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明確な拒絶の言葉をアマルリック王子に放ったら、彼は存外あっさりと退いた。
聞いた話を無暗やたらに吹聴しないで欲しいというお願いはされたが、絶対に話すなという訳でもなく、口止めに何かするということもなく、解放された。
王子に対して別れの言葉を告げた時には、出口を抑えていた近衛兵もドアの前から移動しており、人払いされていたはずの外も普通に他の生徒らが歩いていた。
危ない橋を渡らなくて済んだのは良かったのだけれども、反面ここまで突っ込んだ話をした割には、あっさりと解放されると王子は何を目的に私に対して『儀仗組』の廃止の助力を提案してきたのかが分からなくなる。
つまり私を企みに参画させる以外に目的があった、と。しかも、おそらくその目的は既に達成していると考えた方が良いだろう。
何故ならば王子であれば、反対に傾いていた私の意見を言葉巧みに操って賛成に転じさせることくらい出来たはずだ。でも、それをしなかった。
まあ、順当に考えれば私に情報を共有させることなんだけど。ただこれは王子にとってどのような利益になるのか全く分からないのよね。私が分からないと、なればこれはもう誰かに聞くしかない。
……というわけで。
「――レーヴンヴァルトの片翼党。確かに存じ上げていましたが、王子殿下がそこまで警戒する相手とは認識しておりませんでした。
……いや。ありがとうございます、ヴェレナさん。……少し見直しが必要になりますね」
オーディリア先輩に相談してみると、まず、ローザさんの出身地であるレーヴンヴァルトの話を拾う。
生粋の権力家であり、魔法使い内部派閥に関してはおそらく私の知る人物の中でも誰よりも詳しく把握していそうな先輩が、王子と警戒度合いに齟齬があったと。
「何故、オーディリア先輩は片翼党をそこまで重要視していなかったのでしょうか」
「……1つは数の問題ですね。所詮単一の州の出身者派閥ですので、規模が大きくないですから。
それと、旧来の魔法使いと学閥。その両天秤の調停者と言えば聞こえは良いですが、それは勢力が拮抗しているときに限定されます。いずれ旧来の魔法使いは駆逐されることを考えれば、そのとき学閥の主導権を握る勢力によって片翼党も恭順もしくは徹底抗戦を選ばされることとなるだろうと思っていましたので。
現・魔法大臣のアルドマ伯が勢力均衡策を講じているのは把握しておりますが、正直そこまで台頭するとは考えておりませんでした、殿下には何が見えているのでしょう」
派閥規模と両天秤であるが故の弱さ。それがオーディリア先輩をもってして片翼党が今後勢力を増すと読まなかった理由だが、それは王子の考えと対立している。
「ただ、殿下の狙いは何となく分かりますよ。
既に教育係の2代目棟梁で殿下と片翼党は少なからず繋がっている。そして、ヴェレナさん。あなたは、ローザさんと王子殿下と同級生という繋がりがある。
更に、ローザさん自身は殿下と面識が無い」
「……私は王家と片翼党と。そして将来の女性魔法使いの派閥の渡し役ということですか」
「無論、隠蔽工作という意味合いもあるでしょうが。
それと1つ忘れてますよ、ヴェレナさん。あなたの苗字は何ですか?」
あー……。フリサスフィス家――つまり、お父さんのことまで織り込み済みかこれ。私のことをヴェレナという個で見れば、外から見たときの政治的利用価値は女性解放運動というキーワードに包まれた女性魔法使いの卵。
しかし、フリサスフィスという家で見れば。お父さんは学閥の旗頭候補であったところをクロドルフ元魔法大臣などによって左遷させられた経緯を有する。私が2世魔法使いであるが故に、その『フリサスフィス』の旗を再び利用すれば学閥側との連携すらも選択肢として提示されるというわけなのか。
想像以上に私の存在がカギとなりつつあった。
ただ、その着想の場合。動くのが早すぎるんだよね。私とローザさんの間で確固たる信頼関係はまだ築けておらず初心な感じのぎこちなさがどことなく両者に残っている。
まあ私側はローザさんと仲良くしたいけれども、何分まだほとんど日が経っていないし。王子が皮算用で動いている感が否めない。
「ただ。1つ確実に言えることは、私がヴェレナさんの立場だったら……断りませんでした。どう考えてもメリットの方が大きいですし。
なのでおそらく王子殿下自身もヴェレナさんの人となりは把握しているので、断られることは当然考慮には入れていたと思いますが……。
案外、殿下側があっさり退いたのも、想定外の事態が起こっている可能性を危惧してのことかもしれません」
王子側で想定外事態が起こっている。それは考えていなかった。ただ、今回オーディリア先輩の歯切れが相当悪い。先輩自身も確信があって話しているわけではないのだろう。
「――ヴェレナさん。この件に関しては私の方で少し預からせて頂いてもよろしいでしょうか?」
あっ、それは先輩に相談した時点で全部任せようと思っていたので、願ったり叶ったり。
*
結局、その後何事もなく。
平穏無事に入学式が行われ、私とローザさんは『儀仗組』で一緒となった。
何だか陰謀・策略渦巻いて入学前にどっと気疲れしたが、ここがようやく魔法青少年学院での生活の第一歩である。
結局『儀仗組』という名称はそっくりそのままだから、あの後王子もオーディリア先輩も動かなかった、ということで良いのだろうか。両名ともに裏で動かれると全く把握できないし。
そして、肝心のローザさんに対して片翼党の話は聞いていない。根本的にまだ知り合ってから間もないのに、これから3年間一緒なのに派閥の話を振ると言うのもどうかと思ったのでしていない。
王子やアプランツァイト学園卒業生のように普段から政略やら派閥のことを考えている人ばかりではないのだ。まあ私が中央校出身者であることを把握していたという意味では全く興味も接点も無い、という可能性は低いが。
また兵部に進学しているという意味でも、部隊の指揮統率か将来の魔法使いキャリアの高官を狙っている可能性はある。
では、どんな話を普段ローザさんとしているかと言えば。
「……ローザさん。ここ分からないんだけど。
『貧しき者は幸甚であり、豊穣を主る。此れ即ち女神の祝福を受けし常楽の民である』という一節なんだけどさ。
貧しいのに豊穣を司るというのが良く分かんないんだよね。普通逆じゃない? これ」
「ぁ、はい。えっと、『宗教』の授業の課題ですか。
『大いなる水辺の垂訓書』の序文でしたよね」
基本的に一般教育授業で出される課題を一緒にやる機会が多い。
いくらローザさんが女子生徒で自動的に『儀仗組』に編入されるとはいえ、この学院で兵部同級生の中では最高位のクラスなのだから、やっぱりそれだけ地頭はある。
私みたいな前世分の下駄を履かされた凡人というわけではないため、前世知識の一日の長のある理系科目の一部を除くと、ローザさんの方が知識がある。
とりわけ私が苦手とするのが、この『宗教』の授業。単純に前世に存在しなかった女神教なる宗教を会得する必要がある上に、そもそも前世ではまともに宗教教育など受けてこなかったため、文字通りゼロベースからなのだ。
しかも、それに加えて異世界カルチャーギャップが直接降りかかる。根本の考え方の部分からハンディキャップを抱えているとなると、前世分がむしろマイナスに働いているのでは、と思ってしまう。
更に追い打ちをかけるように、暗記科目の側面もあるのだ。
今、考えている課題で言えば『貧しい者』が豊穣を司るという部分。これが意味分からない。経済的に豊かな者のが、豊穣であるとは言えないだろうか。
「その『貧しき者』というのは、精神的な貧者……つまり心が貧しい人のことを指していますよ。だから豊穣を主ることができるのです」
「……えっ?」
心が貧しいと豊かになれるってこと? それは何かおかしくないだろうか。
度量が小さいとか了見が狭いってことだよねそれ。
で、あれば意地悪したり、ネガティブに考えてしまったり、イライラして何かに当たったりする人たちのことを指しているはず。
そんな心の貧しい人間がどうして豊穣なのか。女神の祝福を受けているのか。苦しいことが未来永劫無い世界の民だと言われるのか。
「ぁ……うん。ヴェレナさんの考え方も分かりますし、普通そう考えますよね。
でも、だからこそこの言葉はこうして残されているのではないでしょうか。
心が貧しい私達でも、女神様の祝福を受けていて、常楽が女神様の名において保障されている。そうやって貧しくとも守ってくれる御方が居れば、貧しき生活の中あっても他者と切磋琢磨することで、自身も隣人も共に豊かに――豊穣になれる、だから豊穣を主ることが出来る、という考え方だと私は考えておりますが」
やっぱり、これもカルチャーギャップ案件であったか。
ローザさんは『貧しい者』という言葉に対して『私達』と使った。ということは、精神的貧者とは、人間社会の中での比較ではなく、人類全てが須く女神と比較したときに心が貧しい、という発想なんだ。
だから、この言葉は、人類全てに女神の祝福が与えられ、常楽の民であることが確約されていると言う解釈になる。心が貧しいから、それを受け入れずに反発するのではなく、ただ闇雲に努力して心の器を広げるのではなく、まず心が貧しいこと、それは人類全てがそうなのだ、と受け入れること。
そして、そんな私達でも女神から祝福されているということを自然に感謝して、他者との協同を共にすれば、必ず豊穣を主るようになれる。そういう教えなのだ。
何というか、うん。超常性が先行する教えである。
『心が貧しい人は豊かになろう』といった普遍的な指摘ではないし、それに対するアンチテーゼである『心貧しくてもそれでいいじゃん』という考え方でもない。人と人の中にある心の貧富の差など、女神から見れば大した差もなく皆平等に貧者なのだから、まずはそれを受け入れ、大した差の無い他の人間のことも受容し協力することの尊さを説いている。
そして、何より。その貧しさや清貧という在り方そのものを貴いとは考えておらず、『豊穣』となることを尊ぶ考え方。
清らかであるという清純性が必ずしも重要視されていないという意味では、前世の道徳的な観念からも逸脱している。
女神から見たときに人間の格差なんて大したことない、という教えは一見貧者への現状追認と富者の貧者への分配への必要性を説いているように思えるが、この『大いなる水辺の垂訓書』の考え方を見るに、人間の貧富の差なんて大したこと無いんだから全員もっともっと豊かになろうぜ! という方向性なのだ。決して富者がより豊かになることを咎めていない点は留意すべきだろう。
「ぁ、あの……ヴェレナさん。私からも質問が……あるのですけれども、よろしいでしょうか?」
「んっ? なにー?」
同じ部屋のルームメイトで同期なのに口調が固いんだよな、彼女。もう少し砕けても良いと思うんだけど。
ただ、それよりもローザさんからの質問だ。基本的に課題の出来は既に何となく彼女のが良いように思うけれども、算術や魔錬学の前世共通分野であれば、まだ何とか教えることもできるかもしれない。
あっさりと返した風な返答には、そうしたちょっとした期待と下心が乗せてある。
すると逡巡しつつもこう答える。
「えっと……、よく着ているナイロンの部屋着なのですが。
あれ……どこで売っているのか、教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
……これって、もしかしなくても、ローザさんって私のこと都会の遊び人か何かだと勘違いしてますよね!?




