、しばらく立ち震えたまま黙して動かず。遂には何もせずに元のように座った。


「……お父さん」


 先は紡ぎきれなかった言葉を改めて口に出す。すると、お父さんはその手で私の頭を軽く撫でた。

 その手は既に震えていなかった。


 お父さんは私の言葉を無言でいなして、オーディリア先輩へとこう話しかけた。


「……まあ。怒られようとしている人間に怒ることほど無意味なことは無いか、むしろ何も言わない方が堪えるだろう。

 それに、私にもヴェレナの人生を左右させる権限は無いしな。これはヴェレナの問題だ」


 そしてお父さんは私に向かって、


「だからヴェレナがどうするのか決めなさい。立場が上とか気にせず、気に食わなかったら殴っても良い」


 それだけ告げてお父さんは客間から去っていく。

 お父さんは見抜いた。政治的な都合は多分知らないし、交渉術では先輩のが多分格上。それであってもオーディリア先輩が叱責されようとしていることに気付いた。

 その上で先輩の言葉をオウム返しすることで不問とし、当事者である私にどうするかを託したのである。


「……と、とりあえず。私の部屋に行きますか、オーディリア先輩?」


 私が選択したのはとりあえず、客間に居る必要がなくなったので移動することであった。




 *


「……まさか、気付かれるとは思いませんでしたわ。フリサスフィスさんのことを侮っていたわけではありませんでしたが、まさかヴェレナさんに投げるとは予想外でした」


 部屋に来たら、素直に心情を吐露する先輩。私の部屋の状態は、魔法青少年学院に入学する6年前――初等科時代から大して変わっていない。ずっと寄宿舎暮らしだったからね。段ボールが部屋の隅に重なっていて小物の類が外に出ていないくらいだ。だから、先輩が以前に私の部屋を訪れたときから基本的にあるものは一緒である。


「やっぱり、私はこの件で先輩のことをあまり怒らないってバレてます?」


 むしろ内心は安堵の方が大きかったり。というのも、曲がりなりにも先輩は私の意志を汲んでくれて不正行為を留まっていたのだから。ぶっちゃけ知った上で必要があれば地雷であろうが踏み抜くのがオーディリア先輩だと思っているし、私。


「私とヴェレナさんは付き合いが長いですから……分かっていますよ」


「……だったら直接聞きますね。何故お父さんに怒られようとしたのです? 先輩なら私達にバレないように隠すことなどいくらでも出来ますよね?」


「あら? 私が本心から反省していることくらいは、どうせヴェレナさんのことですから看破しているのではないかしら」


 それを自分で言うのか、この先輩は。

 そして本心だと言うのであれば、これは言わば私に対してのフォローでもあるのか。先輩自身を悪役に仕立て上げることで、取り敢えず『先輩のせいで魔法学院に落ちた』という免罪符を私に確保させるための。オーディリア先輩のせいとは、不正行為をしなかったことと、今まで先輩に振り回されて勉強の時間が取れなかったという形に持っていくための2つの意味が内包されている。


 そしてオーディリア先輩との関係性を断ったとしても、それで私が持ち直してくれれば万々歳ということである。先輩の立場からすれば私はやっぱり手駒として魔法学院に入れておきたい。だからこそ最優先にすべきは私との関係性よりも私のメンタル面のケアだと判断していたが、先輩にとっての目算が外れた1つとして既に私がある程度復調してはいたということに尽きるだろう。私がどん底であったらそこまで見切ることが出来ずに、その先輩の術数に嵌る可能性はあったかもしれない、お父さんも私も。

 そして仮にこれで関係性を断っていたところで、結局女子魔法使いとして生きていく以上は、否応なしに政治的あるいは女神教を含めた女性解放運動の流れに組み込まれることを意味しており、そうなれば行き詰ったら私はオーディリア先輩のことを頼らざるを得ないことまで看破した上での提案なのである。これくらいの裏はある人なのだ。


 けれども、そこまでするということは逆説的に私が精神的に崩れていたことを心配していたとも取れるわけで。一筋縄ではいかない。


「……あれ? だったら復調していると分かった瞬間に、お父さんのことを怒らせる必要は無かったのでは」


「『政治的』には、ヴェレナさんのことを合格にしたいのは確かなのです。

 だからこそ『新人大使館付補佐官制度』が私の手からではなくフリサスフィスさんから手渡された意味を、考えてほしかったのですよ……お2人にね」


 あー……、あそこでお父さんが怒ることで『魔法使いの政治的な動き』を強調する算段であったのか。それをオーディリア先輩が告げれば、お父さんは私を守るためにそうした動きから遠ざけることはあるかもしれない。

 そうすれば、オーディリア先輩以外からの政治的な働きかけを間接的に妨害することが出来る……と。


 そしてこの先輩の両面性を鑑みるに、そういう理屈をつけた上で私達に謝ろうとした側面もある。

 オーディリア先輩にとっての既定のプランは私を不正させてでも合格させることであったのは確かだ。多分それをしていれば先輩はこのことを黙っていた。けれども、先輩は不正に手を染めなかった。

 だからこそ、謝罪出来る余地が逆説的に生まれたのである。


 必要に応じて果断な処置が出来るということは、良心が欠落していることと同義ではない。良心という感情的な側面を、絶対的な理性で押し込めることで実現することも可能だ。

 そして先輩は私の意に反してまで、無理やり合格させる――不正を行うことまではしなかった。それは勿論先輩にとって、現在の状況が許容できるレベルであったということでもあるのだが、少なからず私の内面を重視していることにも繋がる。



 好意ではある。打算でもある。政治的でありながらも、友愛の情も感じ取れる。

 心配も反省もしてくれている。

 けれども、それを踏まえた上で究極的には『私が魔法学院へ進学する』ように仕向けている点は変わっていない。そういう意味では今の状況を利用すらしている。



 ――だったら、私も今の状況を利用していいよね?


「オーディリア先輩。やっぱり、私。今、先輩に怒っていることにしました。だから今日は私の家に泊まっていってください。これは私事のお願いではなく贖罪だとお考え下さい」


「……はい?」


 先輩らしからぬ気の抜けた返事が返ってくる。恐らく完全に想定外の一言を放ったのだろう。お父さんから気に食わなければ殴って良いと言われていた。だったら気に食わないから泊めてもいいはずだ。


 今まで私はずっと。色んなことを大きな枠組みで考え過ぎていた。戦争とか、国家とか、官僚組織とか、派閥とか。

 勿論そうした考えが不必要ということではないのだろうけれども、少なくとも自分の行動の動機部分については、もっとどうでも良くてくだらない理由こそが大事でかけがえのないものなのかもしれない。


 だとしたときに、私がオーディリア先輩に抱えている想いは。

 もっと仲良くしたい――それである。



「……だって先輩、私の家に遊びに来たのって初等科時代の1回きりではないですか! そりゃ旅行とかも行きましたけど、あれだってボランティアがメインだし、一緒に住んでいたのにちゃんと純粋に遊んだことって全然無いじゃないですか!」


 付き合いが長いし、プライベートでの関わり合いもあるのだけれども。単に遊ぶとか、そういうことがこの先輩とは特に不足していた。


 結局この日、夕ご飯を一緒に作って、お風呂も一緒に入って、ゆったりモコモコ系のプルオーバーとロングパンツを先輩に強制的に着せて、シングルベッドに無理やり押し込んで2人で寝た。

 翌朝。私は案の定ではあるが床に落ちていて、先輩に「何で落としたのですか!」と理不尽にキレてみたら、


「そりゃ、落ちるでしょ……」


 と殆ど素のリアクションで返された。そこまで先輩のかぶっていた交渉用の仮面が外れたことにちょっと驚きもありつつも、ふと思い出す。

 そういえばオーディリア先輩って子供苦手だったね。確か、理屈が通じない相手が駄目っぽい。



 ……って、今の私がそれじゃん!

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[一言] オーディリア先輩が居れば、ヴェレナはどんなルートでも悪役令嬢にはならないよ
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