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008 首切りの悪魔

 違和感の正体に気が付いてからのカインの行動は、恐ろしいほど迅速かつ冷静だった。


 腰にした短剣を素早く抜き放ち、背を向けているファライヤの左腕を捻り上げ、そのまま壁へと押し付けて拘束する。


「お前は何者だ」


 カインが小剣をファライヤの首筋にあて、低く脅すような声で発する。しかし、そんな突然の行動に対しても、ファライヤは声を荒げることもなく落ち着いた様子を崩さない。


「殺気の抑え方が上手なのね」


 余裕さえうかがえる様子でファライヤは恍惚こうこつとした表情を浮かべてつぶやいた。


「質問に答えろ。お前は何者だ」


 ファライヤはクスリと口元を緩める。


「何者かわかったからこそ、あなたはこうして私の首筋に刃を押し付けているのでしょう?」


 その返答にカインは舌打ちをした。


「なら質問を変える。雇い主は誰だ」


「愚問ね」


 即答され、カインは眉間に刻む皺を深くした。


 ファライヤの言う通り、愚かな問い掛けであった。暗部に生きる人間が易々と雇い主を白状するわけがないことは常識だ。金さえ払えばどんなことでも請け負うような連中だが、口の堅さだけは一部の貴族からも信頼を得るほどに堅い。脅されようと、過酷な拷問を受けようとも口を割る者は少ないだろう。


「最後の質問だ。俺に近付いて来た目的はなんだ?」


 答えによっては殺す。そんな脅しを掛けた問い掛けに、ファライヤはなにやら考えるように沈黙した。


 ファライヤは、間違いなく暗部に属する人間だ。だが、彼女の目的を見抜くことがカインにはできなかった。


 教会やそれに連なる貴族。もしくは、デバイスレインからの刺客である可能性は高い。しかし、それはあくまでも予測や想像であり、それだけでは確信に至れない。情報が足りないのだ。


 ファライヤが容易く解答を口にするとは思わなかったが、冗談で濁しながらも執拗に誘いを掛けて来た行動から、カインに対してなにかしらの情報を引き出そうとしていた様子もみられた。


 もしかしたら敵対する理由はないのかもしれない。


 そんな淡い期待を込めながら、ファライヤが口を開くのをカインは待った。


 だが、そんな期待を裏切るように、ファライヤはカインの質問とは関係のない言葉を口にした。


「拘束に至るまでの動きは見事だったけれど……。そのあとがだめね」


「…………」


「確信がなくても、その刃を容易く振れるようにならなくては……。それが、警戒するということよ」


「ぐっ!」


 ファライヤが見透かしたような言葉を発した直後、彼女の腕をひねり上げていたカインの左腕に鋭い痛みが走った。


 カインが突然の痛みで硬直するわずかな隙をついて、ファライヤは拘束されている左手首をぐるりとじり、あっさりとカインの手から逃れる。


 同時に右腕で強く壁を叩き、その反動で壁と自身と間にほんのわずかな隙間を作る。その隙間に滑り込むように体を沈ませ、うような低い姿勢のままカインから距離をとった。


 カインはファライヤの首筋に当てていた短剣を慌てて振り抜いたが、ファライヤの行動の方が一歩早く、その刃は空しく空を切った。


 カインが警戒を強めつつも、ずきずきと痛む左腕に目をやると、手の甲に枝のように細長い刃物が突き刺さっていた。


 突き刺さった刃をカインは無言のまま抜いて放ると、腰袋から取り出した丸薬を口の中に放る。


 眉をしかめたくなる苦みが口の中に広がる。カインは口の中の丸薬をかみ砕き、ゴクリと飲み込こんだ。


 ずきずきと鈍い痛みはあるものの、左手に痺れがあるわけではなかった。だが、暗器による攻撃を受けてしまった以上、毒を警戒するのは当然だろう。


「優しいんだな。即死毒が塗られていたら、既にあの世行きだった」


 カインは殺し損ねたなと皮肉を込めて言ったつもりだったが、ファライヤに鼻で笑われる。


「通常、即死の毒を暗器に仕込む者はいないわ。いるとすれば、生きる気がないイカれた連中だけ。毒の耐性を付ける為だけに寿命を縮めるなんて愚かしいでしょう?」


 そこまでしなくては力を得られない弱者と、自分を同列に扱わないで欲しい。そう、言外に言われた気がした。確かに、ファライヤの動きには、洗練された実力者を感じさせるものがあった。


 カインの拘束からあっさりと逃げおおせたこともそうだが、関節を決めていたにかかわらず可動域を超える動きをみせた肉体のしなやかさ。一瞬で攻撃の届かない足元へと移動し、距離をとる瞬発力。どれをとっても並みの使い手ではないことがうかがえる。 


 尚も余裕の笑みを崩さないファライヤだったが、その体がふらりとかずかに揺れた。


 すると、どこから取り出したのか、先ほどまでなにも手にしていなかった左手には、刀身が歪んだ形をした武器が握られていた。


 鎌のように刀身が歪曲わいきょくし、円を描くように手元へと刃先を向ける武器。曲げられた内側にも刃を付けた両刃刀。


 その見慣れるはずものない武器をカインはよく知っていた。いや、一目でそれがなんなのかを理解したというのが正しいだろう。


「首切り刀…………首切りの悪魔か」


 カインの呟きにファイラヤは嬉しそうに口元を歪め、クスクスと笑い声を漏らした。


 満足げな様子のファライヤと違い、カインの背筋に冷たい汗が流れる。


 円を描くように歪曲したその刀は、人の首を刈ることを目的として造られた。戦闘向きの武器とは言い難い。しかし、ちまたではそんな武器を愛用する暗殺者の噂が囁かれていた。


 コルネリア領にて、領民、貴族を問わず頭部を抱えた遺体がいくつも発見され、領内を震撼しんかんさせる事件があった。


 事態を大事とみた領主は、Aクラスの冒険者パーティーに犯人の捜索と捕縛を依頼した。だが、その冒険者たちは数日後に被害者と同様、頭部を抱えたまま遺体で発見された。


 その事件を皮切りにいくつもの街で同様の事件が起き、終いにはSクラスの冒険者が動き出したと噂になった。しかし、結局犯人を捕らえることは誰にもできなかった。


 そして、人々はその悪魔の様な所業に恐怖しこう囁いた。


 首切りの悪魔と。


 姿形は語られず、その特異な形状の刀だけが伝聞された暗殺者。人々から畏怖いふされた悪魔のような相手が、今まさにカインの目の前で対峙しているのだった。


「使い手を差し置いて、この子だけが有名になってしまうのは困ったものね」


 ファライヤは愛刀に頬ずりをし、わずかに顔を朱に染めた。


「有名人に出会えて幸栄だが、相手にしたくないんで帰っていいか?」


「あら? 連れないことを言うのね。あんなに熱烈な抱擁ほうようを交わしたというのに」


「あー。突然拘束したのは悪かった。すまん。ごめん。俺にも事情があったわけよ」


「ふふ。別に怒っていないわ。むしろ興奮したわ。あざやかな動きに、久方ぶりに胸が高鳴ったもの」


「ああ、そう」


 どうやら見逃してくれる気はなさそうだ。とカインは内心で舌打ちをした。


「一つ。勘違いをしているようだから、訂正してあげましょう。私は別に、誰かに雇われてあなたの前に現れたわけではないのよ」


「それを信じろと?」


「信じても信じなくてもどちらでもいいわ。あなたの好きにするといい」


「ならもう一度聞いておこうか。何故俺に近づいてきた?」


「ギフト持ちに興味を持つのは自然なことだと思わない?」


「――――――!?」


 予想外の言葉にカインの思考は一瞬停止した。


 カインが天秤の塔を攻略したのは、四日ほど前のことである。


 塔が攻略されたのち、散り散りに転送された者達の行方を調べることは難しい。例え通信手段を用いたとしても、正確な情報が流れるには暫(しばら〉く掛かる筈だ。

 ましてや塔の攻略者がカインであることを知り得るには、それ以上の時間が掛かる。


 確信を得るには、余りにも早過ぎるのだ。


 さらに、カインは人前でギフトを使用していない。いや、そもそも自分の持つギフトがどのようなものなのか、自分でも理解していないのだから他人が気付けるわけもない。


 そんな情報をカインの目の前に悠然と立つ、首切りの悪魔は当たり前のように知っていたのだ。驚かないわけがない。


「そんなに、わかり易い反応をしてはだめよ。それでは返事をしているのと変わらないわ」


「……カマかけをしたってことか」


「いいえ。単純な推理よ」


「そんな要素はどこにもなかったぞ」


「やれやれ。あなたは周囲をもう少し警戒した方がいいわ。あなた。冒険者ギルドでデバイスレインの情報を集めていたでしょう? あんな無警戒に情報を聞き出していたら、耳聡みみざとい人間には筒抜けよ」


「筒抜けになるようなことは聞き出していなかったと思ったけどな」


「いいえ。あの場でデバイスレインの動向を気にしていること自体が大きなヒントになってしまうのよ。いいかしら。コルネリア領南端に出現した天秤の塔。その周辺で幅を利かせているのが、クラン、デバイスレインであることは周知の事実でしょう。

 そして、塔は四日前に攻略された。当然デバイスレインの誰かが塔を攻略したと考えるでしょう」


「なら、デバイスレインがどんなギフトを得たか気にするのは普通だと思うけどな」


「そうね。デバイスレインがどの国に仕官するのか。はたまたギフトを用いてなにを行うかを気にすることは不思議ではないわ。けれど、あなたは、デバイスレインから何か依頼が出ていないかを確認していた。天秤の塔について詳しい人間なら知っている筈よ。塔を攻略したのち、塔の内部にいる人間は例外なく転送されるということを。

 塔が攻略されてたったの四日。クランの仲間すら散り散りになっているこの状況下で、新たにギルドへ依頼など出すと思うのかしら? けれどもし、依頼を出さざるを得ない可能性があると考える者がいたとするならば、それはどんな人物なのか? 統率さえとれない状況下で、急遽冒険者ギルドへ出さなければならない依頼とは、果たしてどんなものがあるのか?」


「…………」


「このタイミングで、デバイスレインを警戒しなければならない人物は、いったい彼らにどんな恨みを買った人物なのかしらね」


 ファライヤはうっとりとした表情で口元を歪め、言外にデバイスレインを出し抜き、ギフトを手に入れたのはあなたでしょうと語っていた。


「さて、お話はこれくらいにして、そろそろ楽しませてもらおうかしら」


 言って、ファライヤの体が小さく揺れた。


 そう思った瞬間、その姿がカインの視界からふわりと消えた。


 カインは、反射的に握りしめた短剣を首の前に立てる。すると、金属がぶつかる音が鳴り響き、今まさに、カインの背後からその首を狩ろうとしていた刃を辛うじて受けることができた。


 冷や汗をきつつも、カインは腰袋から魔晶石を取り出し、刃を受けた姿勢のまま自身の背後へそれを放る。


 『爆風』の魔術が込められたそれは、淡く発光すると弾けるように炎を立ち昇らせ、周囲を炎で包み込む。


 カインは、耐熱性の高い自身のマントで炎をさえぎり、炎から距離をとるように地を蹴った。同時に、手甲に仕込んでいた小さなナイフのようなものを左右の壁へと投げつける。


 そして、ダメ押しにもう一つ。『水球』の魔術が込められた魔晶石を炎の中へと投げつけた。


 魔晶石が弾け、飛び出した水の球が炎を鎮火し、水蒸気が視界を覆いつくす。


 霞む視界の中、カインは目を凝らして警戒し短剣を鞘に戻すと、背負っていた大剣を抜いて構えた。


 並みの相手ならば『爆風』の魔晶石一つで決着は着いていたであろう。


 しかし、今カインが相手にしているのは、Aクラスの冒険者たちを返り討ちにしたとされる、首切りの悪魔である。この程度で倒せるはずがない。


 そう考え、カインは警戒を強めていた。


 視界を覆う水煙の中で、ゆらりと影がうごめいた。


 来る! そう思った瞬間、カインは大剣を低い姿勢で横にいだ。


 大剣の軌道上に、うように迫るファライヤの姿が重なる。捉えたと確信できるほど絶妙なタイミング。だが、ファライヤは瞬時に勢いを殺し、跳ねるように後ろへ回ってその一撃を交わした。


―――カラン。


 金属が転がる音が響いた。


 しばしの間を置いて水煙が晴れると、あたりは血しぶきによって赤く染め上げられていた。


「なかなかやるわね」


 見れば、ファライヤが左脇を抑えながら、荒い呼吸を繰り返している。地には先ほどまでファライヤに握られていた首切り刀が転がり、その柄の部分には握られたままの左腕があった。 


 薄く笑ったまま、ファライヤが瞳を細めると、空中には赤い線が浮かび上がっていた。


「……糸? いつの間にこんなものを」


 虚空に張られた糸の元を辿ると、左右の壁に打ち込まれたナイフのようなモノがあった。糸の上を赤い血液が辿り、赤い線へと色を変えている。


 カインの斬撃を避け、ファライヤが後へ下がった際にこの糸へ腕を引っかけたのだ。


 そして、その左手を手甲ごと切断された。


「あら、なるほど。強度と伸縮性の高い糸に振動と硬化の魔術を加えているのかしら? 初めて見たけれど、ずいぶん高価なものではないの?」


「命のやり取りで、出し惜しみなんてするかよ」


「それもそうね」


 カインは内心で舌打ちをした。


 攻防の中、カインが張った罠は一撃で相手の命を刈り取るものであった。


 伸縮性の高いアンダー・タランチュラの糸を用い、魔晶石を取り付けたナイフにつなぐ。そして、風斬りの魔術と硬化の魔術を、左右のナイフから糸を通して循環じゅんかんさせることにより振動を生み出し、魔剣に近い切れ味を再現する魔道具。


 師であるイセリアから教えられた知識を元に、独自に生み出した特別仕様。


 鉄さえも容易く切断するその糸をファライヤの胸の高さに張ることにより、胴を切断するつもりで仕掛けたのだ。


 仮に張った糸よりも低い姿勢で駆けて来たとしても、カインの攻撃を後ろに飛んで避けると後ろからその身を両断できる―――筈だった。


 しかし、カインの予想よりもファライヤの身体能力が高く、跳躍したその身は張られた糸の高さよりも高かった。結果、左腕を断つだけに留まってしまった。


 ファライヤが残った右手で魔方陣を描いた。魔術の中でも、比較的簡単な低階位魔法『火球』の魔方陣だ。


 右腕に出現した火の玉を、ファライヤは自身の左腕へとあて止血をほどこした。


 肉が焼ける不快な臭いと焼ける痛みにわずかに顔をしかめるが、止血が終わると今まで通りの微笑を浮かべる。


 そして、どこからともなく取り出した短刀を下から上へと斬り上げ、眼前に張られた鉄をも両断するはずの糸を易々と切断した。


 首切り刀の歪な形状とは違い、刀身を反らせた片刃の短刀は暗い光を宿していた。


 そして、左腕を失ったにもかかわらず、悠然とした態度を崩すことなくファライヤは歩を進める。


 不意にファライヤの体が小さく揺れ、その姿が消えた。


 ファイラヤはその超人的な瞬発力と肉体のしなやかさで、瞬間的に視界の外へ体を移動させることにより、相手に消えたと錯覚させる『外歩』という技術を用いていた。


 身体を低く保ち、這うような姿勢のまま地面擦れ擦れを駆けることによって、認識の外から接近することができる。


 カインも先ほどまでの戦闘でその独特な動き方に気が付き、ファライヤの体が揺れた瞬間に視線を足元へと向けて対応した筈だった。しかし、今のファライヤの動きを捉えることができなかった。


 ズプリ。刃を肉に突き立てられた感触と左肩に鋭い痛みが走った。


 カインが咄嗟に構えた大剣の隙間を縫って、ファライヤの短刀がカインの左肩へと突き刺さった。


 カインは痛みを堪えながらも、眼前の相手へ大剣を振るう。しかし、力任せに振るったそれを、ファライヤは距離をとることなく上体を反らしてかわした。


 そして、反らした姿勢のまま、ファライヤがカインのみぞおち、胸、顎へ三段の蹴りを放つと、それは吸い込まれるかのように肉体を殴打し、カインの体を大きくのけ反らせた。


 細い体から放たれたとは思えないほど強烈な威力に、意識が飛びそうになるのをカインは歯を喰いしばって堪え、腰袋から無造作に掴んだ魔晶石を足元へ撒いた。


 ファライヤは追撃を放つべく振り上げた短刀を引き、魔晶石が淡く発光すると同時に大きく後ろへと跳躍し、カインとの距離をとる。


 しかし、淡く発光した魔晶石は魔術を発動することなく、力を失ったかのように暗い色へと変わった。


「あら? 空の魔晶石? 引っかかってしまったわ」


 ファライヤが嬉しそうにクツクツと笑う。


 そんなファライヤの余裕すらうかがえる様子にげんなりしながらも、カインは今のうちにと腰袋からポーションを取り出し、一息にあおる。肩に走る痛みと殴打された部分の痛みが徐々に引いていく。


 さて、どうしたものかとカインは思案した。


 正直、戦闘能力の差が大きい。ファライヤは左手を失ったとはいえ、Aクラスの冒険者数人を相手取って返り討ちに出来るほどの実力者だ。片や天秤の塔の攻略者とはいえ、冒険者としてはBクラスに位置するカインとでは、単純な技量で大きな差があるのである。


 アイテムを用いてなんとか対峙できてはいるものの、そのアイテムにも限りがある。戦闘が長引けばそれだけカインにとって不利な状況となるのは明白だ。


 時間稼ぎが出来れば、警備兵が応援に駆けつけてくれる可能性も低くはないが、その警備兵がファライヤに対抗できる戦力を有しているとは思えない。


 やれやれとカインは大きな溜息を吐いた。どうやら本当に出し惜しみができる状況ではないらしい。


 決意を固め、カインはファライヤを強く睨みつける。


「あら。やっとギフトを使う気になったのかしら」


 期待に満ちた瞳をファライヤは向けるが、カインには全くそのつもりはない。そもそもカインのギフトがどのようなモノかわからないので当然ではあったが。


 カインは腰にぶら下げた革袋の一つを取り上げると、紐を解いて中身をあたりにぶちまけた。


 中には、棘の付いた小さな金属がいくつも入っており、カインとファライヤの間に散らばる。


「マキビシ? また珍しいものを」


「実用性は高い。お前の足を少しでも止められる」


「そうかしら?」


 そう言ってファライヤは、『火球』の魔法陣を虚空に描き、散ったマキビシへと放った。


 しかし、火球の魔術を受けたマキビシは、溶けることもなく地に深く棘を食い込ませ、その形状に変化はなかった。


「一応、耐熱性の高い金属なんでね」


 無駄だと察したのか、そう。といってファライヤは、気にせず武器を構える。


 再度、ファライヤの体が小さく揺れ、その姿を消した。


 『外歩』とは、瞬時に視界の外へと移動することにより、その姿を消えたと錯覚させる歩法である。視界の外。つまりは上下左右の四方へ瞬間的に体を移動させることで、その動きを眼球が追い切れず一時的に消えたと錯覚するだけなのである。相手が移動した先を意識出来てさえすれば、動きを捉えらることはそれほど難しくはない。


 先ほどは、足元へ意識を切り替えたにもかかわらず、消えたと錯覚した。


 つまり、ファライヤが出来るのは這うように地を駆けることだけではない。垂直に反り立つ左右の壁すらも足場にして移動することができるのだ。


 カインはそのことに気が付いていた。故に、マキビシを撒いた下を無視し、ファライヤの体が揺れた瞬間、左の壁へ『爆風』の魔晶石を投げつけた。


 そして、そのまま左も無視し残った右側だけに意識を集中させる。


 左側の壁を走り抜けようとしていたファライヤは、突然投げつけられた魔晶石を回避すべく、右側の壁に飛び移り、その壁を走ってカインへと接近しようとした。


 しかし、右へと当たりを付けているカインは、既にファライヤの動きを捉えていた。


 接近するファライヤへと合わせ、袈裟斬けさぎりに大剣を振る。


 だが、それもファライヤは寸でのところで、後ろへ飛んで回避した。


「抜剣!」


 カインが叫ぶと、振り下ろした大剣の刃が柄から離れ、後ろへ飛んだファライヤへと直進した。


 ファライヤは驚きに目を見開き、獰猛な笑みを浮かべた。


「おもしろい!」


 迫りくる大剣の刃。ファライヤはその刃の刃先と自身の短刀の刃を寸分違わず合わせ、滑らす様に軌道を変えると、ぐるりと体を回して回避してみせた。


 体を捻り獣のように手足を付いて着地したファライヤは、両脚に力を込めすぐさまカインへ向けて突進する。


 カインの放った『水球』の魔晶石により、再び水煙が立ち込め視界を覆うが構わない。既にファライヤはカインの位置を捉えており、大剣を手放したカインは刃の短い短剣しか装備していないのだ。


 水煙に影を捉え、ファライヤは躊躇うことなく握った短刀を振るった。


 ガキンッ!


 金属が弾ける音と共にファライヤの振るった短刀が弾かれ、胸と左の大腿部だいたいぶに痛みが走った。


 視界を覆う水煙の中から次々に繰り出される攻撃がファライヤの体をかすめ、浅い傷を付けていく。


 ちっ、と舌打ちをして、予想外の攻撃にファライヤはたまらず距離をとろうと後退するが、それを許さないとばかりに覆う水煙を掻き分けてカインが飛び出し、その手に握られた刺突に特化した武器、レイピアによって突きを放ち続けた。


 躱しきれなかった攻撃が、ファライヤの右肩と左腕を穿うがつ。


 だが、攻撃手段を把握できた為か、ファライヤはカインの刺突に徐々になれ始め、紙一重にその攻撃を躱し始めた。


 傷を負っているとは思えないほどの身のこなし。まるで舞でも踊っているかのように正確なリズムを刻み、その動きは虚空に一つの魔法陣を描く。


「っ! 舞術だと!」


 剣技を振るい、その軌跡と肉体の動きを用いて空中に魔方陣を描き、通常では振るうことのできない技を放つすべがある。


 魔方陣を描く際、一定のリズムと軌道を描く姿が舞を踊っているかのようにみえることから、その技は『舞術』と呼ばれた。


影走かげばしり


 ファライヤの体が溶けるように影と吸い込まれ、その姿を消した。そして、カインから距離をとった場所で、今度は影が盛り上がりファライヤの姿を形造る。


 体を鮮血に染めながら恍惚こうこつと笑みを漏らすその姿は、正に悪魔と呼ぶに相応しいほどの狂気をはらんでいた。


 ファライヤは、肩を揺らしながら笑いを堪えていたが、終には堪えきれなくなったのか、声を上げて笑った。


「いいわ。実にいい。舞術を使わされるほどの攻防はいつぶりかしら。けれど残念ね。あなたのギフトが戦闘に役立つものだったのなら、私を殺すこともできたでしょうに」


「…………決めてつけてくれるじゃないか」


「ただの事実よ」


 そう言ってから、ファライヤは地に転がった大剣の刃を見つめる。


「けれど、その武器には意表を突かれたわ。大剣の刃を鞘として収めていたようだけれど、大剣の刃に空洞がないわ。そもそもそんなことをしたら、細身のレイピアが大剣の重量に耐えきれる筈がないし。融合の魔術を用いたとするならば、着脱が早すぎる。どうにも不可思議な細工を行っているようね。どうかしら。冥土の土産に教えてくれないかしら?」


「お前が冥土に旅立つっていうなら、教えてやらないこともない」


「違うわ。冥土に旅立つあなたが、私のために土産話を残していくのよ」


「それは土産じゃねぇよ!」


 クスクスと笑いを漏らしたファライヤは、すっと目を細める。


「では、終わりにしましょうか」


 そう言って、ファライヤはその場で舞うような動きで虚空に魔方陣を描き始めた。


 まずいと思い、カインは懐のナイフをファライヤに向かって投げ付けるが、舞を踊りながらもファライヤはそれを容易に打ち落とす。


 先ほどよりも複雑に描かれた魔方陣が完成し、虚空に光を放つ。


影纏かげまとい・連』


 低く発声すると、ファライヤの体は吸い込まれるように、影へと溶けていった。


『舞術』における『連』の技。それは、舞術を連続して使用するための術式だ。


 通常、舞術は殺陣たちを用いてより簡潔にと魔方陣を描くため、一度の舞で一度の術しか行うことはできない。


 しかし、より時間をかけ、複雑な術式を編むことにより、魔法陣を空間に固定し、特定条件下で、幾度も舞術を使用することができるのだ。


 術式を解除する方法は三つ、刻まれた魔方陣が破壊された場合。用いた条件を満たさない場合。術者が死んだ場合である。


 カインもそのことは知識としてあった。だから、魔方陣が刻まれるのを阻止したかった。だが、カインとファライヤとの間には、それを許してしまう距離があった。


 消えたファライヤの動向を探るべく、カインは意識を集中する。しかし、物音一つない静寂が漂うその場で、ファライヤの動きはまるで予測できなかった。


 カインの左肩に痛みが走った。


 咄嗟に反応し、レイピアを突き立てるが、虚空に影が揺れるだけで、なんの感触もない。

 斬られた肩の傷がどくどく脈打つ感触だけが響く。


 視界の隅で影がゆれた。


 カインはすぐさまその方向に突きを放つが、やはりなんの感触もない。


「ぐあっ!」


 カインが突きを放ったと同時に、背中に痛みが走る。


 慌てて振り向き、そちらに向かって斬撃を繰り出すが、やはりその攻撃は空を切った。


 同様に、影が揺れる度にカインは攻撃を繰り返すが、その全てが空振りに終わり体中を切り刻まれた。


「くそがっ!」


 カインは荒い呼吸で満身創痍まんしんそういになりながらも、もてあそばれるような攻撃に悪態をついた。


 だが、カインはその瞳をギラリと見開き、なにか決意をしたのか大きく息を吐きだす。


 ファライヤの姿を捉えることができない。だが、視界でわずかに影が揺れ、そちらに向かって攻撃を仕掛けた瞬間、あざ笑うかのように別の場所から攻撃を受けていた。その攻撃がくる方角は不規則でわからない。しかし、攻撃がくることだけは理解した。


 カインの視界の隅でゆらりと影が揺れる。カインは空かさずその場所へ突きを放つ。と同時に、足元へ『爆風』の魔晶石を落とした。


 カインの攻撃が空を切り左わき腹に痛みが走った瞬間、カインを包み込むように火柱が上がる。


 その炎の中からカインは転げるように飛び出し、すかさずファライヤの作り出した魔方陣に向かって『水槍』の魔晶石を投げつけた。


 魔晶石が弾け、淡い光と共に幾つもの水で出来た槍となり、虚空に浮かぶ魔方陣を穿うがつ。


 よし。と思った瞬間、カインのひざが沈んだ。


 地面に倒れ伏し、すぐに起き上がろうと試みるが足に力が入らない。どうやら自爆に近いかたちで爆風の魔晶石を使用したことで、考えていたよりも両足に酷い怪我を負ってしまったらしい。


 コツリと足音が鳴った。


 鳴らない筈の足音をわざと響かせて、ファライヤが近づいてくるのがわかった。


 しかし、起き上がることができないカインは、なにもすることができない。


 カインの耳元でひと際大きな音を立ててファライヤが停止すると、カインの胸倉を掴み易々と持ち上げる。


「もう。終わりかしら?」


 頬を上気させて、ファライヤが微笑む。


 カインは残った力を振り絞り、腰袋から魔晶石を掴み取る。


 その行動を目の端で捉えたファライヤは掴んでいた手をすっと放すと、ぐるりと回って強烈な蹴りをカインへと放った。


 苦痛の声を漏らしながらカインの体は軽石のように吹き飛ばされ、壁に激突してその勢いを止めた。


 ゆっくりとファライヤはカインに近付き、興味深そうにカインの手元を見る。


 吹き飛ばされた衝撃でも放すことなく握られていたその手には、黒い光を宿した魔晶石があった。


「ずいぶんと禍々(まがまが)しい魔力を放つ物を持っているのね。それがあなたの奥の手かしら?」


「……いや。これは……ただのお守りだ」


「……そう」


 カインの言葉にどこか満足そうな様子でファライヤは笑みを浮かべた。



―――カツーン。



 その時、静寂の中で高い音が反響した。


 ファライヤとカインは音の発生源へと視線が動く。そして、視線を向けて、二人は驚きに目をいた。


 月明かりに照らされた銀色の髪が宝石のように輝き。白地に神をたたえるうたを金の糸で刺繍された神官服が風になびく。


 端正な顔立ちに、サファイアのような碧い瞳をギラリと輝かせた少女は、細くしなやかな腕を腰に当て、口元をへの字に曲げて仁王立ちしていた。

読んで頂き、ありがとう御座います。

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