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演劇『ノスタルジック・クロック』は終演した。
内容としては、屋敷から出られない少女に対して、吟遊詩人の青年が様々な国のおとぎ話や体験談を話す、というのが大まかなストーリーだった。
興味深いのはその語られる国は本当に多種多様で、ゴーレムやアンデッドなど死した人らが甦り彼らだけになった街が登場したり、身体の大きさが城ほどにも届くような巨体の人々が集落を形成している村の話が出たりなど、恐らくこの世界にも存在しないであろう想像上の生き物や人々の生活や暮らしが描写されていた。
また最終的には吟遊詩人の青年と一緒に、少女も屋敷から飛び出して世界の探検に出るのだが、2人はとあるトンネルを渡るシーンでクライマックスを迎える。
実はその『トンネル』は青年の持つ特異な能力であり、『別の世界』と『こちらの世界』を繋いで色々な世界を旅して詩曲を作成していたと明らかにされる。
その青年の示すトンネルの先の世界に少女も共に旅立っていく……、といったところで話は終わる。
演者の所作やあるいは演出の手法などで、おそらく魔法や魔道具・魔石装置などを用いているからであろう、私にとっては真新しい、新鮮なものを感じた。一方で話の大筋というか、大まかなストーリーや舞台背景に関しては、既視感を感じる部分も多かった。
『別の世界』というフレーズはそのまま『異世界』を示しており、この世界の物語でも『異世界』という概念が萌芽し、それを見る側も受け入れられているという下地については深く考えねばいけないだろう。
特に、演劇の登場人物たる吟遊詩人は最初は『異国』の話として『異世界』に関する事柄を少女に話している。物語の構造上両者は同一視されながら展開しているが、『トンネル』という舞台装置の出現によって、『異世界』と『異国』を異なる概念として定義づけている。これが私にとっては重要なのだ。
何故ここまで『異世界』と『異国』の概念形成に気をかけているのかと言えば、それはこの世界における世界の広さそのものに対する問いかけにも繋がるからだ。
この世界には、魔王がある周期で出現し魔法使いが対処する瘴気の森、錬金術師の対象である未知の森があり、そしてその2つの森の間に人間の国がいくつも存在している。それは私は『黒の魔王と白き聖女Ⅴ』をプレイしたからこそ知っている。
しかし、この世界の人はそうした世界の全体図を把握しているのか分からない。であるがこのお話の肝である『異国』と『異世界』が明確に区分されている以上、『自国と他国』が違うように、『自分たちの世界と異世界』という対立を受け入れられている、ということになる。
すると、ひとつ疑問が生まれるのだ。……『異世界』の存在が認められるのであれば、異世界へ移動する手法も存在するのでは?
勿論、実際にそうした技術・魔法があるかは分からないし、私の元居た世界でも異世界などという場所に飛ばされるのは私も感染した『突発性異世界転生症候群』くらいなものであった。
ただしその可能性が存在する、ということは即ち帰還する手段もあるのではないだろうか、と考えざるを得ない、それが極めて低い確率であろうと。
幸い魔法に関しては父親、あるいはゲームシナリオでヴェレナ自身も魔法使いになっていることから全く手の届かない分野、というわけではない。なので、追々情報を手に入れることは可能だ。
そして、もうひとつ。『トンネル』という『ノスタルジック・クロック』の作品上での異世界移動手段の存在だ。
このトンネルが青年の持つ『能力』であること。まず、そうした特殊能力と呼ぶべきような、ある種ゲーム的なスキルというものが、創作ではなく現実に存在する可能性がひとつ。
そして、それが存在しない場合でも、個々人の能力として備わるものではなく『異世界転移魔法・技術』として『トンネル』に類するものが既に存在、あるいは理論段階で研究されている可能性も考えられる。
結局のところこの演劇が何を出典としどこまでが架空の出来事なのかという部分に対して後々詰めていく必要がある。
たった一創作作品で『異世界』という概念があっただけと言えばそれだけなのだが、それが今の私、2年間何も元の世界への帰還手法に関して得られず、とにかくこの世界に順応しようとし続けていた私にとっては、たったこれだけのことでも大きい情報なのであった。
*
とは言え、現状特段元の世界に帰るために今すぐ何が出来るというわけでもない。しいて言えば父親にその手段の有無を確認する程度だろうか。
それもいきなり魔法で異世界に行きたい、と言ってもいいが、何故異国ではなく異世界であるかという部分を突っ込まれたら厄介だ。単純に『ノスタルジック・クロック』のお話に影響された、と伝えれば分かって貰えるかな。
「そろそろ、大聖堂に向かいましょう。集合予定の刻限が迫ってきているわ」
ふと、お母さんから話しかけられ思考の海から顔を上げる。
そうだった。今は目の前にあることを消化せねば。とりあえず、この6歳を祝う行事とやらを大聖堂でまもなく執り行われるので行かなければならない。
この催し事、正式名称では『青苧の儀』と呼ばれる。
『青苧』という何やら聞きなれない単語が出てきたが、同名の植物を使用した布地素材のことらしい。ただし、今現在でも広く用いられているというわけではなく、あくまで儀礼用途であったり昔から行われている伝統的な行事での服飾の一部に限られている。
そもそも化学繊維も一部あるしね、この世界。
簡易ステージから再度マーケットのように連なる露店街を抜けて大聖堂へと向かう。
大聖堂はこの広場を抜ければすぐの位置にあり、何ならその建物自体は駅を降りたときからずっと見えているのだが、この混雑具合と迷路のようにできた露店通りのため中々たどり着けない。
6歳を祝う儀式である『青苧の儀』を6月の収穫祭にやるというだじゃれのような行事ではあるが、これは元々は限られた地域の農民の間で行われていた祝い事だったようで、それが時代を経て宗教行事として体裁が整えられた、という経緯があるようだ。
昔の農村であれば乳児死亡率が高かったり、飢饉や不作、あるいは災害や盗賊などの襲撃によって口減らしなども横行していたようだから、単純に生まれた赤ちゃんの数に対して6歳を迎えられるケースがあまり多くなかったようだ。
まあ、あとは魔物関係も何やら関わっているらしいがこの辺りはよく分からない。だって元の世界に魔物なんて居なかったし、魔物の襲撃とかも『瘴気の森』の外縁部にあたる僻地の農村ではよくあることだったりするのかな。……『魔王侵攻』によるのはあくまで魔物の活発化だし、別に魔王が居なくても魔物の群れによる農村襲撃自体は昔であればありえるかも。今の状況は王都から出たことが無いから不明だ。
永遠に続くかと思われた露店街が途切れた。人通りは相変わらず多いが、広い道に出た。無舗装の道路が多い中で、この大聖堂へと続く一直線の幅広の道は石畳で舗装されている。
道端の方を歩いていると道から外れる部分は青々とした芝生が日の光に照らされて眩いほどに輝いている。その芝生の絨毯の中には整えられた生垣が何やら幾何学的な模様に沿って規則的に並んでいる。
洋館の大豪邸、あるいは西洋城と形容しても良いであろう庭園がそこには広がっていた。
これが、大聖堂の財力というものか。この庭だけでも観光地として入場料取れそうだ、と俗物的なことを考えてしまう。
そして大聖堂の建物そのもの。駅から見えていたときからその威容を誇っていたが、近づいて改めて感じることはその迫力とインパクトの大きさだ。
背の高い尖った塔が特徴的で、そのフォルム全体を視界に収めようとすると首を痛めかねないほどだ。……私の身長が小さいだけかも。
しかし中に入るとその外観の華美さから一転、整然とした、ともすればシンプルとも言えるような空間が広がっている。
もちろん、吹き抜け構造の内装は広々としており、周囲のステンドグラスなどは確かによく見ると非常に洗練されている。
ただ、壁や天井一面に宗教画のようなものが描かれている何となくのイメージがあったので、そこから比べると質実剛健といった趣さえ感じられる。基本石造りなのもそう感じる要因のひとつなのかな。
入口を少し進むと受付のような場所があり、『青苧の儀』参加者受付のところは一般受付に比較して空いていた。まあ、儀式に参加するのは小学校に入学する前年の5歳と6歳の子だけだし、一度に儀式に参加できる人数も限られていることから完全事前予約制となっているため混みようがないといえる。
簡単な確認と手続きを終えると、ここから先はお母さんと離れて準備する、と女性の聖職者から言われた。
子供は準備が必要ではあるけれども、親は『青苧の儀』では特に何もしない。一般的な信徒と同様の扱いであるからだ。
というわけで、ここから先は別行動だ。
先ほどの女性の聖職者についていく。ある小部屋に案内され、ドアを開けるとそこには既に同じくらいの年代の子が何人か中に居た。待合室的な場所なのだろう。
初対面の子供が集められて、見たこともないような一室に入れられる……というと、なにやら怪しげな雰囲気を感じるが、子供たちは皆、大聖堂に圧倒されているのか、親と離されて放心状態なのかあるいは解放感からか、とにかく皆が何を考えているかは分からないが、未就学児として考えると非常に大人しく待っている。
まあ、見た目だけなら私も人のことは言えないが。
しばらく待っていると、別の聖職者の人が来て衣装の準備ができたといい、女児は別室へ移動するように、男児はそのまま残るようにと言われた。
移動した先の部屋では、何やらやや淡く青みがかった全体としては白色の布のようなものが置かれていた。
それを着るように指示される。布を広げてみると裾が足元まである長いバスローブのような上着であった。これが『青苧』でできた服なのかな。
『青苧』自体は高級素材であったはずだが、周りの聖職者の人らが着ている祭服と比べると装飾の類はほぼ何もない。まあ言ってしまえばレンタル衣装だし、そんなものなのかも。
実際に着てみると布地は想像以上に薄く、1枚重ね着したのにも関わらずほとんど暑さなどはなく、風通しも良い。
ただ、着て分かったけど、めっちゃこの衣装中が透ける! 中に着ている服がうっすらシルエット状に映る自身の姿を見てやや表情が引きつっていたら、その私の顔から考えていることを察されたのか、その場に居た一番華美な衣装を身に着けていた聖職者の女性が、司祭と名乗り『青苧』の意味について説明して頂いた。
その女性司祭様が言うことには、やや透けているのは清廉さと潔白性を女神様に示すための施しで、自身が瘴気や魔物などといった穢れに汚されていない敬虔な信徒であることを表していることだ。
ただあまりにも透けているとそれはそれで服としての意味がないので、別に完全に透明な服というわけではなく糸が細く縫い目もわずかに広げて作成している程度らしい。
また別に肌を露出する必要性は無いので中に服を着込むことは問題ない。まあそりゃそうだ。
また青みがかっているのにも青色には信仰や感謝という意味合いがあり、こうして息災に6歳まで過ごせたことを女神様に感謝するという側面もある。
そうした両者の側面を満たすような生地というのが化学繊維など無かった過去の時代には『青苧』が最適と考えられていたために、6歳の感謝の儀式には青苧が用いられるようになり、いつしか『青苧の儀』と呼ばれるようになったという経緯だ。
まあ今では化学繊維で安価につくって青く染めた廉価品を使用している教会もあるらしいが。大聖堂や大きな教会、格式高く教義に忠実な場所を中心に、今でも旧来の伝統衣装を再現し使い続けている。
そこには『青苧の儀』なんだからやっぱり本物の『青苧』を着せたいよね、という保護者側のある意味では俗世間的な主張も受け入れられている、と言える。
その後、儀式で用いる簡単なお祈りの言葉の暗唱を数回して、更に別室へと案内され男児と合流する。……部屋多いな、大聖堂。
『青苧の儀』とはいうものの、これは通常の礼拝の最後に執り行われる。
ただし、大聖堂に居るのに礼拝の時間を無視して儀式の準備を行うのは、あまりよろしくない行為であるため、礼拝が始まる前までにすべての準備を済ませていた。
また、6月の収穫祭という行事は正確には宗教行事ではないので、大聖堂や教会として何かイベントを行うわけではない。それにしては大聖堂前の広場で露店とかが出ていたのは、6月の収穫祭と『青苧の儀』が同日に行われることから、民衆レベルだとあまり区別がついてないという面が大きい。
実際教会側も収穫祭で寄進や寄付が増え利益も上がっているため、取り立てて厳密な部分を指摘して場を白けさせたりはしないようだ。
なので『青苧の儀』の前の礼拝そのものは実は通常通りだ。私達こと、儀式に参加する子供らは既に衣装を着て目立つので、祭壇の裏にある小部屋に連れてこられて、そこで礼拝中は待機となる。
礼拝の中身自体はやっぱり町の教会とそう大差は無かった。……演奏に関してはかなり音が響くからか、さながら音楽ライブのような高揚感があった。『聖女教』の聖歌は何故かジャンル的にはポップスだしね。
この世界では聖歌隊からアーティストデビューしている人がちらほら居る為、教会勢力はある意味では最大規模の芸能プロダクションでもあり、やはり芸能面での育成に力を入れていることが分かる、プロだから当たり前といえば当たり前だが歌めっちゃうまい。
説教やお祈りが終わり礼拝の終了が告げられ、隣の大部屋である礼拝堂はにわかにざわめきたつ。結構人居るなこれ。
その後『青苧の儀』を行うが、希望者はここで退出も可能とアナウンスされる。小部屋に居るため正確には分からないが、ざわめきが収まらないことから、多分ほとんどの人が礼拝堂に残っていると思う。まあメインはこれだし当たり前か。
合図がされ私達が別室の小部屋から祭壇の前まで来るように指示される。
聖職者の方の誘導に従って1列に並んで壇上へと上がる。そして、檀上に上がると、ひとりずつ1束の麦穂が手渡される。この麦は今年採れたばかりの麦と聞いた。私もそれを右手で受け取る。
全員に麦穂が渡ったら列の端の子から、祭壇に向かい合っている司祭様に一礼し司祭様が示した祭壇上の所定の場所へ麦穂を置いていく。
私も雰囲気に飲まれて緊張してしまい、礼が少々ぎこちなくなってしまった。檀上からだと、かなりの人の視線を背中に感じて背筋に汗がつたる。いや、実際には見えないけどそれくらい緊張するよこれ。
全ての用意された麦穂が祭壇の上に置かれると、司祭様が祈りの言葉を述べる。
「おそれ多くも女神様に我らの世界を安んじてお護り奉り給い、我らの現世・御国・大御宝の蘭薫桂馥を祈りし申し上げ給い、我ら献身者は白すも更なり、大御宝の果実たる若き信徒を御前に拝謁し奉ることと相成りました。
初めに供し麦穂の品々は衆庶自ら、陽光の恵み・あるいは雨の時など女神様の恵沢を拝し労きしものにて、まさに本日穫り収めしものでございます。
吉日吉辰畏くも、女神様が大御蔭も著しく、こうした豊けしご恵贈賜ることを奉謝致します。
此処に居る若き信徒らも麦穂同様健やかに薫陶し、悪辣で浅慮な取り替え子のような魔物共の悪意に曝されることなく本日無事に青苧を袖に通すこと、これはまさしく欣喜雀躍の想いで御座います。
蓋し女神様の乞い祈り給うことがご寛恕奉るれば、どうか『ご聖体』を拝領し頂きたく存じます」
司祭様の言葉が終わると、私達は女神様に麦穂を献上したお礼に聖別されたパンの欠片を与えられる。そして渡されたパン片はその場で食べる必要がある。
ただ、満腹になるほどの量ではないことから事前にご飯を食べてこないとお腹が減ってしまう。『女神教』のには『豊穣』を貴ぶ考えがあるため、あまり断食的な決まりごとは存在しないのである。
ただのパンと私ははじめは考えていたが、魔法もあり瘴気や魔物なども居る世界で『聖別』というのは只ならぬ意味を持っており、本当に祝福されることで退魔・浄化作用などが得られるらしい。とんでもない話だ。
まあ流石にパン片程度では、どこまで効果があるか疑わしいが。
ただ聖別された品でも一級品と呼ぶべきものを用いれば、低級の魔物など近づくことも出来ないとのこと。ただ、そのようなものは文字通り国宝級の非常に希少な物品になるので魔王討伐などの場合でも不用意に動かすことすらできない。
そのため、いにしえの文献や滅亡した国家の資料などに僅かに効力が記されるのみで、信憑性は何とも言えないものではある。
というわけで私が司祭様から聖別済みのパン片を頂く番が来たので列から前に出る。そしてパンを司祭様から手渡され口に入れる。手渡しかよ。
味は普通のパンと変わらない。というか欠片でしかないから量なさすぎてほぼ無味だ。
そして食べても、特に何かが起こったような気配は感じない。周りの子たちも一緒だ。そりゃそうか。
聖別されたパンを頂いた後、祈りの言葉を唱える。そして、一礼して元の列に戻る。これで終わりだ。私の隣に居た次の子が呼ばれて同じように前に出ていく。
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その後つつがなく『青苧の儀』は進行し、何事もなく儀式は終了した。着ていた青苧の服は回収され、そのまま退出をするように促された。
次の組の礼拝と青苧の儀の準備をもう始めているらしい。大聖堂は忙しいね。そのまま人の流れに身を任せて大聖堂の外に出て帰路につく。
儀式自体の時間はそこまで長くなかったが、準備の時間、そして何よりも人前に出て緊張したのでそれなりに疲労感がある。
大聖堂に来るまでは屋台めぐりをしようかなとも考えていたが、別段そこまで時間があるわけでもない。お母さん的にはお父さんが帰宅するまでに夕食も作っておかねばならないからもうこのまま帰るのもアリだと考えているだろう。
というわけで、そのまま駅へと向かおうかとお母さんに伝えると、ちょっとひとつお店に寄りたいとお母さんが言ってきた。それほど時間がかからないと言っていたので了承しお母さんの後に付いていく。
到着したお店はハーブティーやフレーバーティーを取り扱う専門店、のようなお店だった。……ああ、ジャスミンティーを仕入れるために立ち寄ったのね。
お母さんは新しい茶葉を購入する。あらかじめ買うものは決めていたらしく本当にすぐに終わった。というか、いつも家で飲んでいるやつと同じ種類だこれ。
これで帰宅かな、と思ったらお母さんが専門店の対面に位置するお店を指差し、
「今日は大変だっただろうから、何か好きな飲み物でも買って飲んでいきましょうか」
と言ってきた。そこはテイクアウト形式のジュースショップであった。
好きな飲み物か。嬉々として貼り出してあるメニューを見る。やっぱり種類が多いな。どのジュースも一律140ゼニーらしい。
悩みに悩んだ末に、『グレープフルーツジュース』をチョイスした。グレープフルーツには疲労回復効果があると昔に聞いたことがある。
注文すると店員さんがすぐに生絞りを始めた。特に砂糖や水なども入れない100%果汁ジュースだ。お母さんはマンゴージュースを注文してお会計をしていた。
さほど時間もかからずにジュースが出てきた。とりあえずその場でそのまま少し飲んでみると酸っぱい。でも爽快感がある。果汁100%の酸っぱさがとても身体に染みるようで美味しい。ああ、生き返る。
すっごいしみじみとした顔でグレープフルーツジュースを飲んでいたら母親に怪訝な顔をされたので、その後は飲まずにジュースをそのまま持って駅へと向かう。
列車内にジュースを持ち込むのは大丈夫なようで、乗り込む前の持ち物検査でジュースをその場で自分で一口飲み問題が無かったので通れた。
そうしてまた再び事前予約した指定席の列車に乗り込み、私達の住むヘルバウィリダー駅へと戻ってきて、バスに乗って家に到着した。
帰りの列車の中ではグレープフルーツジュースを飲みながら、青苧の儀でお母さんと別れた後の話をしていた。
まあとにかく家に着いた。
一日中動いていてそれなりに疲れている。手洗いうがいをして、ちょっとソファーで休憩しよう。寝っ転がりたい。
そうしてソファーに座ったら対面にお母さんも座った。
まあ確かにお母さんも疲れているかもしれない。一日中子供の用事に付き合っていたわけだし……。
何かお礼の言葉でも言おうかなとソファーから身体を起こし、話しかけようとした最中、遮られるようにお母さんからまるで帰りの列車の中での会話のトーンと同じような、世間話をするかのような自然な口調で話しかけられた。
「……あなたは、私の娘であるヴェレナ・フリサスフィスでは無いわよね」




