041 愛しき最愛の色
薄暗い空間の中で、まどろむ意識に人々の瞳が浮かんでは消えて行く。
満たされて恍惚とする瞳。やさぐれて敵意を向ける瞳。空虚に虚空を見つめる瞳。情熱を宿すギラギラと輝く瞳。
旅の果てに、カインは多くの瞳と出会って来た。
人の心を映し出し、感情によって幾重にも色を変える瞳。
そんな瞳の中で、一際強く心の内に焼き付いたものがある。
紅く獰猛で、人を威嚇する様な力強い瞳。けれど、その中に潜む深い情愛の色。
今もカインの胸の内を焦がし、美しいと感じるその色合い。
遠い昔に失ってしまった愛しき最愛の色。
それを思い起こさせ、胸の内を騒がせる瞳があった。
鋭く細められた緑色の瞳。誰も寄せ付けようとしない警戒の眼差し。その内に見え隠れする、美しき最愛の面影。
カインの脳裏にヴィレイナとヨミの姿が重なった。
全く似て居ない二人。
だが、堅い殻を被り、内に秘めた感情を見せない姿に、同じものを感じてしまう。
そんなヴィレイナの姿を見て、懐かしいと感じてしまう。
そういえば昔。自分はどうやってヨミの心を解きほぐしたのだったか……。
そう思いカインの中に一つ一つ、遠い記憶が呼び覚まされていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
静寂の森の中で出会った紅い瞳の少女―――ヨミは常に眠たげな様子で表情の変化が乏しかった。
カインは出会った時に僅かだが綻ばせた笑顔を見たくて、あれやこれやと話題を振るが、ヨミは「そう」とか「うん」とか相槌は打つものの素っ気ない態度を一向に崩そうとはしなかった。
「ヨミは、何処に住んでいるんだ?」
出会ってから三日目に、カインはそう口にした。
カインは仕事の合間を縫っては、ヨミと出会った場所へと足しげく通っていた。
ヨミはいつも眠たげな瞳で虚空を見つめたまま、その場所にある朽ち木の端に姿勢よく腰掛けていた。
カインはヨミが何処へと帰るのか、どんな生活をしているのか全くと言っていいほど知らなかった。
話す内容はいつも自分のことで、村ではキリハさんが足を折って大変だとか。今の季節はブブカという木の実が美味いだとか。昨日はボームを仕留めたのだとかそんな話を聞かせるだけだった。
ヨミの表情は相変わらず無表情で、興味なさそうに聞いてはいるものの、カインが話を始めると足をプラプラと反応させる。
最初は退屈しているのかな? とも考えたカインだったが、どうやらそれはヨミの癖みたいなものらしい。要するに犬の尻尾のように楽しい時にプラプラと動いてしまうのだということが分かった。
カインもヨミがそんな反応するものだから、もっと色々と聞かせてあげようと思い。日々の出来事を事細かに教えてやった。
日が西へ傾き始めた頃には、カインも仕事がある為に切り上げ、「また明日もくるね」と言ってその場を立ち去るのだったが、その日は何故かそうしなかった。
ヨミはいつも同じ場所に腰掛け、同じ服を着たまま、同じ姿勢で腰掛けていた。
カインと話をした後は何処かにある、ねぐらに帰っているのだろうと何となく想像していただけだったのだが、流石に三日間も同じ場所に同じ姿勢でいるとなると首を傾げたくもなる。
ヨミの素性を聞くことを若干躊躇っていたカインであったが、この時ばかりは口に出さずにはいられなかったのだ。
「……ここにいるわ」
「え?」
あまりにもか細い声が聞き取れず、カインは聞き返していた。
「ずっとここにいるわ」
「ずっと、って。三日前からずっとここに座っているのか?」
「……もっと前からよ」
「―――な! 食事は? 何か食べているのか?」
「いいえ」
その言葉を聞いた瞬間。カインはヨミの腕を引いて立ち上がらせた。無表情のままヨロヨロとたたらを踏むヨミ。そんなヨミの肩を支えてやると、カインは再びヨミの腕を握って歩き出した。
ヨミは無言のままそれに従った。
「ちゃんと歩けるか? 辛かったらおぶってやるから言えよ」
そう言って無言になって歩き続けるカインに対してヨミは首を傾げた。
「……どこへ。いくの?」
「俺の家だよ」
「……どうして?」
「ヨミに飯を食わしてやる」
「……必要ないわ」
「あるだろっ! こんなガリガリになって。ちゃんと食べなきゃ死んじまうぞ!」
「……大丈夫よ。……わたしは、魔族だから」
「関係ないだろ! 魔族だろうとなんだろうと食わなきゃ死ぬんだ」
そう言うとヨミは僅かな間、躊躇うように押し黙る。
「カインは、魔族を知っているの?」
「耳にしたことぐらいはあるよ」
「……魔族は。…………人間に忌み嫌われているのよ」
ヨミがそう告げるとカインは足を止めた。そして振り返り、ヨミを睨みつける。
カインの瞳には怒りと嫌悪の色が宿っていた。ヨミにとっては見慣れた視線。人々が自分を目にしたときにする瞳と同じ色だ。ただ、それらの人間と違いカインの瞳に恐怖の色は混ざっていなかったが……。
ヨミはカインの視線を受けて、自分の感情が深く暗い色に沈んで行くのを感じた。
「ふざけるなっ! そんなの他人が勝手に言ってるだけだろう! 魔族だとか人間だとか関係ない。ヨミはヨミだろう!」
カインは思わず八つ当たりの様な言葉をぶつけてしまった。
魔族が人間から忌み嫌われていることは知っていた。そして、ヨミがその魔族ではないのだろうかと薄々ではあったが勘づいてもいた。
けれど、たった三日間の付き合いではあったが、好意をもった相手にそんな言葉を口にして欲しくはなかった。
それではまるで、自分も魔族を忌み嫌っている人間の一人ではないか。そう言われているような気がしたから。
そして、なにより頭に来たのが、当然のように自虐的な言葉を述べるヨミの態度に対してだった。
少しずつではあったが、打ち解けていると思っていた。だが、ヨミの心にはまだなにも届いていなかった。所詮自分は魔族だと思い、最初からなにかも諦めているような後ろ向きの考えを口にする。
ここに一人。ヨミを嫌わない人間がいるというのに。
「俺は魔族と人間を区別したりなんかしない。わかったら二度とそういうことを言うなよ」
そっぽを向きカインはヨミの手を引いたまま歩き出した。
そんなカインの態度に、ヨミは眠たげだった瞳を見開いて驚いた表情をする。
自分は怒られたのではないのだろうか? 嫌われたのではなかったのだろうか? 何故カインは自分を放っていかず、腕を引いたままなのだろうか?
カインの瞳には怒りと嫌悪が確かにあった。発した言葉は怒気を孕んだものであった。
けれど、何故だろうか。
過去に何度も向けられたその瞳の色は。罵声を浴びせられる度に聞いて来た怒気を孕んだその声音は。胸の内を包み込むような温かさが確かにあった。
ヨミは困惑した表情を浮かべた。そして、無言のまま自分の手を引いて歩くカインの後ろ姿をみて、僅かに揺れる心の疼きを感じた。
カインの家は人里から少し離れた位置にあった。
森の開けた一角に木造の建物が一つ。その周辺には実りのある畑と井戸が設けられていた。
カインはヨミを連れて家の中へと入った。
「大丈夫だ。ここには俺しか住んでない」
カインの言葉にヨミは首を傾げる。そんなヨミの反応をみて、カインは言葉を付け足した。
「一年前に母さんが死んで、それから一人で住んでいるんだ。村の連中もこっちには殆ど来ないから気楽なもんだよ」
「……そう」
「それよりもヨミ。先ずは湯あみをしろよ。服も洗濯したいから、別のを用意しないと……母さんのじゃ、ちょっと大きいかな」
「……必要ないわ」
「いや、必要あるだろ。今湯を沸かしてやるから待ってろ」
そう言ってカインは火をおこしたあと、ヨミが着れる服はないかと探しに行った。
服を持って二階から戻ってくると、ヨミは家に来た時の姿勢のまま微動だにしていなかった。
相変わらず眠たげな瞳で虚空を見つめている。
「ヨミ。そんなとこに立っていないで座ったらどうだ?」
カインに言われ、ちょこちょこと近づくとヨミはカインが促した椅子へと姿勢よく腰掛けた。
「じゃあ、これが着替えな。あとタオルとこっちがシャンプーで、こっちがリンスだからな。場所はここを使っていいから。リンスは母さんが使ってた物だから、ちょっと古くて固まってるかもしれないから溶かして使ってくれ」
そう言ってカインは立ち去り、温めていたお湯を桶に移して温度を確認する。適温だと判断して、その桶をヨミのところまで運んできた。
「じゃあ、これ使ってくれ。もっとお湯が欲しかったら言うんだぞ」
そういって、その場を去ろうとしたカインだったが、すっと振り返りヨミの様子を伺ってしまう。ヨミは姿勢よく腰掛けたまま、まじまじと丸テーブルの上に並べられた物を見つめたまま、動こうとはしなかった。
「ヨミ。湯あみの仕方はわかるよな?」
なんとも怪しげな空気を感じ取り、念の為聞いたカインであったが、ヨミは首を傾げてるばかりで、動こうとはしなかった。
「……知らないわ」
「普段はどうやって体を清めてるんだ?」
「滝に入る」
「滝がなかったら?」
「入らない」
なんてこった。まさか湯あみの仕方も知らないとは。
そう思い、カインは頭を押さえる。
「じゃあ、教えてやるからやってみろ」
「……やって」
「え? いや、ほら。教えてあげるからさ」
「……これ。よくわからないわ」
ヨミは丸テーブルの上に置かれた、シャンプーとリンスと石鹸を指さした。
ああ、なるほど。とカインは納得した。
要するに、ヨミは湯あみの仕方がわからないのではなく、洗剤というものを使用したことがないだけだったのだ。
「うーん。それじゃあ、教えるけど……ってなんで脱いでるんだ!」
カインがどうしようかと悩んでいると、ヨミは腰帯を解いてスルスルと服を脱いでしまった。
雪のように白い肌、痩せ細った身体。小さく肉付きもよくないその体であったが、見慣れない女性の裸にカインは動揺を隠せなかった。
そんなカインの反応とは対照的に、ヨミは恥ずかしがる様子も見せずに言った。
「……脱がないとできないわ」
カインは顔を真っ赤にして目を背けたが、意を決してヨミの体を拭いてやることにした。
石鹸を付けたタオルで丁寧に体を拭い、髪をわしゃわしゃと洗ってやる。黒く長い髪をリンスを付けてすすぐと、艶のある綺麗な黒髪になった。
小綺麗になったヨミが、ぶかぶかの服を着て椅子に腰掛けた。
相変わらず眠たげな表情で顔色も良くないが、憂いを孕んだ紅い瞳にカインの胸は高鳴った。
目線が合うとカインは慌てて目を反らす。
「じゃあ、食事の準備をしようかな」
誤魔化すように言った言葉にヨミは無言のまま首を傾げるのだった。
食事を出してやると、ヨミは出されたものを淡々と口に運んだ。
美味いとも不味いとも言わず、無言のままに口を動かす。
「美味いか?」
「うん」
「ミチカさんに教わった料理なんだ」
「そう」
「おかわりもあるから遠慮するなよ」
「ええ」
単語しか返さないヨミに対して、カインはモヤモヤとした気持ちになった。
森に足繁く通っていた時は気にならなかったが、先程ヨミの裸を目にしてしまった所為か、妙に意識をしてしまう。
笑顔が見たい。笑っている姿が見たい。
そう思い。カインは強硬手段に出ることにした。椅子をずらしてヨミの隣へと移動する。
そんなカインの行動をヨミは不思議そうに見つめた。
「いいかヨミ。笑ってみろ」
眠たげな表情のまま、ヨミは首を傾げた。
「こうだ。こう!」
ニカっとカインは笑ってみせる。すると、ヨミは眉を寄せて、頰をピクピクと痙攣させた。
まるで笑い方を忘れてしまったかのように、難しそうな顔をするヨミを見て、先にカインが笑ってしまった。
「ぷはは、なんだよそれ。下手くそだな」
笑いながらカインは、ヨミの頰に触れると、その柔らかな頰を引っ張った。
びにょーんと両頬を引かれ、眠たげな目のまま不自然な笑顔になるヨミ。
そんなヨミの姿に、カインは再び声を上げて笑った。
「失礼なことをされている気がするわ」
「あはは、いやごめんごめん、つい」
相変わらずヨミの表情は硬いままだったが、カインは久方ぶりに声を上げて笑った。そのことが楽しくて。誰かと居られることが嬉しくて。その後も笑顔のまましつこくヨミに話しかけるのだった。
それからというもの、カインとヨミはいつも一緒に居た。
畑を耕す時間も。狩りに行く時も。山菜を採りに行く時も。食事をする時も。眠る時も。
片時も離れず、同じ時間を共に過ごした。
カインはずっと楽しかった。だから、ずっとヨミに笑顔を向けていたのだと思う。
ヨミの表情が堅いとか、反応が悪いとかそういったことはいつしか気にならなくなっていた。
瞳の奥に揺らめく、楽しいという感情が、カインには伝わってきていたから。
眠たげな瞳の奥で、心はずっと笑顔になっていることを知っていたから。
だから、いつからだろう。
きっかけなどは覚えていない。
気が付けばカインが笑いかけると、ヨミは自然な笑顔を返してくれるようになっていた。
白妙の花のような笑顔。
その眩しい笑顔がカインの中で鮮烈に思い起こされた。
……ああそうか。俺はあの時、何かを努力したわけではなかった。
今と何も変わらない。やりたいことをやりたいようにやっていただけだった。
本当にまるで成長していないな。
あの時と何も変わっていない。
ヨミ。
お前が好きだと言ってくれた俺は。
お前が愛してくれた俺は。
今も変わらずにお前が好きな俺でいられているだろうか。
いや、きっと変わってない。
お前の笑顔が浮かんだだけで、こんなにも優しい気持ちになれるのだから。
だからきっと、間違っていない。
ヴィレイナがどんなに心を閉ざそうと、あるがままぶつかって行けばいい。
きっとそれが、ヨミの言う『正しいあなた』なのだと思うから。
そう思い。まどろむカインの意識は深くへと沈んでいった。
読んで頂きまして、ありがとう御座います。




