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042 苛立ちの理由

 静けさの満ちる牢獄。


 大した量の布を使用されていない薄く堅いベッド。

 その上で寝返りを打つ際、全身に走る痛みでカインは目を覚ました。


 僅かな光しか届かない薄暗い部屋。石壁と鉄格子に覆われた牢獄の中である。


 夢現の中で見た、懐かしき記憶を名残惜しそうに手放し、霞む意識を現実へと引き戻す。


 カインは起き上がり、堅いベッドへと腰掛ける。

 両腕には手枷が嵌められており、繋がった鎖がジャラリと音を鳴らした。


 全身の傷がズキズキと痛む。昨晩受けた鞭打ちの拷問のせいで、服は破れ至る所で血が滲んでいた。

 おそらく背中は腫れ上がっているだろう。そう感じるほどの鈍い痛みを背後から感じる。


 ただ、耐えられない程の痛みではなかった。

 拷問を受けている時も、カインは一切の声を上げなかった。


 痛みに対して耐性がある方ではなかったが、声を上げることは一度もなかった。

 というのも、想定していた痛みには程遠く、声をあげるまでもなく耐えられてしまったというのが正しいのだが。


 カインは今まであまり感じてはいなかったが、己のステータスが上昇していることをようやく実感することができた。


 実感できたのがこのような状況下というのは、なかなかに皮肉が効いている。


 しかし、そんな状況下に置かれながらも、カインの顔には焦りの色は見えなかった。


 全ては想定の範囲内。と言っては自ら鞭打ちの拷問を受けた様に聞こえるので語弊があるが、それでも現状に何かしらの問題点はなかった。


 確認したいことも確認できた。


 カインが確認したかったことは、ヴィレイナの反応。そして、ヴィレイナを取り巻く騎士の反応だった。


 ヴィレイナの怒りは本物であった。

 ユミナを思う強い感情。憎しみに揺れる双眸に偽りはなかった。


 だからわかる。

 ヴィレイナは何も知らないのだと。


 そして、あの騎士たち。


 焦るわけでも、必死になるわけでもない落ち着いた様子。自分の主人が激昂している中、あれほど落ち着いた瞳を保てるだろうか。

 興味がないとか、無関係を装う者の瞳ではない。


 あれは、結末を知り、その結末に確信を持つ者の瞳だ。

 安心しきって、決まっている結果に抗う者を、嘲るように見下す視線だ。


 疑念は早い段階で湧いていた。


 審査会の終わりにユミナを迎えに来た騎士たち。その騎士が丁寧に頭を垂れる様子に引っ掛かりを覚えた。


 恐らくは、ユミナもあの時その違和感に気が付いたのだろう。

 孤児院に住まう幼い少女。片や神官長よりも位の高いとされている貴族である騎士。その騎士たちが、任務とは言え成人も迎えて居ない少女に頭を垂れるだろうか。


 ユミナが攫われる可能性を考えて居たのならば、あの時点でカインはユミナを引き渡しはしなかっただろう。


 そして、路地裏に誘い込む様な悲鳴。

 目立つ様に地に置かれた首飾り。突如囲い込まれる状況。


 自分を貶める為に描かれたこの絵は、一体誰が描いたのか?


 そんな事は考えずともわかる。


 念の為に釘を刺して置いたつもりだったが、宗教家という者はその程度では止まらないらしい。

 心配の種が胸の内にいくつも撒かれて騒めく。

 かと言って、直ぐに何か行動を起こせるわけでもない。


 カインは刻一刻と過ぎ去る時を、心落ちかせてただ待つことを選択した。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 硬質な石造りの床をカツカツと踏み鳴らして歩き、ヴィレイナは苛立ちを露わにしていた。

 幻光巡りの最中、妹のユミナが攫われてしまったのだ。内心に怒りと焦りの感情が渦巻くのは至極当然のことだと言えた。


 しかし、ヴィレイナの苛立ちは妹が誘拐されたこととは別の要因にもあった。


 黒髪の冒険者カイン。あの男の態度が、ヴィレイナの心を必要以上に揺るがしていたのであった。


 昨日。


 ユミナを誘拐した容疑で捉えたその男は、百の鞭打ちにあっても、顔を顰めるばかりで声一つ上げなかった。

 容疑を否認したまま、余計なことは一切喋らず沈黙を守り通している。


 強い意志の瞳、浮かび上がる決意の感情。

 金に目の眩んだ冒険者が容易に持てる瞳の色ではない。

 自分たちが間違っているのでは? そう思わせてくる力強い眼光にヴィレイナの心は揺さぶられていたのだ。


 それでも、偶然にしては出来過ぎている。

 ユミナの誘拐を指示したのは、間違いなくトーレス伯爵だ。生粋のエラー教徒であるあの男と、洗礼を受けていない聖女の来訪。この二つが無関係であるとは考え難い。そして、ユミナの首飾りを持っていたとされる聖女付きの冒険者。実行犯ではなかったとしても何かしら関わりがあるはずである。


「ヴィレイナ様。お気持ちはわかりますが、落ち着かれた方が宜しいかと」


 ヴィレイナに付き従うようにしていた聖騎士―――クルーゼ・ロランドが嗜めるように言った。


「わかっています」


 自分でも抑えきれない苛立ちをグッと堪え、ヴィレイナは唇を噛んで硬質な床をカツカツと響かせ、カインを捕らえてある牢獄へと向かった。



 牢番の兵士を一人共に加え、ヴィレイナは地下牢へと足を踏み入れた。


 薄暗い部屋の中には、昨日捕えた冒険者―――カインが瞑目したままベッドへと腰掛けていた。

 鞭で打たれた為、破れた服から覗く傷口が痛々しい。しかし、カインは苦痛に顔を歪めるわけでもなく、何事もなかったかのように静かに目を閉じていた。


「そろそろ白状する気になったかしら?」


 ヴィレイナが一歩前に出て言った。


 カインは僅かに瞳を開けてチラリとヴィレイナを見ると、無視するように再び目を閉じる。


 そう。これだ。この態度である。


 ヴィレイナを苛立たせる原因が、カインのこの態度なのであった。

 囚われの身でありながら、喚くわけでも、許しを請うわけでもない。拷問を受けた後でさえ一貫してこの冷静な態度を取り続けるカインの姿に言い知れぬ苛立ちが募った。


 ヴィレイナは思わずドンと鉄格子を手の平で打ち鳴らしていた。


「ヴィレイナ様」


 慌てたクルーゼがヴィレイナの肩を掴んで牢屋から一歩下がらせる。


 こんなことではいけないと気持ちを静め、ヴィレイナは一度大きく息を吐いて心を落ち着かせるように努めた。


「何かしゃべりなさい。このままだと、あなたは審問に立たされて裁かれることになるわ。誘拐は重い罪よ。最悪極刑に処される可能性もある」


 そう言われてカインはようやく瞼を開き、緩慢な動作でヴィレイナをみた。


「俺を裁けば、ユミナは帰ってくるのか?」


 その言葉に無理やり落ち着かせていたヴィレイナの感情が再び乱れた。


「しゃべらなければ助かると思っているの!? そんな脅しで言い逃れするつもり? あの男にとっては冒険者なんてただの捨て駒に過ぎないわ!」


「……そうじゃない。俺を裁くことでお前の大事な妹が帰ってくるなら、好きに裁けばいいと思っただけだ」


「なにを―――」


 言っているのだ。とヴィレイナは思った。


 予想外の言葉に思考が停止する。

 目の前の男が何を目的としているのかがわからない。なにを思ってその言葉を口にしたのかが理解できない。

 人間は醜い生き物である。

 他者を蔑ろにしてでも自分の利益を追求する強欲な生き物だ。利の無い行動は決して起こさない。これは真理である。

 この男の言動に果たしてどのような利益があるというのだろうか?


 ヴィレイナの迷走する思考を途切れさせるかのように、カインが再び言葉を発する。


「……ずっと考えていた。お前の凝り固まった心の扉はどうやって開かれるのだろうと」


 カインの言葉にヴィレイナの眉間に深い皺が刻まれる。


「むかし。お前と似たような瞳をした女の子がいた。人を寄せ付けない冷たく獰猛な瞳を持った彼女だったが、その心根は誰よりも優しく、そして誰よりも人の優しさに飢えていた」


 ヴィレイナは何も言わずに眉を顰めた。


「俺は最初、その瞳を怖いと感じた。けれど、それと同時に美しいと思ったんだ。だから、勇気を出して言ったんだ。友達になってくださいってな」


「……なにが、言いたいというの?」


「いや、余計な話だったな。ただ、その子とお前の瞳はよく似ているなと思っただけだ。人に忌避感を抱いている癖に、その奥底では人を愛している。いや、愛したいと思っている。そんな矛盾を孕んだ瞳だ」


「あなたに! あなたに何がわかるというの!!」


「……わからないさ。なにもわからない。だが、俺は昔、お前と同じ瞳をした彼女の心を開くことができた。その時俺は、彼女に何をしてやったのだったか。それをずっと考えていただけだ」


「わたしが! 犯罪者であるあなたに心を開くとでも思っているの! 御託はいいから、ユミナの居場所を吐きなさい!」


「だから、知らないと言っているだろう。俺は誘拐犯とは関係ない。そっちこそ、相手に目星がついているのだろう? 俺よりもそっちを構った方が良いと思うが?」


「妹の首飾りを持っていたあなたが、一番疑わしいのを理解しているのかしら! あなたと……聖女とトーレス伯爵が共謀していることはわかっているのよ!」


「ヴィレイナ!」


 突然、カインに強い口調で名を言われ、ヴィレイナはビクリと身を震わせた。


「冷静になれ。焦るのもわかるが、冷静に物事見つめなくては見えるものも見えなくなる。攫われたのは二日前だろう。まだ、この街にいる可能性もあるんだ。ユミナが大切なら、固定概念は捨てて、あらゆる可能性に目を向けろ」


 ヴィレイナは奥歯を噛みしめた。


 この男は本当に何を言っているのだろう。そう思い、ヴィレイナの感情は更に高ぶった。

 囚われの身でありながら、その状況に憤るわけでも、嘆くわけでもない。ましてや、ヴィレイナを心配するかの如く、諭すような言葉を投げかけてくる。


 イライラする。ああ、本当に腹立たしい。


 その感情の猛りは抑えることが出来ず、ヴィレイナは気が付けば、手に嵌めていた指輪をカインに向かって投げつけていた。

 投げられた指輪がカインの頭部に当たり、高い音を立てて床に転がった。


「ヴィレイナ様。本日はそのくらいにして」


 クルーゼに宥められ、ヴィレイナは感情に任せた痴態を反省した。そして、兵士に促され素直に牢屋を後にすることにした。だが、去り際に一度だけ立ち止まると、カインへと向き直り言った。


「妹になにかあったら、絶対にあなたを許さないわ」


 憎い相手を見るような瞳で、ヴィレイナはカインを睨みつけた。


 そして、カインから視線を逸らし、その場を立ち去ろうとしたその時。


 ドサリという音が鳴り、驚いたヴィレイナとクルーゼは、慌てて正面へと向き直った。


 しかし。


―――誰も居ない?


 振り向いた先には、なにもなかった。いや、伴っていた牢番の兵士が地べたで昏倒していることから、なにかがあったことは間違いないのだろう。


 クルーゼがヴィレイナを庇う様に前に出て、周囲を警戒する。


 賊? どうやってこの場所へやって来た? 階下に造られたこの牢獄に辿り着くには、厳重な警備を掻い潜らなくてはならない筈だ。

 それよりも、相手の姿はどこにある? どのような手段で兵士を倒した?


 二人がそんな疑問を抱いていると、すぐ後ろから声が鳴った。


「色男になったじゃない」


 二人が慌てて振り返ると、そこには袖のない和装に身を包んだ女が背を向けて立っていた。

読んで頂き、ありがとう御座います。

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