7-10
オーディリア先輩にはオーディリア先輩の思惑があり。
王子には王子の思惑があり。
そして『片翼党』には『片翼党』の思惑がある。
うん。そんなことは分かっている。
しかし、ここに水族館の運営母体であるグローアーバン路面軌道株式会社が更に絡み合ってきた。それにより今回の感想文の一件に関わるプレイヤーが増え、思惑の交錯の複雑性が増し私達の作文1つが与える影響力が読みにくくなっている。
とはいえ、個人的にはそうした面倒で煩雑なものは全て無視して観光を楽しんでから、無難な感想文を書けばいい、とそう思っていた。
しかし、想定外であったのは私達の先導役として学芸員を付けて学習活動の面を全面に押し出してきたこと。
おそらく、これが魔法教育統括部の総務部長――『片翼党』かグローアーバン路面軌道株式会社側の好意ではあるだろうとは推察できる。
……が。1つだけ言いたいことを言わせて頂きたい。
彼ら各人の思惑があることは理解している。
けれど。
私には私なりの『思惑』――すなわち、ローザさんと仲良くしたいという大前提があることを分かって欲しい。
今、この瞬間ローザさんはシギマー学芸員の話を真剣に聞いているが、同時に路面列車内でトラウトが見たい、と言っていたときの朗らかな表情が完全に姿を隠してしまっている。
トラウトはこの国では普遍的な魚であり一般に食されている訳で、この事実は逆説的にシギマー学芸員が説明を取り立てて重要視しない魚であることを示している。
ということは、だ。かの学芸員がトラウトについて時間を割いて説明することは恐らく無いであろう。
それは即ち今回、周囲の思惑に乗り続けていた場合、かなりの確率でローザさんが真に満足する形でこの水族館の一件が終わることは無くなってしまうことを示しており。同時にローザさんと仲良くなるという目標を達成出来ずに終わってしまいかねないことを証左しているわけで。
だからこそ私は事ここに至り、私は無難に終わらせることを放棄することを決意した。
そして『アプランツァイト学園生』スイッチを入れて頭を完全に派閥思考モードへと切り替える。
優秀な打ち手には、行動1つ1つに意図がある。これはアプランツァイト学園に居るときに聞き、そして強く実感した話だ。
今回。非常に根本的な部分で疑問がある。
――何故。『水族館』なのか。
すなわちどうして、ノーマン総務部長は水族館という課題を与えたのか。
オーディリア先輩が水族館の感想文という課題をそもそも是とした理由は何なのか。
あるいは視点を変えて、グローアーバン路面軌道株式会社は何故王都進出の初手として水族館運営を選択したのか。
どれも明確な答えを出すのには決定打には欠ける。が、最後の1つに関しては既にキーピースが転がっている。
今目の前で解説をしているシギマーさん。
「あの人程の背丈をしている魚は、ネオケラトドゥスと言います。魚ではあるのですが、四足で歩行する両棲の生物……イモリやカエルなどと同じように、陸上でも水中でも呼吸することが出来ます。いわゆる人で言うところの肺、に相当する器官があるわけですね。
水棲生物も陸上生物も食べる肉食性の魚です。まあ戯れで藻などを食べたりもしますが。しかし、視力は然程良くないために水中での獲物の捕食には別の器官を用います。
古魔法の光属性魔法や、雷のような現象に作用している電気、というものがあるのですが、他の生物が出す微弱な電気的な活力を知覚しているらしく――」
目の前の肉厚なガラス板に挟まれた先に居るほとんど動かないぱっと見た感じ鮭のような魚はどうやら説明を聞いていると肺魚ということらしい。
このようにシギマー学芸員は魚の解説もしっかりとしているわけだが、例えばこういう質問を投げかけてみる。
「……デンキウナギのように自ら発電している、というわけではなく生物の神経での伝達に用いられる電気信号を認識できるということですよね。
それでは私達のようにガラスの向こう側に居る人間も、この魚は分かっているのですかね? そこに肉食性であることを加味するとガラスを突き破ろうとはしないものでしょうか」
ほぼ体長だけ見れば変わらぬが為に襲ってきたら相当な恐怖心を抱くだろう。その姿を幻視したのかローザさんは小さく震える。
そうした事態を彼は笑って否定する。
「随分とフリサスフィスさんは『電気』について詳しいですね? 生物学をどこかで学んだことが……あ、失礼。お父様が今は学者さんでしたね」
はい、見事にブラフにかかってくれて助かった。私のお父さんがスタンアミナス大学の特任教授であること、そして『今は』という発言から魔法使い関係の部分も全部調べてるね。
多少は前世の化学・生物学知識を小出しにして話したが、それもこうして即座にカバーできる。
「ええ、まあ。お父さんは魔錬学を教えておりますので、魔法と錬金術の共通分野である電気に対しては多少教えて下さいました」
ここはほぼ完全に嘘である。だが、電気の発明があったにも関わらず伝送手段とエネルギー変換効率の面において完全に魔石に後塵を拝していることは、かつてのラルゴフィーラ旅行の際の魔錬学館の展示で見た情報なのでここで学芸員1人を騙すことは容易なのである。
案の定シギマーさんは私の発言をそのまま違和感なくさらりと流して、話を続ける。
「で、ネオケラトドゥスが人間を知覚できるかどうかについては、正直あまりよく分かっていないと言うべきかな? ああ、失礼。電気については研究が進んでいないことと、どうも嗅覚も併用して獲物を探すらしいから、水の外までその力が発揮されるかは、それこそこの子にしか分からないということですよ。
ただ……」
更に彼は続けて話をする。それは心なしか不安そうな表情を見せているローザさんを安心させるかのように。
「ネオケラトドゥスが人間を襲うという話は聞いたこともないですよ。小魚とか巻貝とかそういうものを好むからね。
それに万が一私達を襲おうとしても、この水族館の強化硝子を割り破ることなど出来ないよ、何せこの硝子は我が社が賢者の国の有数の重工業企業であるポルボ・セレア社より買い取ってきた、賢者の国の最新の鉄道車両・航空機にも使っている最先端の強化硝子ですからね」
そこから放たれた言葉は、案の定一介の水族館の館員の言葉からは逸脱するものであった。
どこがおかしかったか。
魚に詳しい学芸員がどういう水槽が使われているのか知っている、というのは理解できる。
そのガラスの安全性の証明の為に、賢者の国という国外からの輸入品であり信頼性を示すというのもギリギリ水族館の館員としてお客さんに対しての話のネタとして必要なものかもしれない。
何故ならこの国、森の民のガラス技術はきちんと調べたことは無いものの、一枚ガラスの類がそもそも街中に少ない。かくいう私の実家ですらも木枠でお洒落に窓枠を飾っていた。しかも透明ガラスではなくちょっとくすんだ色をしていたことを覚えている。
我が家の経済水準でそれなのだから、民間におけるガラスの品質は前世程に高いものではないことが明らかであろう。だからこそ輸入品であることは安全性の保障となる。だからガラス自体に詳しいことも妙ではない。
問題は、そのガラスを買い取ってきたのを『我が社』と言い切ったこと。
確かに水族館の運営母体はグローアーバン路面軌道株式会社かもしれない。だがこの会社。名前に『路面軌道』と入っていることから、事業の核は路面列車――すなわち交通事業なのだ。水族館やら少女劇団といったレジャー部門はあくまで副次的なものに過ぎない。
そう考えると本業の交通方面の伝手で手に入れてきたガラスを水族館に転用した、というのが自然となり。そこまでのカバーストーリーを踏まえると1つの可能性へと行き着く。
そして、これが今回私の繰り出す一打。シギマー学芸員の解説の間隙を縫って、1つの質問を行う。
「……シギマー学芸員、いえ。シギマーさん。
『学芸員』以外の肩書きを、私達にご教示頂いておりませんが、それは当方で自由に解釈して良い……とそういうことでしょうか?」
――このとき、はじめて目の前の小太りの男性の笑みが崩れた。
*
「『グローアーバン路面軌道株式会社 交通事業本部 タクシー・乗合タクシー・三輪タクシー部門 第1課長 アルボイン・シギマー』。
随分と肩書きが長いと言いますか……」
「口に出して読み上げるものでもないからね。
まあ、これを出させたのだ。何か、考えがあるのだろう。フリサスフィス君?」
観覧スペースの隅の方に、飲み物売り場が併設された休憩スペース的な場所があり、そこにローザさん共々案内されてから、先の仰々しい役職が書かれた名刺を受け取った。って、この世界に名刺文化あったのか。
で、飲み物くらいはということで私とローザさんの分の飲み物を奢ってもらった。こればかりは年少者の専売特許である。ちなみに私はグレープフルーツジュースでローザさんは私が頼んだ後に悩んだ挙句で同じものを頼んでいた。
ローザさんは、ほとんど私達2人の話に付いていけていないように見受けられるが。先方の用事を済ませてしまえば、ゆったりと観覧できる。一時的にローザさんを退屈させてしまうが、他ならぬ彼女の為……と割り切る。
まあもっとも。名刺を見た瞬間に大体察しが付いてしまってはいるが。シギマーさんの口調も変わっているし。
先に確認したいことがあるので、まずはそちらを尋ねる。
「その前に1つ。
乗合タクシーと三輪タクシーってどういうものですか?」
「……まあ王都の中央に住むお嬢様には馴染みが薄いかもしれないな。
『乗合タクシー』はいわゆる改バスのことだ。路面列車の車両を線路以外も走れるように改造した大型のタクシーという訳だ。
で、三輪タクシーは三輪の小型車だな。タクシーよりも廉価で庶民向け、だが乗合タクシーのように他の乗客と乗り合わせることは無い」
『改バス』。ラウラ先輩の実家である皮革産業の街であるハウトクヴェレに行くときに乗った乗り物だ。
あのとき私は10ゼニーでこの改バスに乗ったけれども、よくよく考えるとその安さは異常であった。だってここの水族館の入館料1000ゼニーしたし。100倍も違う。
だが、グローアーバン州でそれらのタクシーや改バスなどの元締めとなっているのが、目の前のシギマーさんの所属する交通事業本部、タクシー・乗合タクシー・三輪タクシー部門ということなのだろう。
というかこの路面列車の会社、多角的に手を出してるな。
だが。ここにその3つの共通点はもう明らかだろう。それは、乗り物であること。
そして、乗り物ということは運転が必須であることと、この世界では運転免許が特殊技能の専門資格となること。
最後に。その特殊技能を魔法使いは有事の即応性の観点から訓練していることを加味した上で、今回の水族館の依頼の周囲を取り巻く環境を改めて考え直せば。
「シギマーさん。……あなたの出身は?」
その答えには予想通りのものが返ってきた。
「そこのエルミンヒルト君と同じくレーヴンヴァルト州の出身でね。
予備役・魔法男爵の……片翼党員さ」
*
シギマーさんが片翼党員ということで、大体話は繋がった。
ローザさんが面識が無さそうにしていたから不思議ではあったが、考えてみればグローアーバンという別の州で働いていて地元に居らずしかも現役の魔法使いでないとなれば、ローザさんが把握していないというのも致し方ないことなのだろう。
まずグローアーバン路面軌道株式会社の交通事業本部が魔法使いの天下り先であること。
で、今回の件にのみ関して言えば、水族館と路面軌道会社そして片翼党と魔法教育統括部のノーマン総務部長が全部グルだった。
機関紙に載せる水族館という話も、語弊を承知で言えば両者の癒着だ。
よくよく考えてみれば水族館はレジャー施設ではあるものの、それ以外にも環境教育の場という側面がある。
……としたときに、王都の魔法爵育成学院と水族館が結び付く価値は。
王都における高校の中でもトップクラスの学力水準を誇る学院が、他の学校でも導入可能な水族館見学という実習体験を取り入れた、と転化すれば、それは教育ビジネスのチャンスの場へと一気に見る目が変わる。
魔法使い側は路面軌道会社にビジネスチャンスを提供し、路面軌道会社側は魔法使いに天下り先を提供する。あくまで、その流れの枠組みの中の1つでしかなかったわけだ。
で、ここに目を付けたのが我らがオーディリア先輩と、あと多分王子なのだろう。魔法教育統括部のノーマン総務部長が目論む教育制度改革に対して、障害となり得る学生――王家と女性魔法使いという2種類の政治的爆弾――がどちらも片翼党と協調姿勢を歩むことを鮮明にしたとも受け取れる今回の出来事は、両者が最高値で自身を売り付けたということを意味している。
タッグ組ませたら絶対いけないな、この2人。
で、その両陣営の連携の象徴として体よく用意されたのが、私とローザさんなのだ。
まあある程度は推測が付いていたことも多かった。
だからこそ、今の流れを見れば無難にお魚の感想文を提出するのも正解ではある。今回は私の考えもそこまで大きく違えていない。
――しかし。
「大枠はその通りだが、我々片翼党の読みを『ヴェレナ・フリサスフィス』という個人がどこまで看破するのか、というのが私に課せられた使命の1つであった。
まあここまで見破られてしまっては今更隠すことでも無いだろう」
シギマーさんを学芸員として送り込んだ意図の中には、私という個人の調査という面が含まれていたことを彼は自ら明かす。
それは、すなわち。
魔法使い上層部にわが父『アデルバート・フリサスフィス』の娘という価値ではなく。
――私自身、ヴェレナ・フリサスフィスに政治的価値を見出しつつある、ということなのである。
◇
「『狩人の国の河川展示』……?
ねえ、ローザさん見て見て、『チョウザメ』だって! サメ居るよ!」
「ぁ、あの……ヴェレナさん。『チョウザメ』はサメではないって書いてありますよ。
あと、この子の卵の塩漬けがキャビアになるのですよね……」
チョウザメってサメじゃないのか! 見た目どう見てもサメだけど何が違うんだろう。
◇
そしてドアを開け外に出る次は商業都市国家群の展示コーナー。ガラスではなく、外に設置にしてある生け簀を上から眺めるスペースのようだ。
「うわあ、でっか……」
そこに居たのは物凄く長い鼻先を有する謎の魚。ただとにかく大きい。人間の身長などは優に超えている。水槽も底が見えないくらいに深い。
「ハシナガチョウザメ。体長は3階建ての建物くらいまで大きくなるって……」
こいつもチョウザメなのか。
◇
「さて……次の展示は……と。
えっ!? イルカ居るの!? すごいすごい! 早く見に行こうよ、ローザさん!」
商業都市国家群の屋外生け簀コーナーには、何とイルカも居た。
イルカなんて水族館になら基本居るでしょうよ、と言うことなかれ。この世界には海が無いので、淡水に棲息するイルカのはずだ。
イルカと言ったら海の生き物、という先入観があった私にとって、この海獣はもう会うことのできない生き物だと漠然と考えていただけに、テンションも上がる。
「わわっ、ちょっとヴェレナさん! 腕引っ張らないで……」
「……あ、ごめん」
◇
「ヴェレナさん。こちらは聖女の国に棲む生き物を集めた場所だそうですよ」
「ピラルク……アロワナ……。ここも大きな魚が一杯居るね。
あっ! デンキウナギも居る!」
「……ぁ、あれ? 説明には『シビレウナギ』と書かれていますが……」
確かに『電気』が普及していないこの世界で『デンキウナギ』という名前は伝わりにくいか。でも学芸員の人には普通に通じていたから異名とかで残っては居るんだろう。
そのまま奥へ進むと、『水辺の生き物』と書かれている。
「カピバラもツノガエルも……可愛い……」
いや、カピバラが可愛いのは分かるけど、カエルはちょっと……。
◇
「で、次のブースは様々な河川の環境を、そっくりそのまま移植して再現しているみたいだね」
「あっ、見てください! ヴェレナさん!
このサンショウウオ、レーヴンヴァルトの川にも居ましたよっ」
そうやって水槽をローザさんと一緒に覗き込む。
他にも浅瀬の川底を模した場所には、エビが居たり、ドジョウやアユといった私でもどこか見覚えのある魚が水槽の中には居た。
そして、何の変哲もないありふれた水槽を前に、ローザさんが立ち止まる。
「……居た。トラウト」
そこには、確かに前にキッチンで調理されていた魚と同じ姿が泳いでいた。
「ローザさん、来るときに見たいって言っていたもんね。
……良かったね」
ローザさんは私の言葉に特に反応もせず、ただ水槽の中のトラウトを見つめ続けている。
1分、2分……いやもっと長かっただろうか、それとも短かったかもしれない。けれど私にとって長い時間の間、彼女は微動だにせず水槽から目を離さず眺め続けていた。
が、その静的な情景に変化が訪れる。
「……ねえ。ヴェレナさん。
私は今日のことで、貴方のことが……良く分からなくなりました」
そうして、紡がれたのはあまりにも予想外の言葉。
咄嗟のことで返答すら出来ない私であったが、そもそも相槌など求めていないかのようにローザさんは続ける。
「……郷里で伺っていたような、中央校出身者と地方校出身者の確執に対する私の考えをヴェレナさんは覆しました。
では、英雄のような御方かと言えばそういう訳でも無く。むしろ何も知らずに接しているように見受けられます。違いますか?」
「……続けて?」
ローザさんが私に対して心中を独白するのは、未だかつて無かったことだ。
ただ中央校というブランドイメージによって彼女を委縮させていたという面も含めて、徹底して彼女の内面に関しては私に開示されてこなかった。
とりあえず、聞こう。聞かないと彼女が何を言わんとしているのか判断できない。
「ただの世間知らずのお人好しなのかな、とも思いました。
ですが、少し探ってみると分からなくなりました。貴方の卒業研究である『二段階制空論』にも目を通しました。
まず、間違いなく。並の魔法使いでは考え付かぬ異次元の考え方をしている……と私は感じました」
――いつの間に『二段階制空論』に目を通していたのか。いや、かの学院の卒業研究は魔法使い関係者であれば照会すれば誰でも閲覧できることは、後輩のアロディアさんが証明していた。そして、その感想もアロディアさんの話と似通っている。
「でも。貴方は天才ではない。
勉強面であれば、差し出がましいですが、私の方が出来るという自負があります。
確かに王都での生活面で色々と驚かされることはありましたが、逆に言えば幼い頃からそういった生活をしているのであれば、考え方も異質になるのかな、と結論付けていました」
一周回って世間知らずのお嬢様という評価に舞い戻ってきていた。
確かに勉強面では、ローザさんに追いついていない。とはいえ、私視点であれば、それも仕方がないことだ。前世知識ブーストとゲーム知識の貯金を今まで切り崩しながらやり繰りしてきたが、もうそれも限界が見えてきている。
特に魔法爵育成学院は、勉学面だけで言えばトップクラスなのだから。秀才集団の中に放り込まれた中で追いつくことで精一杯なのは仕方がない、というかむしろそれでも良くやれていると自画自賛したくなるほどだ。
「……もしかしたら王都の環境がそうさせるのかも、と思い家庭教師のお仕事を片翼党の方に頼み込んで斡旋してもらいましたが、ヴェレナさんのような方に会うことは終ぞありませんでした。……まあ仕事自体は賃金を生活費の足しにするという面もありましたけど」
「――うん」
「でも、今日。
私はただの学芸員だと思っていたシルバー殿を、初見でその素性まで見抜いた。
そして、大の大人と面を向かって交渉事を行う胆力。
――何者なのですか。貴方は?」
私のことを常識の埒外という意味で異質とする人物は居た。
私のことをポンコツと揶揄し、そういう意味で異質と評価する人物はごまんと居た。
私のことを経済的価値や、その派閥的な立ち位置を見て異質とする人物も居た。
――けれど。
今、目の前のローザさんは。
私の能力に対して、異質であると評している。
彼女の中での評価軸から、完全に逸脱した存在が私なのだろう。だからこそ私のことを測り知ることが出来ず、けれど同居人であるから付かず離れずの関係に終始することしかできなかった。
さて、ここまで吐露してくれたローザさんに対して、怒りなど感じようもない。あるのは納得と感謝。
で、あれば彼女の質問に応えねばならない。これからの関係性にダイレクトに影響する部分だが、自然にその言葉は出てきたである。
「……トラウト、かな?」
「はい?」
「塩焼きにでも、甘露煮でも、ムニエルでもホイル焼きでも、どんな形にでも料理出来ますよ?
――勿論、ローザさんが作っていたマリネにも……ね?」
私の発言を聞いてぽかんとしていた彼女であったが、再度トラウトの入った水槽へと顔を戻す。
でも、そんな彼女が肩を震わせているのが見て分かった。
「ふふっ……ずるいですよっ、ヴェレナさん。
いや、トラウト……さん?」
それは、初めて見る彼女の心からの――爆笑であった。
そしてその笑い声を収まるのを待ってから、ローザさんはトラウトを見つめながら、こう答えた。
「じゃあ、今日はトラウトを買って帰りましょうか。
……まずは手始めに塩焼きにしてみましょう」
うん。
――いや、ここまで煽った私も悪いんだけどさ。
「……ごめん、ローザさん。流石に水族館で生きた魚見た後に、同じ魚食べるのは無理かも」
「そこで梯子外すのはちょっと無いんじゃないですか!? ヴェレナさん!」




