7-5
「はいっ、これで良し……と。
ローザさん、髪の感じは大丈夫?」
私とローザさんはお風呂から上がった後、同じ居室へと戻りその洗面台の鏡の前でローザさんの髪をいじっていた。
まあ、お風呂入っているときに話題に出した馬油コンディショナーのお試しだけれども。
そして私が洗面台備え付けの魔石装置である水発生装置で手を洗い流しながらローザさんの様子を伺う。
「ぁ、はい……何から何まですみません……。ありがとうございます、こういった髪油の類は使ったことが無いので要領が分からないですが、不思議な感覚ですね」
コンディショナーでは通じないが髪油という表現ならローザさんに通じた。というのも、髪油であれば冠婚葬祭などでの正装において結髪する際にこの世界でも使用しているみたいだからだ。
それはそれでスタイリング剤か何かだと勘違いされている気もしないでもないが。
「まあ慣れるとこれが手放せなくなるけれどね。もしローザさんがそうなったら余分に仕入れてくるよ」
私としては多少であれば譲渡するのは吝かでは無いけれども、ローザさんは多分そうした物を無料で貰うという行為に引け目や罪悪感を感じて私が貸しを作っているように感じてしまうかもしれない。
あと、まあ正直そこそこ高値なのでローザさんも常用し出すと出費が洒落にならないという意味も込めてクレティからの仕入れの増大を仄めかす程度にする。
「ぇ、でも。……うーん。
この勢いだと、王都ではゼニーがいくらあっても足りなくなりそうですね……」
聞けば彼女の故郷であるレーヴンヴァルト州と比較すると、色々と真新しい物が王都にはあるようで。……というか液体シャンプーやらコンディショナーやらは王都で探しても見つからないものだから完全に私のせいだけれど。
闇雲に欲しい物に片っ端から手を出していたら金欠になってしまうというのも道理だ。
後は地味に物価の面もある。王都と地方都市で物の価値が違うかどうかまでは私は把握していないが、少なくとも王都内では中央部にある王城に近づくにつれて地価が上昇しお店なども高級志向になっていく。まあ必ずしも同心円状に広がっているわけではなくあくまで傾向だが。
そうしたとき、ここ、『ガルフィンガング魔法爵育成学院』があるマルタールピアーノという土地は王城を眺められる文字通りの王都の一等地に立地する。
それこそラウラ先輩が地元から出てきてカルチャーギャップに驚いた魔法青少年学院周辺よりも高級店が周囲に並んでいるのだ。
であるが故に、学院外の周辺で買い物は今まで以上にお金がかかると、先輩方から聞いている。
それでは生活苦になる生徒が大量出現するということで、おそらく学院内の食堂が男女兼用で利用できるようになっているわけで。もしかすると聞きそびれたけれども、購買辺りで日用品も割安で手に入るのかもね。
「……ちなみにローザさんが今、一番欲しい物って?」
私がそう聞くと、彼女は大いに悩む素振りを見せて、たっぷり時間をかけて私のことを指差してきた。
「……えっ、私?」
「……ぁ、ごめんなさい。違います! ヴェレナさんが、今着ている部屋着が……気になって」
びっくりした。寝間着のことだったか。
私が今、着ているのはピーチと白のボーダーのプルオーバーとロングパンツ。ゆったりしていてかつモコモコだ。まあこれもお母さんから紹介されたお店で買ったものであり、正直肌触りだけで選んだ。
ちなみにローザさんが今着ている寝間着は、おそらく浴衣に近い。白地に紫陽花の花が際立つ。多分、部屋着用に新しく買ったのではなく元々普段用で使っていたものを新しいのを買ったり使わなくなったりで部屋着に転用したものだと思われる。
ただ部屋着ということで帯締めや帯留めもしておらず、結び方も簡易的だ。……というか、これから寝るってのに帯しっかり締めるのも意味ないし。
「……触ってみる?」
多分、私の来ている服が気になったということは触り心地が気になったに違いない。ローザさんは私の提案に無言でおずおずと手を出して、服の裾の方をちょっとだけ、けれども質感を確かめるように何度も指でこねるように触った。
……これ凄い気恥ずかしいのだけど。
「わあ……凄いふかふか。何の素材なんだろう……」
そう言われてみれば私も素材まで気にして基本洋服を買っていないのでタグで確認する。
「……えっと。綿とナイロンの混紡素材、だって」
「――ナイロンってあの人造繊維の高級品ですよね!? ……ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。そんな高価なものとは知らずに気安く触ってしまって……」
あー。化学繊維ってそういう反応になることすっかり忘れてたわ。
「あれ? ……でも私達の制服もナイロン製じゃなかったっけ。魔法爵育成学院に入るときに仕立て直したときには、3年前に作ったときよりも安くなってたけれど」
そう言ったら、安くなっても制服は高級品じゃないかといった趣旨の返答が返ってきた。まあ、ごもっとも。というか安くなっているのを知っていってことはローザさんも制服新調したのね。
何というか、今回ばかりは私ではなくローザさんに王都と地方のカルチャーギャップを与えているような気がする。
そしてローザさんは地元であるレーヴンヴァルト州の魔法使いの影響を受けて今この学院に通っていると話していたから、もしかしてその辺りの関係から仕送りも頂いているのだろうか。
それだと、多分。そのローザさんの地元の魔法使いは確実に男性だから、男性として魔法爵育成学院に通うのに問題ない金額しか渡していないかもしれない。単純に身だしなみに使う金額も違えば、購買も女性向け商品にどこまで当てがあるのか分かったものではないし、そもそも男子寄宿舎の充実具合と比較して、女子側は放任主義的なので、何をするにも自分たちで揃える必要がある。
今までで多分一番金銭感覚にシビアそうなラウラ先輩ですら、生活費のことを口にしたことは一度も無かった。まあラウラ先輩も皮革産業が盛んなアウトローな街出身とはいえ、そこの代表者だからなあ。先輩個人で言えば極端に貧しいというわけでもないのだろう。あまり物的な執着心は見られないが。
また新しい先輩であるイダリア先輩も、騎士階級出身とのことでこれまたお金には困らなそうな身分であり。結局のところローザさんの家庭が一番未知数ではあるけれど、一般の男性魔法使いや男子生徒らが考えている以上に私達って優雅な生活を営んでいる可能性があるかもしれないので、ローザさんの金銭感覚を一応把握しておいた方が良いのかもしれない。
*
それから入学式までの数日は、学院の授業や課題も特にないので生活環境を整えることに注力していった。
具体的には学院周辺のお店の探索や、学院内の購買の商品の確認、その他事前に校内設備の確認も改めて行っている。何せ魔法爵育成学院全体で1000人に迫る生徒数を誇っているのだ。最早ちょっとした共同体であり、それ故に設備も多岐にわたる。
重要施設は初日に先輩方に紹介してもらったけれども、それ以外で大切そうなのは、選択している『部』ごとに、授業を行う棟が異なるということ。例えば、私達全員が所属する『兵部』は1学年150名程居り、5クラス編成で、それが3学年で15クラス。だから最も大きい施設である兵部本棟と付属の兵部第2棟と、2種類の建物があるのだ。
しかも。それだけではない。
「兵部第2棟の設備……、1年から3年の儀仗組が集まっている……」
儀仗組というのはクラス分けの編成単位で、他クラスとは異なる特殊組分けになっている。これは命名規則からも明らかだ。他のクラスは先史時代に誕生したとされる古魔法、すなわち属性魔法のモチーフカラーを組名に用いている。赤・青・緑・黄の四色がそれにあたる。
一応5クラスに上下関係や優越などの考えは無いとのことだが、儀仗組の『儀仗』とは、装飾の施された儀礼用の武具のことを指し、そうした武具を有する儀仗兵というのは、儀礼とともに護衛の必要なやんごとなき身分と関わる職分である。故にその『儀仗』の名を冠するクラスというのは、言ってしまえば学院側から『格別な配慮』の必要があると判断された生徒が所属するクラスであり、同時にその格別な配慮を要する生徒とクラスメイトとなっても問題が無いと判断された生徒が所属できるクラスなのである。
では、『格別な配慮』が必要な生徒とは?
これは言うまでもない。王族そして高位貴族の子息であり。
あるいは学院の『学力的な品位』を保つのに必要な学業特待生として入学してかつ素行良好な外部生であり。そうした彼らを補佐するに値する元中央校出身の生徒ら(ただし、他クラスの指揮統率を期待され別口の4つの組に割り当てられている者は除く)、加えて一部の地方校出身の優良者であり。
そして。女性登用問題で教会勢力などとともに社会問題となり、その取扱いについてまだまだ試験的な域を出ずにその人員の少なさから、ある程度特例措置を設けなければ政治的な危険性を伴う――女子生徒も含まれる。
ということで私やローザさんは1年の『儀仗組』への割り当てが確定しており、同時に、エルフワイン・アマルリック王子やら、侯爵子息のコロバート・ルーウィンさんらとまた3年間同じクラスになることが確定している。
で、それら儀仗組は、他4クラスから隔離というか特別扱いされる形で丸々1棟の建物に入れられているというわけだ。またアプランツァイト学園とは違う形の政治的な妥協にまみれたエリート主義的な教育が待ち構えていた。
――と、ここまでが前日談的で、まだ前提部分のお話。
*
「……というわけでですね、ヴェレナ・フリサスフィスさん。
私は、この『儀仗組』という組分けを廃止したいのですよ。私が王家の一員ということは自覚しておりますが、それを無関係な魔法使いのそれも学院内で行使するというのは些か宜しくない」
その儀仗組の生徒しか入れない兵部第2棟の、しかも内鍵の掛けられる密室にて、護衛である近衛兵に部屋の出口の扉を押さえられながら、私は王子と対面で相対していた。
ここに来たのは偶然を装った白々しいまでの王子側の策略だろう。私が男女共同の食堂で食事をしていたところに、『偶然』王子が通りかかり、魔法青少年学院時代のクラスメイトの誼で、旧友との昔話に盛り上がろうという体で半ば連行されるようにして連れてこられた。ご丁寧に、道中は人払いまでされていた。
というか旧友といっても、クラスメイト以上の関係に踏み込んだのは吟遊詩人面会のときくらいだ。それに新学期が始まればまた同じクラスなのだから、ここまで連れてきた理由がただの方便だということを隠そうともしていない。
……というかこの王子の腹の中を考慮すれば、むしろ私に本題は別にあるということを察してもらうがために、あえてそのような言い回しをしたんだろうな。
「……それを、何故私に?」
「まずあなたがアプランツァイト学園という民間の学校出身であることです。あなたは数字でのクラス分け編成を知っている。その知識を活かして欲しいというのが1つ。
第2に女子寄宿舎では人数規模が少ないですが、中央校や地方校の対立構造を未然に防ぐことに成功しているようですね。その女子生徒らの手腕を是非とも組分けの問題でも発揮して頂きたいということです」
本当に疑問だったことを王子に尋ねれば、返ってきたのがこの2点。確かに言葉尻だけを掴めば王子は平等志向の持ち主で、貴族も平民も手を取り合っていきましょう、まずはその手始めとしてクラス分けの歪さを是正する、といういかにも清廉潔白な王子像が浮かび上がる。
……まあ、残念ながらこの王子は元ゲームからして王子足らんとして王子足りえる人物だ。そのような高潔なお花畑では断じてないことが今の台詞からも明らかだ。
確かに、アプランツァイト学園のクラス編成で1組、2組のようにクラス分けをしていた。初等科は2クラスだが中等科・高等科は3クラスだ。
だからそのシステムを知っているという意味では王子の言葉は誤っていない。ただ1つ、『アプランツァイト学園のクラス分けは成績順で厳格に定められている』という点に目を瞑れば。
そこを踏まえると王子の言葉はがらりと性質が変わる。
すなわち――現行の『儀仗組』の有する機能や特権は、大きく損なわせずにクラス分けの名称を変更して表向き平等性を王家が確保したと宣伝する――という用件であると言えよう。
そして私が発した次なる疑問も、王子にとっては織り込み済みなのだろうな、と半ば察しながらも質問を重ねる。
「それであれば。私などよりも、先輩であるオーディリア・クレメンティーのが適任なのではないでしょうか。
彼女もまた私と同じくアプランツァイト学園の出身ですし、何より女子寄宿舎の対立を抑え込んだのはまさしくオーディリア先輩の賜物ですよ」
「あなたの判断を否定するつもりはありませんが、1つ視点が抜けておりますね。
私とフリサスフィスさんは、同級生でありクラスメイトであること。それを差し置いて、先にクレメンティー先輩にこの話を持っていけば、あなたが軽んじられるのです。王子として不当な評価を強いるというのは不本意であるので、こうして話し合いの場を設けました」
不当な評価に私が軽んじられる。それを王子が気にするのが不可思議だと思ったが、もしかしてこれは近衛兵の監視関連かな。現状王子は別に私に対して含むところは無いとは思うけれども、王子の周囲に居る近衛兵の一部には、私を過激派組織の一派やら革新主義者として危険視する流れがあの吟遊詩人面会以降残っているらしい。
それらの動きを抑制するために、王子はあまり私を軽んじる行動は取れないということだろう。まあそこまで配慮するのも結局は教会勢力を含めた女性活動家を私の後ろに幻視しているからだろうけれども。
そうした現状を踏まえたときに、さて。
私は王子の申し出にどう答えれば良い。
――今、この瞬間。このタイミングで王子が仕掛けてきた理由と思惑。それを含めて私が取るべき行動は一体何か。




