057 奇異にみられる日常
馬車の御者台に腰掛け、カインは難しい顔をしていた。
額から滲み出た汗を拭うことさえせず、真剣な面持ちで手綱を握っている。
そして、カインの隣に仲良く腰掛けたミーアもまた、真剣な顔付きで手綱を握っていた。
本来であれば一人で握っていれば良いはずの手綱を、右と左で二人で一緒に握り締めている。
前方には興味がないのか、二人の視線は手元の手綱にのみ向けられていた。
とそこで、たらりらーと鼻歌を歌いながらマリアンが、荷台から出て来た。
銀色の髪を躍らせて、サファイアのような碧い瞳は本日もキラキラと輝いている。
ご機嫌な様子でクルリと回ると、マリアンはカインの隣にちょこんと腰を下ろした。
「今日の講義はおしまい!」
「……ああ。ご苦労さん」
迷惑そうな様子でカインが素っ気なく応えると、マリアンはその態度が気に入らないのか頰を膨らませた。
「カイン! 労いの言葉はちゃんと目を見て言ってよね!」
「ああ、すまん。というか鬱陶しいから、荷台に戻ってろ」
「むー! 超美少女のわたしに向かってその扱いはなに? 雑すぎなんですけどー!」
「……マリアン。俺は今集中してるんだ。お前の相手をする余裕はないんだよ」
「なんでよ! ミーアと肩並べていちゃこらしてるだけじゃない! そんなにミーアのことが好きなの? わたしよりも? ぞっこんなの?」
「ちょちょっ! まままマリアンさん! 急になに言ってる……ひあっ!」
ミーアが動揺すると二人が握っていた手綱が急に暴れ出した。
馬ではない。
何故だか手綱そのものが暴れ出したのだ。
くねくねとうねる手綱が、馬の体を打ちつけた所為で、当然ながら馬の方も暴れ始める。
「うお! ミーア! 落ち着け!」
激しく揺れる馬車の上で、マリアンとミーアが振り落とされないように抱えながら、カインは必死に手綱へ込める魔力を操作する。
しかし、先程まで上手く行っていた魔力操作ができず、手綱は縦横無尽に暴れ回り馬を刺激していく。
暴走する馬車の上でカインとミーアの悲鳴が鳴り響いた。
マリアンも悲鳴を上げていたのだが、その声色にはどこか楽しそうな感情が混じっていたことに誰も気が付いてはいない。
「……まったく、なにをやっているのかしら?」
荷台から姿を現した、袖のない和装に身を包んだ美麗な容姿を持つ女―――ファライヤが静かに言った。その声を御者台の三名は聞いていない。
ファライヤはやれやれと溜め息を吐くと、狭い御者台の端へ器用に立ち上がる。
そして。
「止まれ!」
底冷えする声が周囲に響いた。
声だけではない。魔力、殺気、威圧感。それら全てを内包した言葉に、御者台の三人は悲鳴を上げることを忘れて押し黙った。
それだけではない。
先程まで暴れていた馬が大人しくなり、その場に停止して項垂れている。
今も尚、手綱は暴走気味に馬の体を打っているが、馬はそんなことは知らないとばかりにピタリと立ち止まった。
御者台から舞うよう飛び降り、ファライヤは馬の鬣を撫でると「良い子ね。休んでなさい」と告げる。
人の言葉がわかるわけもないのだが、馬はその場の支配者の許しを得てようやく緊張を解いた。
そして、暴れる手綱をおさめていると、後方から一台の馬車がやって来て停車した。
「どうした?」
御者台から岩のように大きな男が声を上げる。見れば、その隣にはカインとミーア同様、手綱の半分を握った黒ずくめの男が静かに腰掛けていた。
「カインとミーアがだらしないから、手綱が暴走したのよ。丁度良いから少し休憩にしましょう」
ファライヤがそう告げると岩のような男アーマードと、黒ずくめの男ジェドが顔見合わせてから頷くのであった。
キリエ村の呪いを解く為、浄化の力を求めてベンズマスト領へと向かったカインたち。彼等はそこで、神子であるヴィレイナの力を借り受けることに成功した。
その際、攫われたヴィレイナの妹、ユミナを助ける為、カインは出来得る限りの手を尽くして行動を起こしたのだ。
そして、事件は無事に終結したものの、想定できなかったことも一つだけ起きた。
自称、世界最強の美少女を名乗るマリアン。
彼女がエラー教、そしてミリアム教の二つを掌握し、カインを英雄へと祭り上げてしまったのだ。
二つの宗教から英雄と称えられ、天秤の塔の攻略者であり、神の使徒とされたマリアンの所有者として認められたカイン。
求めていた名声とは異なる形で手に入れた称号を本物に変える為、気持ちを新たに当初の目的であるキリエ村の呪いを解く為の行動を再開したのだ。
そして、ベンズマスト領からコルネリア領にあるペルシアに向かっているのが現在の状況である。
ゲネードの街を発って、約十二日間の旅程。ミリアム教の手配により馬車を手に入れたカインたちは、行きに掛かった期間よりも短い期間で帰路を迎えることができている。
しかし、短い期間ではあるがこの間、彼等を遊ばせておく理由はない。
そう言ったのはカインたちマリアンズの悪魔、ファライヤである。
ベンズマスト領へ向かう最中に行われた訓練が、帰路の間も再開されたのであった。
ファライヤによって細工を施された馬車の手綱。その手綱は魔力を一定量、均等に伝わらせることで何も起きない。だが、一度魔力を込めたのち、込められた魔力量に偏りが出ると内包した魔力を使い切るまで暴れ回る仕様となっていた。
その手綱を左右から二人で掴み、同量の魔力を調節しながら込めるという作業をカインとミーア。アーマードとジェドが一組になって行なっていた。
これは、魔力操作の技術とスキルを磨く為の訓練である。
ファライヤが教えようとしている魔法には、繊細な魔力操作が必要となってくる。その魔法を習得する為には必要な工程であるとも言える。
先程はミーアが放出する魔力量を乱し、見事に手綱が暴れる失敗をしてしまったわけである。
「マリアン! 操作を乱すようなことをするんじゃない! あぶねえだろうが!」
「えー。魔力操作の訓練をしてるのに、あの程度で乱しちゃダメだとおもうけど」
「マリアンの言う通りよ。会話をしながら、食事をしながら、寝ながらでも出来るようにならなくてはならないのに、その程度で一々乱していては先が思いやられるわ」
ファライヤの言葉にカインが押し黙り、ミーアがうぬぬと項垂れた。
カインたちは街道から外れた草原で休息をとっていた。
カインを中心にマリアン、ファライヤ、ミーア、アーマード、ジェドが好き好きに岩の上に腰掛けている。
とそこへ、馬を木陰に繋ぎ終わったルクスと聖騎士の格好をした男女が二人戻って来た。
「つか、何で突然馬が暴れる事態になんだよ!」
悪態を吐いた壮年の顔付きをした男はルクス。カインと共に天秤の塔を攻略した冒険者パーティーの一人で、斥候などを得意とするAクラスの冒険者である。
「マリアンたんが怪我でもされたらどうなさるおつもりですか!」
そう言ったのは、聖騎士の男だった。
エラー教の聖騎士である彼の名はリンドー。カインと共に行動する、マリアンのお付きとしてこの度マリアンズに同行することとなった。
そして、リンドーの隣に立つミリアム教の聖騎士。彼女がトリティだ。
トリティはエラー教がお付きを出す際に、エラー教が一人出すのならばミリアム教からも一人出すのが道理だと、半ば強引に選別されヴィレイナのお付きとして同行している。
彼女はどうもそれが不満らしく、無理矢理ミリアム教の聖女に祭り上げられたヴィレイナの言うことも渋々ながら聞いている面も見られる。
カインの指示を無視するようなことはないが、常に不満そうな態度を隠そうともしないのであった。
そして、ルクスを含め聖騎士二人は未だマリアンズへ正式に加入していない為、スキルの取得や魔法の訓練について把握していない。
事情を知らない彼らからすれば、カインたちの行動は眉を顰めるほど奇異なものに見えるだろう。
その所為もあってか、突然馬車が暴れ出したことに対して勝手に納得し、落ち着いた様子のマリアンズの面々と比べ、声を荒げて言及したくなるのも分からなくはない。
「カインとミーアが操作を誤っただけよ。気にしないで頂戴」
「多少操作を誤ったぐらいで馬が暴れ出すかよ! つか、二人掛かりで操縦する方がおかしいだろうが!」
「そうだ! マリアンたんにもしものことがあったらどうするおつもりだ!」
ルクスとリンドーが声を荒げると、ファライヤはやれやれと溜め息を吐いた。
そして、徐に抜いた短刀を掬い上げるように振り上げる。
ブオンッと音が鳴り、ルクスとリンドーの間を風が通り過ぎると、二人は思わず防御姿勢で身構えた。
しかし、追加でやってくるモノは何もない。
二人は緊張した肩の力を抜いて構えを崩す。そして、自分たちの足元を見て青ざめた表情を浮かべた。
見れば二人の間には、裂けるように抉られた地面があったのだ。
その事実に気が付き、二人の傍らにいたトリティも青い顔を浮かべた。
「私たちのやる事にいちゃもんを付けないで頂戴。蹴り殺すわよ」
「……本当に蹴りで殺してくれるんだろうな」
ルクスが抉れた地面を見ながら、アホなことを言った。
「大丈夫よ。消し炭にしてあげるから安心しなさい」
「蹴りで消し炭にされてたまるか!」
震える声でルクスは懸命に言い返すが、それ以上はルクスも聖騎士たちも文句を述べることはなかった。
「……カイン。あの女は何者なんだ? ミズシゲよりもおっかねえんだが」
「それには同意だが、余計なことを言うなよ。俺がとばっちりを受けたらお前を殴るからな」
「てめえも大概理不尽だな!」
ルクスが更に声を荒げる。しかし、カインはそれには取り合わずに質問を投げかける。
「それよりも、ヴィレイナはどうした?」
「馬車で休んでる。虚ろな目をしていたが、大丈夫か?」
そうルクスに言われて、カインは「ああ」と頬を引き攣らせた。
コルネリア領への帰路で、カイン、アーマード、ミーア、ジェドの四人は主に、魔力操作の訓練をさせられていたが、ヴィレイナは違う。
ベンズマストへ向かう最中にカインたちがやらされていた、スキル取得の訓練をさせられているのだ。それもファライヤが付きっ切りで指導しているものだから、その苦労も想像に難くない。
ヴィレイナも健気なもので、カインの力になりたいと言って、懸命に作業に没頭している。
だが、ファライヤの教育は気持ちだけで乗り切れるほど易しいものではない。
過去に苦労を重ねて来たヴィレイナも流石に、日に日にやつれたような表情になっていったのだった。
カインが心配になってヴィレイナの様子を見に行くと、ヴィレイナは馬車の中でクッションに抱き着きながら横になっていた。
「大丈夫か」
カインが声を掛けると、ピクリと反応したヴィレイナはのそりと起き上がり、カインに笑みを向ける。
「大丈夫です。カインも同じことをしてきたんですよね」
「そうだが。お前は、冒険者じゃないんだから俺たちよりも大変だろう。無理する必要はないんだからな」
「そう言って貰えるだけで、まだ頑張れます。私はカインの力になりたいんです」
健気に微笑んでみせるヴィレイナに、カインは何とも言えないモヤモヤとした気持ちが湧いてくる。
そんな気持ちを誤魔化すように、何の気無しにヴィレイナの頭を撫でてやると、ヴィレイナは顔を真っ赤にして俯いた。
子ども扱いしてしまったかな? などと考えカインが直ぐに手を引っ込めようとすると、ヴィレイナはその手を掴んで頬を赤らめながら言った。
「……あの。……その、もう少しだけ。撫でて貰っても良いですか?」
そう言われ、カインが優しくヴィレイナの頭を撫でると、ヴィレイナは猫のように目を細めて嬉しそうな表情を浮かべるのであった。
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