エルリック第一王子
叶わぬ星の他者目線でその後の話をいくつか。
多少時系列が前後するかもしれません。
その日はミーナや仲間を城の自分の書斎へと王子エルリックは招いていた。
ソファに隣同士でミーナと座り語り合う。
コンコン
部屋をノックされ返事をすると入ってきたのは皆より遅れてきたカイルだった。
「どうした、カイル。遅かったな。」
いつもは一時でもミーナといたい為に会えるとなると自分より先に一緒にいたくらいなのに今日は珍しく遅かった。
「申し訳ありません。私用が少しありまして。」
「そうか…まぁお前のところはまだ少しごたつくとは思うがな」
案にカイルの姉で元婚約者のサシェーナのことを思い浮かべながら口しにした。
「…件は我が家で失礼致しました。」
その言葉で察したのだろう。カイルは困った笑みを浮かべた。
「カイル!こんにちわ。今日も一緒にいられるのよね?」
可愛らしい笑顔をミーナがカイルに向ける。
「すみません。今日は家の仕事をしなければいけなくて長居できないのです。」
「まぁ…残念だわ…」
いつもより幾分外行きの笑顔でカイルはミーナと話した後こちらに顔を向けた。
「ところでエルリック王子。目を通していただきたい書類をお持ちしたのですが…」
「今はミーナがいる。机に置いておけ。」
「いいえ。」
有無もいわさない強い意思がこもった返事が来て、びっくりしてもう一度カイルに目線を合わせた。
その顔は真剣で気迫に満ちていた。
「どうしても今ご覧になっていただきたいのです。」
思わずその気迫に押された。
「ふん…わかった。ミーナ。すぐ済ませる。歓談しながらここで待っていてくれ。」
「エルリック様…」
「大丈夫、すぐ済ませる」
カイルから目を離し愛しいミーナと見つめ合った後、席を立って、移動した場所にいたカイルから書類を受け取った。
カイルが移動したのはミーナや他の仲間たちに見られたくないものだからだろう。
ミーナは将来王妃になるのだから見られても問題ないと思うが…と少し不満に思いながら書類に目を向ける。
…
………
………………
「これは…」
「…?エルリック…?」
自分の気配が変わったのに気付いたのかミーナがこちらに来ようと立ち上がる。
「ミーナ。」
言葉でミーナをこれ以上近づけさせないようにする。
そして書類の内容が見えないようにさりげなく視界から外した。
「すまない。思ったより厄介な仕事のようだ。招いている身で大変申し訳ないのだが今日はみんなと帰ってくれないか?」
「え?どうしたの?エルリック。」
「急用で厄介なんだ。今日中にけりをつけたい。みなも頼む。今日の埋め合わせはどこかでしよう。」
なんとか笑顔を作り出せたが、感情が爆発しそうなのを必死に抑える。
「内容も話すことが出来ない。すまないな。カイル。お前はここに残れ。詳細を聞く。」
「はっ。」
「エルリック…またすぐ会えるわよね?」
ミーナが近づいてきてそっと腕に手をかける。
「少しごたごたするかもしれない。でも必ず…できなければ文を出すよ。ミーナ。」
さらりとミーナの髪を撫でた後、仲間がミーナを引き連れて部屋から出ていった。
足音が遠ざかり、音が聞こえなくなったところで感情が堰を切った。
「カイル、
なんだこれは!!」
怒りで歯ぎしりする。
その書類は件の婚約破棄について詳細に書かれているものだった。
またミーナと男爵家の身辺調査の内容まである。
「こんなデタラメなものを私によこして何のマネだ!」
怒りの目をぶつけるがカイルの視線は冷ややかだった。
「よくご覧下さい。殿下。書類には全て我が公爵家の印が押されております。つまり、それは我が家の当主が認めたものなのです。そして当主より内容について、陛下も認証したと聞いております。おそらく王家も調査し、同じような内容があるかと。」
陛下、という言葉は頭から冷や水をかけられた気分になった。
「なん…だと…?」
頭の中が困惑に充ちる。
嘘だ、うそだうそだうそだ!
では先程までのぬくもりは?ミーナは?なんなのだ。
「カイル…!!」
バンッ!!
行き場のない感情に、思わず側にあった執務に使っている机を叩いた。
リーーー……ッン
カシャン
ハッとして机から落としたものを見れば、先程の衝撃で机の端に置いてあった鳥の置物の形をした鈴が落ちた。
思い出がぶぁっと頭の中を駆け巡る。
『ねぇエルリック様。私昨日初めて父に怒られてしまいましたの。お茶会で挨拶の手順を間違えて相手に失礼な態度をとってしまって。』
『でも父がいったんです。私を怒るのは私の為なんですって。人はね、怒るとき二種類の怒りかたがあるんですって。1つは感情のままに怒ること。そしてもうひとつは相手のことを思って怒ることこの二種類。』
『ふぅん、僕は怒られたことないけどな。』
『ふふっ、怒られないなんてすごいですわ。私父に聞いたんです。どうやったら怒られなくなりますか、って。そしたらね』
感情的な怒りは怒る本人がコントロールせねばならん。
相手を想っての場合、怒られない人間は二種類いる。
1つは怒る要因のない人
もう1つは怒ってもどうにもならなくて諦められた人ー…
鈴はそんな話をした日にサシェからもらったものだった。異国のアズマの国から取り寄せたらしい。我が国にある鈴と違い持ち上げてみるととても綺麗で優しい繊細な音色の為自分も気に入っていたものだった。仕事の合間、気分転換にその音色を聞いていたので机の上にあったのだ。
それもサシェから離れていくことでその置物を持ち上げることもなくなった。
久々に聞いた鈴の音は頭と感情まで清らかにしてくれるような音色だった。怒りと困惑で占めていた頭の中に少しの落ち着きを取り戻させた。
落ちた置物を見つめながら思う。
「なぁ、カイル…私が食事の席以外で陛下に会ったことがあった最後の日はいつだったか…」
「いえ…存じあげませんが…」
「2ヶ月前だ。」
2ヶ月前まで怒りを含んだ注意を何度も向けられた。それがここ最近パタリとなくなったのだ。てっきり自分とミーナのことがやっと認められたのだと、そう思っていた。
「怒られない…人間…」
怒られる要因がないか…それとも…
目線の先には机がある。
そういえばこの机にあまり座らなくなった気がする。
サシェーナと民のためにと共同で始めた治水の件はどうだったか。
火急の書類を見なくなったのはいつからか。
…私はどれだけ仕事に手を付けてなかったのか。
仕事をしない王子が怒られない人間か?
では要因があるのに怒られないのは何故だ…?
つまり…口元がわななく。
「カイル、聞いてもいいか。この内容を私が潰して何もなかった態度でミーナと一緒にいたいと思ったとき、私はどうなる?」
「おそらく…最悪は廃嫡かと。2ヶ月前より第二王子である弟君に更に公務が増やされたとお聞きしています。私も殿下の側近でありながら殿下を諌められなかった責を負いますし、他の仲間もそれ相応の罰があるかと。」
吐き気がした。
自分が気づかないうちに物事は最悪なところまできていたのだ。
いや、サシェーナを断罪した時点で最悪は更に振り切れているだろう。
サシェ、と口が動くが声にならなかった。
「カイル。父上に…陛下に謁見の申請を。」
ー国王との対面はその日のうちに叶った。
国王の執務室の隣にある応接室へ通されると、ソファに王と、隣に王妃の姿があった。
こんなに急な願いにも関わらず二人が揃っていることに驚いた。
久々の父の「王」の顔を見て身体に緊張が走りながらエルリックは二人に挨拶をし、許可を得た後向かいのソファに腰かけた。
「お前が面会を求めるのは久々だな」
王が口を開く。
やはり自分が王と王子として対面することが久々だということを実感した。
「今日はなんの用だ。」
「…サシェーナとの婚約破棄についてにございます。」
やはりそのことか、とひとつうなずく。
「…して、お前はどうするつもりだ。」
「その前にひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか
。」
気持ちを落ち着けるため深呼吸をした後、言葉を吐き出した。
「今回、カイルより公爵家で調査した書類を見せていただきました。また、陛下の方でも調査をしていると聞きましたが、ミーナ嬢のことは本当でしょうか…?」
そう聞くと陛下は後ろに控えていた陛下の補佐であるホーランドを手招きする。ホーランドは持っていた書類を招いた手に渡した。
それをエルリックの前に差し出した。
エルリックは差し出された書類を手に取り失礼します、とざっと目を通す。書いていた内容は公爵家とほぼ一致した。
目を通した後震える手にエルリックは苦々しく目を閉じた。
自分の目は完全に曇っていたらしい。
陛下はエルリックが読み終えるのを確認すると新たにホーランドを手招きし、書類を用意させてエルリックの前に差し出した。ホーランドが横に羽ペンとインクを用意する。
「どう振る舞うかの前にこの書類にサインをせよ。サシェーナとの婚約破棄を認定する書類だ。」
差し出された書類をはっとしながら見下ろす。
「宣言だけで婚約破棄できると思ったのか?家同士の取り決めだ。きちんと手続きが必要に決まっているだろう。…サシェーナのところはすでに済んでいる。後はお前がサインをするだけだ。」
書類にゆっくり目線を落とせば一番下に空欄と隣にサシェーナ・ハルバートと名が記されていた。
「サ…シェーナ…は」
「サシェーナはお前が宣言し、退場の後真っ先にここに来て書類の手続きをしていった。」
「私の発言の撤回は…」
「出来ぬ、これは決定したことだ。お前は"無実"の娘に"罪"を着せ平民に落とし国外追放にした。これは王族が決定したものであり覆すことはできぬ。私たちが背負うべき"罪"だ。」
「しかし…!!」
「なぁ…、エルリック。私たちは何故国民からこの生活が許されていると思う?」
「…え?」
急な質問に言葉が詰まる。
陛下の顔を見れば諭すような顔をこちらに向けていた。その目は厳しさと僅かに父の眼差しを伴ったものだった。相手の紡ぐ言葉に耳が自然と向く。
「…私たちはな、国の一番の責任を背負っている。国が危機になったとき命も責任を負わなければならないのが我々だ。その為に我々は国民から豊かな生活をすることを許されているのだ。私たちの生活は国民が支えてくれている。支えてくれるから私たちは国民にそれを返すのだ。」
そして、陛下が続ける。
「私たちが公ですることは国がすることと同義になる。行動も言葉もだ。つまり簡単に事を覆すのは国の信用に影響を与えるということだ。故に今回のサシェーナの件。お前は大衆の前で事を起こした。そして私たちが承認した時点でそれは国がしたこと。覆すわけにはいかんのだ。…私の言っていることがわかるか?エルリック。」
その言葉の重みが胸にずどんとのしかかる。
この言葉は幼い頃より大人たちに言い聞かされていた。
なのに…
エルリックは己のしでかした事実の重さを今更ながら実感した。身体の震えを感じ耐えるために両の拳を強く握った。
「お前には私たちも散々注意した。しかしお前は聞く耳を持たずあげくはこの騒動だ。本来であればきちんとお互いの言い分を聞き、調査した上で話をするべきだったのだ…それをお前は怠った結果だ。…さて、真実を知った上でお前はどうしたい?」
「…私にはどういう選択肢があるのでしょうか?」
「こちらで提示するのは二択だ。1つは男爵令嬢と一緒になること。その場合お前は王子の座を退くこととなる。問題がある娘を王家に迎え入れるわけにはいかん。まぁ、情報の通り横領疑惑も出ているのでな。婿養子も難しかろう。もう1つはこのまま王子でいること。この場合は男爵令嬢と縁を切りこちらで見立てた令嬢を妃に迎える。」
エルリックはミーナを思い浮かべた。先程までの愛しくて仕方がなかったのに愛しいと思う気持ちもあるが、疑いの気持ちが浮上していた。
頭と心を熱くした初恋は未だ熱を残しているが疑いの気持ちからかどこか他人を見ているような冷静さも宿すようになった。
そう、エルリックにとって初恋だった。
今までに出会ったことのない女性。自分が王子であるにも関わらず話しかけてくるのに最初はなんだこの女は、と思った。学園では身分の差を気にせず接することが校則の1つである。話しをしているうちに自分を王子ではなくエルリックとして見てくれることに嬉しくなってきた。皆が王子が前提の自分なのに彼女だけは違った。いつしか彼女といると胸が高鳴り、彼女が側にいないと寂しかった。彼女を目で追い、彼女の魅力に気付いた男たちに嫉妬した。彼女のことで身体中がいっぱいになり仕事が手につかなくなっていた。彼女を繋ぎ止めておきたくてとにかく夢中だったのだ。だから彼女の言ったことを全て信じた。注意してくる婚約者であるサシェーナは自分を苛つかせた、目障りだった。婚約破棄を言い渡した時は清々とした。これから彼女と一緒にいれるのだ、と。
なのに、真実を知って冷静になった今はどうだろう。
目を開けじっとりと汗で濡れた自分の手のひらを見る。
真実の愛とは滑稽なものだった。
彼女は上手く隠していただけで、結局自分の地位と財力が目当てだった。また保険と言わんばかりに他の男とも関係を持っている。
そして自分は王子としての仕事を疎かにし、自分が何のために存在しているのかその意義すら忘れていた。
夢中だったとはいえなんと痛い代償か。
恋愛感情はなくともエルリックにとってサシェーナは家族だった。人生を歩む上でとても大切な…あることが当たり前になっていた。
失ってから尚そのありがたみに気付かず、今更その大切さに気付くなんて。
「…賭けはサシェーナの勝ちのようだな。」
王がぽつりと洩らした。
「え…?かけ…ですか?」
「お前も気づいていただろう。今回がお前にとって最後の王子としてのチャンスだったのだ。そしてその機会を作ったのはサシェーナだ。」
驚愕に目を見開く。
「本当は婚約破棄の宣言があるという情報が出た時点でお前たちを罰する予定だったのだ。それに意を唱えた。彼は目が覚めれば王としての器量は充分にある、と。我々を説得し、計画を持ち出したのはサシェーナだ。」
「残念ながらサシェーナ程の王妃の器量なら他にもいくつか候補の女性はおる。うちの国は優秀で愛国心ある女性が多くてな…だかな、自分を犠牲にしてまで想ってくれる女は二度と現れんだろう。そう、心に止めておけ。」
頭がガンガンする。
自分の罪があまりにも重すぎて。
ここまで想われていたのに、自分はサシェーナに何をした?
何か返してあげられたのか?
今まで回っていなかった思考の量に頭のなかはぐちゃぐちゃだった。
もう一度書類のサインを促され、震える手でサシェーナの名の隣に自分の名前を書いた。
婚約解消が成立した。
仕事に関してはまた時間を改めて話そう、今は自分のあり方にについて考えよと王の一言で面談が終わる。
ぐちゃぐちゃの頭の中のまま退出の意を伝え、後ろを向いた時だった。
なぜ…?
それまでずっと黙っていた王妃の声が部屋に溢れた。
エルリックは王妃の方に顔を向けると
「なぜ…もっと早く…事に気づかなかったのですか…」
「早く気付いていれば…サシェは…」
王妃が静かに涙を流していた。
怒りでも呆れでもなくただただ悲しさを含む涙にエルリックは息を飲んだ。
そしてまた己の愚かさに気づかされショックを受けた。
…なんて…ことだ…自分は母をここまで悲しませたのか…!!
謝罪の言葉を述べてもその悲しさに答えられる気がせず、エルリックはただただ頭を深く下げた後、部屋を出た。